重い
「 助けて 」
無意識に動き、何かを掴もうと伸ばされた手。少女の切なく嘆願する声、其の呟き。
俺は、目を覚ました。『自分』の声と、其の動きに。
見知らぬ、暗褐色の木で成されている天井。規則正しく並ぶ木々の肌色は四方に在り、家だ と気付かされた。
何故こんな所に居るのかとも思ったが「あぁ、気絶したんか……」とも気付かされた訳だ。ヒトの解体現場を見た後で、何食わぬ顔で縄に切り落とされ吊るされた手足を持つ、恩人の『彼』を見て。
重く、短く、深い 溜め息が、自然と出た。
見知らぬ家の天井目掛けて伸びた腕は か細く、手指も幼く頼りない。
「はぁ〜…… なんっつー まぁ クソがよ……」
そのまま、伸ばされた腕を額に落ち着け、また目を瞑る。覚醒してしまった意識はもう眠らない。当たる、硬くざらりとした感触、頭の側頭部から伸びたツノだ。
「はぁ……ってぇーと、俺 人間 食っちまったんかよ……じょーだんキツいわ、ほんま……あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛……」
重い頭を動かして、俺は此処が何処かの見当をつける。
存在する家具は、ほぼ木製だ。箪笥、机、椅子、このベッド。そうでないならば、使い古された金属の燻んだ鋼色か、赤銅色か。照明は……何だありゃ? 光球? 電気か?
恐らくは、デルカさんの家だとは、容易に想像がついた。知らんけど。
全ての思考を、俺は今だけでもほっぽり投げたい。何故か?
人間を食ってしまったから。知らなかったとは言えども。其れが一番デカい理由だが、理由なぞ他にもある。
薫る、腹の空く、華やかな肉の 焼かれた……
「う゛っ 」 思わず口を手で塞ぐ。どんなに腹が空く良い匂いでも、其の匂いを漂わすのは、人間の体の一部なのだ。
俺は 元 人間だ。人間だったんだぜ? なのに人間なんか食えるかよクソが。
悪い夢なら覚めてほしい。こんな世界に転生するぐらいなら死ぬんじゃなかった。いや、転生はしても良い。だけど、せめて記憶だけは全て消して欲しかった。
人間として二十六年を生きて来たのに、其の二十六年の人間の記憶を持ったまま、人間が食料として、家畜として扱われる世界に転生して、剰え『人間を食料にする側』の種族としてまた生きなくちゃいけねえとかどんだけの罰ゲームだよクソッタレ!
ああそうかい、神様よぉ 自殺だもんなぁ? 自殺でも人殺しの罪なんだもんなぁ? ……いや、俺の足を潰したババアもにもある種の死を与えたからだな。
だからか? 俺がこんな『人間としての記憶を持ったまま』『人間を食わなきゃいけない種族になった』のは。
でもヨォ、神様ヨォ。俺ぁ一応被害者なんだぜ? 足を潰されて人生を奪われた側なんだぜ? なのに何でこんな罰が与えられなきゃならんのだよクソが。ふざけんなよバカ神。くたばれクソ神。もし神殺しの力を与えられたのなら直ぐにでも神を殺しに行くわこんなん。ほんまにふざけんなよクソッタレゴミ神が。
「まぁ……そんな風にごちゃごちゃ考え思ったって、意味ねぇよなぁ……
“現実” だもんなあ “今” は…… 」
いや いや、ちょっと待て。だがよく考えてみろ、俺。
これが現実であるならば、俺は今、奇跡体験をしているのだ。
誰もが出来る訳ではない、数億か下手すりゃもっともっとめっちゃクソ、ガチに、極めて稀どころか絶対的に唯一人レベルで貴重珍妙不可思議おかしい体験をしている と考えれば、こんな人間を食う世界で人間を食う側の種族として生きるのも 実は悪くないのではなかろうか?
捕食 “される側” ではなく捕食 “する側” なのだから、それだけでも十分にマシじゃね?
そう考えれば、実はなんてこともない様に思えて来たぞ!
そうだ、こんなん『仕方ない』んだ。
ニンゲンが他の動物の命を奪って食料にして生き長らえている ならば、
更に上位の他種族が『ニンゲン』の命を奪って食糧にして生き永らえていても何ら問題は無いし『其の世界がそう在る』ならば『仕方ない』っしょ。
其れに今の俺は『喰らう側』だ。
じゃあ 喰らおうや 人間を。
其れが “今の俺” として正しい姿なら、そう在るべきだし、そうあっても仕方はない よなぁ?
「……生きる為には、食うしかないよな」
でも、まずは自身の身体……この、側頭部からツノが生え、頭頂に二対の獣耳が生え、其のくせして人間と同じ姿見のこの種族を詳しく知らねばならない、と俺は思うんだ。
「っしゃ! どうあれ、切り替えて生きなきゃな。部屋でウジウジしてたってなにか進むかよバカが。知って、慣れるしか無い」
上半を跳ね起こし、自分で頬を叩いて気合い気分機嫌気概根性を入れ直して、俺は大きなベッドから立ち上がる。
「……デルカさんと、あのおじさんには謝らないとな……」
ぐぅ〜〜 と、漂って来た焼ける肉の香りに釣られて腹の虫が盛大に鳴いた。
食わねば。生きる為にも。
……
「うわぁ」
食卓に並ぶのは、各種野菜を用いた色とりどりな料理の数々。『ビツゥ』の肉を用いた料理は其れほど多くは無いようである。
「おっ! 起きたねノクァ! ちょっと早いけど夕食にしようか!」
彼……デルカさんは、変わらず明るい。朗らかで、笑顔も穏やかで。
「デルカさんっ! 申し訳ありませんでしたっ!」「えっ うぇっ?! え、なにが」
「俺、ニンゲン……ビツゥの解体現場を見て、気持ち悪くなって、吐いてしまいましよね。其の後、俺は貴方やあのおじさんに、勝手に、嫌悪や恐怖、軽蔑、卑下……そういった感情を、持ってしまったんです。快く俺を村に迎えてくれたのに。だから、其のことを、謝らせてください。申し訳ありませんでしたっ」
頭を下げ、誠心誠意、言葉が足らずも謝意を伝えると、暫くの沈黙が支配した様に感じ取れた。けど、少しの後、彼は 宥めてくれた。
「……ふふっ いや、別に 俺も、あの……ビーリャって人なんだけど そのおじさんも 別に気にはしてないよ。謝られても、許す許さない なんて、そもそも無いのさ」
彼は残りの調理をしながら、言う。
「 “君” がどう生きて来たかは知らんけど、“俺達” は昔からこうして生きて来た。ビツゥを狩って、食って、また狩って、また食う。それ以上でも以下でも無い。生きる為に必要な事をしているってだけさ。……まあでも、姿形は結構似てるからね、〆たりバラしたりは慣れてる人でも結構しんどいよ。俺も始めてから暫くはゲーゲー吐きまくりながら作業してたくらいだしねぇ ははは」
話す彼の声色はとても穏やかで 優しい。ずずっ と、お玉で鍋の汁を吸って味見をして、良しと見たか彼は調理器具をフックにかけると手袋をして鍋をテーブルの上へと置いた。何とも、懐かしい遠い過去の香りだ。
「何はともあれ、だ。俺もノクァも、今は腹を満たす事を考えよう! ね?」
「……はいっ」
『いただきます』
この言葉だけは、俺もデルカさんも、自然と出た。
俺は真っ先に、芳しく豊潤な香りを漂わす、淡褐色に焼かれたステーキに手を伸ばし、しばし見つめる。
『……これ、人間 いや、“ビツゥ” の肉なんだよな……そうは見えないのに、そうなんだよな……。俺は 食べるさ、食べてやるさ。“俺は喰らう側だ” ……ありがとうな、お前の来世が、幸せな世で在ります様に』
俺に上品さなんて在る訳ない。其れに程よい大きさまで切り揃えられて居たから、今更ディナーナイフなんかで切る必要も無い。フォークで刺し、そのまま口へ運び、自分の頬が許容する大きまで口に入れ、鋭い歯で、容易に噛み 切り裂く。
奥歯でしっかりと、噛み、噛み、噛み、噛み……そうして十二分に柔らかくなったら、飲み込む。
「……すっげえ 美味いっす」
デルカさんが向けてくれる視線はずっと優しく、俺の其の感想に尚にっこりと笑みを浮かべて、ありがとう と言ってくれた。
「ふふっ ありがとうっ……! ビーリャおじさんも其の言葉を聞いたらすっごい喜ぶと思うんよっ! さ、食べよう?」
「はいっ……!」
……
大木積み重ね組み成された古風な家は、二の亞人の食事を静かに守り、其の様を見守り届ける。
鋼の突き匙、掬い匙、掘り作られた木の器に小太鼓の縁鳴らしとも思えん音を拍子か、はたまた会話の相槌とも 鳴らす。
時折に、喉潤す汁を満たす半楕の器もまた木彫りが故か、身置く舞台に身を丁寧に打ち鳴らしては其れも相槌の様。
亞人の男は、いつも一人で居ったので其の静かでいながら賑やかな木と鋼の打ち鳴らしは何処か片思いであった。
然し、森での小旅に同血の童女を拾い、今は共に糧を喰うて居る。
ゆえ、いつもと違い、一段と賑やかで、空気も灯光も不思議と暖かく。