第一話 第二学生棟
軽い死臭が立ち込めている。力を失った生徒三人の死体が折り重なって、不快な血の臭いが鼻を突く。時代遅れな木造の床に染みていく赤黒いソレが、この月夜を穢している。
凄絶な殺人現場。だが、視界に映る情報はそれだけに留まらぬ。折り重なった死体、それ以外のたった一つの要素に心を奪われている。恋とは、こんなものだったかもしれない。目を離せない……凄まじい鼓動が心筋を痛め付けている。
「私と……死合え、銀翼!」
最早その衝動が抑えられなかった。
床を割るほどに強く踏み込み、接近。大上段から振り下ろした刀は残像が出現するほどの速度で打ち上げられた大剣で防がれた。硬質な金属のぶつかる音が響く。
惨殺死体の傍に立っていたのは、巨大な純白の翼を広げる中世の騎士のような銀の全身鎧。切っ先が血に濡れた大剣も、差し込む月光を背にして立つ威容も何もかもが美しい。
侍か何かのような漆黒の鎧を身に纏う己とは比べ物にならない美麗さ。長大な二振りの刀も銀翼の前には霞む。
月とすっぽんとは、正にこういうことだろう。
「あなたを倒せば、全てが! 全てが上手くいく!」
どこから声を出しているのか分からなかった。普段の自分からは想像も出来ないほど荒々しい声だった。
燕返し、という技がある。戦闘用の異能を持つ者の義務である国営戦闘機関の教官に聞いた。打ち込んだ刃を即座に裏返し、同時に逆方向を挟み断つ魔剣。それを使う。
身を翻して後退、這い上がるような振り上げ。同時に振り下ろしを為す……刹那の同時斬撃の極致。入った……
「……」
そう、思った。
銀翼はソレすら上回る速度で大剣の上下移動をし、燕返しを弾いたのだ。呆気に取られた内に腹部を蹴られる。
緩む。僅か一瞬、視線を外したその隙に――――――
「――――――逃げましたか。判断も早い……」
窓の割れる音と共に銀翼の姿は消えていた。
こんなことは初めてだ。戦車を相手取っても容易く勝利する教官を完膚なきまでに打ち倒した己が、一撃も有効打を与えられずに逃げられた。思わず笑みが零れる。
非の打ち所のない敗北。やはり、予想を裏切らぬ。
「ふ、ふふ。必ず打ち倒す。あなたが私の光……!」
夜闇に包まれた部屋の中に嗤い声が轟いた。
――――――
異能、というものがある。近年発見された、人間に宿る特殊能力の一種。しかし原理も発現条件も不明であることから、“本来人間から出現することの有り得ぬ現象”が人間を原因として発生している場合、問答無用で異能であるとしている。
世界的に観測された異能、そして異能保有者は言うなれば新しい人類。残虐且つ非人道的な行為の横行していた異能開拓黎明期を越え、人々の上に立つ“管理する側”の人間は、異能保有者を隔離しそのメカニズムの解明へとシフトした。
この学園もその隔離施設の一つ。私立巡華学園、国内の異能研究第一人者である学者が設立した特殊な学園だ。十二から十八歳の、思春期の異能保有者を収容するための国内唯一の機関である。
私立、とあるのは偽造だ。国家間関係を鑑みると、国が直接異能保有者を管理している事実は公表出来ない。
「凄いなあ……凄かったなあ……中身は一体……」
姫魅真昼という。喜色満面の気色悪い顔でブツブツ言いながら歩いている、前後に長く伸びすぎて体を覆い隠すまでに至った黒髪の目立つ少女。
この学園は中高の概念が存在せず、例えるなら高校一年生を学園四年生と呼称する。彼女の双子の姉同様、真昼は六年生。巡華を引っ張る最高学年の一人だ。
「ようやく全てが動き出したんだ……!」
卒業式を目前に控え、最後のビッグイベントである文化祭の準備期間。全寮制の強みを生かし、生徒はほぼ全員が校内で寝泊まりしながら来るその日の準備を進めている。
常に活気に満ちた状態だが。しかし、この学園では今ある事件が発生していた。耳を疑う大事件が。
名を冠するならば『無限ループ事件』。
深夜0時を起点として、二十四時間ごとに一日が無限に繰り返されるのだ……と言ってもループしているのは人だけで、物は変化したまま、という奇っ怪極まるものであるが。
人の記憶は戻り、位置も二十四時間前いた場所に戻る。体内の状態もだ。しかし、物体だけは絶対に変わらない。
お陰で文化祭のクオリティが過去最高になりそうだ。
「そんなことはどうでも良い! そう、銀翼……! あなたを起点として、ようやく全てが動き始めるのですよ!」
「よー真昼何言ってんだ朝っぱらから。気持ち悪いな」
「あっすいません……すいません……」
寝起きで機嫌の悪そうな男子生徒にペコペコ頭を下げ、少し大人しくなる。それでも浮かべた笑みは消えない。
現状無限ループに気付いているのは、真昼とその姉……姫魅輝夜だけだった。何故か今は連絡が取れないが……まあ、優秀な彼女のことだ。何か想像も付かない方法で犯人を探しているんだろう。
輝夜は品行方正で運動神経抜群、歴代最高の成績を誇る生徒会長。腰まで伸びた紫髪が揺れる度に彼女の肢体を撫で、男女問わずその魅力の虜になってしまう。
「ちっ……嫌な人のことを思い出しましたね」
二人の間には、真昼からの一方的な感情ではあるのだが埋まらない溝があった。輝夜は真昼と比べてあまりにも輝いているから……真昼は、それに嫉妬しているのだ。
双子の姉妹という事実もそれを後押ししている。どこでこんなにも差が開いてしまったのか、と……
「まあいいです。私には、銀翼がいるのですから!」
これが最後の文化祭。真昼はどうにかして輝夜よりも目立って輝き、生徒たちからチヤホヤされたいと思いながらもう文化祭……この機会を逃せば、もうチャンスはない。
なんとかして輝く必要がある。故にちょっと……いやかなり……いやめちゃくちゃに無理をした有志企画を考えていたのだが、もうその必要はない。今真昼の頭の中にあるのは孤独な一人漫才ではなく、あの銀翼についてのみだ。
「ふふふ、待っていなさい銀翼。必ずや私が打倒し、地に堕とし、その討伐した事実で皆にちやほやされるんですから」
輝夜と別行動しながらの捜査、もう開始日から一ヶ月近くが経過していたので半ば諦めかけていたが……昨晩、ようやく状況が動いてくれた。それも最高の形で。
多目的室に横たわる生徒三名の死体、その傍に立つ全身鎧の異能、銀翼! 何者かは知らないが重要人物に違いない。
真昼には確信があった。銀翼が無限ループの犯人であり、生徒3名を殺害した罪人であると。それを確定付ける情報は何ひとつとして存在しないが……確信している。
「だって、あんなにも美麗」
その一言に尽きる。ただただ、常軌を逸して美しい。
窓から差し込む月光を反射して煌めく銀色、部屋の端から端まで広げてあまりある純白の翼、均整の取れすぎた肉体の黄金比……アレは、地上に舞い降りた天使だ。
自身の異能、銀翼と同じく肌の露出を許さぬ全身鎧である漆黒の装甲、【三日月】が恥ずかしい。進化する、という特異性はあるが……その程度、あの姿の前には霞む。
「なんとかして、私の手柄として討伐しますよ!」
己の輝ける場所を不当に奪ってきた姉、姫魅輝夜。彼女が今まで積み上げた全てが霞むような功績となるだろう。殺人犯兼無限ループ事件の主犯を撃破! 凄まじい功績だ。
逆に思う。アレが犯人でなかったら、もうどこにも犯人がいないのではないか。それほどまでに銀翼という存在は大きいのだ。信仰、陶酔にも近い絶対的確信。それにこのタイミングで動いたのだ、絶対、絶対に銀翼が犯人だ!
「さて、そのためにはまず……銀翼の捜索? いえだめですね一度冷静になりなさい私。手順を考えるのです……」
タタタッと駆け出した。これから楽しくなりそうだ。
――――――
(まずはあの人に相談かしらね)
真昼が銀翼に逃げられた少しあと、輝夜も学園の片隅で思案していた。相も変わらず、何故か外部への干渉を絶対的に防ぐ目に見えない結界をコンコンと叩きながら。
学園の外には出られない。それは調査済みだ。出ようとしても、今叩いている謎の壁に阻まれてしまう。
(真昼はどうしたのかしら……いえ、今はそれよりも優先するべきことがある。あの子も上手くやるでしょう)
グラウンドの砂に描いた幼稚な落書きを足で消して立ち上がる。パンパン手を叩くと細かい砂が零れ落ちた。
「生徒会の業務はどうしようかしら……どうせループするんだから必要ないか。仕事がないって、新鮮ねえ……」
頼れる生徒会の面々を思い出す。我が強くて御し難い、個性の塊のような生徒たちだが……彼らも今はループの渦に囚われているのか。同じ業務を繰り返しているのだろうか……
生徒たちが混乱することを避けるために、真昼以外の誰にも無限ループのことは口外していない。まあそれ故にここまで捜査が長引いていると考えるともういいのかもしれない。少なくとも生徒会の面々には教えても……
「いえ、だめね。これは私が解決しないと」
何故か最初から気付いているのは姫魅姉妹だけだった。だから真昼にも捜査を手伝ってもらっているが、本当なら一人で解決するつもりだった。今でも申し訳ない。
姫魅輝夜は生徒会長なのだ。全校生徒で一人だけが名乗ることを許される称号。生徒たちの頂点にして頼れるリーダーなのだ。ならば、こんな学園全体に害をもたらす事件は独力で解決するよう務めなくてはならなかった……!
生徒会長として。誰にも不安を抱かせず、最高の文化祭を楽しんでもらう義務があるというのに……!
「……後悔先に立たず。今はやるべきことをやりましょう」
暗く落ちかけた思考を、頬を叩いて軌道修正する。今後の指針は決まっている……まずは、聖堂に向かおう。
彼なら。彼ならば、なんの遠慮もなく頼れる。否……頼りたい。そして一緒に行動したい。今にでも駆けつけて、一緒に学園中を駆け抜けて事件を解決したい。切実に。
駆け出す。決して時間を無駄にしない、というポリシーに従い、脳内で無限ループ事件について考えながら。
(大規模な異能テロ事件の可能性が高い)
本来、こんなにも大規模な異能は有り得ない。だが、時間のループなどという超常現象は紛れもなく異能だ。何者による事件なのか……それは、今調べていることか。
外部の様子は分からないが、無干渉ということはあちらもループしているのだろう。でないと何もしてこないというのは流石に有り得ない。もうかれこれ一ヶ月近く、外部と連絡を取り合っている者が存在していないのだから。
(この学園の意味は上も把握してる、異能破壊装置も無効化パルスも保有してるはず。それでも何もしてこない)
何かの実験、という線も考えた。巡華学園は教員も含めて約二百名全員が異能保有者だ。無限ループという特異現象を使って、何かの実験をしているのではないか、と。
しかし、だとすると穴がある。姫魅姉妹だ。自分たちに知覚させておく必要性が何一つとして見出せない。
(……それも、という可能性はあるけど。だとしても有り得ないと断定する。それは国際条例違反だ)
異能保有者を人間として見ていない行為が当たり前であった異能開拓黎明期とはもう違うのだ。未だに半実験動物的側面は色濃く残っているが、扱いは限りなく人間に近い。
上の人間は口が達者だ。不祥事があっても何とかして誤魔化すのだろうが、ここまで大規模なものはどうしようもないだろう。故に、有り得ぬ。そう判断させてもらう。
結果として残るのは、何者かによるテロという線だ。
(どんな規模の異能よ……でもそれしかないわよね。もしかして大時計が……いえ、ふふ。流石に有り得ないわね)
聖堂へ向かって駆けながら、一瞬視界に映ったこの学園のシンボル……虹色の大時計。開校以来一度も破損せず、原型を留めている唯一の施設だ。二時間ごとに鐘の鳴る、やかましい色の大時計……時間関連だし、もしかすると……
(無機物に異能は宿らない。常識よね)
いや、だとしても有り得ぬ。
確かに何か特別な力は感じる。異能を普段使いしているこの学園で、一度も破損しないというのは奇跡だ。日頃から岩の雨が降ったり校庭に遊園地が生えたりしているのに。
だが、無限ループ事件の犯人がまさかの虹色の大時計という線は……ない、ないない。どんな可能性だ、それは。
「っと……着いたわね。こうして走ってみると、意外と遠いのねえ。実践って大事……」
「輝夜君? こんな時間にどうした……そういうことか」
荘厳な聖堂の扉が開き、一人の男が姿を現した。
輝夜はにっ、と笑って話しかける。
「こんばんは、時裂さん。少し相談があるの」
恋する乙女の顔だ。とろんと蕩けて、甘い。
気付いているのかいないのか、時裂と呼ばれた男はただ一言「ふむ」とだけ唸って、輝夜を招き入れた。
「まずは、状況から説明しないとね……」
夜を照らす月が美しい。第一の夜が戻った。