第4話 帰ろっか?
「あたしね、お腹空いてるんだ。シルダも多分、お腹すいてるでしょ? どっちにしてもね、一度戻って薬草を買い取りしてもらわないとさ、晩ご飯買うお金もないんだよねー」
すると、シルダが野犬を持ち上げて、育江の目の高さへ。
そのまま首を傾げて、育江を見上げる可愛らしい瞳。
「ぐあ?」
この仕草は、忘れもしない。
前に育江が喉の渇きを訴えたときに、シルダが蛇を取ってきて、生肉を差し出して『食べる?』と心配してくれたときと同じだった。
「あのね、シルダ。お腹がすいてるから、ものすごーくありがたいんだけど、あたしさすがに、犬の肉は食べられないわ……」
「……ぐぁぁ」
何やら残念そうな声を出して、その場にぺいっと野犬の死体を投げ捨てる。
まるで野犬に八つ当たりをしてるかのうにも見えてしまう。
「でもね、ありがとうシルダ。きっとこれも多分ね、晩ご飯に変わるから。ほら。こうして持って帰るから」
野犬に触って頭の中で『格納』と念じる。
するとその場から、山犬の死体は消えていった。
「ぐあ?」
シルダは『何、今の?』のような声を出し、不思議そうな目をしていた。
「ね? シルダが倒してくれたんだもんね。無駄になんてできないわよ。 ……さて、と。そろそろ戻らないとね」
シルダは左手を出してきた。
『手をつなげ』という意思表示だ。
シルダは思った以上に、育江の知っているシルダだった。
育江はシルダの手を握ると、笑顔でこう答える。
「はい。じゃ、帰ろっか」
「ぐあっ」
多少暗くなった林の中を、町に向けて歩いて行く。
今日は、一人じゃなく、相棒と一緒。
採取した薬草を買い取ってもらうべく、ギルドへ一直線。
道中、やはり育江の目は日の落ちた暗い林の中でも、しっかりと見ることができる。
宿屋の部屋では、寝る前まで明かりを消すことがなかったから気づいていなかった。
ハーフヴァンパイアという種族の特性なのかははっきりとしない。
けれど、便利な目だと思っただろう。
ダンジョンを管理する塔が見えてきた。
この建物はどうやら、二十四時間営業のように見える。
(ぽちっとな)
システムメニューの時間を確認すると、現在時刻は二十二時を越えていた。
ちらりと自分のレベルステータスを見ると、あちこちレベルが上がっていた。
野犬にやられた際、全てのレベルはほぼ一に。
他の数値も初期に近い状態まで落ちてしまったはずだった。
その理由はおそらくでしかないが、PWOにいたときは、気にしてはいなかった仕様。
シルダのような『獣魔が稼いだ経験値の一部も、彼女の主にも分配される』ような話があったことを思い出した。
ただ、下がってしまって、使ってもいない治癒魔法のレベル上がってはいない。
『ですよねー』と、育江は独りごちる。
ギルドのドア前に立つと、自動ドアが開いた。
こちらも二十四時間だったのだろうか?
「――イクエちゃんっ」
この声は忘れはしない。
カナリアのものだ。
重力がバグったのかと勘違いさせられるように、育江の身体が抱き上げられる。
そのまま、あれよあれよと受付カウンターの横を通り過ぎ、奥にある別室へ。
誰もその場にいなかったのが幸いだったかもしれないが、二人のあとを小走りをしてついていく、シルダの姿はシュールだっただろう。
薬の匂いもすることから、ここは医務室か何かだろうか?
『探索者の中には、怪我をする人もいるんだろうな?』と、あたりを見回す育江。
カナリアは帽子と外套を脱がせて、そのまま育江をベッドに寝かせる。
続けて彼女の身体のあちこちを調べ始める。
一通り調べただろうか? それでもかなり、心配そうな表情をしているのがわかる。
「イクエちゃん、どこも痛くない? 大丈夫なの?」
「あ、はい。大丈夫、みたいです」
それはそうだろう。
外套の下にある、育江の着ていたブラウスは、引き裂かれて血だらけになり、赤黒く染まっていたのだから。
「あの、あたし。傷の治りが早い、みたいなんですよね。……ハーフヴァンパイアだからでしょうか?」
さすがに『何度か死んだ』とは言えなかった。
だからこのように言葉を濁す以外、育江にはできなかっただろう。
傷痕が完治しているわけではない。
その証拠に、腹部の傷であったところは、今もまだミミズ腫れのように痕が残っている。
だからといって、育江の言葉が嘘のようには思えない。
けれどカナリアは仕方なく、納得するしかなかっただろう。
シルダは、床にぺたんと座って、二人を不思議そうに見ていた。
「あのねギルドにも来ないし、『トマリ』に確認にいってもいないっていうじゃない? 心配したのよ、本当に……」
「ごめんなさい」
「ぐあ……」
そのとき、『ぎゅるるる』と、育江のお腹がもの凄く主張してしまう。
同じように、シルダのお腹も鳴っていた。
「あ、お腹空いた」
「ぐあぁ」
これにはカナリアも笑うしかなかった。
「ちょっと待っててね。外で何か買ってくるわ」
「あ、ごめんなさい」
「ぐあぁ」
きょとんとする育江とシルダ。
体感的に十分ほどだっただろうか?
戻ってきたカナリアの腕からは、とても美味しそうな匂いがする。
そこにあったのはたっぷりの、焼き鳥、焼き肉、焼き魚。
パンにお茶。
なぜかお酒の瓶も混ざっていた。
「私もね、ご飯を食べてなかったの。ほら、一緒に食べましょう?」
「あの、いいんですか? あたし、お金が」
「大丈夫よ。どうせ沢山、薬草摘んできたんでしょう?」
「まぁそうなんですけど」
「あら? そういえばこの子は?」
「あ、あたしの相棒のシルダです。迷子になってたんですけど、やっと会えました」
「ぐあっ」
気がつけば、ベッドに座る育江の横に、ちょこんと座っていたシルダ。
彼女の口元からは、よだれがだらだらと垂れている。
それを苦笑しながら、拭っていた育江。
「そういえば、調教師。すっかり忘れてた。よろしくね、シルダちゃん」
「ぐあっ」
▼
シルダは育江の横で、お腹を上にして、いわゆる『へそ天』状態で転がっている。
その表情はとても満足そうに見えるだろう。
シルダも食べまくったが、育江も数日ぶりのまともな食事だった。
いつも以上に食べたのは間違いのない事実。
「……ぐぁあ」
「ごちそうさまでした」
「いいえぇ。どういたしまして」
お酒の入ったグラスを持ち、頰を少し染めているカナリア。
この医務室にあるテーブルに、並べられた大量の薬草を確認してくれていた。
もちろん、お酒を飲みながらの時間外営業だっただろうが。
「そういえばここって、二十四時間営業なんですか?」
「いいえ、一応夜の八時で閉めるわよ。私たちだって帰りたいもの」
「じゃ、もしかして」
「そうよ。イクエちゃんが迷子だと知ってね、開けて待ってたの」
「その、ごめんなさい」
「ぐぁ……」
「いいの。怒ってるわけじゃないんだから。それに安心したわ。その様子なのに、怪我がなかったんですものね」
「あのあたしなんですが」
「えぇ」
「さっきも言いましたけど。見ての通りの、ハーフヴァンパイアで、放置しても傷がゆっくり治るみたいなんです」
蘇生するとは言えないが、嘘は言ってない。
補修の効かない状態になってしまったブラウスは、部屋の隅に置かれていた。
インベントリに着替えを入れておいたから、今は着替えが終わっている育江。
ただ、これまでの惨状を見たら、嘘を言ってるとは思えなかっただろう。
「傷が治るのはわかったわ。でもね、私言ったでしょう? 『雨の日は魔物が出るから』って?」
「あ、それ。大丈夫です。シルダが、倒してくれましたから」
「このシルダちゃんが?」
小さなレッサードラゴンが、育江を襲った魔物を倒したとは思えなかっただろう。
だが、育江は嘘を言う子には思えないのも事実だったはずだ。
「あ。これです」
インベントリに出ていた魔物の名前は『灰狼』だった。
灰色というには、色味は黒いが、なるほど犬ではなく狼だったというわけだ。
どさっと床に置かれた、全長一メートル五十ほど、尻尾を入れると二メートルはあると思われる、大きな魔物の死体。
「本当にこのシルダちゃんが? ……これ、あれかもしれないわ。イクエちゃん、ちょっと待ってね」
酔いが醒めたような表情をして、医務室から出て行くカナリア。
すぐに戻ってきて、依頼書と比べて確認しているように見える。
「これ、多分だけど、依頼にあった狼の魔物だと思うの」
「へ?」
「家畜を荒らして困るからと、討伐依頼が出てたのよ。ほらこれ」
おそらく掲示板にあった依頼書のカードを剥がして持ってきたのだろう。
そこにはこう書いてあった。
『中級依頼 狼型魔物の討伐 二人以上のパーティ推奨 報酬は金貨二枚』
「すごっ」
苦笑するカナリアと身を乗り出す育江。
今回、薬草の買い取りでどれくらいの報酬になるのかは、予想できない。
だが、金貨二枚といえば、彼女が寝起きしている宿賃の二十日分だ。
「もちろん、イクエちゃんが報酬を受け取ることはできるよ、……でもね」
「何か、問題でもあるんですか?」
「これをね、受けるためにはそのね。ギルドのルールでね、初級でいてもらうわけにはいかないのよ……」
「あ、そういうことですかー」
「幸い、これだけの薬草をね、買い取らせてもらうから、貢献度としては十分だと思うのね、……だた私がこの場で、『はい、じゃ、イクエちゃんはこれから中級ね』と言うわけにはいかないわけ」
「それは十分にわかります」
カナリアはここの従業員であって、経営者ではない。
それなり以上に力はあっても、全てを決定する力は持ち合わせてはいないということ。
お読みいただきありがとうございます。
この作品を気に入っていただけましたら、ブックマークしていただけたら嬉しいです。




