都市の底辺
『俺の告白』
都合四度目の手術が終わると同時に俺は仕事をクビになった。
三度目の手術をした辺りから、ある程度の覚悟はしていたからあまり衝撃は無かった。
それよりも失業により、ここの入院費を払えるかどうかの方が心配だった。
四度目の手術が終わり面会謝絶が解かれると、同期の男が病室に顔を見せた。
忙しい合間を縫って見舞いに来てくれたのかとも思ったが、彼は精一杯のすまなそうな顔を作って『退職届を書いてくれないか』と告げた。
俺は渡されたペンを無言で受け取ると、手早くペン先を走らせて、完成した退職届と一緒に投げ返した。
俺は床に散らばったペンと退職届を拾い集めて自前の鞄に押し込むと、すまんと呟いて病室から出て行った。
不意に悔しさが込み上げて不覚にも涙を零してしまった。
どうして俺がこんな目に。
原因の分からない病気で何度も腹を切られ
おまけに仕事まで失ってしまった。
いい加減見飽きた病室の白い天井をじっと見つめていると少しだけ落ち着きを取り戻せた。
いったいこの異常の原因は何なのだろう。
入院以来何度も考えてきた疑問だ。
板垣あゆみの名前と指切りの約束を思い出してからは、もうあの夢は見ていない。
微かな希望に従って旧友の久保に板垣あゆみの消息を辿ってもらってはいるが、まだ何も報告は来ない。
俺は本当に針千本を飲まされているのだろうか?
『板垣あゆみの叫び』
生理がしばらく来ていないことに気付きました。
検査の結果は案の定の陽性。
金田は避妊に無頓着でしたし、金田には伝えていませんでしたが仕事でもチップ欲しさに店には秘密のサービスをしていました。
だから誰の子かは分かりません。
でも金田さえ許してくれるなら私は産むつもりでした。
仕事はまた辞めなくちゃならないだろうけど、金田との間に何かしらの証を残したかったのです。
私は仕事から帰ってきた金田に『子供ができたから産みたい』と率直に打ち明けました。
けれど金田は一言『おろせ』と答えてスーツを脱ぎ捨てると、振り返りもせずに布団に潜り込みました。
半ば予想はしていましたが、あまりにも簡単な拒否に私は泣いてしまいました。
数日後、私は職場に一週間ほど休むと連絡を入れると病院で処置を受けました。
処置は思っていたよりもずっと早く、そしてあっさり終わりました。
涙は流し尽くし、心にぽっかりと穴が空いたような感じでした。
空虚な気持ちを抱え、微かに痛む下腹部を引きずって家に帰った私を待っていたのは更に追い打ちをかけるような現実でした。
空っぽの部屋
家具が無くなり、いやに広く・冷たく感じる部屋。
玄関で何度も確かめましたが、間違いなく私と金田の部屋です。
泥棒が入ったと思い、玄関から怖々足を踏み入れると、部屋の隅に私の化粧品や服がまとめて置いてありました。
泥棒なんかじゃない。
金田がみんな持って出ていってしまったのでしょう。
私は鞄を投げ出すとテーブルがあったはずの場所にペタンと座り込みました。
何も考えられませんでしたが、しばらくすると不意に笑いが込み上げてきました。
最初は小さく
次第に大きく笑いました。
なぜ笑っているのかは自分でも分からなかったけど、笑い声は止まりませんでした。
こんなに笑ったのは東京に出てきてから
いや、あの故郷のレストランを辞めてから初めてだったと思います。
何故私はこんな所でこうしているんだろう?
私は薄暗い部屋の中で自問自答を繰り返しました。
東京に出ると決めた日
どうして私は西川君に連絡をしなかったのでしょうか?
金田に騙されていると最初に気づいた時、どうして私は逃げ出さなかったのでしょうか?
こんな所まで来てしまう前に西川君に会いに行っていれば.......
高校生の頃に西川君と交わした指切りを思い出しました。
『30までお互い独身で恋人もいなかったら結婚しないか』
私の高校時代の一番綺麗な思い出。
もっと早く西川君に会いに行っていれば
約束を覚えている?って聞いていれば
西川君なら『覚えてるよ』って笑って私を抱き締めてくれたはずです。
絶対に間違いありません。
だけど現実の私は30少し前に結婚はしたものの、最低な男と最低な生活を強いられ
最後にはこんな何も無い部屋に置き去りにされています。
西川君はきっと独身のまま私を待っているはずなのに.......
会いたい
西川君に会って抱き締めて欲しい。
でも今更西川君に合わせる顔はありません。
こんな私の姿を見られるわけにはいかないんです。
私は放り出したままの鞄を手元に引き寄せて立ち上がりました。
それから
私は近所の店を何件か周り、数を確認しながら裁縫針を買い集めました。
必要な数だけ買い揃えると、あの空虚な部屋に戻って一つ一つ裁縫針の包装を解いていきました。
全ての裁縫針を出して床に積むと小山の様になっていました。
私は裁縫針の山に手を伸ばして
ふと思いとどまりました。
もしかしたら次の瞬間にでも西川君があの玄関を開けて飛び込んで来るかもしれない。
そして『馬鹿なことをするな』と言って、抱き締めてくれるかもしれない。
西川君はここの住所を知るはずがありません。
それどころか私が東京に来てる事すら知らないはずです。
でも、もしかしたら何かの運命的な偶然で私を止めに来てくれるかもしれない。
だからあと10分だけ
5分だけ
1分だけ
しばらく待ちましたが、西川君どころか誰一人この部屋を訪れる人はいませんでした。
私にはドラマのヒロインの様な事が起こるはずがないのです。
私は意を決すると裁縫針の山に手を伸ばし
掴み取った針を口の奥に押し込みました。




