輪をつけられる
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
早起きは三文の徳。
おそらく、たいていの人が生涯に一度は耳にするであろう、ことわざのひとつと思う。
早く起きることは、ほんのちょびっとだが心身に役立つことがある、という教え。
「得」の字を使っても間違いじゃないようだが、こちらを使うと損得利益、金勘定……商いのイメージが強くなる恐れが出てくる。
そこで「徳」の文字を使うことにより、単なるお得を越えた、心や体にいいことであるよ、というアピールにつながるのだとか。
俺も以前までなら、そんな目立った徳なんてものはあるまい……と思っていたんだが、ちょっと前に起きておいたほうがいいかもしれん、と感じることがあってな。
そのときのこと、聞いておかないか?
昨晩まで一緒にいた人が、今朝にはいなくなっている。
昔話でもよく聞くパターンだわな。
早くにここを発ったというものから、本来はこの世にあらざるものだったとかまで、理屈もまた様々だ。
俺の場合は、早くに起きて首から胸元を確かめよ、というのはばあちゃんからよく聞かされていたな。
いわく、人間が動物を多くペットや家畜として従わせ、首輪をつけるような行いをするように、人間へ首輪をつけようとするやつらも、ここにはいるということだ。
そいつは自分たちがやつらの檻の中へ不用意に飛び込んだがためかもしれないし、あるいはやつらのほうが支配域を広げてきたのかもしれない。
いずれも俺たちにできるのは、自分で自分を管理するのが関の山。そのためには首輪をつけてくるような行いに対して、拒みの姿勢を見せることが大事だと。
「やつらは、朝早くに首輪をつけようとしてくる。いくらかの手間がかかるようで、動物が暴れりゃ輪をつけることはままならないように、こちらも相応に動けば輪をつけられるのを防げることはほとんど。
だが、いったん輪をつけられたら、やつらに『握られて』しまう。そうなるとやっかいかもしれないねえ」
ばあちゃんは、そのようなことを言っていた。
実際、一家ではばあちゃんが一番早くに起き出すんだ。そのことを気にかけているかもしれない。
俺も実家で過ごしていたときは、早起きを心がけていた。まわりが起きるから、自分もそれに合わせる……この無言の圧力は、けっこう有効なんじゃないかねえ。和を尊ぶ日本人的な気質からしてさ。
で、そのうち、縛られるのが嫌になってきて、自分勝手に振る舞いたいなあと感じ始めるわけで。
俺にとっては一人暮らしのはじまりなぞがいい機会だったが、そこで朝早く起きることを少しずつ忘れていってしまったんだよな。
その日は行事の振り替え休日という、珍しい平日休みのときだった。
次の日が休みと分かっている前日ほど、心躍るときはそうそうない。夜更かしはしたが、何をしていたのかとかは、よく覚えていなかったな。
きっとだいぶ刹那的で、けれども、このときの俺には何より大事なことだったんだろう。
ふと目が覚めたときには、布団でうつ伏せに寝転んでいた。
枕もとにチューハイの缶が置いてあって、中身が半端に残っている。きっといい具合にアルコールが入ったあたりで寝落ちしたのだろう。
大あくびしながら見る時計は、いつもなら起床時間1時間半遅れを指しているところだが、今日ばかりはたいした問題にならない。
ただ、汗はだいぶかいたようで、寝間着はじっとり濡れている。
ちょっと気持ち悪いからと、部屋着へ着替えようと思ったおり。
前を閉じるボタンに手をかけて、そのざらつきに気づいた。
かさぶたのそれに近いが、この首元あたりをケガした覚えはない。
しかも、手触りは点じゃない。さすってみると、ぐるりと首全体を取り巻くような形。
鏡に映すと、のどぼとけの下あたりからぐるりと首を一周する、赤黒い筋が浮かんでいたのさ。
筋といっても、俺の立てた親指ほどの幅はある。どこも途切れず、一続きになっているのは何かしらの作為を覚えてしまいそうだ。
だが、酒がまだ残っていたのもあってか、俺は不覚にも実家で聞いた首輪の件に、この時点では思い当たらなかった。
「寝ている間に、変な腕や物の当て方でもしたかなあ?」などと、のんきな想像をしつつ着替えを終える。
一日こっきりだとどうも完全な休みと思いがたく、ゴロゴロしがちな俺は、この日ものんべんだらりと家で過ごす予定でいたのだが。
のどが渇く。
いったん着替えてから、また布団へ転がって感じたのはそれだ。
風邪をひく一歩手前に近い渇きようで、うかつにつばを飲むと、はっきりとのど奥へ違和感を覚えるほど。
こいつはよろしくないと、冷蔵庫へストックしといた麦茶へ手を伸ばす。
昨日、買っておいたばかりのもの。しかも、口を開けないまま冷蔵庫の中とくれば、傷む要素などほとんどない。
なのに、コップへ注ぐまではなんともなかったそれが、いざ口をつけると思わぬ苦み、臭みを押し付けてくるんだ。
チーズに使われるようなカビを、いっとうきつくしたようなもの。俺はさほど発酵食品が好きではなく、かなうものならすぐさま吐き出したかったさ。
なのに、身体が言うことをきかなかった。
手も口も、俺の思考を裏切り、どんどんとそのいっぱいを飲み下していく。ほぼ天を仰ぐような姿勢で、うまそうにだ。
そして身体は、次を注ぎはじめてしまう。
反抗するのは気持ちばかりで、そのまま2杯目、3杯目。
泣き出しそうになる俺に、さらに追い打ちをかけるのは下半身だ。
尿意。
怒涛の水責めに、昨晩の残りも手伝って「トイレにいけ、いけ」の危険信号だ。
なのに、足はまだ動かずに4杯目。かろうじて息を止めて、ようやく飲んだよ。
水の追加に、足をばたつかせたくもなるが、身体が許してくれない。いよいよ5杯目に差し掛かり、この数分で一気に1リットルは取り入れている。
――漏れるな、漏れるな……!
もはや好き嫌いの域を越え、考えるのは恥ばかり。
自分しか住まない空間とて、一線は守りたい。
そう必死に5杯目を飲み干すや、足の自由がようやくきくように。無我夢中でトイレへ飛び込んで、ズボンを下ろしたよ。
とっさに便座へ腰かけるも、思っていたのと違って「前」からはほとんど出てこない。
代わりに「後ろ」が止まらなかった。
水便のそれと同じように、ほとんど抵抗もなく、どんどんと便座の底へ放たれる。
肛門に熱や痛みは感じない。
ただ、自分が先ほど飲み込んだ麦茶たちの香りに、気持ち生臭さがくわわって、どんどんとかさを増している気がしたんだ。
数十分に渡る時間の中、何度か途切れたときに下を覗き込んだが、白く濁っちまってよくは見えていなかった。
ただこのままだとあふれる、という危険も感じて、何度か中身を流したよ。
その数十分のあと。
ようやくお腹がおとなしくなる。だが安心はまだできなかった。
いざ便座から立ち上がろうとするや……俺の足はぽっきり逝った。
あとで調べてもらったんだが、骨も筋肉も俺のいまの体重を支えるにギリギリの量になっていてな。ヘタに力をかければ、どこがぼきぼきいってもおかしくない状態だったらしい。
おかげで体重も一晩でガリガリの域になっていたが、そこから長く入院することになって、いい気持ちは全然しかなかった。
どうやら首輪をつけられた俺は、家畜として急激な体重減を迫られたらしい。いらない部分を徹底的に削ぎ落されるタイプの。
それもおそらくは下ごしらえ。いつまた、やつらの手による家畜としてのコントロールがされるのか、不安はあるな。
ばあちゃんの話だと、早く起きれば首に巻き付いていたヤツが半端な状態で、ラジオ体操のような身体を大きく動かす運動でしりぞけられるとのことだが……後の祭りだな。