2.第一の関門2
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To: 明兄
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勉強しました!
七月末、帰省したら、試験お願いします。
叶太
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程なく、明兄から返事が返ってくる。
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To: 叶太
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バカ。
こっちは今が試験真っ最中だっつーの。
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そうそう。明兄の大学は七月末が試験らしく、以前は一緒に行っていた隣の市の花火大会も、大学に入ってからは行けなくなったんだ。
ってか、それじゃあ、今日も試験中なんじゃ?
メールは休み時間に?
医学部の勉強は大変だって聞いたけど……余裕じゃん、明兄。
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To: 明兄
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邪魔してごめん。試験、頑張ってね!
でもって、終わったら、オレの試験の方も
よろしくね。
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To: 叶太
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はいはい。
八月一日の夜、家に来い。楽しみにしてろ。
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……って、何を楽しみにするの? 試験?
明兄の迫力満点の笑顔を思い出して、一瞬、早まったかもと思う。けど、一日も早く第一関門は突破しておかなきゃいけないのは、間違いない。
オレは、既に半分まで読み終わった八冊目の参考書を開いて、続きを読み始めた。
☆ ☆ ☆
明兄の帰省はちょうどハルの退院日だった。
昼間、ハルの昼食に間に合うように帰省した明兄。
ハルはいつも通りにとても嬉しそうにしていた。明兄の久々の帰省って事で、夜は兄貴も合流して賑やかな夕飯。
そんな時間には、ハル仕様で優しい笑顔だった明兄が、今は腹黒丸出しの黒い笑顔でオレの前にいた。
夜十時半。一度、夕食後に家に帰り、風呂を済ませてからの再訪問。
少し前に兄貴が帰って来たと思ったら、明兄から「今から来い」のメールが入った。
「えーっと、よろしくお願いします」
取りあえず、ぺこりと頭を下げておく。
「ああ、よろしくな」
そのまま、二階の明兄の部屋に通される。
子どもの頃は二階にもよく上がったけど、明兄が大学生になって以来、足を踏み入れていない。
「うわー、久しぶり。……変わらないね」
「住んでないからな。ほとんどあの頃のままだろ」
明兄が笑う。
明兄が大学生になったのは、オレとハルが中学一年生の時。
オレが明兄の部屋によく乱入していたのは小学六年生の時か? やけに懐かしいはずだ。
「なんか飲む?」
「え? いいの?」
「ああ、一階の冷蔵庫に入ってる。オレは麦茶な」
当然のような言葉に思わず吹き出す。
「りょうかーい。……あ、ハル、寝てるよね?」
明兄はそこで一瞬手を止め、
「やっぱりオレが行ってくる。寝てるはずだけど、起きて来るとやっかいだろ」
と言った。
「投資で最初にする事は?」
「キャピタルゲインとインカムゲインの違いは?」
「損切りは何で必要か?」
「株式とFXにおける運用方法の違いは?」
「決算で何が起こる?」
学校の試験のような問題も、これという答えがない問題も種々取り混ぜての出題。
勉強はからっきしのオレが時に考えつつも、しっかりと質問に答えるのを、明兄は意外そうに見つつ、次々に問題を繰り出して来た。
明兄、オレ、やる時はやる男だよ?
答えながら得意げに胸を反らすと、明兄は面白そうに笑った。
「最後の質問だ。なぜ、金儲けをしたい?」
オレはその問題にも迷わず答えた。むしろ迷う必要などどこにもない。
「ハルの側にいながら、ハルを養うため」
「陽菜を?」
明兄の怪訝そうな顔。
「働きに行ってたら、ハルの側にいられないじゃない。それに、ハルにはいつだって最高の治療を受けさせたいし」
明兄はまだ眉根を寄せている。
「陽菜の治療なら、親父もお袋もじいさんも、常に最先端の最高医術を探っているし、金だって惜しんでない」
「知ってるよ。もちろん、おじさんやおばさんやじいちゃんの力は借りる事になると思う。けどさ、結婚するなら、やっぱり治療費や生活費はオレが稼ぎがなきゃ、だろ?」
オレが真顔で言うと、明兄は鳩が豆鉄砲食らったような顔で固まってしまった。
「……明兄?」
オレ、なんかおかしなこと言った?
夫が妻を養うのは当然だと思ってる。
ってか、夫婦ふたり共が健康であるなら共稼ぎだって良いと思う。ハルの家なんて、おじさんの稼ぎだけで家族数十人軽く養えそうなのに、おばさんはバリバリ医者なんて仕事をしているし。
けど、ハルは心臓が悪い。オレには、ハルを働かせるなんてとても考えられない。
「結婚!?」
数泊遅れて、明兄は声を大にした。
……あ、そっち?
「うん、結婚。なんか、おかしなこと言った?」
オレがハル以外の相手と結婚を考える訳ないって、明兄だって知ってるよね?
「……いや。結婚ね。いずれは、そう、……あるかもな」
「え? いずれっていつだよ。オレ、十八の誕生日に籍を入れるつもりなんだけど」
オレの言葉に、明兄はぽかんと口を開けて固まっている。
おーい。
端正な顔が台無しだぞ~。
「ちょっと待てっ!!」
「え? なに?」
「十八で結婚って言ったか!?」
「うん」
「それ、来年じゃないか!」
「うん。……長いよね。待ちきれなくて」
「待て待て待て。お前、来年、まだ高校生だろ!」
「だね」
「いやいやいや。冷静に答えるな!!」
「明兄はちょっと落ち着こうよ」
「落ち着けるか、バカ!」
明兄は日頃の冷静さがすっかりなりを潜め、別人みたいになっていた。
このままじゃ、投資を教えてもらうどころかハルとの結婚を邪魔されかねない。
何しろ明兄は、オレがハルといちゃいちゃしてるだけでも、さりげなく邪魔してくるくらいだ。ハルを溺愛している明兄が、そう簡単に「はい、どうぞ」と結婚を許してくれるとは思えない。
まずは、ハルを養えるだけの能力……ってか財力を手に入れて、結婚の話はそれからだと思っていた。
けど、このままじゃ、「試験は落第」と言われて、金のなる木の育て方を教えてもらえなくなるかも知れない。
今日、この話をする事になるとは思わなかったけど。
……話すなら、今だよな?
「ねえ、明兄、知ってる?」
「何を?」
明兄は不機嫌さを隠しもせずに眉間にしわを寄せて聞き返した。
「ハル、週の半分以上、夕飯、一人で食べてるんだよ」
「……ああ」
明兄は小さくため息を吐いた。
おじさん、おばさんの同席が少ないのは、明兄とハルが子どもの頃からのこと。明兄が家を出たらハルが一人になるのは、明兄も承知だったはずだ。
明兄が大学生になって家を出る時、その事は明兄も気にしていたらしい。家から通える大学にするか、今通っている国内最高峰の大学にするか、迷った末に選んだと聞いた……兄貴に。
選べる段階でスゴイんだ。受けてみて、万が一受かったら考えよう……なんて必要はなくて、明兄の場合は受験イコール合格。だから、どちらに行くかは受ける前に相当迷ったらしい。
それでも、大学ってのは学校で随分と色々変わってくる。学べることも、学ぶ内容も、将来のチャンスも。
医の道へと進む動機がハルだったからかどうかは分からないけど、明兄は最高の道を選んだ。
だけど、一人残した最愛の妹のことが気にならないはずがない。
「なるほどね」
明兄は渋い顔をしたまま続けた。
「だが、それなら、お前が毎日、うちに来れば良いだろう」
「できる日はやってる。……けど、ハルが具合が悪くて休んでるような日はムリだし、うちの親も家で食べろって言うから、」
「……まあ、そうだろうな」
うちのお袋は専業主婦だし、親父は多忙だけど子煩悩で、家族で食事をとる時間も大切に思っている。
兄貴と仲が良い明兄も、それは知っているだろう。
「それにね、明兄、知ってる?」
知らないと分かっていて、オレは次の弾を撃つ。
「今度は何?」
明兄は不機嫌なままだけど、オレの話を聞く気はあるらしい。
そりゃそうか。ハルの話だもんな。
「ハル、夜中に具合が悪くなっても、誰にも言わず、朝まで我慢してる」
「……え?」
「オレも少し前に知ったばかりだけど」
「なんで!? ……って、聞くまでもないか」
「うん。起こしたくないんだろうね。おじさんおばさんも忙しい人だし。沙代さんだって、気にしないって分かってても、そんな時間は勤務時間外だ」
明兄は硬い表情で頷いた。
「夜中だし、命に別状がないからって言っても、ハル、すごくシンドそうで、」
「……待てよ。なんで、お前がそこまで知ってる?」
明兄の反応が怖いと思いながらも、ハルとの結婚に協力してもらうなら、ここは避けては通れない関所だ。
「明兄、六月に沙代さんのお母さんが亡くなったのって、聞いてる?」
オレは慎重に言葉を選びつつ、明兄に説明を始めた。