理想で初恋 3
2019年1月14日 17時
仕事終わりからそのまま送迎で自校に教習を受けにくるのが最近の日課であり、普段からそんなに荷物が多い訳ではない俺はリュックを使うのなんて何年ぶりだろうか。
バックだと手元が嵩張るからリュックにしたが、リュックはリュックで荷物が重いと肩が疲れるしな。
「ごしまさーん!」
自校の校舎の扉を押して中に入った俺に元気な声で声をかけてくるショートカットの女の子ーーー洟村千織の呼び声と共に周囲の視線が集まる。
「ちおりちゃん、こっそり声かけてくれないかな?」
「なんでですか?」
顔を傾げながらあざとく聞いてくる。
俺は周囲に聞こえないように千織ちゃんの耳元に顔を近づけ、
「変に誤解されるから……」
と囁く。
俺はこの行動が自然に出ただけで、特に何らかの意識はない。しかし、彼女の反応は違う。頬を赤らめ気恥ずかしそうに俺のことを見てくる。
「耳、弱いから………」
「え? あ、ごめん」
どうやら耳が弱点らしく、耳に息がかかるのが嫌だったみたいだ。次からは気をつけないと。
彼女ーーー洟村千織は、自校の入校初日から好意を寄せてくるのだが、その真意は漠然としないが何か隠しているんじゃないかと俺はふんでいる。
「まだ15分ありますが教室に行きませんか?」
「そうだね」
まだ教習時間開始まで15分あるが、席は常に早い者勝ちなので窓際を確保するなら今から行ってもいいくらいだ。
教室に入りいつもの席に着く。今日は、学科を受けた後に技能が2時間入っているのを隣に座る千織ちゃんに説明する。
「今日この後、技能が2時間入っているから一緒に受けれるのはこの1回だからね」
「そうなんですか……」
露骨に寂しそうにする千織ちゃんの態度を見てずるいと思うしかない。何故なら、こういう寂しそうに瞳を潤わせるのは男からしてみたら優しくしたくなってしまうものだ。
だが、俺はまだ千織ちゃんの真意を探っている真っ最中ので、
「そんな目で見ても無理なのは無理だからね」
「はぁい」
結局、この子は何が目的なのか。俺みたいな凡人に好意を寄せるよりももっと歳の近い奴にすればいいのに。
(明日ちゃんと聞いてみよう)
同日 20時
技能教習で車の基礎操作の練習を1時間行い、次の1時間で教習所内をただひたすら走るという教習内容だけなのにやたら気疲れした。終了後に教習所のスタッフから「力みすぎだよ」と言われたが、あの時間で教習所内を走っていたのは俺だけではない。二輪の教習や他の教習車も走っていたのだ。ぶつからないように危機感を持ったっていいじゃないか。
そして、今日の教習はこれで終わりだ。このまま送迎車で自宅の近くまで送ってもらう。送迎車に乗る前に待合室やホールに千織ちゃんがいるか確認したが、どうやら、もう宿泊施設に帰ったらしい。
帰りの送迎車の中で、千織ちゃんからのLINEのメッセージが来るので対応するのも4日目、ほぼ毎日だ。
『こんばんは、ごめんなさい>_< 先に帰っちゃいました』
『いいよ。だってしょうがないし』
『私、もうすぐ仮免です!』
へぇー。合宿だと2、3週間で卒業できるらしいのでタイミング的にそんなものか。
『そうなんだ。頑張ってね』
『はい! ごしまさんと一緒に教習受けられないのは残念です(◞‸◟)』
『俺のことはいいから、仮免頑張ってね』
そして最後に可愛いキャラクターのスタンプが送られて来てこのやり取りは終わった。
同日 21時
自校から帰ってきた俺は、愛用の炬燵に足を突っ込みテキストをテーブルに広げ自主学習に勤しむ。技能講習は時間があれば受けれるため、今は学科と筆記テストを合格することが当面の目的になる。合格するにはひたすら自主学習して頭に叩き込む以外ないのだ。
帰ってきてから特に何も食べてない俺は、途中で腹が鳴り空腹であることを己に気付かされる。
「腹減ったなぁ……」
いつもこの時間は夕食をとっくに食べ終えている時間なのだが、自校に通い始めてから食べる時間が遅くなったり、食べずにそのまま寝落ちしたりすることが多くなった。そのせいで今日、藍原千歳に「少し痩せたみたいだけど」なんて言われた。そんな4、5日程度で痩せれるもんかね……。
何か口に入れようと思い炬燵からでて冷蔵庫を開ける。
「何もねぇな」
冷蔵庫の中には調味料とお茶とお酒しか入っていなかった。
ここ最近は買い物の頻度も減っているせいで冷蔵庫の中もインスタント食品も無い。
「どうしたもんかぁ……」
この真冬の寒さで外に出る気は起きない。やはり寝るしかないな。
買い物を諦めて炬燵に戻るとスマホが鳴る。画面を確認すると、千織ちゃんからーーー
『まだ起きてますか?」
とメッセージの他に、
『もう帰ってきたの?』
と藍原からのメッセージが2件来ていた。
藍原からの相談以外のメッセージはかなりレアケースで、俺は動揺しながらメッセージを返す。
『もう家にいる』
『なら今から行っていいかしら?』
何と!?
『構わないけど』
藍原がうちに来るなんて12月以来だ。あの時はおかずを作りすぎて俺にお裾分けで訪れたが、今回は何の用件なんだ?
藍原の自宅は俺の部屋の真下の部屋で、すぐに来てしまう。俺は急いで片付けを試みる。
『変な期待しないこと! お皿用意しといて』
お皿?
俺はこのメッセージで藍原が何が目的でウチに来るのかすぐに理解できた。
『わかった』
今日の夕方に会った際に「またお裾分け持ってくわ」と言っていたのでおそらくは夕飯をご馳走してくれるのだ。なるほど、変な期待はなく無くなったよ。
5分もしないうちに玄関のチャイムが鳴り響く。俺は玄関の扉を開くと、
「こんばんわ」
フワフワの白い寝巻きの上にカーディガンを羽織り、髪を三つ編みに縛った眼鏡藍原(俺命名)が四角い包みと水筒を持って立っていた。
「お、おう」
俺は藍原を部屋に上げるとーーー
「お邪魔します」
お構いなしに人の部屋へ入って行く。
「男の部屋なんだから少しは躊躇えよ」
「なんで?」
いやこっちがなんでだよ。
「レンジ借りるわよ」
藍原はなんの躊躇いもなしに台所を漁り始める。
「一応、レトルトのご飯はあるのね」
「おい、普段から何も無いみたいに言うな」
「あるの?」
……いや、無いな。
「あなたは炬燵で待ってて。すぐにできるから」
予め出してあったお皿におかずを移してラップをしたお皿をレンジで温める藍原は、お椀を出して一緒に持ってきていた水筒から液体を出す。この匂いは、スープ?
おかずをレンジで温めた後はレトルトのご飯を温めておかずとご飯、それからスープを持ってくる。
「おー!」
テーブルの上には、レンジで温めたご飯と肉じゃが、そして湯気の立つスープが並ぶ。さすが藍原、女子力たけぇ!
俺は箸を持ってきて、
「いただきます」
と手を合わせて目の前のご馳走にありつく。
レトルトのご飯は置いといて、肉じゃがもスープも美味い。
「うめぇ……」
「そんなにがっつく?」
「人の作った料理ほど美味いものはないんだよ」
「そう」
しばらく俺は夕食に夢中で、右斜に座り肘をテーブルにつきながら藍原はただ食べる俺を見ていた。
「ご馳走様」
「お粗末様」
俺は腹も満腹に鳴り体を伸ばし寛ぐ。そんな俺を見ながら藍原が、
「自校大変そうね」
と聞いてくる。
「うーん……ぼちぼち」
「ちゃんとご飯だけは食べなさいよ?」
だから、オカンかよ。
「なんか飲むか?」
「いいわよ」
「遠慮すんなよ」
俺は炬燵から出ようとする。こんだけ飯をご馳走になったんだからお茶くらい出さないと悪いだろ。
「うわっ!」
「ちょっーーー」
だが、俺は鈍いことに炬燵のコードが床に伸びてることに気づかず、立ち上がった直後に足をコードに引っ掛けてそのまま藍原の方へ倒れ込む形になる。
「ーーーーーー」
「ーーーーーー」
覆い被さるように藍原の上になる俺は、顔の近い藍原を見つめている。同時に、押し倒された形になる藍原も顔を赤くしながら俺を見つめる。
多分、5秒くらいか。それでも俺と藍原には1分くらい長く感じた。
「わ、わるい……」
普段の藍原だったら、腹を蹴飛ばして強引に俺を退かすこともいとわないのに、今の藍原は不思議と抵抗しない。変な期待はしてなかったけど、これは不意打ちだ。事故なのだ。
「早くどいて……」
「お、おう……」
俺は藍原から退いて、お茶も入れることも忘れその場に座る。藍原も起き上がって、髪を直す。
それから少しの沈黙の後に、
「私、そろそろ戻るわ」
と、持ってきたタッパと水筒を持って立ち上がり玄関の方へ何事もなく歩いて行く。
「そ、そうだな」
帰ろうとする藍原を玄関で見送り、階段を降りて行くのを見たら扉を閉める。
俺は、まだ心臓の鼓動が早く波打つのを感じている。あの顔を赤く潤んだ瞳の藍原の顔が夢で見そうなくらい艶やかで可愛かったのだ。
俺は頬を両手で叩きさっきのことを忘れようと勤しむ。何故なら、俺は藍原のことを“好きにならない“のだから。
さっきからテーブルでバイブするスマホがうるさく画面を見てみる。
「あーーー」
千織ちゃんからメッセージが10件来ていた。ーーー忘れてた。
理想で初恋 3 完




