名に嬉し、隠れ蓑は童心を
俺の名は、素晴らしい。
生まれ落ちた森と意識を繋ぐなどと、嘗ての人間は考え成し得ただろうか?
否、無理だろう。何故なら人間は森と生きてはいないからだ。
己らの都合の良い様に自然を壊し、変えてしまう人間が偉大なる自然の森と意識を繋ぎえるか?
否、無理だろう。
だから、彼の名付けはとても素晴らしくて、俺は“新たなる人生への喜び”と“新たなる人生へ改まる心”を沸かせてもらったのもあるから、大変に満足しているのだ。
「“ノクァ’ヅィマ”……へへ、ふへへ “ノクァ’ヅィマ” かぁ……良い名前だぁ……」
側から見たら『気持ち悪い』と思われるであろうぐらいの“にへら笑い”を零して、俺は“与えられた名前”を囁く様に反芻している。自分では、決して己の表情の緩み具合には気づかないだろう。
「“ノクァ” 気に入ってくれたか?」
彼……『ィン’デルカ.ジジ』さんのそう聞いてくる声はとても穏やかで、嬉しさが溢れていた。だから俺も有りの儘の喜びと感謝の気持ちを再度伝えるのだ。
「いやぁ、とてもとても気に入りましたよ! 込められている意味も深くて純粋で、響きもなんてゆーかこう……元の名前に近い感じで違和感が無いと言うか!」
「あっははははっ! そっか! ノクァが気に入ってくれてるなら名付けた俺もツノが高いってもんだ!」
デルカさんは嗄れ声ながら大笑いしたあと、嬉しそうにそう言った。
鼻じゃ無くて“ツノが高い”って言うんだな、こっちの人って。……言えども、そんな事は気にもならないが。少しばかり驚きに呆然唖然としてしまったが、彼らなりの文化上そう言うのだろうから、気にはならない。
気にならないと言えば、俺は自身の喉から発せられる可愛らしい女の子特有の喜び燥ぐ小鳥の様な声が、全く気になっていない。それは不思議と不快な声では無いからであるし、又は……今は名前を付けて貰った事の喜びの方が大きいからでもある。
因みに
今現在、俺はデルカさんと二人で肩を並べて……少し気恥ずかしながらも彼と手を繋いで、川沿いを下る方向へと歩いている。いや、俺が手を繋ぎたい訳じゃ無くてだね、この人が『手を繋いで行こう、ね? ね?』と言い出してだね……まあ、しょうがなく、ね。
んで、デルカさんが言うには此の川沿いに沿って下って行くと小さな村が有るとの事で、彼は其処に住んでいるらしいのだ。『川ぞいには村なり町なりが有る筈だ』と言う俺の推測は正しかったんだな……。
そんでこの人は『ビツゥ』と言う動物の様子を見に森へ来たら、俺に遭遇した……と。
俺は彼の口から飛び出した『ビツゥと言う“動物”』がどんな生き物であるか? が物凄く気になってしまったが、それは今聞く必要があるかと言われれば、無いので聞かない。
それにしても……
「あ、あの、結構歩くんすね……」
そう何気なく、探る様に聞いたら驚きの答えが返ってきた。口に出して良かったような、悪かったような……そんな返答だった。
「ん? ん〜、そうだな。ごめんなぁ、村まで一日要するんだな、これが」
一日要するとか聞いてねえ。そりゃ俺が質問していないから知らなくて当たり前だけど、そんな距離とはこりゃ参ったねぇ。何も困りはしないけどさ。
しかし、同時に俺はこんな疑問も抱いた。『一人でこんな森の奥まで来るのは危険じゃ無いのか?』と。流石にその背負っている大きなバッグに色々と詰め込んで来てはいるんだろうが、見た所、武器らしい武器は腰に下がっているシースナイフぐらいか。
熊が出て来たらどうするんだぁ! 熊がぁ! 『そんときゃ目を瞑るさ』ってかぁっ?
大丈夫なのかなぁ……。
「あの、思ったんですけど、一人で此処まで来るのにそのナ……刃物? 一本って心許無い様な気がするんですが……」
なので、俺はおずおずとそう聞いて見ると……彼としてはその事について然して問題としていないらしかった。
と言うのも、歩きながらに教えて貰ったのだがこの森には自身らの敵対種である『ガグズ』なる種族はいないのだとか。
俺は“彼”のみならず己の体の種族すら良く分かって居ないのに、先程は『ビツゥ』なんて名の種族が飛び出し、今度は今しがたの『ガグズ』だ。姿形が全く分からない連中の名前だけが次々ポンポンと出てこられたんじゃ頭が混乱してしまう。
しかし彼の話は止まらず続いたので仕方なく俺も聞き流すと、そのガグズと言う種以外は自分らの種族の大きな脅威では無いのだとか。
そこで俺は、川に出るまでに見つけて不気味と感じてしまった『動物』を聞いてみることにした。
つまりコイツだ
“ どんな奴かと言えば、まず素っ裸の人間を思い浮かべろ。そしたら其奴をチンパンジーみたいな姿勢にして、ケツ辺りからクソ長え“尻尾”を生やせ。んで、目玉は人間よりずっとデカくて目力有るぜ。イメージとしてはメガネザルが一番近いかな。耳もちょいデカくて。最後に其奴の全身に肌色の短毛をびっしり生やして、肌のたるみ皺を要所要所に加えりゃあ完璧、『俺の見た奴』と一緒だで ”
森で見た『奴』だ。
そんな動物の姿を、砕けた口調ではなく今度はきちんと失礼の無い様に、彼が思い浮かべやすい様に特徴を上げて話して行った。
話しながらでも俺の脳裏には未だくっきりとそいつの姿が留まり続けるのだから、初めて目に留めた時の衝撃度は凄かったのだろう。
「……て感じのヤ 生き物が居たんです! デルカさんはアレが何だか知ってます?」
「んぅ、よく知ってるよ。そいつぁ“ゥド・ビツゥ”だな。彼方此方に住んでる俺らの大事な食糧である“ビツゥ”の原生亜種で、より動物的な知能と身体能力を持ってるんだ。まあでも、あいつら大人しいし臆病だからこっちが見つける前に先に逃げてるよ」
はぁ、なるほどねえ。
俺は 一つ、思う。何をって?
いや『意外と文明レベルあるかもだぞ、この星』ってことさ。
説明不足だったが、彼の来ている服やバッグ等の縫製技術は俺が元居た『地球』と同等並みと見えるし、たまに彼が取り出す『何かしらの機械であろう物体』は俺の目からすればまだ若干レトロちっくなデザインだが、チラッと見ただけでも作りの質自体は割と高そうだったから、そう思えるのだ。
でだ! 何よりも『彼の情報量』だ。簡単に各種族の名称を言えるって事はだぞ? それなりにきちんとした施設や機関が存在して、色々な研究もされている筈なんだ。
もっと簡単に分かりやすく言うなれば……俺が元居た地球世界と殆ど同じ程度の文明を持っているであろう可能性が大きい……と言う事だ。良く考えればもっと早い段階で簡単に想像出来たのだろうが、俺は俺の問題で一杯一杯だったんだよっ!
兎も角として。
可能性として技術レベルがそれなりに高い世界であるならば、こんな幼女に生まれ変わってしまった俺でも以前とほぼ変わらぬ日常に生きて行けるチャンスがあるのだ!
俺はそんな期待を胸に彼と共に歩み続けながら、この世界の事を色々と聞いて行ったのだった。
結局の所、知り得る範囲はそれほど大きくはなかった。
教えてくれた彼も自虐したが『自分は片田舎の村に帰って来て実家の為に働いているただの小市民だ、学は有る方では無い』と。
だが俺個人としてならば、情報として知らぬ『この世界』を少しでも知る事が出来たので、全くもって有り難い限りだった。
……
村まで一日を要すると聞いて居たから覚悟はして居たが、まさか初めての夜を外で過ごす事になろうとは流石に思わなんだよ……。
空に絶妙なグラデーションの色調を変遷させて見せつつ、徐々に夜闇を濃くさせて行く最中にデルカさんに連れられて俺が訪れているのは、彼曰くの隠れ家である。
森へは良く来るのか、非常に簡易ながらも隠れ家的住処まで作ってあるのは、素晴らしい。やはり過去に失敗なり何なりと色々あった所為なんだろう。
「凄いっすねっ! うわー、隠れ家とか最高かよっ! 」
脳の何処かではヤベー奴扱いだが、それに優っていたのが俺の童心だったのでその隠れ家的な住処の様相や雰囲気に思わずワクワクし、口走ってしまっていた。
天然の大岩の窪みに垂れ苔の集まりや草木の切れ端等をカーテンとして有効利用した、ひどく簡素で簡易な隠れ家だ。しかし天然素材で覆われている為にカモフラージュ性は非常に高く、ぱっと見では其処に隠れ家があるなどとは到底分からないし思えない。それに中に入って分かったのだが、内側には灰色の厚手のシートが文字通りのカーテンとして下げられていた。曰く、防音性も備えた遮光シートだそうな。
では内部の方は? と言えば、それ程に広いとは言えない。所詮は大岩に空いた窪みなので精々大人二人で一杯一杯か、多少窮屈な程度だろうか。
だからだろう、岩の壁は大人一人分が座ったり横になれる程度の凹みが丁寧に掘削されていて、そこに……『あの森で捨てられていた大布』と同じ様な布切れが敷いてあった。
それとも、今なら『俺が簡易な服として纏っている大布』とも言い換えれるか?
あと『俺からすれば』だがこの窪み内部は普通に立っていられるぐらいに『頭上は広い』ぞ、あくまで俺の感想として。
なので背の高いデルカさんだと少し腰を屈めなければならない様で、僅かばかり腰が大変そうである。
……まあなんにせよ、一晩を過ごす程度の滞在期間なら全く問題ないのは確かだ。
「ノクァ、君はそこに座ってゆっくりしていて良いよ、俺は夕飯の準備するから」
その様にデルカさんに指差しで指定された場所は、例の大布が敷かれた“掘削された凹み”だ。返事をして大人しくそこに座ると、今や幼女と化している俺にとって居心地は文句の一つも言えない程に良く、幾多と敷いて有る布のお陰か岩の硬さなど尻に微塵も伝わって来ないのである。多分、“子供の体重”になったから、と言うのも有るだろうが。
「有難う御座います、デルカさん。今日は何から何まで……」
「はっはっはっ! 良いって事よ、気にすんな! 大人びた事言う子だな、ホントに!」
俺はあの独りの状況から救い出してくれたデルカさんにお礼を言うと、彼は大きなバッグから既視感ある形状の調理器具やら食器やらを出しながら、気にしなくて良いと言ってくれた。
俺は助けを求めてはいなかったが、あの未知の環境から来る孤独な状況に手を差し伸べてくれた上に『仲間』と言って精神的な余裕も与えてくれた事には、感謝を言っても言い切れない。彼と出会っていなければ俺は一人っきりで真っ暗な森を彷徨う羽目になっていたか、若しくは持ち得る最大限の知恵を駆使して必死こいての決死のサバイバルを敢行せざるを得なかった、のだからね。
助けは求めては居なかったが、助けられた事には何度でも強く感謝はするし、いつかは恩返しもしなければならない。上手く言葉には出来ないが、俺はきっと『助けを求めていた』んだ。だから彼が現れ声を掛けられた時……重かった心が雲の様に軽くなったんだ。
「いやあ、でもデルカさんには何れ恩返ししなきゃ……流石に罰当たりですよ……」
「くははっ! 罰当たりって! 俺は神様でも何でも無い、ただの小さな村の、一人の若い村人だよ。恩返しなんかされる様なこたぁ何もしちゃ居ない。同胞を、助けた迄だ」
笑いながらも、おそらく簡易な調理器具であろうそれに火を点ける動作は非常に素早く手馴れて居て、ものの十秒と経たずに綺麗な青い炎を灯らせた。
器具に円状に灯る青い炎は見る者を落ち着かせ、見る者の瞳と脳裏へ美しさを感じらせる物だと、俺は柄にも無い事を思った。
そして同時に、体へ暖かさを届けてくれている様にも、感じてしまった。