第3話 苦行、空間魔法上げの果てに
育江が始めてダンジョンへ潜った日の夕方。
エルシラ姉妹の経営する店を貸し切りにして、カナリアは育江を元気づけようとしていた。
今日、ダンジョン第一階層で育江の身に起きた問題は、ジェミナとジェミルの二人も理解してくれているようだ。
「はい。本当にまいりました……」
「ぐぎゃ」
育江の膝の上に座ってる、シルダが心配そうに見上げる。
「ごめんね、シルダ。しばらくはダンジョン行けそうもないんだわ。あたしが全部悪いんだから、仕方ないんだけどさ」
「そんなことはないわ。とにかく私も、探索者に向けて、注意を促してみるわね。『将来的に、譲り合いができない探索者は、その者の命の保証をできない』ってね」
「自業自得だね」
「はい。その通りです」
魔物より強いと思われたシルダはまだ、ダンジョン産の魔物が持つ防御力を突破できないかもしれない。
ただそれは、シルダの魔物との間にある、相対的なレベル差の問題もあると言えるはずだ。
「とにかく、何かがあっても対処できるくらいまで、シルダを育てないと、ダンジョンには連れて行けない。じゃないとあたし、シルダを死なせてしまいそうで……」
黒狼を少しずつ削って、もう少しで倒せるところまで持って行けたあのころより、シルダは間違いなく強くなっている。
だが、第一階層で討伐を行っている探索者の方が、現時点でシルダより攻撃力か何かが強いのかもしれない。
それがとても、厄介なことだった。
一つ間違えたら、シルダを魔物だと思って倒そうとする輩が出てもおかしくはないということも懸念されるだろう。
「カナリアさん、ジェミナさん、ジェミルさん、すみません。あたし、何かできないか、もう少し考えてみます」
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宿屋『トマリ』の部屋の中。
昼食後、ベッドに転がりながら、満腹で仰向けに『へそ天』して、幸せそうに寝息をすぴすぴしてるシルダ。
彼女のお腹をさすりながら、育江はシステムメニューの上にある情報を、行ったり来たりして考え事をしていた。
あのようなことが起きた以上、ダンジョンへ再び潜るならば、シルダのレベルアップは必須だ。
けれどこの町の周囲、徒歩で行き来できる場所には、育成相手になり得る魔物が見当たらない。
インベントリが『空間魔法』だったことを、カナリアに言われて始めてきづいた。
それだけなく、あちらでイベントをクリアして取得のみの状態になっていたスキルが複数ある。
当時の育江は、それらに必要性を感じていなかったため、スキル上げを行っていない。
その中のある転移系のスキル『時空魔法』も、一切スキル上げをしていなかったもののひとつだった。
時空魔法を上げたなら、一度でも訪れたことがある場所へ転移できるはず。
そうすれば、先日のマトトマト村や王都にも楽に往復できる。
例えばあの村の先を探したならば、シルダの育成相手が見つかるかもしれない。
とにかくなんでもいいから、片っ端から試してみよう。そうすることで、何か今のもやもやを晴らす方法が見つかるかもしれない。育江は、そう思った。
空間魔法のスキルは、現在のレベルは二になっている。
インベントリから何度も出し入れすることで、経験値を得ていたのだろうか?
PWOにいたときは、人づてなどの何らかの方法で、スキルを上げ方を知ることが可能だった。けれど今は、何もヒントがない状態。
以前よりも枠数が倍ほどに増えていたのは知ってはいたが、その変化はあまり気になっていなかった。
けれどこうして改めて見ると、『空間魔法』という項目にも、細かく情報が載っているのがわかる。
レベル一で五十枠。
レベル二で百枠。
レベル三はまだグレーアウトされている。
少なくとも、三までは上がると思われる。
次レベルに上がるまでの必要経験値も記されており、レベル三までがまもなくだとわかったのがついさっきだ。
もうすぐスキルレベルが上がるとあれば、試してみたくなるのがゲーマーの性というもの。
とりあえず、空間魔法を一レベル、どうにかしてみようと思ったのだった。
ベッドに寝転がって、未だに居眠りをしてるシルダのぷにぷにしたお腹を撫でながら、育江はこう唱える。
「『パルズマナ』」
とまじゅーや魔力茶のような効果がある、魔力回復補助呪文の『パルズマナ』をかけておき、システムメニューを出しっぱなしで、空間魔法の経験値表示を眺めながらスキル上げを開始する。
とはいえ、このスキル上げは簡単簡単。
ひたすらインベントリから、ものを出し入れするだけ。
それならばと『焼いただけの蛇肉』を出そうと思ったのだが、せっかく熱々の状態で保存できているものが、もし冷めてしまったら勿体ない。
その都度食べるわけにもいかないし、シルダにあげるとき、冷めたものをたまたま出して、変な顔をされるのも困ると思ったのだろう。
結局ギルドの登録カードを出し入れすることにした。
ベッドに寝転がったまま、シルダのすぴすぴという、規則正しい寝息を聞きつつ、左手でお腹を撫でる。
右手の手のひらには、カードを出し入れ。
簡単なスキル上げだからか、出し入れ数回に一度の割合で上がる経験値も、一桁前半で実にまったりしている。
経験値取得時に発生する、数字のカウントアップを見るだけで、一喜一憂できるゲーマー気質があったからこそ、こんなに単調で眠くなるようなスキル上げも、思いのほか楽しく続けられた。
スキル上げを開始してから一時間経過しようとしていたころ、さすがの育江にも飽きがきてしまう。
「これはさすがに退屈かもだわ」
「すぴー、すぴー……」
五、六回出し入れすると経験値が入ることもあるが、十回、二十回出し入れしても、入らないことがある。
一度だけ二回で経験値が入って、そのあと一回の出し入れで続けて経験値が入ったがそれっきり。
あとはいつ入るかもわからない、苦行の連続。
こうして意味なく意識的に繰り返すのがスキル上げというもの。
実践で上げていくのは、無意識で楽ではあるだろう。
スキル上げを開始してから、二時間経過しようとしていたときだった。
「経験値、あと二……」
「すぴー、すぴー……」
正直言えば、育江は三十分前くらいから飽きていた。
インベントリから、物を出し入れする動作は、レベル一の呪文に相当する。
基本的に、レベルの高いスキルを連打した方が上がりやすいのだが、空間魔法にはレベル二に該当するスキルがない。
だから上がらないときが多いのも仕方が無いのだろう。
この理屈を知ってるのは、育江のような存在か、そうでもなければ検証作業が好きな職人肌の者くらいしかいないともいえる。
あれから更に四十分経過したが、経験値は一しか入っていなかった。
「あ、あと一、……まじですか、レベル二からレベル三までなのに、ここまで上がらないのは、久しぶりかも、もうやめちゃおうか――あ、あが、上がった。上がったよぉおおおお……」
「すぴー、すぴー……」
ちょっとくらい育江が大きな声を出しても、シルダは動じずに眠れるようだ。
空間魔法のスキル欄をよく見ると、レベル三部分には、『枠増加』がまず表示されていた。
つづいてもう一つ、『ペットケージ』というスキルが出ているではないか?
「な、何これ? 『調教スキル保持者のみに発現。レベルが上がる毎に、一枠ずつ増えていく』ってどういうこと?」
「……ぐ、ぎゃ?」
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
「ぐあっ」
シルダは『気にしないで』とでも言ってるのかもしれない。
「いやいやそれよりこれって、あのマジックアイテムみたいな効能があるってこと?」
確かに、あちらでは『ケージ』という獣魔を格納しておける空間を持つ、マジックアイテムがあった――というより、育江は複数所持していた。
だが、こちらで目を覚ましたあと、インベントリから消えてしまっていた。
「『ペットケージ』」
育江はスキルを行使、するとどっと疲れが出るほどに、魔力が消費されたような感じがあった。
魔力の欄を見ると、実に二割ほど減っているではないか?
同時に、育江の横たわるベッドの前には、円くてぽっかりと空いた、不思議な空間が存在している。
「あ、これがもしかして?」
「ぐぎゃ?」
シルダはむっくりと身体を起こすと、とてとてと歩いてその空間に入ってしまう。
「シルダっ、駄目だって。まだ何も検証で――」
育江が手を伸ばしたのだが、空間の入り口は窄まっていき、あっと間になくなってしまっていた。
「なななな、なんてこと? シルダ、だいじょ――あれ? 何これ?」
出しっぱなしにしていたシステムメニューには、インベントリに並んで『ペットケージ』という枠ができていた。
そこにあったのは『ケージ番号一 シルダ レベル十二』という文字があった。
「――ってことはさ、『ペットケージ』」
またぐらりと目まいがする。
おそらく魔力が大幅に減ったのだろう。
見ると、先ほどのときと合わせて四割減っている。
育江の目の前にまた、円く空いた空間ができていた。
そこからひょっこりと顔を出したシルダ。
「ぐあ?」
シルダは『呼んだ?』という感じに首をかしげ、とてとてと育江の元へ歩いてきた。
シルダが出てくると、その空間の入り口は閉まっていった。
「なるほどね、こういう使い方だったのね。シルダ」
「ぐあ?」
「痛くなかった?」
「ぐあっ」
シルダは『大丈夫』という感じに頷くではないか。
これから色々と検証は必要だろうが、良いスキルが発現してくれたと思った育江だった。
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