新人嬢で素人 14
2018年12月7日 21時30分頃
「け、警察だと……」
ベッドの上で藍原千歳に覆いかぶさりながらホテルの受話器を耳に当て動揺する男。彼は千歳の働く職場のキッチンホール長。
『今、お客様の部屋に伺うとのことです』
「わ、わかりました……」
受話器を戻し、千歳を睨みつける。
「警察を呼んだのかッ!!」
ホール長は怒鳴りつけながら千歳の顎を鷲掴みにする。
「呼んで……ない!」
「じゃあ何故ここに来るッ!」
「知らな……いわ」
千歳は嘘を言ってはいない。ただ心当たりがあるだけだ。
「まぁいい。証拠が無ければ警察は民事に介入しない。うまく流す」
ホール長は千歳から離れ、シャツを着直すと、
「警察です。すみませんが、少しお聞きしたいことがあるんで開けてもよろしいですか?」
部屋のノックと共に男の警官の声が響く。
ホール長はすかさず部屋の入り口へ行き扉が開き2人の男性警官らが部屋に入る。
「なんですか? 私に何か用ですか?」
先程とは打って変わって紳士な態度でホール長は2人の警官に対応する。
「こちらの客室で女性に暴行が行われていると通報がありました」
若い警官が手に持っているバインダーに挟んだ用紙に記入しながら喋る。
「女性に暴行? それはとんでもないですねぇ」
「あなたとそこの奥にいる女性ですよ」
もう1人の中年層の警官が声色を強く言い放った。
ホール長は睨む様に目線だけ千歳の方へ一瞬だけ向ける。
「この部屋なんですよ」
「しょ、証拠はッ! 警察は証拠が無ければ民事に介入できないだろ!!」
徐々に態度が変わりホール長の口調は荒くなっていく。
「あるんですよっ。証拠なら」
そう言って若い警官がスマホをかざす。
(あのスマホ………!)
千歳には警官のスマホに見覚えがあった。
先日、夕食のおかずを作りすぎてお裾分けに部屋へ訪ねた際に連絡先を交換した人物ーーー後嶋龍太の私物に間違いない。
「スマホ?」
「我々のではありません。この件で通報した人物の私物です」
「それがなんだッ!」
「こちらに通話を録音してあります」
千歳は警官の言っている事がどういう事なのかすぐに理解した。
トイレの中で後嶋龍太との会話で『通話は切らずにそのままにしてほしい』と彼は言っていた。あれは警察に提示する証拠を作るためだったのだ。
警官がスマホを操作し録音された音声ファイルからこれまでの一部始終が流れる。流れた部分はついさっき左頬を叩かれるまでの部分で、さすがにこれは言い逃れができない内容だった。
「あなたの声で間違いないですね?」
「罠だっ! 俺を陥れようとするっ!」
「そちらのーーー彼女から証言を訊けばはっきりしますが?」
「ーーーーーーッ!!」
ホール長は言葉に詰まり唇を噛む。
「署までご同行、よろしいですか?」
「好きにしろッ…………」
観念したホール長は通路へ5、6人の警官にに連れて行かれた。
「はぁ……」
千歳は安堵の息をつく。これで身の安全は保護できたと思うと体に力が抜けていった。
「被害者の女性ーーー藍原さんでしたっけ? 救急車を呼びましたので服を着て外に出ましょうか」
年輩の警官が気を遣ってくれたのか、こちらを見ないように心がけてくれた。千歳はベッドの上で掛け布団を前に覆い体を隠している。
「わかりました……」
警官は部屋から出て行き千歳は1人なる。本当はシャワーを浴びたかったが警察の人達を待たせまいと急いで着替え部屋を出て、
「では、行きましょうか」
「はい。………あの、彼は?」
「外で待ってますよ」
「そう……ですか…………」
彼ーーー後嶋龍太にどんな表情で会えばいいか千歳にはわからなかった。迷惑をかけまいと1度拒絶したが、結果的に彼に助けたもらった。複雑な心境のまま千歳は赤く腫れた左頬を触りながら警官ら共にホテルを後にした。
******
数分前
警官らが突入した後、警察車両のパトランプに野次が集まり始めてきた。
ここで俺はある問題に気づく。これだけ野次が集まってるという事は、職場の人間がもしかするといるんじゃないかと。そうなれば、出てきた藍原に変な噂が立つ。それだけは回避しなければならない。
しばらくして救急車も到着し、さらに増える野次馬。俺はフード付きのジャンパーをぬぐ。
ーーーそして、ホテルから保護された藍原が出てきた。
俺は急いで藍原に駆け寄りジャンパーのフードを頭から被せる。
「ごめんなさい………」
最初に発した言葉は謝罪だった。
「今、人目がつくから顔隠しとけ」
謝罪とかお礼とか今はどうだっていい。まだこの場を上手く乗り切るためには藍原が救急車まで藍原千歳だとバレないようにするのが重要なのだ。
「あちらの救急車で怪我の手当てをしながら事情聴取します」
「はい………」
藍原はそのまま警官に連れられ救急車の中に入っていった。
藍原は出てきたがもう1人がまだ出てこない。
今回の事件に関わらず、ここ最近までの藍原への妨害を考えるに藍原と一緒の客室にいた人物は、藍原の職場のホール長で間違いないはずなのだが。
「あれ? りょうちん?」
聞き覚えのある声が野次の方から聞こえた。
毎日同じ職場で働く同僚で周囲の世間事情に詳しい俺の友人でもある人物ーーー。
「卓郎ッ!? 何でここに?」
ジャンパーの下にスーツを見に纏った男ーーー山崎卓郎だ。
「俺はバーで飲んだ帰りだ」
卓郎は酒が好きで翌日出勤でも飲みに行くほどだ。その帰宅するタイミングと被ってしまったか。
「で、この騒ぎは?」
とりあえず卓郎を上手く誤魔化すにはどうすればいいか俺は考える。藍原千歳のことを直接話す訳にはいかない。噂というものはいつの間にか拡散し真実とは異なる尾鰭がくっついてくるものだ。迂闊に事実は話せない。
「知り合いが男女間でトラブルあったから心配しに見にきてさー」
半分的を得ていて得てない誤魔化し方だ。
「そうなのかぁ。で、藍原千歳はどこよ?」
「えっ!? なんで?」
「ここ最近、藍原千歳と3階で飯食ってるだろ? お前」
全部バレてたぁぁぁぁぁッ!!!
「知ってたのかよ!」
「たまたま見かけただけ」
やっぱり卓郎に隠し事は通せないと痛感した。
とりあえず今回事情を簡潔に卓郎へ話した。もちろん藍原がデリ嬢だって事は話さず、職場間の問題と藍原の祖父の事を説明した。
「なるほどなぁ、あそこのホール長もついに手を出したって訳かぁ。まぁ、藍原千歳を見てりゃあ流石にな」
「女遊びも度を超えると自分が痛い目に遭うってことだな」
「で、その加害者さんは?」
「まだ出てきてない」
と、その話をした直後左右の警官に取り押さえながら歩いて出てくるホール長。彼の表情は落ち着いた様に見えたが、あんまりにも怒りに満ち溢れている目だ。
「……………………」
俺と卓郎は警官に連れて行かれるホール長を黙って見ていてた。
だが、俺はあの男に聞かなければならない事があった。連れて行かれるホール長に俺は小走りで近づき、
「待ってください! その人に聞きた事があるんです」
警官に話をさせてもらえないか説得を試みる。
「取調べは署の方でやるから部外者はーーー」
警官に遮られそうになったが、
「待ってください、彼は事件の立役者です。少しだけ話す機会を上げてください」
駅の交番に勤め、藍原の救出に協力してくれた若い警官と年輩の警官ーーー村井さんが説得してくれた。
「…………少しだけですよ」
「ありがとうございます」
警察車両に乗る前に俺はホール長と対面する。
「なんで、藍原のスイーツを新作会議に出させなかった」
背中を向けていたホール長はこちらに振り返り、
「藍原千歳、あれはいい女だと思った。今まで抱いてきた女とは比べものにならんくらいスタイルも顔も良いーーー」
この時、俺はこの男に紛れもない苛立ちが沸沸と湧き上がり、
「だから俺の近くに置いて置きたかったのさ。下手に新商品の立候補に出したら、あれの評価を買う奴が現れるからなぁ。そうなると人事の移動の可能性も出てくる」
「藍原千歳が辞める可能性もあっただろ」
途中で卓郎が話に割り込む。
「辞めないさ。あれを2ヶ月間観察してよくわかった。あれは夢や希がある人間の立ち振る舞いだったからな」
俺の脳裏に何度も見た仕事中の真剣な藍原の顔がフラッシュバックする。
「だからーーー」
「ーーーだから藍原の創作案を没にしたのか? 2回も……」
ただただ怒り任せだった。藍原の事情を知ってしまったからではなく、純粋に人の夢が踏みにじられるのが頭にきた。許せなかった。それは一瞬で、ホール長の胸ぐら掴んみかかり、車両に押しつけるまで。
「てめぇは他人の人生っ何だと思ってるんだッ!!!」
口調が荒くなる。人に説教なんて大それた事をするつもりなんてない。
けど、それでも俺はーーー
「てめぇの粗末な欲求に藍原千歳を巻き込むなッ!!!!」
どんなに満たしたい欲があったとしても、他人を巻き込むのは間違ってると言いたかった。
掴みかかってる俺を村井さんと卓郎が全力で引き剥がす。
「落ち着けりょうちん!」
「はぁ………はぁ…………」
卓郎は「らしくないぞ」と俺を警察車両から遠ざける。村井さんはホール長を車両に乗せて他の警官らに署に連れて行くよう促す。
敬礼をした村井さんがこちらに近寄り、
「後嶋くん、落ち着いたかい?」
と村井さんは俺を心配してくれた。
「はい……」
「怒りたい気持ちもわかるが、警察の前で加害者に暴力はいけないよ」
「すみません……。あの、藍原は?」
俺は落ち着きを取り戻し、藍原はどうしたのかを村井さんに尋ねる。
「被害者の女性は、さっき救急車で手当てして他の警官と共に警察署へ行ったよ」
「そうですか……」
この場はもう治まりつつあった。村井さんと若い警官も、
「我々も交番勤務に戻るよ。加害者の逮捕の協力に感謝します」
と俺に告げ、敬礼をした後この場から去った。周囲の野次も疎になり、気づけば俺と卓郎だけになっていた。
「俺たちも帰ろうぜ。明日も仕事だ」
「あぁ……」
俺達もそれぞれ自宅へ戻る。卓郎はタクシーにのり、俺は財布も持たず飛び出してきたため歩いてアパートの自宅に戻る。
警官に貸していたスマホも返してもらっていて、少ないバッテリー残量とまだ22時過ぎたばっかの時刻が時間の経過を示していた。
長いーーーーーー。
ーーーーーー長い1日だった。
新人嬢で素人 14 完