新人嬢で素人 3
今この瞬間、藍原の手が俺の肩に触れようとしていた。ボディソープを浸らした両手で俺の身体を隅々まで洗ってくれるて思うと盛り上がってくるはず。……はずだった。
「ごめん!!! やっぱ無理だわ!!」
俺は慌ててバスルームから飛びだした。
バスタオルを腰に巻きソファーに腰をかけ、額に手を当てる。良くない。こんな形でS級美女の藍原千歳に抜いてもらうなんて。
少しして藍原もバスルームから出てきて1人分のスペースを開けてソファーに体育座りのように座る。
「あなた、今凄く勿体ないことしたって自覚ある?」
そんなの自分が1番わかってる。
ルックスやスタイルに顔立ち、全てにおいて最高の藍原千歳になんてどんな男も喜ぶに違いない。
それでも俺はー
「それでも俺は………ちっぽけなプライドに負けちまったわ………」
「そう……」
それでも貞操は守れた気がした。
現在、藍原が来てからまだ20分しか経っていない。残りの40分をこの気まずい空間で2人でいるのは地獄同然。とりあえず何か話題を振るか。
「なぁーーー」
「お金の返却は無しだから」
「まだ何も言ってないけど……」
「じゃあなに?」
「なんで風俗嬢なんかやってるんだ?」
聞き方がどストレート過ぎるが気になって仕方がない。
今の藍原なら、バイトから正式スタッフに昇格することはそう難しい事ではない。日々努力してることを周りが知っている。正式スタッフになれれば時給制から日給になるしボーナスだって貰えるようになる。なのに何故、身体を張るようなことを………
「そんなの決まってるじゃないーーー」
藍原はバスタオルを払って下着を着け始める。当然俺は見ないようにそっぽを向く。
「お金が必要だからよ」
そう言い切り、ランジェリーの上に着て来ていた上着を羽織って白い女性用バッグを持つ。
「先に部屋を出ていいかしら?」
「あ、あぁ………」
部屋の受話器でフロントに連絡し入り口に向かう藍原は足を止め、振り向かず最後に、
「この事は他言無用だから。いいわね?」
「わかってるよ」
「それじゃあ」
そう言って部屋を出ていった。
藍原は他言無用と言ったが勿論誰にも言うつもりはない。だって誰も信じやしないだろうからな。
藍原千歳がデリヘル嬢だって事を。
2018年 11月11日 朝7時
昨日の怒涛の展開から一夜明け、実は何もかもが全部夢オチだったんじゃないかと錯覚するが自分の頭の中には鮮明に昨日の光景が残っている。
一応念のためスマホを手に取り普段よりもうるさいアラームの音を消して、LINEの友達欄を見た。
河幹千尋
それらしい名前やニックネームのアカウントは既に友達欄に存在しない。
昨日のホテルからの帰りにケジメとしてLINEやその他の連絡先を消したのだ。夢では無く現実。彼女と別れたのも、そしてあのS級美女の藍原千歳がデリヘル嬢なのも全て現実だった。
俺は敷いた布団から出て、冷蔵庫に向かおうと立ち上がり一歩踏み出した瞬間だった、
「いっ!!!!!!」
盛大に脛をテーブルにぶつけた。
この直接骨に響く痛みはかなり強烈で、俺は床で悶絶しながらその床を金槌のように強く叩いた。
「〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!」
痛みがだいぶ退いてきて立ち上がろうとすると、外の階段を強く登る音が聞こえる。そしてー
ピーンポーン
チャイムがなった後、
「あのぉ! 真下の階の者ですけど、朝から物音がうるさくて近所迷惑です!!」
玄関から女性の怒りに満ちた声が。
俺は痛みを堪えながら左足を引きずり玄関のノブを回して開けた。
「すみません、朝から脛ぶつけてーーー
」
玄関の外に立ってた人物は、
「……………はぁ!?」
「ウソ…………」
藍原千歳だった。
いつもの化粧とおしゃれした姿ではなく、赤のパーカーと黒のジャージにサンダル。そして眼鏡に髪を一本に縛ったポニーテール。終いにはスッピンときた。これだけいつもと違うと別人に見えるが、化粧無しの素顔でも可愛く見えるその顔は紛れもなく藍原千歳だ。
「あなた……同じアパートだったの…………」
「そっちこそ……」
ほんと、昨日から俺の人生はおかしくなっちまったみたいだ………。
まさか藍原千歳が同じアパートで、下の部屋の住人。悪い冗談だ……。
俺は藍原と外に出て玄関前で藍原千歳と対談することに。
「………朝からうるさいんだけど」
「だからそれは、テーブルに脛ぶつけたわけで……」
気まずっ!
「はぁー………。よりにもよって同じアパートって」
「……………」
藍原千歳、眼鏡も似合うのか。それにメイクしてなくてもこの可愛さよ。
だが藍原はいつこのボロアパートに引っ越してきたんだ?
いや待て、2ヶ月前に確か業者が下の部屋をリフォームしてたな。先月の頭には下の階がバタついてたからその時か。
しかし1ヶ月もの間よく鉢合わせなかったものだ。奇跡だわ。
「ーーーぇ!? ーーーぃてる?」
「えっ?」
「人の話聞いてる?」
「あ、えーと……なんだっけ?」
藍原の引っ越し考察で聞いてなかった。
腕を組んで上目で睨んでくる藍原は、
「とりあえず同じアパートだから仕方ないけど、私下の階だから静かにしてくれるかしら?」
「あ、あぁ……すまなかった」
「それじゃあ私は部屋に戻るから」
藍原は「ほんと最悪ッ!」とぶつぶつ言いながら階段を降りて行った。
俺は部屋に戻りスマホで時間を確認する。
「7時半かよ!!」
朝食を食べる時間はとっくに無くなってた。
俺は急いでシャワーを浴びて身支度を済まして家を出た。
「なんで朝から疲れなきゃいけねんだぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
バス停まで全力疾走で。
新人嬢で素人 3 完