仮題「飛行機の話」
海を望む高台に小さな飛行場があった。
太く長い滑走路だけははアスファルトで舗装して立派なものだ。建物や格納庫は木や石を雑に組み立てた小屋で、しかもあちこちがボロボロ。
ボロ小屋同然の格納庫から、牛にひかれて飛行機が滑走路にむかってくる。細すぎず太すぎないひきしまった赤い胴体。上下につけられた二つの翼。水冷式のエンジンを納めて、まるでワシの顔のようにするどい先端をもったかっこいい複葉の飛行機だ。
帽子と古いつなぎをきた背の低い男がエンジンにクランクを差し込んでクルクルとまわす。
「コンタクトー!」
男がプロペラにグッとあてて、まわして叫んだ。
エンジンが火と煙をふいて動き出す。プロペラが力強く回転し、立っているのが難しい風をまきおこした。背の低い男が帽子をおさえこみながら、飛行機の後ろにむかう。
小男はエンジンの爆音に負けないように大声をはりあげた。
「ボス! 晩飯は何がいい」
「シチューだ。牛乳と鶏肉をけちるな!」
ボスと呼ばれた人物はそう言いはなつ。開放式のまるい操縦席に大きな体を窮屈そうにいれていた。ゴーグルの下から見える口のまわりは針金じみた黒いヒゲにおおわれている。人類よりも獰猛なクマのほうがしっくりとくる人物である。
「わかった! 野菜たっぷりだな」
いじわるそうな笑みを浮かべて小男がいう。すぐにこの野郎と返事があったが、どこ吹く風に後ろの席にむかった。
「ジジ! どうだ凄いだろう」
ジジと呼ばれた少年が、開放式の丸い席から浅黒い顔をのぞかせる。
ゴーグルで顔の半分がかくれてはいるが、うれしそうに笑っている。。
うれしそうに開いた口からは鋭く大きい歯が見えた。
「初めてでどきどきしてるさ!」
「このジャック様が美味いものをこさえておいてやる。楽しんで来い!」
いよいよ飛ぶために飛行機は滑走路へと動いてく。
「がんばれよー!」
ジャックは頭の上に帽子をふりまわしながら言った。
耳を痛みつけるエンジンの爆音にはなれた。
それよりも、周囲のありとあらゆるものが、色だけを残してすっ飛んでいくようだ。
前を向けば風が重みをもってぶつかってくる。分厚いゴーグルをかけていなかったら、周囲を見ることなんてできないだろう。
『飛ぶぞ』
短い言葉が横から聞こえた。見れば、あかがね色の伝声菅があった。
「わかった!」
そう伝声菅にむかってどなる。
返事の変わりに、前のクマオヤジがこっちを向いて親指を立てていた。
体の半分を下に忘れていったような感覚。尻の穴から目に見えないものがぬけていくようだった。見れば、ぐんぐん周りの色が白や青等の単純なものになっている。
上へ上へ。自分の体が斜めになっているのがわかる。足の下がむずむずとしてくるが…うれしさが、爆発しそうにこみあがってくる。
「うべべべっつっつあぁぁぁ」
うれしくて口を開けば風でクチがめくれあがって言葉にならない。
前のクマオヤジは、操縦席からずいぶんとはみ出ている上半身は、こっちよりもはるかに強い風がぶちあたっているのにびくともしていない。
(本当にバケモンだなオッサン)
前をみれば、太陽の姿がぐんぐんと近づいてきている。このまま太陽に突っ込めれそうだ。
(まぶしくなかったら、太陽に行ってもいいな!)
そう思っていれば、だんだんと太陽が上に消えていく。飛行機は水平になっていた。
水平になってから速度を落としたんだろう。
当たってくる風がずいぶんと弱い。恐る恐る飛行機の下を見た。
海だ。いくつもの小さな点が白い線を引きながら進んでいるのが目についた。遠くの、本当に遠くのほうにある島がつぶれてみえた。
『高度3500だ』
クマオヤジが口のはしをゆがめて、こっちを向いてる。
「オッサン!前むけ前を」
『坊主、急降下でほうりだしてやろうか』
親指を下に向けて立てていう。
そして、一気に飛行機が下をむいた。
ほぼ垂直に海にむかって落ちていく。
海がぐんぐん近づいてくるのも当然怖いが、切り裂いていくような音といっしょに飛行機自体がギシギシとゆれているのが怖い。
ただの白い点だったものが、白い帆掛け舟で…そして飛行機は船にむかって頭から落ちていっている。30秒かけてジジは、その事を理解した。
帆掛け舟には上半身裸のおっさん。
(あーやっぱりびびってるよ)
おどろきふためくおっさんの表情まで見える。その刹那、飛行機の先が上にむかった。
後ろから「ばかやろう」という声が徐々に奇妙に小さくなっていく。
飛行機はぐんぐんあがりながらも、徐々にその先を変えていく。
大きな港町、そして飛行場のある高台。背後に見える山の姿を見た。
『HA,HAHAHAHA!』
伝声菅からは一言一言を力強く強調した笑い声。
「こんの悪魔! 殺す気か!!」
条件的に伝声菅に罵声を叩き込む。
『うるさいヒョっ子! 宙返りしてやるぞ』
伝声菅ではひっきりなしにクマとジジの聞くに絶えない言葉の羅列が飛び交いながらも、飛行機は港町から内陸へとむかい飛んでいく。
「オッサンよ。まだつかんか」
『下か前でも見ていろ』
「飽きたから言っているんだよ!」
『横にアメがある。しゃぶっとけ』
「頭にみそ入ってるか。俺が持てんこと忘れてるだろ」
『さっきからピーチクなくその口だったら拾えるだろ?』
「だ・か・ら!速く飛ばせといっているだろうが」
『あ~!年のせいか聞・こ・え・ん・な!』
「おいこらハゲ!」
『・・・・・・・』
上から見た大地の大部分は所々正方形に区切られて茶色と緑色に塗りたくられていた。それ以外には、一本の太い線に集まるようにゴチャゴチャした物か平面いっぱいが黒くぬられているだけだった。小一時間も見ていればどんな無邪気な子供でも、茶色と緑色の正方形はただの畑で、ゴチャゴチャは街、そして黒いのは森だということはわかる。
『下はそんなにつまらんものかね。俺が初めて飛んだときは下ばっか見て教官に半殺しにされたもんなんだがな』
伝声菅からオッサンの声が聞こえた。
『ふん。ひよこ野郎め』
急に飛行機が速度をあげて、ぐりぐりと回転する。
「こおおぉんのクソハァゲェェェッ!」
少年の口汚い声が飛行機の後ろに続いた。
飛行機の激しいローリングの後、伝声管からは
『おえぇぇっ』や『ハゲぇ、地獄おちろや』などとジジの声を伝えている。
それを聞く当のハゲこと飛行士のレオンは、ヒゲの間から口笛をふかせて機嫌が良さそうだ。伝声菅が静かになるのを待って、レオは伝声菅に口をあてた。
「そろそろ、到着する。準備をしろ」
伝声菅が返事を伝える。
「もう一度を確認する。先ず、俺の周りから20m以上離れるな。次に15分したら戻れ。このルールを破るな、破ればお前には出て行ってもらう」
『絶対に守るよ』
「次に黄色いひもをがっちりと噛み、バランスを崩したときにはなせ。背負ったパラシュートが開く」
後ろをちらっと見れば、ジジがひもをがっちりくわえている。
「繰り返すが、この辺りには住んでいる奴はいないし、わざわざ遊びにくる大間抜けはいない。それじゃな。 ジジ! おもいっきり飛んできな!」
ジジはゆっくりと立ち上がった。風がびゅうびゅうと音をたててぶち当たってくる。
気持ちが良いとばかりに口のはしがニッとあがる。
ポンと弾みをつけて、空を飛ぶ飛行機から飛び降りた。
ぴゅうと風をきる音が鳴り響き、緑と茶色ばかりの景色にパッと黄色と赤の華やかな翼がひらいた。翼はぐんぐんと赤い飛行機にちかづこうと上ってくる。
翼はジジだった。ジジの両腕は黄色と赤の色鮮やかな羽毛に覆われた鳥の翼。ジジの足は羽毛におおわれ鷲のような鋭い爪を持っていた。人の顔と体、鳥の翼と足を持つハルピュイアであった。
力強く両腕の翼で羽ばたいて飛行機にむかう。時おり左にふらつくが、そのたびにグッと持ち上がる。
ジジはゆっくりと赤い飛行機の真横にならび顔をむける。
「ジジ、その調子だ!」
ゴーグルを外し、黒い瞳をのぞかせたレオンが声をあげてエールをおくる。
その言葉にジジはコクンとうなづき返し(何しろ、噛み続けないとパラシュートが開いてしまう)、前に顔をむけた。
(ココ、絶対に、絶対におまえを助け出してやる)
ゴーグルの下にある力強い意志を持った深緑の目で、地平線の先、そのもっと先にいる人物の姿を追った。