ボグ 続き
シュルシュルと、僕の右手に引っ付いた短剣に取り込まれていく繊維。
あまりの現実感のなさに、茫然とそれを見守る僕。
サル型のボグっぽいものと、白く細い繊維で繋がった短剣を、ただただぼんやりと眺めていた。
なんとか、した方が、いいんだろうか?
伸ばしきった右腕の先を見ながら、そこに添えた左手を動かそうとしたが、言うことを聞かない。
緊張で、硬直している。
状況を確かめねばならない。それだけを思った。いい方法など思い付かないから、ひとつひとつ、なんでもいいからやらねばと。
ゆっくりと、がくがくと震えが止まらない腕をやっとの思いで動かし、勇気を出して、短剣の向こうに左手をかざしてみる。
つまり、繊維を遮るように。
スッとなんの感覚もなく通りすぎ、かざしてみた手に、違和感もない。
もちろん右手にも、他の場所にもない。
煙のような繊維、じゃない。
繊維のように、細く長く延びた煙だ、これは。
はぁ、と詰めていた息を吐き出すと、一瞬揺らいで、また、短剣の中に吸い込まれていく。
なんだっけ。これみたことある。
線香型のアロマの煙が、空気清浄機に吸い込まれていく時の様子に似てるんだ。なんだか、男の自分には珍しくて、見入ってしまったのを思い出した。
サル型のボグを見た。
なんだか最初に見たときより、心持ち、小さくなっているように見えた。
心に、余裕が出来たからだろうか。
乾いた笑いが出た。
「なにやってんの」
だから、その場に突然響いた女性の声に、心臓が飛び出るかと思った。
変な声をあげて、尻餅をついてしまう。
「ひゃ……ぁあっ、わ!!」
「なにやってんのよ……へっぴり腰」
足音が近付いてきて、後方にいたらしいその女性が、姿を見せた。
僕と変わらないぐらいの年の女性。
髪はダーティーブロンド。それを高い場所で縛ってうしろに垂らしている。
アーモンド型の碧の瞳をして、通った鼻筋の下には、大きすぎない赤い唇。
とんでもない美女だった。
しかも、その姿の布面積は少ない。
黒いチューブトップを紐で吊ったような上半身。押し上げられたそれの下に、ほどよい筋肉のついた細い腰が見えている。そのあと黒の短パンが続いていて、大胆に太ももが晒されている。腰から後ろには長い布が垂らされているので、なるほど後ろからなら、ロングスカートを履いているように見えるのかもしれない。
よく延びた足は、小ももが見えるぐらいの高さのブーツに続いていて、8センチを越えるヒールが、あまりにも場違いに見えた。
上から下まで黒で揃えられた衣装は、白い肌に対比しているようで、アニメか映画から出てきたのかと思うようなひどい違和感と共に、非現実感を加速させた。
「何? じろじろ見て……失礼ね」
「あ、スミマセン」
だから、普通に声をかけられて、ビビる。
尻もちをついた格好だから、見上げる形になるために足の長さが強調されて、眩しい。
本当に、この場に存在する人間なのか?
誰かがどこかから照射してる、立体映像なのでは?
何のためかはわからないけれど。
違和感のもうひとつは、これだ。
「こんなところにいるなんてね。よく見つけたわね?」
「は……はぁ……」
ものすっごく、普通に話しかけられる。まるで知り合いみたいに。
もちろん、僕にこんな美人な知り合いはいない。いたら、全知り合いに自慢する。ありもしない妄言つきで。絶対、存在ごと信じてもらえないはずだ。
そんなことを考えているとは知ってか知らずか、彼女は世間話のように話しかけ続けてくれる。
なにげに意味のわからない話を。よく見つけた、って、ええと……どれを?
「しかも、一人で倒したの? ……わけないか。バディは、報告かしら?」
「え……ええと」
またわからない。バディっていうのは、体?
違うな、そういえば、『ボグ』の遺骸捜索の人数が多いときには、2人以上のチームを組んで探す。さらに珍しくもっと人数が多いときには、4人以上のチームになって、二人一組の連絡体制になる。
その二人一組の時の相方を、バディと呼ぶ。
それか! ひとつ判明!
しかし、表面的には曖昧な相づちに終始していたためか、彼女にはお気に召していただけなかったようだ。
不機嫌そうに眉を潜めて、腕を前に組み、ため息を吐かれてしまう。
「はっきりしない男ねぇ! そんなんじゃ、討伐隊なんてやっていけないわよ」
「あー……ハイ、すみませ……」
お叱りを受けて、身を縮めようとした所で、聞き捨てならない単語に気がついた。
「討伐隊!?」
今、討伐隊、って言いました!?
討伐隊ってあれだよな、ボグを討伐するためだけに組織された。僕らが朝からこうやって、汗水垂らしてひどい目に遭ってる、その元凶!
まさか、この女性……?
「ん? 何よ。その短剣『エピロギ』でしょう? それを持つのは討伐隊以外にいないじゃない」
「『エピロギ』……?」
全く耳慣れない言葉だ。なんだそれ。
それを持つのは討伐隊? 違う、僕は……。
「おぉーい、ギリアン! 無事かー?」
次にタイミング良く聞こえた声は、聞きなれた声だ。
さっきも、通信機越しに聞いた声。
同じ研究所の同僚、ザカリーだ。
「おぉーい! ザカリー、ここだ!」
僕は、大きく上に空いた穴に向かって手を振ると、同じように手を振り返す同僚たちが、ちらりと見えた。
助教授もいる。みんな、穴の縁よりは、だいぶ遠くにいるようだ。
「穴の辺りが、抉れたようになってるんだ。ケガは、ひどいんじゃないか? もう少し待ってろ」
心配そうにそう言って、引っ込むザカリー。
近くの木か何かに、ロープでも括り付けるのだろう。
ほっとして、それを見送っていると、横から、窺うような声が聞こえた。
「……研究所……?」
先ほどまでのフレンドリーさが、身を潜めている。
なるほど? 誰かと間違えていたんだな? で、今気がついたと。
「はい。『未確認危険生物対策研究所』所属研究員、ギリアン・ラムです」
にっこり笑って言ってやる。
朝からの作業で、討伐隊への恨みは溜まっている。
第一、この、灰色のツナギを見れば、討伐隊には『研究所の作業員』だと言うことが伝わるはずなんだけどな。討伐中に作業することだってあるんだから。
間違って攻撃されないように、徹底周知されているはずなんだから。
たじろいだように後ずさる美女を、睨んでいる間に、上から一本のロープが降りてきた。続いて、二本目も。
「ギリアン、3人降りるから、ロープから離れてろよ」
三本目は、僕の後ろ、巨大サルの方に……って、あれ?
「えっ……サルは?」
「?」
あんなに存在感のあった、『ボグ』の巨ザルは、跡形もなく消えていた。
それに、
「あの女性もいない……」
ついさっきまで、睨み付けていた相手も、いなくなっていた。
救助に来てくれた3人が、僕のそばに来てくれたとき、まるで狐につままれたような顔をしていたそうだ。
「どうした? 怪我は? 足だったな?」
「右か? 左か?」
「頭打ったか? 無理せず座れよ」
3人から、いろいろ心配される。
この3人とは、今日は何度も出会った。『ボグ』を運ぶためのバンに待機して、運び上げるための要員だ。少量ずつ引きずってもいい僕らと違い、持ち上げる作業を繰り返すために力の強い人間を集めてある。
彼ら3人なら、僕に意識がなくても、穴から脱出できるだろう。
言葉に甘えて座った。へなへなと、腰が抜けたような座り方になったので、3人ともさらに心配そうな顔になった。
「ホントに大変だったな、ギリアン。もう大丈夫だからな、安心しろ」
「軽く手当てするからな……右か? ん?」
「ギリアン、その、右手のはなんだ?」
言われて、右手を見る。
そこには引っ付いて離れなくなった短剣。
夢の中のような、この穴の中での出来事で、唯一残ったのはこれか。
「なんなんだよこれは……」
指を全部広げて、振ってみる。離れない。ホント何なんだ。
「引っ付いてるのか?」
3人のうち、僕の右手後方にいた一人が、短剣に触ろうとした。
ら。
「……ッ! いってえェエエ!!」
その、ほんの少し触れた指から、鮮血が溢れ、僕の視界に映った。
僕は、それで、
「血……が……ッ!!」
気を失い、
次に気がついたのは、研究所の奥にある、隔離室の中だった。
……謎の回収、されませんでした!
それどころか、増加しました! oyz
申し訳ございません oyz