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第六話 グラウンド

 イデアールの装備に取り付けられている射出口を全て破壊せねばならない。戦場で鍛え上げられた強靭な親指は、ただ触れるだけのような動作であっても鋼鉄の機構を破砕する。

 

 単にいたぶることが目的ではない。イデアールの本領は中距離戦、対して時裂は超至近距離の接近戦。武器を射出しこちらの体の動きを奪ってくる彼女の装備を破壊しないと、同じ土俵に立って戦うことすらできないのだ。

 

「これはァ……拒否されたと思っていいデスか!?」

 

「構わん。私はこの世界で生きると決めた」

 

 イデアールの勧誘がどこまでも甘い。一度地獄の底に浸かった者は、二度とその場所から逃れることが出来ない。

 

 だが、時裂は鋼の意思で誘惑を断ち切っている。バネのように体を動かし、嗤いながら戦闘行動を継続しているイデアールを羨ましがりながらも否定している。

 

 あの世界は、もういい。消えてなくなるべきだと。

 

「んー……わかりましタ! ただ、どちらにせよあなたは邪魔なのでここで排除させてもらいマスね!」

 

 胸の装甲が開き、小銃が露出する。

 

 高速でバックステップを刻みながらそれを乱射するイデアールに、手首から先の関節の動きのみで銃弾を逸らしながら接近する。時裂の動きは、既に人間をやめている。

 

 その中で凶悪に刃を煌めかせ、ナイフや毒針も飛んできている。前から思っていたが、この装備は多彩すぎる。

 

 だが、容易い。獣のような低姿勢でイデアールの直下へと滑り込む。死角。硝煙と火薬の光に慣れた今の彼女では、察知することも出来ぬ位置だ。確信。もらった。

 

「っ……!」

 

 中指だけを膨らませた拳で胸部装甲を殴る。小銃から音は聞こえなくなり、イデアールの笑顔も歪んだ。

 

「まだ、治していないのか。異能狩りは終わったのに」

 

「終わった? 何が? 異能狩りはまだまだ、これからデス!」

 

 異能狩りとして活動していて、最も信頼していたのはイデアールだった。何よりも異能保有者との戦闘のみを考え、人としてどうかしている部分はあっても軍人として、作戦行動を遂行する身としてはこの上なく頼りがいがあった。

 

 だから、元々豊満だった彼女の胸と臀部がある日削ぎ落とされていた日は少し……いいや、かなり驚いた。

 

『それは、どうしたんだ。まさか敵にやられたのか』

 

『邪魔なので削ぎ落としました。一々動くし痛いんですよ。これでまた、異能狩りがしやすくなりました』

 

 それは、人として、女として生きることを捨てた者の選択だった。そして何より恐ろしいことは、彼女がそれに関して特になんの悲しみも抱いていないことだった。

 

 これで更に容易くなった、と。まだ人間としての部分が残っている自分にとっては……それが、あまりにも恐ろしくて仕方なかった。それは今も変わっていない。

 

「終わった。終わったんだ。国が必要とする異能の情報は出揃い、最早我々の出番はこの地平のどこにもないんだ」

 

「そんなはずありまセン! 今だってほら、声が」

 

「軍部の伝手をたどれば、肉体修復程度容易い。お前は戦いも何もかも忘れ、平和な世界で生きるべきなんだ」

 

 入隊直後の彼女は、任務への高揚というよりも異能保有者への復讐心に満ち溢れていたように思う。

 

 最初の異能で両親も何もかもを燃やし尽くされ、憎むべき復讐相手は既に軍の兵器により殺されている。行き場のない憎悪が、対象を大きくして残っているだけだった。

 

 可哀想だと思った。あの経験がなければ、きっとあの大都市で幸せに生きていたのだろうに。服を買い、伴侶を見つけて家庭を築き、年老いたあとは多くの友や血縁に見守られながら死んでいく。そんな生を歩めたのだろうに。

 

 今の彼女には、もう何も残ってはいない。

 

「機械のように生きるのはやめろ。終ぞお前の願望が果たされなかったことは知っている。この学園で、異能を持つ者たちが生きる世界を見つめろ。そうすれば、必ず……」

 

「うるさいデスねえ、ごちゃごちゃと」

 

 踵の噴出機構が作動し、イデアールが亜音速で突っ込んでくるのを視認した。半身を躱し手を添えて、その軌道を誰もいない金網へとズラす。金属質な音が響いた。

 

 数え切れない量の飛来物が心臓と脳目掛けて飛んでくる。僅かな身体動作のみで、全てを躱しきって見せた。

 

「私の異能狩りはこれからなんデス。異変異物、異端異常極まる奴らを粉微塵にして殺し尽くす。あの炎で全てを失った私に残された道は……いいえ、“この私に”存在した道は最初からこれだけなのデスよ!」

 

 肩甲骨と踵、肘の三箇所に噴出口があった。技術も何もない突進に合わせて攻撃する程度、時裂には容易い。

 

 すれ違いざまに三度指を突き出す。正確無比な定点攻撃は熱を孕んだ噴出口の内部機構を衝撃の伝播のみで完全に破壊し、突如失速したイデアールは顔面から倒れ伏した。

 

「やめろ。そうなったお前では最早勝てん。次の交差で全ての機構を完全に破壊する。お前はもう詰んでいる」

 

 先の胸部への攻撃で、イデアールの中枢神経は乱れきっている。脊髄へと衝撃を伝播させることで、彼女が当たり前に出来ていた動作の全てを封印している。

 

 中距離戦は不可能だ。遠距離など論外。そして近距離戦は時裂の間合い。イデアールにできることはもう何もない。

 

「まだまだデス、よ……トキサキ隊長……!」

 

「お前が、あの頃から少しでも進化していたのなら」

 

 立ち上がろうとするイデアールの背中を踏み付ける。全体重を乗せ、持てる技術の全てを用いた踏み付けだ。背中の負傷部位と秘孔を突くことで電気信号を遮断する。

 

 彼女は何も変わっていない。あの頃と同じ戦闘用装備に喋り方、戦闘方法。諦めの悪い所からどんな相手でも最初は舐めてかかる悪癖。共に戦場を駆け抜けた数十年前と、何一つ変わらない……一切進歩せず、停滞している。

 

「私の肉を抉る程度は出来たのかもしれんな」

 

 押し潰す。久しく忘れていた死の感覚が蘇る。

 

 ピクリとも動かなくなったイデアールを少し眺め、目元を抑えた後に聖堂へ向けて歩き出した。少し、疲れた。彼女の死体の処分は日が昇ってからにしよう。どうせ、誰もグラウンドには出てこない。問題はない。

 

 首を振る。これで、イデアールの提案も、彼女がここにいたことも忘れよう。地獄はもう見たくない。

 

 ゾグリと蠢くイデアールの死体を見ないまま、時裂は立ち去った。彼もまた、イデアールの言う通り鈍っているのだろう。昔の彼なら、死体の急所程度は砕いただろうに……


 ――――――


「なんだこれは……輝夜君。これはなんのつもりだ」

 

 最初の疑問は、どこから調達したのか? というものだった。聖堂の長椅子はそのほとんどが撤去され、恐らく礼拝堂に放置されている。蝋燭も同様に、妙に淫靡な光を放つ電球に替えられている。匂いも何かがおかしい。

 

 そして長椅子があった場所にはベッドが置かれている。ご丁寧にダブルベッドで、YES/NO枕など古典的な……

 

「決めたの。私、黒鎧と決着を付けてくる。明日」

 

 輝夜が黒鎧と戦闘したのは今日。時計の針は十一を示し、もうすぐループが始まる時間だ。明日黒鎧と決着をつけるのは構わないが、それとこれとに何の関係があるのか。

 

「そんな悲壮な覚悟を決める必要はないかもしれない。一対一で戦えば、恐らく勝つのは私の銀翼だから」

 

 ベッドの上で服をはだけさせて座りながらながら輝夜がそう言う。下半身には……何も着用していない。蠱惑的な彼女の肢体や上気した頬、シーツに広がる艶やかな紫髪はこの世のほとんどの男を見るだけで落とすだろう。

 

「けれど、確証はない。相手はこんな時間操作を可能とする集団だし、私の一対一で戦りたいという要望を受け入れない可能性は大いにあるの。正直……怖くもあるわ」

 

 トサリ、と音を立てて彼女の軽い体がベッドの上に転がった。震える手で顔面を覆い隠している。

 

 彼女の言わんとしていることがなんとなく理解できた時裂が上着を脱ぎながら歩み寄った。カツカツ鳴る彼の靴の音が鼓膜を震わせる度、期待と歓喜でどうにかなりそうな頭の中を整理してやる必要があった。

 

「私たちは異能保有者。普通の人みたいな平穏な生活は有り得ない。ここで死ぬことも有り得る……あの三人みたいに」

 

 黒鎧と初めて対面したあの日に殺された三人の生徒。彼らを殺したのは誰なのか、まだ分かっていない。駆けつけた直後に黒鎧が現れ、黒鎧が逃げてすぐに輝夜も逃げたのでまだ顔も見れていなかった。次の朝、死体は消えていた。

 

 どこまでいっても異能保有者は異能保有者。何も持たない普通の人のような、平和な一生など夢物語。明日黒鎧たちと再び戦って死ぬ可能性も……当たり前のように、ある。

 

「だから、出来ることはやっておきたい……の……」

 

 言葉が尻すぼみになる。時裂にただ一言想いを告げるだけでいいのに、それだけのことが何よりも難しい。

 

 時裂は何も言わないまま歩み寄っている。緊張からか、いつもより遅く感じる時の流れが体を撫でる。どうしようもない高揚、緊張、興奮、歓喜が脳内で暴れ回っている。

 

 ふわり、と。優しい感触。

 

「あ、え……?」

 

「私がここで君の純血を奪えば満足かね」

 

 そうだ、と……言えなかった。少しいつもと違う匂いのする彼の上着を握りしめていると言葉が出なかった。

 

 愛が欲しい。姫魅輝夜の根本的な欲求。崇拝でも信奉でもなく、この身を焦がすような愛が欲しい。私があなたをひたすらに求めて、あなたが私をめちゃくちゃに求めるような、かけがえのない愛が欲しい。そして、それは……

 

 行為だけの関係に、果たして存在するのだろうか。

 

「私は、君たちの世界にいるべきではない存在だ。それはつい先程、嫌という程に再確認したばかりだ」

 

 礼拝堂の奥の奥に隠していたはずの服を、いつの間にか時裂が握っている。優しくベッドの上に差し出されたソレは、まだほんの微かに彼の手の温もりを孕んでいた。

 

「見守るだけでいい。そこにいるだけでいい。時折頼ってくれれば、暖かな場所も料理も、何でも提供しよう」

 

 優しい彼らしい、遠回しなメッセージだった。これ以上何も言うつもりはないようで、一度も輝夜に視線を向けずに聖堂の扉へと歩き始めている。靴の音が無慈悲に響く。

 

 上着と、服を。震える手で握りしめている。必死に覚悟を決めた。彼に、言葉以外でも後押しして欲しかった。もうひと踏ん張りだぞ、と覆いかぶさりながら言って欲しかった。ゴツゴツして男性らしい手で、握りしめて……

 

「だが、私は……君の愛にだけは応えられない」

 

 聞こえるか聞こえないか、ギリギリの声だった。夜の静寂が飲み込んでしまいそうな、小さな声だった。決別のためにその言葉を口にしたと、分かってしまうのが嫌だった。

 

 扉が閉まる。いつもと違う聖堂に、輝夜は一人取り残された。もう誰もいない……もう、ここには誰も来ない。

 

「それなら……それなら、もっと、早く……」

 

 否定して欲しかった。彼は優しいから、小娘で、何も理解していない自分に甘い夢を見せてくれていただけだ。最初から、この恋心に応えてくれる気などなかったんだ。

 

 ああ、ああ! それなら、私の心に気付いた時に言って欲しかった! 今更になって別れを告げて、まだ言葉にも出来ていない感情を見透かしていたのにはぐらかして! そこに悪意なんてなくて、全部あなたの善性から来る行動で……

 

「あなたが言ったんじゃない、君の声は時折小さいって。でも私は、怖かった。こうなるのが、怖かったの……!」

 

 絹のような肌が傷つくほどに強く、自分の体を握りしめている。シーツの上に数滴の雫が落ちていく。

 

「だから行動で、示したのに……あなたは、私が間違ってることなんてすぐに見抜いて、また包み込んで……!」

 

 嗚咽が漏れていた。数滴だったシーツの染みは気付けば数え切れなくなっていて、いくら目元を手で擦っても、次から次へと溢れ出す感情の雨を止められなかった。

 

「あなただって、あなただってそうじゃない!」

 

 静寂の夜だ。何もかもを飲み込むような静けさは、彼の言葉も心も跡形もなく砕いて消してしまったようで。

 

 なのに、この耳にだけはちゃんと響いて。はっきりとした拒絶と否定の言葉がいつまでも胸に刺さっている。いくら拭っても拭っても消えない傷が、そこに出来たようで。

 

「声が、小さすぎるのよ……」

 

 いっそのこと、聞こえないでいて欲しかった。何を言っているのかわからず、きょとんとした顔で。またいつものような日常の中でかれを求めていたかった。

 

 心のどこかで叶わぬと知っていたこの恋心が、自分自身の予測すら越えて自分を成長させてしまっていた。

 

 見て見ぬふりの出来ない、子供らしい部分を残して。

 

「バカぁ……」

 

 なんでこんなに残酷なんだろう。

 

 月の光が、いつもより淡く見えた。

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