未練と祝福2
教会には、本当に陽菜ちゃんの同級生がたくさん来ていた。
まさか、広瀬先輩が用意したと言う貸切バスに乗せてもらうわけにも行かず、一人電車と路線バスを乗り継いでやって来た。
前泊したせいで、結構痛い出費。
黒塗りの高級車から降りた広瀬先輩は、スーツを着た運転手さんが開けたドアの向こうに手を伸ばす。
広瀬先輩に手を取られて出て来た陽菜ちゃんは、なんて言うか、今まで見た中で一番輝いていた。
にこりと微笑みを浮かべ、広瀬先輩を見つめる陽菜ちゃん。
いつものようにとろけそうな笑顔で陽菜ちゃんを見つめる広瀬先輩。
2人はまだ私服だった。
広瀬先輩は薄手のジャケットこそ着用していたけど、ラフな服装。
陽菜ちゃんも薄いピンクのワンピースに白いレースのカーディガン姿。
教えてもらった結婚式の時間には、まだ1時間以上ある。
参列すると聞いている学校の先生や先輩たちも、誰も来ていない。
きっと、これから着替えるのだろうな、とそんなことを思う。
まぶしい。
満面の笑顔で手を繋ぐ2人には、木漏れ日が降り注ぎ、陽菜ちゃんの頭に白いベールが見えた気がした。
木陰から、2人が教会の隣の建物に消えるのを、ただ見守った。
サワサワと木々の葉ずれの音が聞こえて来た。
終わった恋だった。
最初から、叶うわけもなく、1パーセントの可能性もない恋だった。
それでも、好きだったんだ。
色々間違えたし、人間として、最低なことをしてしまったけど……。
だけど、好きだったんだ。
ないはずの1パーセントを、いや、0.1パーセントを夢見てしまうほど……。
あれから一年とちょっと。
まだ、陽菜ちゃんへの想いは薄まらない。
ウェディングドレス姿を見たら、結婚式を見たら、幸せいっぱいの2人を見たら、過去にできるかと思った。諦められると思った。あわよくば、祝福できるかもと思った。
……無理だよ。
だって、まだこんなに好きだ。
オレにできるのは、見守るだけ。陽菜ちゃんの幸せを祈るだけ。
分かってるから何もしない。何もできない。
そもそも、祝福以外の何かをする権利なんてカケラもない。
だから、打ちのめされる事だけが、今のオレにできること。
後、どれだけ現実を見せつけられたら、気持ちに整理が付くのだろうか?
どれくらいの時間が経ったのだろう?
歓声と拍手が耳に飛び込んで来た。
そういえば、ぼんやりしている間に、参列者が教会に入るのを目にした気もする。
にぎやかな音に我に返り、教会の見える位置にそっと移動した。
ちょうど教会の大きな扉から、陽菜ちゃんと広瀬先輩が出て来たところだった。
陽菜ちゃんは純白のウェディングドレスを着て、手には可愛らしいブーケを持っていた。
広瀬先輩はグレーのタキシードを着ていた。
陽菜ちゃんの眼からは涙がポロポロとこぼれ落ちる。
それが、悲しくて流れる涙でないのは間違いない。
広瀬先輩は隣の陽菜ちゃんを労わるように優しい眼で見つめている。
腕を組んで歩く2人の姿をカメラマンが何か言いながら、パシャパシャと写真に収めていた。
太陽は間もなく中天に登るという午前の終わり。
木漏れ日が溢れる森の中の教会で、幸せそうに赤い絨毯の上を歩く2人を、大勢の参列客に祝われる2人を、オレはただ見守っていた。
目の前を、幸せそうな2人と、それを取り囲む人たちが、映画のワンシーンのように、静かに流れていく。
投げられたブーケに群がる女の子たち。
参列者全員での記念撮影。
やがて、陽菜ちゃんたちは、大きな車に乗り込み、少し後には参列者たちも観光バスに乗ってどこへやら移動し、いなくなった。
オレは、それでも、まだぼんやりと、さっきまで陽菜ちゃんたちがいた教会を眺めていた。
「おい」
「……う、わっ!」
思わぬところで声をかけられ、思わず飛びのくと、
「お前、何しに来た?」
オレの前には、恐怖の大魔王……陽菜ちゃんのお兄さんが立っていた。
まずい!
最初に思ったのは、そんな言葉。
何もまずいことはしていない。だけど、陽菜ちゃんを溺愛する、この人からしたら、間違いなくオレは排除すべき人間だろう。
「え…っと、」
「ん?」
お兄さんは口の端を上げ、冷たい笑顔を見せる。
ヘビに睨まれたカエル。
そんな言葉が不意に思い浮かぶ。もちろん、お兄さんがヘビでオレがカエルだ。
「あ…の……お久しぶり、です」
「ああ、久しぶりだね。……で?」
冷たい。
夏だと言うのに、オレたちの周りにだけブリザードが吹き荒れる。
それくらい、お兄さんの視線と纏う空気は冷たかった。
「オレ、あの…別に邪魔しに来たわけじゃなくて、」
口をついて出るのは、つたない言い訳。
いや、本当に邪魔しに来たわけではないのだけど……。
「へえ。……で?」
「あの、ただ、一目、陽菜ちゃんの花嫁姿を見て、」
結婚式に乱入する気なんてなかった。
陽菜ちゃんの顔を一目見られたらよかったんだ。
「なるほど。一目、ね。……それで?」
「あの……それで、一目見て、打ちのめされようと、」
この教会の場所なんかを教えてくれた友人に言ったのと同じ言葉を絞り出すように言った瞬間、お兄さんの背後で誰かが吹き出した。
「おい、晃太」
お兄さんがとがめるように言いながら、振り返る。
「や、もういいじゃん? この子、別に何も邪魔してなかったし」
その人は、楽しそうに笑いながら、お兄さんの肩をポンポンとたたいた。
「君、面白いね」
クスクス笑いながら、お兄さんの後ろから出て来たのは、お兄さんとは正反対の柔らかい空気をまとったイケメン大学生だった。
お兄さんも間違いなく綺麗に整った容姿を持っているけど、この人の方がモテるだろうな、と思った。
背は高いけど細身で威圧感はない。そして、スーツを着てはいるけど、社会人には見えなかった。
「君、一ヶ谷くん、だよね? あれから一年以上経つのに、まだ諦められていなかったんだ」
大きなお世話だ!
と思ったけど、言えない。
今ここにいるってことは、陽菜ちゃんの関係者だろう。オレの名前も知っている上、お兄さんとの親しげな様子からして親戚かもしれない。
オレは、お兄さんが一年以上たった今でも怒っているのが当然だと思うくらいには、あの時の自分を反省している。
オレが口をつぐんでいると、目の前の男の人は面白そうに、オレの顔を覗き込んだ。
「こんなところまで、わざわざ、打ちのめされに?」
そのイケメンは、クスクス笑い続ける。
「悪いかよ」
「いや? 略奪じゃなきゃ、オレは構わないよ。さすがに、結婚式に乱入されたんじゃ、ハルちゃんも叶太も可哀想だからね」
「そんなこと、しないし」
「そう?」
「……陽菜ちゃん、すごく幸せそうだったし」
思わず、目の前の人から視線をそらした。
「諦められた?」
答えられない。
そもそも、諦めるって何だろう?
打ちのめされに来た。
実際、幸せそうな2人を見たダメージは大きい。
だけど、それでも心の底から湧き上がる、渇望と言いたいような衝動は何だろう?
オレ、心が狭いのかな?
陽菜ちゃんが幸せそうなのは、良かったなと思うけど、じゃあ、それで安心して陽菜ちゃんへの想いを手放せるかって言ったら、全然なんだ。
気がつくと、オレは青々とした柔らかそうな下草の生えた地面を見つめていた。
自分の心の狭さと言うか、自分しか見えていないところと言うか、そう言う人間としてまだまだなところを目の当たりにして、何だか、すごく情けなくなった……。
ふっと地面に影が差して、頭に大きな手が降って来た。
「わっ」
思わず顔を上げると、わしわしと頭を撫でられた。
「君、可愛いな」
優しげな容姿のイケメン青年は、オレを見て目を細めていた。
「な、なに!?」
「ハルちゃん、文句なしに可愛いしね、いい子だしね。そう簡単には、気持ちに整理、付かないよな」
分かったようなこと言うな、と言いたいけど、子どもみたに頭をなでられて、不覚にも目頭が熱くなる。
兄貴みたいな包容力を感じる。
子ども扱いかも知れないけど、打ちのめされに来て実際打ちのめされた今、その人の言葉は心にスーッと染み込んでいった。
ふっと目の前の男の人の空気が変わった。
顔を上げると、彼は満面の笑みを浮かべていた。
同性なのに、思わず惹きつけられる魅力に思わず頰が上気する。
そんなオレを笑うでもなく、その人は更に笑みを深めた。
「……うん。よし。一緒に来おいで?」
「え? どこに?」
「おい、晃太!」
オレの質問と同時に、陽菜ちゃんのお兄さんの怒ったような声が降って来た。
「いいじゃん。おいで、一ヶ谷くん」
お兄さん、結構怖い顔してるんだけど、目の前の人、晃太さんは気にする様子もない。
それどころかニコニコ笑顔で軽く流す。
綺麗な顔して、この人、大物だ。
そうして、オレは促されるままに車に乗り込み、お兄さんに睨まれながら、陽菜ちゃんちの別荘と言う披露宴会場に連れて行かれた。
優しいイケメン男性が、広瀬先輩のお兄さんだと言うのは、車の中で初めて知った。
言われてみれば、よく似た顔立ち。ただ、広瀬先輩のが短髪で、もう少し骨太な感じがする。
驚いてあたふたするオレを、陽菜ちゃんのお兄さんは冷ややかな一瞥。広瀬先輩のお兄さんは優しく見守ってくれた。
会場に着くと、陽菜ちゃんのお兄さん……明仁さんは、オレをギロリと冷たく一瞥すると、陽菜ちゃんの元へと向かった。
広瀬先輩のお兄さん……晃太さんは、待っててねと一度、会場の中心に向かうと、ドリンクと皿いっぱいの食べ物を持って来てくれた。
「はい。ごめんね。ハルちゃんのとこには連れて行けないけど、その辺からコソッと覗き見てね」
晃太さんは、ニコッと笑って、
「オレは大丈夫だと思うんだけど、明仁がうるさくてさ。悪いね」
と肩をすくめた。
「え、いえ! ここに入れてもらえるだけでも破格の扱いだって、オレ、分かってますから!」
「そう? じゃあ、オレは行くけど、何か欲しかったら、その辺のテーブルからもらって来るとかしてね?」
「はい。ありがとうございました!」
受け取った皿とグラスのせいで、深く腰を折って礼をすることはできなかったけど、オレは精一杯の感謝の気持ちを込めて頭を下げた。




