少年は世界を知った
……いつからか、地球から見上げる空が、青く澄み渡ることはなくなった。常に薄く雲がかかり、完全な快晴などない。雨が降るときは常に豪雨で、太陽が薄い雲から照り付けるときは、有害な紫外線を含んでいた。
「あーあ、青空が拝みてぇなぁ。俺の時はもっと……」
青年は空を見上げ、ため息をつき、また歩み始めた。この歩みを、止めるわけにはいかない。
ここは22世紀、地球。文明は途切れ、世界の支配はAIが打って変わった。人間たちはAIによる殺戮により、住む場所を追われ、AIによる支配の町から離れた最果ての土地に、人々は町を作った。しかし、貧しい暮らしの中で助け合うこともままならず、人間の数は、刻一刻と減りつつあった。
「今日は日差しが強いな。朝かよ……だりぃな」
バラック小屋のなかで一人起き上がる少年。隣には小さなロボットがいる。
「現在の時刻は、7時21分。ちょうどいいお目覚めですね、カイさん」
「まぁなぁ。いつも通りってとこか」
「今日は何をなさいますか、カイさん」
「父さんと母さんと一緒に、畑仕事!」
AIロボットの質問は、いつもどこかイライラする。言わなければわからない、旧式のAIロボット。これくらいしか、今の人間に扱えるAIはない。現在のAIは高度だ。自律思考を持ち、人間では到底理解できないほどの知識を持つ、もはや生命体。
「それでは、畑の仲間たちに、今日のプログラムを伝えておきます。良い一日を、カイさん」
「はいはーい、行ってきまーす」
けだるく、ゴーグルを持ち、小屋から出る。今日は砂嵐、防塵マスクを着け、日に当たらないよう長袖の上着を着る。そして、10分ほど歩き、畑へと到着する。
畑は、ビニールハウスで、その中はAIが調整しているため、周辺は作物が育たなくとも、ここだけは作物が育つ。それを売り、カイの家族は生計を立て、一日をやり過ごす。
……本当は、ほかに食材を売るほど、有り余っているわけではない。常に、金欠と、食料の危機にある。それでも、それしか生きる手段がないのだ。
「カイ、よく眠れたかい? 昨晩は落雷があったけど」
父、セイに、カイはそっけなく「まぁね」と答えた。ここ数十年は異常気象で、雨が降るときは常に大雨、晴れるときは有害な紫外線が降り注ぐ日差し、とても、まともに生活ができる世界ではないが、技術により作った服や薬で、何とか過ごせてきている。
「いいわよねぇ、火星はこんなことないんでしょ? 私たちも火星に行けたら……」
「母さん、そんな夢みたいな話、やめなさい」
「お父さんだってそう思うでしょ? 火星に行けたらなーって」
「だから、そんなの夢だってば」
母、アキは常に空を見上げ、遠くの火星に思いをはせる。空には、昼間でも明るく光る星がある。火星と地球の情報を繋ぐ、人工衛星。あれを見ていると、どれだけかすんだ空で、星が見えなくても、確かに火星に人類が移り住んだことを実感させる。
21世紀末、増えすぎた人口を分けるために、各国首脳は、審査で選ばれた人間だけを、火星に送った。審査で選ぶと言っても、国の政治家や、企業の大金持ちなど、選ばれたのはどう考えても富裕層だ。今の文明の最先端は火星で、こっちは忘れらされた星だ。
「バカバカしい、火星も、AIの支配も、バカバカしい。俺たちが生きればいいんだよ。他なんてどうでもいい」
カイの考え方はいつもこうで、他人なんてどうでもいい、こっちは何とか普通水準で暮らせてるんだ、わざわざ他人を助ける必要もないし、助けられる必要もない。といった、少々冷酷な考え方だった。人間に、世界に、この若さで絶望してしまった。そんな少年だ。
「じゃ……じゃあ、カイ、私たちは今から、育てた野菜、売ってくるから、畑と家畜小屋のAIがちゃんと機能しているか、見ていてね」
「うん、母さん、父さん、行ってらっしゃい」
アキも、自分の息子とは言いながら、こんな冷酷に育ってしまったことに、少々恐怖を抱いていた。それをぬぐい切ろうとも、ぬぐい切れない。
「お父さん、やっぱりカイって……」
「あぁ、言いたいことはわかるよ。AIみたいだって言いたいんだろ。俺たちから自由を奪った、機械みたいだってさ」
小さな声で会話しながら、アキとセイは電気自動車に乗り、人が集まる市場へと走っていった。
「バカみたい。全部その会話、聞こえてるんだよ」
そのゴーグルからは、先ほどの両親が小声でしていた会話が録音されていた。機械調整ができるカイは、それくらいの改造など朝飯前だ。
カイは言われたとおりに、AIがちゃんと機能しているかを見る。餌を家畜のバイタルを見て与えるAI、水を自動でやるAI、ビニールハウスの中の環境を整えるAI。すべてまともに機能している。
やることもなくなると、日が陰り始めた。これくらいの曇りが丁度いい。邪魔な太陽も、ひどい雨もない、一番いい天気。
「おぉ、この辺に人がいたのか。いやー! よかったよかった!」
そこへ、いい天気をまるで邪魔するかのような声が聞こえた。カイの一番嫌いな声、助けを求める人間の声だ。
「あぁ、バカみたい、腹が立つ。何、おっさん」
いつの間にか目の前に立っていたのは、日差しを遮るための薄汚れたローブに身をつづんだ青年だった。しかし、全く困った様子もなく、肌の色つやもよく、汗もかいていない。
「おっさんとはひどいなぁ! まぁ、別に水を求めてきた、とか、食い物を求めてきた、とか、盗人でも なんでもないから安心しろ」
「で、何、おっさん。この辺じゃ見ないけど、なんか用?」
このあたりにこんな見た目の人はいない。どこかから逃げてきたならなおさら関わりたくない。
「まぁ、子供にちょっと質問しててよ。お前はどう思う、この世界」
ずいぶんと不思議な質問をする人だ。こんな質問、親にだってされたことはない。カイは少し疑問に思いながらも、正直に答えた。
「どう思うって、絶望的でしょ。AIに人間が支配されるとか、何で自分より上のもの生みだしたの? バカじゃないの、人間ってさ」
「あーやっぱ、だよねー」
笑顔でその話を聞く。ずいぶんとこの世界にとっては不利益なことを言っているのに、笑っている。こんな話、この世界で聞きたくないはずなのに。こいつの神経どうかしてるんじゃないか? 不気味なその青年に、カイは疑念を抱いていた。
人間の町では、国を支配するAIについては、話し合わない約束だった。現実から目を背けたい、その思いだけで、その存在を封じた。子供たちは事情をよく知らず、ただ、住む場所を追われたのだと教わった。
……自発的にすべて知ろうとした、カイ以外は。
「じゃあ、AIに戦い挑むとか、そういうのない?」
「レジスタンスの勧誘ならお断りだ。今、国を支配しているAIなんか、戦ったら負け確定だし、俺は今の生活が、良くなるのも悪くなるのも望んでないし」
レジスタンス。人間だけの町にはそういった集団で守りを固めているところもあるようで、いつか、国を占拠したAIを倒そうと奮闘している集団だ。「バカバカしい」とカイは言う。無謀な戦いなんて、やったって無駄、今の生活が、なおさら悪くなるだけなのに。
「じゃあ、変化を望まないわけか、カイは」
「……いつから俺の名前を?」
「一つ言っておこう。変化を望まないなんて人間じゃない。お前はもう、人間じゃないんだよ」
「バカみたい、何言ってんの? 俺の体は機械じゃない、人間だ!」
それだけは言ってほしくなかった。触れられたくなかった。怒鳴り散らすも、青年は尚も笑顔で、続ける。
「人間は常に追い求めてきた。理想を、進化を、変化を、夢を。その願望も、ましてや欲さえないなんて、お前は人間じゃない、そこら辺のAIと一緒だ」
そして、真剣なまなざしで、カイを見つめた。
「よく考えてみな、俺がどうして、こんなこと言いに来たかってな」
「……」
言い返す言葉はない、それは確かにその通りだ。それを自分自身が一番よくわかっていた。カイは絶望していた、この世界に。どうして大人は、現実を子供たちに教えないのか。それを疑問に思ったカイは、すべてを調べつくした。そして、考えて、理解して、それでも希望はないかと調べて、探して、そして絶望した。
今の人間の力では、AIの支配からは逃れられないと。いつしかAIは、すべての人間を支配し、支配しきれなかった人間は殺すのだろう。いつしか自分も、そういった運命にある。今の何とか食いつなぐ暮らしでは、この先到底、生きていけないのだと。
すべてを知った子供は、未来に絶望した。きっと人生、長くもないのだ。ならば、自分だけが生きることができればいい、弱者なんてほっとけばいい。
……まるで、人間を選別した、火星に行った人間たちのように。まるで人間を支配した、AIのように、その心は機械的で、絶望した機械に、血も涙もない。
カイは、人間でありながら機械だった。
「あー、まぁ、言ったら悪かったか。気にすんな、それは今から、どうとでもなる」
「……AIに支配される未来は、もはやどうにもならねぇよ。何がどうとでもなるだ。バカなのか?」
すると、青年は突然、ゲラゲラと笑い出した。腹を抱え、体をよじらせ、それはそれはオーバーリアクションに笑った。カイには、それが演技にしか思えなかった。
「なんだよ、おっさん。気持ち悪い」
「あっはは、いやぁね、なんか、こんなやつでよかったよ」
「訳が分からない、何言ってるんだ、お前」
青年は突如、目つきを変えた、真剣な目つきで、カイを見る。そして、ニヤリと笑った。
「喜べ、お前は選ばれた。この世界を変える、革命者に」
「はぁ?」
「俺の名前は、リー。中華系の人間と思ってくれ。俺がお前を、そして世界を変えてやる」
突然言われたその言葉を、理解するのは到底不可能。そのリーと名乗る青年は、さらに謎に包まれる。そこに、疑念はなかった。確かにその目は、正直だ。まったくもって、嘘偽りなどない。
青年は、本気だった。世界を、変える気だった。
「俺が世界を変える? バカなこと言うなよ」
「まぁ、信じられねぇわなぁ。でも、直に信じるよ。お前は知る必要がある。この世界を、いいや、この家を、かな?」
「もう、知ることなんて……」
「ないか? 自分の名字すら忘れたくせに? それは知らなくてもいいのか? もったいねぇなぁ」
人間たちは、自分の名字を忘れていた。戸籍もないうえに、特別な住み分けもないため、ただ名前だけあれば、事足りた。この日本領土には、かつて多くの名字があったとされる。その名字を名乗るものは、果たして、この領土にいるのだろうか。
必要なくなった名字に、特別な思い入れなどなかった。だが、それを、青年は知れという。
「ま、とりあえず、住むところを貸してくれ。1カ月歩きっぱなしだ」
リーはそのまま、カイたちの住むバラック小屋へと歩いていく。まるで、すべて知っているかのように。ただ、カイは圧倒されていた。リーの考えなど読めない。口答えが精いっぱい。考えなど回らない。彼はいったい、何者で、何をしようとしているのか。
────その謎の青年との出会いは、少年の人生を、大きく変える。