2. Epilogue
2.
待ちに待ったクリスマスの日。
外は雪が降っていて、極寒のモントリオールは街中あたたかいイルミネーションで彩られていた。
僕は目が覚めてすぐに、リビングへと飛んで行った。
昨日の夜吊るしておいた靴下が、ぱんぱんに膨れ上がっている。
ツリーの下にも、赤や金や銀のぴかぴかの箱が所狭しと積み上げられている。
「サンタクロースが来た!」
僕はプレゼントに飛びついた。
僕はもう既にサンタクロースが誰なのか知っている年齢だったけど、それでも嬉しくて仕方がなかった。
リビングのカウチでテレビを見ていた母さんが言った。
「AJ、ちょっと待って。プレゼントを開けるのはサユキが起きてきてからにしましょう」
僕は固まった。
「は?なんで」
「だって、プレゼントは皆で開けた方が楽しいでしょう。それにサユキは、カナディアンクリスマスは初めてだし。ねえ、父さん」
「そうそう。そうだ、そろそろ起こしてくるよ」
母さんの隣に座っていた父さんが腰を上げて、サユキの部屋へ向かって行った。
僕はふくれっ面で、母さんの隣に座った。
「・・・ねえ、母さん」
僕は母さんの肩にもたれかかりながら、甘えた声を出してみた。
「なあに、私の可愛いトナカイちゃん」
母さんはふざけて言った。
「僕、トナカイじゃないもん」
「ふふ、じゃあなあに?」
「ライオンだぞー!」
僕は母さんの肩に飛びついた。
母さんはくすくす笑っている。
「・・・あのさ、なんで、サユキはうちにいるの?」
母さんの肩に顔を押し当てて、僕は言った。
母さんは少し黙ってから、僕の頭を撫でて、
「AJ、あなた、今朝おじいちゃんの顔見た?」
僕は顔を上げた。
「おじいちゃん?まだ見てないけど」
「もう起きてくるわ。ちゃんとご挨拶なさいね」
挨拶だなんて、子供じゃあるまいし、言われなくてもできるよ・・・と言いかけたところで、僕は気付いた。
モントリオールに来てから、僕はおじいちゃんにおはようを言っていなかった。
朝起きて、何をしていたっけ・・・DSしたり、テレビを見たり、雪だるまを作ったりしていた気がする。
でも、それとサユキの話と何の関係があるんだろう?
気が付いたら、リビングには父さんと、車椅子に乗ったおじいちゃんとそれを押すおばあちゃんと、頭に寝癖をつけたままのサユキがいた。
「メリークリスマス!」
父さんがそう言って、サユキの頭にサンタクロースの帽子をかぶせた。サユキは驚きながら、素敵な寝癖直しね、と言った。
サンタの帽子、僕がかぶりたかったのにな。僕は口を尖らせた。
「さ、AJ、プレゼントを開けましょう。サユキも」
僕は今度こそプレゼントに飛びついた。
サユキも自分宛のプレゼントをひとつ拾い上げて、丁寧にひとつずつセロテープやシールをはがしていく。まどろっこしくて僕はいらいらした。
僕は包装紙をびりびりと豪快に破いていった。
「サユキ、プレゼントの包みはAJみたいに派手に破っちゃっていいのよ。それが醍醐味なんだから」
母さんが笑いながら言った。
サユキは一瞬戸惑った顔をしたあと、えーいと声を上げてちまちま破っていった。
「あ、スカート!」
サユキは声をあげた。
それはおじいちゃんとおばあちゃんからだった。
赤くて、スコッティッシュなチェック模様のスカートだった。
「ありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん」
サユキはおじいちゃんとおばあちゃんにハグをした。おじいちゃんはにこにこ笑っている。
僕はさっき破いたばかりの自分のプレゼントを開けた。中身は、頭のてっぺんにポンポンの付いた帽子だった。
「帽子だ!」
僕もサユキに負けずに声をあげて、早速その帽子をがぼっとかぶった。
プレゼントについていたクリスマスカードを見ると、おじいちゃんとおばあちゃんからだった。
僕は立ち上がって、おじいちゃんのところまで行った。
「やあ、おじいちゃん」
僕は妙な気持ちになった。
こうやって、おじいちゃんの顔を真正面から見るのは、久しぶりな気がした。
おじいちゃん、こんな顔してたっけ。
小さい頃いつも一緒に遊んでいた顔は、しわくちゃになって、髪の毛も真っ白で、目もしょぼんとしていて、なんだか疲れているように見えた。
だけど、昔と同じように、にこにこ笑っていた。
「あ、えっと、まず、おはよう」
後ろで母さんがくすりと笑ったのが聞こえた。
「帽子、ありがとう」
「どういたしまして、AJ」
いつもどもっているおじいちゃんの声が、なんだか妙にはっきり聞こえてきて、僕の耳の中でリフレインした。
おばあちゃんと母さんとサユキは、クリスマスディナーに向けて準備を始めた。
父さんも、丸焼き用の大きなターキーをさばく手伝いをしている。
おじいちゃんは部屋に戻って休んでいるようだった。
僕もお手伝いで、テーブルのセッティングをしていた。
サユキと。
「あの、AJ、ナイフとフォークって、こう置けばいいの?」
僕は見向きもせずに、うん、と答えた。
「ナプキンは?こう?グラスは?」
うっとうしくなって、僕がセッティングした席を見せた。
「こうだよ。こう置くんだよ」
「そうなんだ、ありがとうー。日本と全然違うから、わからなくて・・・」
日本の食卓でも、食器の場所は決まってるんだよ。なんだかおもしろいね、と言って、サユキは楽しそうに笑った。
何がおもしろいのか全然わからない。
僕は黙々とセッティングを続けた。
早く終わらせて、またDSやろう。
「ねえ、AJ」
作業をしながら、サユキが何やら話しかけてくる。
発音が下手で、なんだか聞きづらくて気持ち悪い。
「おじいちゃんね、日本に行ったことがあるんだってね」
日本に行った?そういえば聞いたような・・・
サユキと普段そんな話してたんだな。
「おじいちゃん、若い頃ジャーナリストだったんだってね。それで、サッポロオリンピックのとき、日本の北海道に来たんだって。北海道って知ってる?日本の一番北にあって、寒いところなんだけど、あ、モントリオールほどじゃないけどね。それでね、そのとき出会った日本人は皆親切にしてくれて、料理もおいしくて、ホテルやサービスも立派で、すごくよかったって言ってた。それ聞いて、なんだか嬉しくなっちゃって。おじいちゃん、他にもたくさん色んな国に行ったんだって。すごいよねえ・・・」
「知ってるよ!」
僕は大声をあげて、サユキの話を断ち切った。
サユキは驚いて手を止めて、目を丸くして、こちらを見ている。
「AJ?」
おばあちゃんがキッチンから顔を出した。
僕はセッティング途中のナイフとフォークをテーブルの上にばらばらと捨てて、地下室に駆け下りた。
なんでなんだ、なんでこんなにいらいらするんだろう。
僕はベッドに寝転んで、枕に顔を押し付けて、考えていた。
サユキのせいだ。サユキがこの家にいるから・・・
なんでサユキがいたらいらいらするんだろう?
別にどうだっていいじゃないか、日本人がいようがいまいが。
ただ、なんだか、悔しいんだ。
なにがなぜ悔しいのかわからないけど、悔しいんだ。
いらいらを紛らわそうとして、DSに手を伸ばしたところで、ドアがノックされた。
「AJ、いいかしら?」
おばあちゃんの声だった。
僕は、うん、とつぶやいて、DSのスイッチを入れた。
「入るわよ」
おばあちゃんは手にマグを持ってゆっくりと入ってきて、ベッドに座った。
「AJの好きなホットチョコレートを入れたわ。飲むかしら」
「飲む!」
僕はDSをぽいと放って起き上がって、マグを受け取った。
「あちち」
「慌てないで。やけどしないようにおあがり」
ふーふーと息を吹き込みながらチョコレートを飲む僕を、おばあちゃんは穏やかな目で見ていた。
きっとこのあと、サユキのことで怒られるんだろうな。
母さんは怒ると怖いけど、おばあちゃんなら咎める程度で終わる。だから僕はおばあちゃんが部屋に入ってくることを許したんだ。
おばあちゃんに注意される覚悟を決めながら、僕はチョコレートをすすった。
「AJ、その帽子、よっぽど気に入ったのね」
おばあちゃんは僕のかぶっている帽子を指した。
さっきおじいちゃんとおばあちゃんがくれたクリスマスプレゼントの帽子、実はずっとかぶったままだったのだ。
「うん。ありがとう、これ。すごくあったかいや」
「そう、よかった」
おばあちゃんはにっこり笑って、
「その帽子ね、おじいさんが選んだのよ」
「え・・・」
僕は驚いた。
てっきり、おばあちゃんが買いに行ったのかと思ってた。
「ダウンタウンにショッピングに行ったときね、おじいさんが、この帽子はAJに似合いそうだ、って言って、買ったのよ。だから、AJに喜んでもらえて、おじいさんもすごく嬉しいと思うわ。」
「おじいちゃん、車椅子で外に出たの?」
「ええ。雪が降っていたから、大変だったわ」
僕は何も言えなくなった。
おじいちゃん、サユキのプレゼントだけじゃなくて、ちゃんと僕のも買ってくれたんだ。
「AJ、よく聞いて」
おばあちゃんが優しい声で言った。
「おじいさんね、病気になってから、あんなに笑ったのは久し振りなのよ」
「そうなの?」
「そうよ。特にサユキが来てからは、本当によく笑うようになったわ」
サユキの話になって、僕は少し身構えた。
「・・・おじいさん、病気になって、どもってしまうようになってから、あまり人と話さなくなったの。皆、何をしゃべっているのかわからないからって言って、おじいさんとお話をしようとしなくなって。ひどいときは、うっとうしがられてね。だから、おじいさんはどんどん無口になっていったのよ」
おばあちゃんは悲しそうに、窓の外を見た。
「寂しかったでしょうね、おじいさん」
曇った窓ガラスの向こうでは、しんしんと雪が降っている。
「でもね、サユキは違ったの。サユキは、英語がパーフェクトに分かるわけでもないのに、一生懸命おじいさんの話を聞こうとしたわ。おじいさん、とても喜んでね。嬉しそうに、サユキとたくさんお話をして、たくさん笑うようになったの」
僕はマグを両手で包んで、下を向いた。
そっか、僕、何が悔しいのか、わかった。
ほんとはサユキじゃなくて、僕が、おじいちゃんにたくさんお話してほしかったんだ。
僕の役割を、サユキに取られちゃったような気がしてたんだ。
それなのに僕は、おじいちゃんと話すのが面倒くさいだなんて思ってしまっていた。
「だから、おばあちゃんね、サユキにはとても感謝してるの。本当の孫みたいに、愛しているのよ」
おばあちゃんは僕の頭をそっと撫でて、
「さあ、わたしの可愛いAJは、これからどうしたらいいと思うかしら?」
僕はすぐに答えた。
「おじいちゃんの話をたくさん聞く。たくさんお話する」
顔を上げて、おばあちゃんを見た。
おばあちゃんはにこにこ笑いながら、うなずいている。
「それから、サユキにごめんなさいを言う」
「そうね」
「あとは、働き者の日本人みたいに、たくさん家のお手伝いをする」
おばあちゃんは笑った。
「カローシしないようにね」
クリスマスが終わって、ニューイヤーが来て、サユキのホームステイにも終わりが来た。
サユキが学校の寮に戻る日、サユキのフェアウェルパーティーが開かれた。
サユキはおじいちゃんにもらった赤いチェックのスカートを履いていて、いつもより大人っぽく見えた。
おばあちゃんが僕の背中をそっと押してくる。
僕はおずおずと歩み寄って、
「サユキ、これ」
小さな箱をサユキに手渡した。
それは、小さなチョコレートだった。
「甘くないやつ、おじいちゃんと僕とで、選んだから」
その日、おじいちゃんは体調が優れなくて、病院にいた。
僕はなぜだかサユキの顔を見ることができず、うつむいていた。
すると、サユキはしゃがんで、僕と目線を合わせた。
吸い込まれそうに真っ黒い瞳に、僕はどきどきした。
「ありがとう、AJ」
サユキはにこっと笑って、
「おじいちゃんや、家族みんなと仲良くね」
と言った。
「・・・あのさ、サユキ」
僕はひとつ、聞きたいことがあった。
「なあに、AJ」
「サユキ、って名前、どういう意味?」
僕は日系の友達から、聞いたことがあった。
日本人の名前には、たいていカンジというものがあって、ひとつひとつ意味が決まっているのだと。
サユキ、という人の意味するところに、なぜだか興味があった。知りたいと思った。
「"powdery snow"」
サユキはきれいな発音でそう言った。
その日も、モントリオールは細かい雪がちらちらと降り続いていた。
Epilogue
あれから12年、僕は今日本に住んでいる。
日本の大学に、留学生として通っている。
おじいちゃんは、僕が中学生のときに天国へ行ってしまった。
それまでの間、おじいちゃんは僕とたくさんお話をした。
時々、沙雪の話もした。
沙雪の話をする度、おじいちゃんは目尻にたくさんしわを寄せて、砂粒のような細雪の降る窓の外を見ながら、懐かしそうに笑っていた。
そんなおじいちゃんを見て、僕も笑顔でいた。
沙雪とは今でも仲良くしている。
クリスマスには、2人でモントリオールに行ったりもする。
石畳に雪が降り積もる中、僕と沙雪はおじいちゃんのお墓を訪れる。
「おじいちゃん、」
沙雪は墓石から雪を払って、丁寧に拭いて、花を添える。
「どうか、私たち夫婦を、見守っていてください」
作者は2年前のちょうど今頃、クリスマスの時期に、留学でカナダに滞在していました。
モントリオールのおじいちゃんにはそのとき実際に出会いました。
ホストファミリーの親戚のおじいちゃんで、病気をして以来車椅子生活をしていて、滑舌もかなり悪くなっていました。
そのせいで、おじいちゃんの周囲の人たちは、おじいちゃんの話をあまり聞こうとしなくなった、とおじいちゃんの息子さんが言っていました。
そのせいで、おじいちゃんはどんどんふさぎこんで、無口になっていったと。
だけど、おじいちゃんは、わたしにたくさんのお話をしてくれました。
わたしはなんとか英語を聞き取って、お話を聞きました。
若い頃ジャーナリストだったこと。
札幌に行ったことがあること。
古いアルバムを見せながら、嬉しそうに話してくれました。
別れ際、おじいちゃんの息子さんにお礼を言われました。
あんなに元気を取り戻したおじいちゃんは久しぶりに見たと。
そのときのお話を脚色して書きました。
おじいちゃんはちゃんと今でも健在です。
ちなみにAJは最後まで懐かなかったホストブラザー(13歳)がモデルです。いつもゲームばかりやってました。




