第三話 放送室
「私は私の異能に、運命を感じています」
襲撃決行は午後四時。ここ一ヶ月、この時間帯には全員が教室にいることは確認済みだ。体育館等に散っている生徒もこの時間だけは自分の教室に帰ってくる。
生徒三人が亡くなったことによる影響は意外なことに一切なく、皆欠けた部分を無意識に埋めながら文化祭の準備を進めていた。どこか不気味に流れるいつも通りの日常。
「ラグナロと共に使うことで、私の異能は完璧に力を発揮することが出来ます。これは、ええ。正に運命です」
最後の打ち合わせを終え、生まれた空白の時間。エベーレと真昼は自身の異能や姉弟の話で盛り上がっていた。生徒会の中で姉弟がいるのは彼女たちとラグナロだけなのだ。
階を突っ切らせるというのは、そのまま校舎を破壊するということだが……教師の中に修復の異能を持つ者がいた。無意識に欠落を埋めるということが分かった以上、壊れた部分は彼らが何とかするはずだ。問題ない。
今回調べて分かった。今までどんな事故事件があっても次の日には校舎が元通りだったのは、そういう異能を持つ者がいたからだ。異能とは……本当に便利なもの。
「私が思うに、異能はよりその力を必要とする者に発現しその者の願い、祈り、欲。そういったモノに沿う形となる」
「なら、エベーレさんのソレは……なんなんですか?」
「私は……家族が好きですの。大きな背中のお父様も、いつまでも優しいお母様も、頭の良いラグナロも」
家族のことを話すエベーレは、本当に楽しそうだった。姫魅家は真昼たちが5歳になる頃に崩壊し、父も母もどこかに行ってしまった。輝夜と二人、必死に生きてきたが……思えば、ずっと助けられてきたのだろう。
そのことに感謝の念を抱くのではなく、自分の輝ける場所を奪ってきたのだと考える辺り、底が知れる。
ウキウキと自分の家族のエピソードを話すエベーレを見て自虐的な笑みを零す。彼女は気付いているようだったが……敢えて、反応しないようだった。楽しげな声が続く。
「だからきっと……ラグナロたちがもっと沢山いたらなあ、という私の願望に異能が応えてくれたんですわ」
「ええ、そう……ん? ん、んー? なんて?」
俯いていた顔を恐る恐る上げてエベーレの顔を見ると、そこにあった表情は狂気に満ちていた。爛々と光を放っているようにも見える目は気色悪いほど瞳孔ガン開きだ。
エベーレの異能は複製と増殖。触れたものを複製し、増殖させる異能。それは他者の異能であっても例外ではなく、現に【三日月】の複製は可能である。
「だってそうじゃありませんか。好きなものは沢山あればあるほど良いんですよ。あなただって、好物を食べ尽くしてしまった時にもっとあればなあ、と思うでしょう!?」
「いやまあ、ありますけど。人に思ったことはないというかなんというか……そこは抑えるというか……」
嘘である。真昼も感性は普通寄りであると認識しているので誰かに恋したこともあるが……増えて欲しいと思ったことなど一度もない。抑えるも何もそんな欲求生まれない。
生徒会ジョークかな? と期待してみるが……エベーレに冗談を言っている気配は微塵もない。ガチで家族が増えて欲しいと思っている。どうかしてるんじゃないか。
「ああ、我慢なりません! 現に私ほら、このように! 意思を持たない仕様で複製したラグナロがこんなに!」
えげつない速度でスマホを開いたエベーレの写真フォルダのお気に入りには、彼女の自室が映っていた。その奥の奥、何度もスワイプした先に……ソレはあった。
「ひっ」
「本当はお父様とお母様のも作りたいのですが、ラグナロに止められましたの。ホーム画面にしようとしても止められましたし、本当に照れ屋さんなんだからもう!」
一般的な可愛いもの好き女子ならば、部屋には可愛らしい動物の人形やアイドルのフィギュアなんてものが置かれているだろう。真昼もそういったものは飾ってある。
だが、エベーレの自室にはラグナロそっくりの生気を失った人体……のような何かだと思いたいナニカが大量に転がっていた。一つ一つしっかりとお洒落していて、ものによっては化粧さえしている……何故口紅までしているんだ?
「真昼さんもどうです? 輝夜様をコピーしてあなたの部屋に飾りたいと思いませんか!? 思うでしょう!?」
「い、いやあ……遠慮しておきたいかなって……思う……」
呟くようにそう言いながら、距離を取る。埋められたらその分また取る。申し訳ないが近くにいて欲しくない。
「むう、誰も彼も照れ屋さんなんですから……」
これ、部屋点検とかどう突破してるんだろう……そうか、アレ生徒会がやってるから生徒会メンバーは実質しなくていいんだった……まさか、この特権を獲得するために生徒会に入ったワケじゃないよな? 違うよな流石に?
その後も、発言に全力で気を遣いながらの会話は続いた。本性を現したエベーレの勢いは凄まじく、ことあるごとに言質を取ろうとしてくるしこちらがよくわからない難しい言葉で言いくるめしようとしてくる。こんな所でその高い語彙力を使うんじゃない。勿体ない所の騒ぎじゃないぞ。
「ふう……はあ……まあ、私の話はこの辺りで。真昼さんはどうですか、輝夜様とは上手くいっていますか?」
途端に、真昼の表情が曇った。表向き上手くいっている様子を装ってはいるが、姉妹の話となるとどうも隠しにくい。だがそれも一瞬で消し、少しは華々しい笑顔を作った。
「ええ、当然。二人でこの一ヶ月強、頑張ってきたんですから。今まで以上の信頼関係も築けていますよ」
真昼のその言葉を聞いて、「そう、良かったですわ」とエベーレは微笑んだ。これだけ家族愛の強い彼女からすれば、家族間の仲が良いという話は大好物なのだろう。
ため息を吐きたくなるが、ここは我慢だ。同じ生徒会に所属しているエベーレにボロを出すことは出来ない。
「この作戦に輝夜様を巻き込みたくないというあなたのお気持ち、きっと伝わっていますわよ。うふふ」
実の所、ミレニアム姉弟は直前まで言い争っていた。と言ってもエベーレのソレは説得にも近かったが。
当然ながらエベーレはラグナロを危ない目に合わせたくはない。なので、銀翼という未知の脅威と交戦する可能性のあるこの作戦には極力参加して欲しくなかった。
だが、抑制し危険から遠ざけてばかりではラグナロに成長はない。彼ももう、姉に縋る年齢ではないのだから旅をさせる必要があるだろう。最後にはエベーレが折れて参加を許可したのだった……随分と、主張が強くなったものだ。
『姉者と同じだよ。一度協力すると決めたのだから、危険がどうこうと縮こまってはいられない』
「少し前まで、後からついてくるだけでしたのに……」
感極まった様子で泣き始めたエベーレに、最早恐怖さえ湧き上がってくる。情緒不安定の極みのような女だ。以前、生徒会の仕事をしている時はまともに見えたのに……
気が済むまで泣いたのだろう。何やら高級そうなハンカチで涙を拭いた後、エベーレはまた真昼に話しかけた。
「やはり家族、特に血を分けた兄弟姉妹は素晴らしいですわよね。輝夜様も、よく真昼さんの話をしてらっしゃいます」
「……姉さんが、私の話を?」
声のトーンが下がるのを自覚する。いつも出来ているはずの感情の偽装が……出来ない。何故輝夜が自分の話を? あの人は、私を気にもせずに前を向いているはずなのに。
そうでなくては、ならないのに。
「ええ、ええ。二言目には真昼真昼と。お友達が出来ていないとか最近反抗期とか……でも、楽しそうですわよ」
世界がグラついていくような感覚がした。差があることも住む世界が違うことも知っていた……けれど、在り方さえも違うなんて。疎ましくも思っていないだなんて。
このままでは駄目だ。吐き気さえしてくる。
「あれでも最初私の友達事情知ってて……」
「おほほ、うっかりしていましたわ」
この人……いいや、この人だけじゃない。この学校で姫魅輝夜を知る人と話していたら、駄目だ。誰も彼も彼女に羨望の眼差しを向けていて、信仰すらしているのだ。
彼女を否定する者はいない。彼女を避ける者はいない。彼女を知る全ての者は、姫魅真昼を除いて彼女を肯定する。
「エベーレさんたち姉弟は……把握してるんですね。お互いの異能を……活用法が思いつくぐらいに」
襲撃決行まで、まだそれなりの時間がある。残り時間の全てを輝夜の話に費やさせるのは心が耐えられそうにない。こちらのことは気にかけていないと思っていた。今回は偶然気付いているから利用しているだけだと思っていた。
私にこれだけの劣等感を与えて、本来輝いていたはずの時間を限りなく奪って。いつも前にいて、その隣に、私は……
「…………そう、ですわね。あれはそう、異能発現直後のことでしたわ。私もラグナロも、今もはっきり覚えています」
頬を伝うソレの感触はなかった。ただ、先刻垣間見えた狂気からは想像も出来ないほどに優しい手付きで頬を撫でたハンカチの温もりが、その冷たさを自覚させた。
気を遣ってくれているのだとすぐに分かった。言葉にするではなく哀れみで動くのでもなく、ただ流した雫を拭き取ることで理解してくれたのだと分かった。
「当時は異能開拓黎明期。ルールも何もなく、異能が発現したと分かった時には“異能蒐集軍”が攻撃を開始しました」
エベーレが言うには、それは数千人の軍隊からなる国営軍の襲撃だったという。異能の何たるかすら分かっていなかった当時は、とにかく予算の許す限りの人員を投入していたらしい。確保されるのは時間の問題でもあった。
父と母に異能はなく、守れるのはエベーレとラグナロの二人だけ。あの時は……無我夢中の極みだったという。
「何せ勢い任せだったもので……随分と下品で、見るに堪えない撃退でしたわ。ですが、その時確信しましたの」
マズい。また瞳孔がガン開いている。
「私は家族を守ることが出来る! 私とラグナロの異能が合わされば完全無欠! 我らミレニアム家は安泰だと!」
「姉者。やかましい。黙っていてくれないか」
大きく手を突き出し、神へ祈るかのように大声を出したエベーレをひょっこりと顔を出したラグナロが心底うんざりした顔で制止する。どこか申し訳なさも孕んでいた。
最愛の弟に否定されてエベーレがしょぼくれる。先程までの勢いが嘘のように黙りこくる様子には違和感しかない。お互いに頭を下げて、謝意と感謝の意を無言で伝え合う。時折怪物と化す姉を持っているとは、ラグナロも苦労しているようだ……飛び抜けて優秀な姉を持つ者のソレとは、到底比較にならない程度の苦しみではあるのだろうが。
「……真昼先輩。僕からも一つ言っておきたいことがある」
手に持っている校内地図とボールペンから、最終調整が終わって帰ってきたのだと理解する。ここは放送室、隠れ場所にはとっておきだ。真昼にしては良い提案だった。
特に重みも軽さも感じさせないラグナロの言葉や雰囲気は、“そうある”のが当然であるようなものだった。恐らくはエベーレと一緒に過ごす内に身に付けた、彼なりの姉を刺激しない生き方なのだろう。彼の努力が垣間見える。
後ろ手に扉を閉め、独り言を呟くかのように緩く。流れるようにして口を開き、薄く微笑んだまま告げた。
「恐らくだが、真昼先輩は輝夜様を過剰に尊敬しているね」
「……は?」
「君が思っている以上に、君の姉は普通の人間だよ。妹を愛し生徒会長の義務を全うし、それを疎ましく思うような」
エベーレが、何か言いかけてやめた。ラグナロの言いたいことを察知し、口を挟むべきではないと判断したのだろう。
憎しみさえ込めて、真昼がラグナロの顔面を睨みつける。彼はそれに気付いていながら完全に無視し、相も変わらずこちらを見ているのかいないのかわからない、ただ必然として“そうある”ような瞳で真昼の双眸を覗いていた。
「だから、そんなに恐れる必要はないよ」
まだ少し幼さの残るラグナロの手が、サラサラと真昼の頭を撫でた。包み込まれているような安らかさだった。
何もかもを、見透かされているような気がした。
「君だっていつか、あの翼と添い遂げることができる。天高く舞い、誰かの心を掴むことができる。きっと、ね」
「ごめんなさい真昼さん。ラグナロは定期的に様子のおかしい喋り方をしないと死んでしまう病にかかっていますの」
「はっはっは、姉者。君にだけは言われたくないな」
ごちゃ混ぜになった感情が、心の中を渦巻くようにして掻き乱している。ミレニアム姉弟の繰り広げる漫才か何かのような会話に、ただ呆然と俯くことしか出来なかった。
怖くなんかない。尊敬なんかしていない。私はただ、姉の輝きが私を押し潰していることが、耐えられないだけで。
「告げる。襲撃開始時刻だ。準備は終えたか、者共」
もう一人の副会長、【秋月鏡裏】。
時計の針は四を指した。