第四話 第二学生棟
「本来これは僕の異能の方が良いのかもしれないが」
襲撃決行直前、ラグナロはそう言った。十秒間の【三日月】顕現に向けて気を高めている最中の言葉であったが故にその全てを覚えてはいない。それ以前に真昼は先刻の発言のせいでラグナロのことが嫌いにすらなっていた。
嫌いな人間の言葉など耳に入れたくない。誰もがそうだろう。ラグナロの言葉は、真昼にはもう届かない。
「僕はまだ君を信頼出来ていない。許しておくれよ」
「準備はいいです……いいようですわね、真昼さん」
基本的に異能を使うというのは、スポーツを全力で行うのと同じようなものである。使い続ければバテるし、最初から全力疾走することは出来ない。絶対の理である。
しかし今回の襲撃では、階の端から端を突っ切る必要がある。要するに初手からフルスピードでなくてはならないということだ。それを可能とするために、真昼は異能の感覚を限界まで研ぎ澄ましていた。息切れが始まるほどに。
「いつでも……行けます。よろしくお願いします」
「もう少しお待ちくださいまし。私の方も準備が……」
エベーレの複製は、同時に複数の対象を選択出来ず、また2体以上の複製体を同時に作り出すことが出来ない。全ての棟の全ての階に【三日月】を同時出現させる必要がある以上は、エベーレもその限界を覆す必要があった。
生徒棟が二棟、計八階。特別棟も二棟、計六階。合計で十四階に【三日月】を同時顕現させる。特別棟は万が一に備えて攻撃する。保険というやつだ。真昼もエベーレもその負担は経験したことのないものだが……後は、ラグナロたちに任せる。彼らであれば、きっと銀翼を倒してくれるはずだ。
……ああ、そういえば。生徒会会計の異能が役立つかもしれないのだったか。十六時が回ってから告げられたので、そこまで重要ではないのかもしれないが……軽い期待はしておくとしよう。あったらいいな、程度のものとして。
「……整いました。顕現、いつでも行けますわ」
時計の針は十六時八分を示している。真昼及び輝夜を除いた生徒会メンバー以外の全生徒は各々の教室に戻り作業をしている時間帯……そのどこかに、銀翼がいる。
同時発動。十四体の漆黒の武者が顕現する。
「突っ……切れええええ!!!!!」
生まれてから今まで出したことのない大声だった。絶叫とすら言えるだろう。十四体顕現の負荷がここまで重いとは想定外だった。叫んで気を紛らわさないと、どうにかなってしまいそうだった。エベーレも同じような状態だ。
例えるのなら、フルマラソンを全力疾走で駆け抜けた後のような疲労感。膝が震えて、まともに立っていられない。
学園中に破滅的な破壊音と悲鳴が響き渡る。エベーレは異能の過剰使用による疲労だけで済んでいるが……真昼は全ての【三日月】から送られる情報を一つの脳で処理しなくてはならない。これを、頭痛と形容していいのだろうか。
その中で、見た。第二学生棟四階。他の生徒を守るように出現した……銀翼。いくら自動操縦で突っ切る以外の機能が存在しないとはいえ、一撃であの装甲を破壊して見せた。
「第二学生棟……四、階!」
脳内情報をそのまま言葉にする。真横で待機していたラグナロの通話機能が振動し、ラグナロ自身の異能も発動する。第2学生棟4階に学園最大級の戦力が集中した。
「真昼。連戦ですまないが、行けるな。エベーレも」
生徒会会計、【聖桜鋼】。
彼は生徒会の中で最も事務仕事に適した異能を保有している。触れた対象の体内時間を五分巻き戻し、聖桜の肉体年齢に合わせた一定量の疲労を回復するという、継続的な活動に最適な異能を所持しているのだ。
「直前で言うから何かと思いましたが……」
クラウチングスタートの構え。真昼は正直……生徒会のことを侮っていたのかもしれない。謎に噛み合った変人集団であると……まあ、その認識に誤りはないのだろうが……
その上で。あらゆる面において、彼らは最優であった。
「案外、素晴らしい異能じゃありませんか」
巡華学園創立以来初となる大規模異能戦。主戦力は銀翼及び姫魅の次女、姫魅真昼。そして生徒会役員二名である。ラグナロ・ミレニアム、秋月鏡裏。計四名。
――――――
(なんなのいきなり……この前の、黒鎧?)
輝夜の知覚範囲が正確ならば全階層に出現している。前回のような明確な意思は感じない……恐らくは自動操縦か何かなのだろう。剣のひと振りで完全に破壊出来た。
(これで終わりなら良いのだけれど……)
日頃からあらゆる事態を想定して訓練している生徒たちなので避難に関しては心配していない。視界内の生徒限定ではあるが、ちゃんと訓練通り体育館に避難している。
体育館は凄まじい強度を誇るシェルターだ。中には異能殺しの仕掛けがいくつもある。ひとまず安全だろう。
(まあ、そんな訳がないわよね)
顔面が不自然なまでに黒く塗りつぶされた、軍服を着た10人の女型の異能。どう呼称するべきか……軍団の異能、とでも呼ぶことにしよう。誰のものか分からない……恐らくは、この黒鎧の協力者のものだろう。数で攻められると厄介だ。
それはまるで進軍するかのようにして、第二学生棟四階の廊下を渡ってきている。一糸乱れぬ隊列と、歩きながら微塵も揺れない軍帽に添えた手……非常に、不自然極まりない。初めから人間に擬態させることは目的としていないのか……
ざっざっざっざっ、と不完全な魚鱗の陣を構成しながら行進していた軍団の異能。その先頭に立つ女型が駆け出した。武器を隠し持っている様子はないようだ……この見た目で近接格闘型なのか。
(……と。言うことは……!)
接近戦において拳と剣、どちらが強いのか? 誰もが剣と答えるだろう。どんなに素早く突き出された拳も、正面から迫る斬撃の前には紙切れも同然。容易く切り裂かれる。
では、その数が同じでない場合。拳が二十、剣は一。そんな状況であっても、ソレは当てはまるのか?
答えは、
(否!)
輝夜はかつてない危機を感じていた。戦闘用の異能であるが故に体は動くし、この学園に入る前に施設である程度の戦闘訓練はした。そこらの人間より戦闘には慣れている。
だが、これほどの危機は。恐らくは百mを四秒台で駆け抜けられるのであろう身体能力を持つ軍団の異能、それが同時に襲いかかってくる戦闘など経験したことはない……!
女型が飛び上がり、自由落下に身を任せながら拳を突き出した。咄嗟の判断で受けではなく回避……それが正しい判断であったことは崩壊した床が示している。
横薙ぎ、一閃。光波を放つ銀翼の剣による範囲攻撃こそが目的であったが……容易く弾かれる。女型が腕部に装着している装甲は、銀翼の攻撃でさえ弾く硬度を保有する。
「群体創造……軍隊とかけている訳ではないよ」
ラグナロはそう語る。固定で十体の戦闘能力を保有する異能生命体を作り出す能力であり、それはラグナロ自身の下した命令をその身が砕け散るまで実行し続ける。
今回ラグナロの下した命令は言うまでもなく銀翼の排除。軍団の異能は、全力をもってして銀の翼を地に堕とす。
「まずはこれで銀翼を削るとしよう」
(硬すぎる……! 直接攻撃でないと無理か!)
光波はあくまでサブウェポンである。銀翼に強化された輝夜が直接切りつけた方が斬撃としての威力は遥かに高い。
だが、軍団の異能は彼女が名付けた通りに、軍団の如き統率の取れた動きで輝夜を攻め立てる。十対一の構図であるならば最早、剣を振ることすら許されないだろう。
拳と足を用いて隙を作る。いくら軍団とはいえ所詮は心持たぬ異能。こちらの心構えで隙程度どうにでもなるはず。
「あ……はああああああ!!!!!!」
腹の底から出した咆哮。女型の一体に腰だめの全力の拳を突き出し、腹部からその肉体を完全に崩壊させた。
刹那、生まれる隙。差し込むようにして剣を突き出し、歯を食いしばり地面を踏みしめ、回転しながら斬る……!
「そこを、秋月の異能が妨害するとしよう」
秋月の異能は彼の名前通り鏡面。視界内に収めたモノの状態を反転させ、それを回避する術はない。開けた教室内の掃除道具入れの中に隠れていた秋月の視線が銀翼を射抜く。
この場合は……上下反転。
回転のためのエネルギーは上下逆さとなった輝夜の体を強引に動かし、強固な装甲に包まれた彼女の脳を揺さぶった。また軍団の異能九体は一斉に飛び上がることで斬撃を回避して、落下と同時に強烈な肘を頭部に叩き込んだ。
「そしてまあ……想定外の事態ではあるが」
ガッシャァァアン!! と豪快な音を響かせながら、【三日月】を纏った真昼が教室内に突撃した。意識が朦朧としているのか、僅かに腕を動かし沈黙した銀翼に肉薄する。
トドメは必ず自分が刺すと決めていた。
「予想以上に回復した真昼先輩で終わりにしよう」
空中にありながら、刀を大上段に構える。長刀【下弦】、あらゆる防御物質を原子レベルで分離させ解体する魔剣。
その周囲には軍隊の異能が待機している。秋月はいつでも異能を発動出来るよう銀翼から視線を外さず、例え真昼がトドメを刺せずとも仕留める準備は出来ている。
銀翼殺し……早い話が人殺し。それに抵抗があった訳ではないが、銀翼は同じように人を殺した……三人も。ならばもう、迷いなどあろうはずもない。全霊を以て一太刀を……
「其は暁にして落陽、原初にして終焉の光」
真昼が全力で身を引く。軍団の異能がその背にある突起物を掴んで真後ろに放り投げた。
何かは分からぬ。ただ一言で表すのなら……恐怖。
決してまともに喰らってはならぬ。決して正面から受けてはならぬ。天災を前にしたような身の竦み。
「虹を縫い舞い降り、黒雲の狭間へと還る偽りの陽光」
翼が、舞う。バサリ、と音を立ててその全容を明らかにした銀の翼は、教室の端から端を埋めて余りある。
巨大な銀翼の体躯が、緩やかに直立する。秋月が何度上下を反転させようと、何か特別な力が働いてでもいるように元に戻る。大上段に剣を構えた、天上の戦乙女の姿に。
「翼なく天翔け、炎を捨て海を拓き。天地開闢のその時より霊山の主として下界の足掻きを無へと帰す明けの朱色」
動けなかった。秋月のスマホから教室を観測しているラグナロも、軍団に指示を出せない。本来そんなものなくとも最初の命令に従い続ける彼の異能も、動作を停止していた。
見惚れていた。その光景を見ている全ての者が、生まれて初めて目にする真なる天使の姿を前にして、そうなるしかなかったのだ。
「間隙より照らされ、太陽の慈悲を僭越せんとする狭間の骸。かねてより天幕であり、抗いなき眠りの底」
不思議と、その声の主が誰か分からなかった。そんなことを解明する為に脳機能を使用する愚行を……もしかすると、誰もが無意識の内に拒否していたのかもしれない。
その剣は光を放っていた。窓の外から差し込む光に照らされて、ではなく……その身の内側から光を放っていた。
「舞い降りよ。天上の聖域、神罰の光」
其の名は、ある特定条件下でのみ力を示す。
一つ、現状打破の手立てが他に存在しないこと。
二つ、絶対的な脅威に攻撃を受けていること。
三つ、使用者が完全に意識を喪失していること。
四つ、五体満足であること。
「我、銀の翼持つ熾天使。これより救済をもたらさん」
詠唱を必要とする。長い待機時間を必要とする。周囲に敵が存在する状況下において、そうする必要に駆られる。
だが、それらは一切問題足り得ない。どんな感性を持っていようと、どんな人生を辿っていようと。それが例え親の仇であったのだとしても。その光に見惚れぬ者はいない。
「『天光』」
雲の狭間から差し込む、光の帯のように。
それは学生棟の更に上から舞い降りた破滅の光。銀翼の振り下ろしが兆しとなり終とする彼女の最大出力。
その圧倒的力を前にして、真昼たちは……
――――――
「……さん! 真昼さん! 意識をしっかり保って!」
時計の針は十を示す。目を覚まして真っ先に飛び込んで来たその情報から、気絶していたのだと理解する。
襲撃前に隠れ場所として選んでいた放送室だ。エベーレの声が聞こえるということは、彼女がここまで運んでくれたのか。横には同じようにして秋月が倒れていて、聖桜が世話をしている。
「ああ、良かった! 目を覚ましましたのね!」
早速で悪いですが、と前置きして涙を拭いたエベーレが状況を説明し始める。修復の異能を持つ教師が学生棟の修復を進め、手伝える者はそれを手伝っている状況。しかし明日にもなれば、またいつも通りの日常が繰り返されるのだろう。
銀翼の姿は確認出来なかった。恐らくはエベーレたちが回復し駆けつけるまでに逃亡したのだろう。
「ええ、ええ、私確信しましたわ」
目覚めたばかりの真昼には受け入れ難い意見だった。しかし、納得するしかない現実でもあった。
「銀翼の力は絶対的です。あれほどの力、見たこともない」
それほどまでに力に寄っているのだ、銀翼は。
他の能力にリソースなど、割けるはずもないだろう。
「アレは恐らく、ループの原因ではありませんわ」
真昼の中の何かが崩れていく気がした。