第1話 イクエちゃんこっち来てくれる?
こちらの世界に転移ってきてから、二ヶ月ほど。
その間、雨期によって酷い目に遭ったりしたが、なんとか乗り切った。
なんとなくこちらの世界にも慣れ、懐具合も楽になった。
そんなとき、育江自身の油断により、再度窮地に追い込まれてしまう。
彼女を窮地から救ったのがかつての獣魔、レッサードラゴンのシルダだった。
元々は、見た目は愛玩獣魔、中身はお化けなシルダだったが、彼女もなんと、初期状態に戻ってしまっていた。
育江も弱くなってしまっていたから、共に元の状態に戻るべく、シルダの育成を再開する。
途中、スランプや育成相手の枯渇に悩まされながらも、時空魔法という打開策に気づき、地味で退屈なスキル上げを経て、育江はなんとか中距離転移に成功した。
ここしばらくの退屈になりかけていた日常も、少しだけ刺激が増えた形になっただろう。
宿屋『トマリ』で朝を迎え、朝食を終えるとギルドへ向かう。
カナリアのご用聞きが済むと、何もなければ宿の部屋へ戻り、中距離転移で『門』を開いてマトトマト村へ転移する。
マトトマト村の土猪も、ジョンダン近郊の山熊と同様、育江とシルダの二人で個体数を減らしたからか、今のところ目撃談もないとのこと。
ギルマが秘密を守ったのは『育江がどうやってマトトマト村へ来たか』と言う部分。
ギルドへの感謝状は普通に出してもいいものと勘違いしていたとのことだった。
本当ならば、王都に行きたいところだが、『中距離転移』では届かないようだ。
今も王都からの転移を生業としているものがいるとするなら、ひたすら反復してスキル上げをしたに違いない、育江はそう思っただろう。
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迷宮都市ジョンダン。
ダンジョンを管理する塔の二階にある、探索者ギルドの受付カウンター。
受付業務全般を管理、実務までこなしている馴染みの女性、カナリアに呼び止められた。
「イクエちゃん、いいところに来たわ。あのね」
「はい、なんですか?」
「ぐあ?」
育江が返事をすると、シルダも一緒に『なんでしょ?』みたいに声を出す。
「マトトマト村のね、村長代理のギルマさんからまた、感謝状が届いてるんだけど、おかしいのよね。イクエちゃんは昨日もこっちにいたはずだし、誰が行ったのかしら?」
「あーそのですね――」
「ちょっと待って、イクエちゃんこっち来てくれる?」
カナリアは嫌な予感がしたのだろう。
カウンターをくぐり、育江の背中を押して、困ったときの医務室へ。
シルダも、わけがわからないだろうが、育江の後をついていく。
「それで? 今度は何をどうしちゃったの?」
カナリアは、マトトマト村へ育江が行ったという前提で質問してくる。
「ごめんなさい、昨日も午後から行ってきたんです」
「午後からって、どうやって? 馬車でも行って来て二日かかるし、イクエちゃん、飛鷲持ってるわけないものね。あれは王都でも一隻しか……」
(あー、飛鷲って、一人乗りの飛空挺だっけ? 何年か前に年始の課金ガチャで一度だけ出た『あれ』かー。こっちでも実装されてたのね)
確かに、PWOで、王都からジョンダンへ行くルートに、陸路、空路、転移と三つあって、育江は興味もあったから転移を選んだ。
まさか、こちらにも飛空挺があるとは思っていなかっただろう。
「ぐあ?」
シルダは背中をみせて、小さな羽をぴくぴくと動かして見せた。
「あのねシルダ。あんたは飛べないでしょう?」
「ぐあぁ……」
「はいはい、落ち込まないの」
「それで、イクエちゃん」
「あ、すみません。カナリアさん、ここだけの秘密ですよ?」
「わかってるわ。それにもし何かあって、イクエちゃんがここを去ってしまったら、私の歩合がどかんと減ってしまうのよ? 守るに決まってるじゃないの」
「カナリアさんらしいというかんなんというか……」
育江は一度、『パルズマナ』をかけて、『短距離転移』を唱える。
するとカナリアの目の前に、見たことのない光景が広がる。
「こ、これって?」
「はい。時空魔法です」
『門』は、五分ほど放置すると消えることが、育江の検証作業でわかっている。
「確かに、王都にも使い手がいるって聞いたことがあるけど、まさかイクエちゃんが……あら? 持ってたら、あのとき馬車で行ってないわよね?」
「はい。頑張りました」
「ぐあっ」
「頑張りましたって、あのねぇ……」
PWOでは、持っている人の方が多かった。
『空を飛ぶこと』と『瞬間移動』は、現実では不可能な、追体験の一つだったからだろう。
カナリアの話から察するに、こちらの王都にも数人、時空魔法の使い手がいるようだ。
ふらふらと吸い寄せられるように、カナリアはあちら側に映る、マトトマト村に向かって歩いて行く。
「あ、カナリアさ――」
何かに弾かれるように、カナリアは真後ろにひっくり返る。
「入れないかもって言おうとしたのに」
「それ、先に言ってくれないと……」
「ごめんなさい。あ、それでですね。こちらからあちらを見ることはできるんですが、あちらからはこちらは見えません。五分ほど放置で、消えるみたいですね。あと、王都には『まだ』行けませんでした」
「……まだ、というといずれ?」
「はい。おそらくですけどね」
「……もしかしてこれ、潜入に使えるんじゃない?」
「潜入、ですか?」
「えぇ。あちらからこっちが見えないなら、『こっそり何かを探ったりできる』のかな? って」
「あぁ、これ。一度行ったことがある場所だけです。そうでないと百パー失敗しますね」
「なるほどね。奥が深いわ……」
カナリアも案外、育江のように検証好きなのかもしれない。
▼
時空魔法のカミングアウトを終えた翌日、育江は朝からギルドに来ていた。
先日、掃除の方はあらかた終わらせてしまったので、今のところ急な依頼は入っていないとのこと。
「カナリアさん、質問があるんですけど」
「どうしたの? あ、あまり大きな声で言えないこと?」
「できたらお願いします」
「ぐあっ」
最近シルダは、カナリアのことを怖がらなくなった。
育江が掃除などの『お願い』を聞く際は、シルダを匂いから隔離しておける『ペットケージ』を使うようになったからだろう。
ドアの表に『治療中』の札を出しておけば、人が入っていくることが少なく、最悪入ってくるとしてもしっかりとノックされる。
そのため、大声で言えない話をする際は、この医務室を使うようになった。
育江に座るように促すカナリア。
シルダはベッドに寝っ転がって、お腹を上に向けている。
「それで、どんな話かしらね?」
「はい。ダンジョンなんですけど」
「……よかったわ。心折れちゃったりしてたら、相手を探して吊し上げようとも思っていたのよ」
カナリアの性格とその腕力ならば、『物理的に吊しかねない』と育江は思ってしまった。
「なんて物騒な、……ってそうじゃなくてですね。ダンジョンってほら、潜るじゃないですか?」
「潜る、確かにそうね」
「帰りは、どうするんです? 歩いて戻ってくるとか? もし疲弊していても?」
「あぁ、そのこと。もちろん、歩いて帰ってくるわ。私はほら、『空間魔法』があるから、補給は十分に余裕を持っていたから」
「はい、『インベントリ』は便利ですからね」
「もちろん、そうでないパーティもいるわ。飲食などの補給をしっかりと用意して、回復役のいるパーティでなければ、深い階層へ入ることもできない。せいぜい、第四階層がいいところでしょうね」
「カナリアさんたちは、どこまで潜ったんですか?」
「そうねぇ、……第二十九階層だったかしら?」
「二十九、ですか?」
「そうよ。それでね、第三十階層にいる階層主にね、大怪我させられちゃって、それが原因でやめることになったわけ」
カナリアは、踝丈のパンツの裾を、膝までまくってみせる。
受付とは思えないほどに、引き締まった足。
だがそこには、治りきっていないような、深い古傷が残っていた。
「えっと、ちょっと触りますよ?」
「え? 別に、女の子同士だから構わないけど、触っても面白いものじゃないわよ?」
育江は膝にある傷の隣あたりに手を添える。
「んー、『デトキシ』」
育江が唱えた呪文は、毒素中和の『デトキシ』。
普通に考えたら、ここまで傷が完治しないのは、『何か、理由があるのでは?』と思ったからだ。
そこで、あくまでも『一応』だがかけてみたということ。
「あとは、『ピュリフィ』、『ミドルヒール』っと」
思った通りだった。
魔法があるこの世界で、ここまで酷い傷が残るのは、毒か何かが影響してるのだと。
エルシラ姉妹のジェミルは司祭だったとのこと。
育江が知る限り、司祭の主要スキルは『祈り』。
祈りのスキルには、治癒魔法のように回復を促すものがあったのを覚えている。
だが、どちらかというと『魔法や戦闘の補助』をするスキルだった。
だから、毒の中和などは専門外だったのだろうと、育江は考えた。
「え? うそっ、なにこれ。ずっと続いてた痛みが……、ってこれ、もしかして?」
目に見えて、傷がゆっくりだが塞がっていく。
いつも、じくじくした嫌な痛みがつきまとっていたから、夜はお酒を飲まないと眠れないほどだった。
それがまさか、この場で解消されるとは思っていなかっただろう。
「カナリアさんもね、『言ってくれたらよかった』んですよ」
そう言って、笑う育江。
同時に思っただろう『第三十階層のボスは、毒攻撃を使うんだ。気をつけないとねー』と。
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