刻流れは気付かず早く
楽しく、それでいて何処か憂鬱な日々は過ぎていく。
ンビクゥヌ村で過ごし始めてはや十日が過ぎようとして居た。
その間、俺は “ビツゥの世話と力仕事” を除いた手伝いの殆どを経験してみたし、子供組……少年ガゥルと少女ベーレジェの二人とも相変わらず仲良く遊んだりもして居た。
当然 夕方になって家に戻ればやる事は沢山だ。家主であり、台地の森で救ってくれた恩人でもあるデルカさんと分担はするが、料理を作ったり、洗濯をしたり、掃除をしたりとやりがいのある毎日であった。
それから夕食を終え、お風呂に入り、後は寝るだけ……となるのだが、お風呂後から就寝までの時間は割とあるので、俺はその時間はデルカさんの集めて居たこの世界の本を決まった時間まで読み続ける事にして居る。
静かに、時に、分からない事は聞いたりもして。
そうだ。
この人の幼馴染であり、ベーレジェのお母さんでもあるククさんから頂いたお古の幾着をその間に来てみたが、どれも子供服とはいえ中々デザインは良く、またサイズも近くて着心地は大変良い。服の素材そのものも古い服と言えども状態は良く、何着かはお気に入りにもなった。
まだひと月と経っても居ないが、それだけ動き回り日常に任せて生きていればこの独特な体にも自然と俺の意識は染み込み、気づかずして慣れて居た。
特にこの獣耳は人間時代の耳と違ってある程度向きを変える事が出来るので、これは割と便利というか、使い勝手が良い。まあ無意識的に機嫌とか感情が現れるから簡単に内心を察せられてしまうのが短所ではあるが。
ツノに関しては……何だろ、特に言う事はない……はずがないだろうっ!
なんとない触覚はあるが叩かれても痛くはないが、ぶつけた時は結構 頭ん中に響く気はする。
それに側頭部の……人間で言う ほぼほぼ耳の位置辺りから生えてる、このツノさぁ……寝返りがうてないに等しいし、うつ伏せになれば下手すると枕に穴が空いたり 破いてしまう事も有るのだ。あと横向きに寝ようとする際にはちょっと枕を敷く位置を工夫しなければならず、またツノを台座の様にしなければならないので負担という意味でも、結構癖が強い。邪魔くさいし引っかかる時もあるしぶつけるしでもう散々や。
でもそんなこのツノ……気になる事が有る。
それというのも言われて気づいたことでも有るんだが、同じ歳くらいのベーレジェちゃん、実は彼女の握り拳くらいに短いのしか生えてない。
それどころか、そんな彼女と同い年という少年ガゥル君のツノは、彼自身の頭頂を越さない程度の長さしかない。将来立派なツノになるであろう事は推測できるが。
対して、だ。
俺自身の体のこのツノは、太さこそ二十二ミリ程度と細いが、その斜め上にクネリ伸びた長さは既に俺の頭頂から指三本ほど越して居るのだ。
なんでも特徴的には女性体のツノより男性体のツノの特徴に近いらしく、ましてこの子供の体躯で此処まで立派に伸びて居るツノは非常に珍しいのだとか。
そんな気がかりに一回、俺は一部の村の大人に性別詐称を疑われた。が、自分の体は自分が良く知って居るし、風呂場で何回も股間を確認したりして『女の子だ』という確信を確実に得て居るので、それを証明すべく村の大人一同(と言っても六、七人しか居ないが)の集まりに呼ばれた際に、排除すべきと騒ぐ野郎二人が出たんで、皆の前でパンツ脱いで見したりましたよ、このヤロー。
その二人がどうなったかと言えば、当然女性陣を全員敵に回したし、男性諸氏らすらからも引き目で見られて居たねぇ。もうこの村で生きていけないねぇ。
……
まあそんな事もありまして、それからも特に何が起こるって訳でもなく、平和な毎日が永遠の様に流れて行きまして……気づいたら十日どころか 二月も 三つ月も経って居たんですねえ。
怖いですねぇ。
でも充実していたんですねえ、俺の毎日は。
んで徐々に力仕事もそれなりにさせて貰える様にもなって来ましたし、初めの内は見る事も許されなかった『ビツゥ』の飼育状況と言うか、小屋とかの様子も見させて貰える様になったんですねぇ。……デルカさんが気を遣ってくれたのだろう と思いたい。
今更だけど。
でも まあ、なんと言うか、ビツゥの飼育小屋を初めて見た時は、すっごい不思議な気分になりましたよ。
そりゃそうでしょ。俺だって元々 人間 なんだ。
でも……なんと言って良いか。正直、本当にわからない、なんと例えるべきなのか。
『人間が家畜』は確かに漫画とかだと割と使い古されたってどこかで聞いた事はあった。
だけど、それらが辟易されるのは、所詮は『絵の中だから』だったのかもしれない。
絵の中、空想、設定、物語……どれでも根底は同じ『人間の空想の世界』だったからこそ、別に如何とも思わなかったのかもしれない。
だけど、俺は……俺は『現実』として 『人間』が家畜として飼育され、そして〆られ、そして食料として、俺たち亜人種『ゥペルヂェグナー』にその命を捕らえ繋げられて居る……そんな現実の世界に生きて、それを直視したのだ。してしまったのだ。
なんと例えたら良いのか、俺には 分からなかった。
ただ 『俺 いち個人にとっては異様な光景』としか、言えなかった。
本当に 家畜なんだな、と。
……
そんな感じで本当に何事かが起きる訳でもなく 二月 三つ月と過ぎていった。
それだけの月日を過ごしていれば当然、この身体にも、生活にも、環境にも全てに 順調に 自然と慣れていって『こんな質素な田舎暮らしも良いもんだ』と思い始めて居た。
村の皆は殆どの人が優しいし、親切だし、明るくて元気で……。
……
「ノクァ、どう? 慣れた?」
「……ぼちぼち ですかねぇ。っあぁ〜……一旦休憩 ふぅ」
早いもので この村での生活が早くも四ヶ月目に突入した そんなある日の夜。
デルカさん所有の本が詰まった本棚をようやく半分くらいまで読み終わって、今日も今日とて黙々と読書をしていたら、急に彼からその様な問いかけを貰ったので、正直に答えて、好機と見て休憩しようと文字の羅列から瞳を逸らし、仰ぎに瞼をきゅうっと閉じて、ため息をこぼす。
「四ヶ月目、ですか、もう」 「君が来てから、そうだね」 「はえーもんですなぁ、歳とると時間の流れが早いですよほんと」 「ぁははははっ! わかる、それ!」
この数ヶ月、俺はデルカさんと一つ屋根の下で共同生活を送って来た訳だが、俺はこの人に対して絶対的、とまではいかないがそれでもかなり強固な信頼を寄せる様になって居た。俺自身の元々の年齢もまだ若造ではあったが、だからか変に気負う部分も無く気楽に話をしたり出来る つまりは親友としての関係を確かなものにして居た。
村には、デルカさんと同じ年齢帯の若い男性はいない。彼一人だ。ガゥルは幼すぎるし、かと言って他の男性らは皆彼よりもずっと年上で、そう言う環境の所為もあって俺とデルカさんは親友となり得たので有る。
ちょっと、ちがうか? いや、俺自身は彼を親友だと思っている。だが、彼が俺をどう思ってるかは 実はあまり聞いた事がない。
もしかしたら、妹の様に感じられて居たりしないか? とふと思ってしまった。なにぶん俺達の身体の差異は非常に大きい。
俺は彼を見上げるし、彼は俺を見下ろす。
俺の身体は十つほどの女の子の体だし、彼の身体は三十前後の青年男性の体だ。
俺の声は流麗で愛らしいながら落ち着いた少女の声だし、彼の声は若干嗄れて居ながらも夏の穏やかな風の様に爽やかな青年男性の声だ。
俺は非力で頼りなく か細くてやわな少女の体だが、彼は細身ながら非常にマッシヴで筋肉質なガッチリとした体だ。
見た目からは、兄と妹の様にしか見えないのは 間違いない。
「……デルカさん、俺の事 妹の様に感じてたりします?」
ズバッと単刀直入に聞いてみたら、当の彼はしどろもどろになりそうなのを必死に抑えて視線だけを他所に向けて、答えた。
「え あ と、あの 俺はっ ははっ その、ね? へへへ いや、違うんだよ! 違う! ノクァは 親友だよ!」
「……ほーん、そうなんですかー。俺はデルカさんの事ぁ、背を預けられるほどの大親友と勝手に思わさせて貰ってますよ? 恩人であり、師匠であり、兄でもあり、だけど一番の大親友です」
「……ごめん、正直 ちょっとだけ……えと『妹が居たらこんな感じなのかなぁ』ってのは最近 感じてたりした。勿論、ノクァは大親友だよ! 大親友が尤もだけど……ね」
その答えを……『親友で有ること』を誇りに思えたし、嬉しくも思った俺は心を満足感に一杯にさせられて含み笑いをこぼしてしまった。
そして、一呼吸の後に、切り出した。
「俺、あと二ヶ月したら、旅に出ようと思います」