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19.思いがけない懺悔1

「ごめんなさいね、ご迷惑をおかけして」

 迎えに来てくれたおばあちゃんが田尻さんに言うのが耳に入り、自分がいつの間にか眠ってしまっていた事に気が付いた。

「いえ! わたしは全然」

 うっすら目を開けると、田尻さんは力強く首を左右に振っていた。

 わたしは田尻さんちのリビングのソファに横になったままで、眠っている間に止まっていたらしい涙が、どこに残っていたのかまたツーッと頬を伝った。

 その瞬間、わたしの方を見た田尻さんと目が合った。

「目、覚めた?」

 わたしの横にしゃがむと、田尻さんはぽんぽんとわたしの肩を叩いた。

「あのさ、牧村さん。わたし、気の利いたこと言えないけど、何て言うか……あんまり、難しく考えることないと思うよ」

「……ん、ありが…」

「だから、今日はもうしゃべらなくて良いって言って…」

 そこまで聞いて、思わず涙目のまま笑ってしまうと、田尻さんは最後まで言わずに肩をすくめた。

「やっと笑った。……ホント、今日はごめんね」

「ちが……、わた…し…」

「あー、もう、どう言えば良いかな? えっと、なんか相談に乗るとか言っておいて、逆にこんなことになっちゃって、ホント悪いなって思ってるんだけど、」

 そこで言葉を切って、田尻さんは小首を傾げてわたしを見た。

「けど、牧村さんは、こんなの……で良かったんだよね?」

 小さく頷くと、田尻さんはホッとしたように笑った。

「まあ……それなら、ホント、良かったよ」

 話が一段落したのを見て、

「陽菜、起きられますか?」

 おばあちゃんはわたしの涙を拭きながら、背中に手を当てた。

「……ん」

 支えられて、ゆっくりと身体を起こす。

 たったこれだけの動作で息が上がる。

「車まで歩けそうかしら? 無理なら、人を呼んで……」

「……だい、じょう…ぶ」

 どこが大丈夫なのかと、自分でも突っ込みたくなるような途切れ途切れの「大丈夫」。だけど、おばあちゃんは、わたしの身体を支えて立たせてくれた。

「肩貸すよ」

 と田尻さんが、おばあちゃんとは反対側を支えてくれた。

「あり…が、と」

 ゆっくりと移動して、門の外に出ると、おじいちゃんところの運転手さんが慌てて飛び出してきた。

 そのまま車の後部座席に乗せられて、体調が悪い時の常で車酔いを起こして息も絶え絶え自宅へと向かう。

「陽菜、……眠れるなら、眠りなさい。その方が楽だから」

 乗車して五分も経たず、気持ち悪くて耐えられず数度吐いた後に、おばあちゃんに背をさすられながら意識を失うように眠りに落ちた。


 気が付くと自分のベッドで眠っていた。

 おばあちゃんが部屋にいて、わたしが目を覚ますとスッと側に来てくれた。

「家に戻って三十分も経たないくらいよ? ……お口をゆすぎましょうか?」

 おばあちゃんに介助されて渡されたコップの水で口をゆすいだ。

 スッキリすると同時に、眠りに落ちる前の記憶もよみがえる。やるせない気持ちを思い出して、思わず表情が曇った。

「陽菜、お水飲む?」

 差し出されたコップからお水を飲む。

「少し横になりましょう」

 言われるままに身体を倒す。

 眠っていたせいで収まっていた涙が、いつもの自分の部屋の中にいると知らず知らずの内にまたこみ上げて来ていた。

 ここにはカナの気配が色濃くありすぎる。

 わたしの世話を一段落させたおばあちゃんは、苦笑いを浮かべてわたしを見た。

 そして、小さく肩をすくめてから、わたしの枕元の椅子に座った。

「わたくしも、本当に驚いたわ。正明まさあきさんだけならまだしも、幹人や響子さん、まさか広瀬家の方まで賛成だなんて」

 おばあちゃんのその言葉に、わたしはようやくおばあちゃんの顔を見た。

 正明さん……おじいちゃんだけならまだしも……。

 おばあちゃんの口から初めて聞く、カナとわたしの結婚のお話だった。

 わたしに甘いおじいちゃん。

 ……もし、わたしの好きにしても良いよって言ったのが、おじいちゃんだけなら、笑って済ませられた気がする。ママ、パパ、お兄ちゃんから言われた後に、おじいちゃんにも「陽菜の好きなようにして良いんだよ」って言われたから、まるで素直に聞くことができなかった。

「ごめんなさいね。陽菜が寝ている間に、何があったのか田尻さんに話を聞いたの」

 涙に濡れた頬を、おばあちゃんはハンカチで優しく拭ってくれた。

 そうか……。

 わたしが何を思っていたのか、おばあちゃんにバレちゃったんだ。

「まさか、叶太さんがあんな事を考えていたなんてね」

 子どものいたずらを見つけた時のような、そんな「しょうがないわね、もう」とでも言わんばかりの表情で、おばあちゃんはそう言った。

「おばあちゃんは、……知らなかった?」

「ええ、初耳だったし、本当に驚いたわよ」

 ……良かった。

 何故か、そう思った。自分一人、何も知らされていなかったと思ったけど、おばあちゃんは仲間だった。

 自分でも変だと思うけど、妙な安心感があった。

「具合はどう?」

 不意に問われて、

「大丈夫」

 と短く答える。

「……こんなひどい顔色で、大丈夫ではないでしょうに」

 おばあちゃんはわたしの顔を覗き込み、そっと頬に手を触れた。

「ごめんね、陽菜」

「え?」

 なんで、このタイミングでおばあちゃんが謝るのかが分からない。

 カナのことは、おばあちゃんは知らなかったらしい。だから、結婚についてどう思っているのかも、わたしには分からない。

 混乱するわたしを見て、おばあちゃんは切なげに笑った。

「少し、あなたを厳しく育てすぎたわね」

 おばあちゃんの言葉の意味が取れずに、わたしが思わず身体を起こそうとすると、おばあちゃんは「寝ていて良いのよ」とわたしの肩をそっと押した。

「少し、昔語りをしましょうか」

 おばあちゃんは唐突にそんなことを言うと、静かに話し出した。


「あなたに先天性の心臓病があるらしいと分かったのは、まだあなたがお腹にいる時だったの」

 突然、時間が十七年以上さかのぼった。

 この話がどこに行き着くのか分からない。それでも、おばあちゃんがわたしに大切な話をしようとしているのは、感じられた。

 わたしは、静かに続きを待つ。

「響子さんは、その頃、出身校の付属病院にお勤めで、当然のように、そこの産婦人科にかかっていたの。家も建てていなくて、病院に近い街中のマンションに住んでいたのもあってね。おかげで陽菜の病気も早く見つけられたのかしらね」

 確かにわたしが生まれたのは、大学病院だった。牧村総合病院ではないのが、少し不思議だったのだけど、お兄ちゃんも同じだと聞いていたから、そんなもんかと思っていた。

「一ヶ月の早産で緊急帝王切開での出産。心拍が弱くなって、もう待てないって。

 未熟児にしても発育が悪くて、心臓の状態は予想以上に悪くて、すぐにNICU(新生児集中治療室)に入れられて、正直に言うとね、一週間どころか、数時間生きられるか……と言う状態だったの。

 生きて産まれたのすら、運が良かったと言われたわ」

 おばあちゃんはわたしの顔色を伺いながら、話を続ける。

 その辺りの話は、おじいちゃんからも聞いたことがある。おばあちゃんが語ってくれたのは、それより詳しくて悲惨な話だった。

「生後一週間で最初の手術。一か八かと言われたわ。でも、しなきゃ命はないだろうって。

 響子さんはまだ入院中。それでも、さすが外科医で、気丈に振舞っていたわ。でも、無理はさせたくなかったの。

 幹人は産まれたばかりの娘に課せられた試練に混乱の極み。響子さんの前では辛うじて強がっていたけどね、仕事もあるし、とても全てを任せられる状態ではなかったわ。

 そこで、正明さんとわたくしの出番。響子さんは一人っ子で、ご両親も既に亡くなられていて、他に頼れる人もいなかったの。治療方針は正明さんが、産褥期の響子さんと陽菜のお世話は、わたくしが受け持ったわ」

 おばあちゃんは愛おしげにわたしを見つめた。

「初めて病院の外に出たのは、生後半年。大きな手術の前に、どうしても家族で過ごしたいって、一泊二日の外泊だったの。

 生まれて一年はほとんどを病院で過ごしたのよ?

 ……響子さんは、あなたを育てるために、病院を退職しようか迷っていたわ。健康な身体に産んであげられなかったと、悩んでもいた。言わないけどね、見ていれば、同じ母親として、それは痛いほどわかったの」

 おばあちゃんはわたしの頭をなでながら、静かに続ける。

「幹人の稼ぎだけで十分に食べていけるのに、陽菜の看病もせずに働いて良いのかと、響子さんは随分迷っていたわ」

 わたしには、働いていないママなんて、正直想像もできない。けど、そうか、……迷ってくれたんだ。

 おばあちゃんは、ふうっと息をついた。

「それをね、止めたのが……わたくしと正明さん。響子さんのキャリアを潰したくないという思いもあったけど、正明さんは病院を継がなかった幹人がお医者さんと結婚したのを、それはそれは喜んでいたのね。

 後を継いでもらえるって。結婚した当初から、いずれは大学病院を辞めて、こちらに来てもらう話が出ていたのよ。

 ……陽菜に話したこと、なかったわね。なんで、おじいちゃんが病院を経営しているのに、息子のパパが商社を経営しているのかって」

 問われて、わたしは横になったまま小さく頷く。

「牧村商事は元々、牧村の家の家業だったの。医業は、正明さんが家を継がずに、自らの生業として求めたもの。最初はそれで良かったの。病院経営は順調だったし、牧村商事にはお兄様が二人いらした。

 だけど、正明さんを応援してくれたお兄様たちお二人が相次いで亡くなってね。牧村商事を継がなくてはならなくなったの。その時にはもう牧村総合病院も開業して起動に乗っていて、正明さんも病院を手放したくなかった。

 結局、お祖父様……陽菜のひいお祖父様が折れる形で、幹人が跡を継ぐなら……とおっしゃられて、あの子を教育したの」

 ……知らなかった。

 一番大きいのは牧村商事だけど、パパは他にもいくつも会社を持っているし、病院も同じくらい昔からあったのだと思っていた。

「牧村総合病院は、正明さんの夢だったの。

 昔はこの辺に大きな病院がなくて、街にいたら見つけられる病気も見つからず、気がついたら手遅れ……なんてことも、良くあったそうよ。正明さんの親友もそんな風に亡くなったんですって。

 医者になるだけじゃなくて、小さな診療所を作るのではなくて、この町に大きな病院を……それが正明さんの夢だったの。

 幸いお家が豊かだったからね、お兄様たちを味方に、お義父様を動かして資金を用意し、同じ志を持つ仲間を募って、とうとう本当に総合病院を作ってしまった。でもね、設立資金を完全に頼っていたのもあって、理事長はお父さま。牧村商事を、自分で継ぐか、幹人さんに継がすかしないと病院を潰すと言われて、逆らえなかったの」

「おばあちゃん、聞いてもいい?」

「ええ、何でも聞いてちょうだい」

「おじいちゃんのお兄様たちは、結婚されていなかったの?」

「上のお兄様は結婚されていたけど、子どもはいなくて、下のお兄様は未婚だったわ」

「そっか」

「そう。だから、お義父さまも幹人にこだわったのね。そうして、わたくしたち三人はお義父さまの家……お隣の家に入ったの」

「今のお家?」

「ええ、そうよ。いい加減古いわよね」

「ううん。とても落ち着くし、素敵よ」

「あら、ありがとう」

 おばあちゃんはニコリと笑った。

「わたくしも、幹人には正明さんのように、自由に夢を追わせてあげたかったのよ。

 だけど、お義父さまもお上手でね。早くから幹人を海外に出してね、色んなものを見せたわ。会社の仕事も早くから触らせていた。大きな金額を動かしてお商売をする楽しさを、ほんの若造の内に覚えてしまったのね。

 あれは麻薬みたいなものなのかしら? あの頃は、誰もが起業できるような感じでもなかったのもあってか、幹人もそう言う方向に逸れることもなく、気がついたら嫌がりもせず牧村商事に入社していたわ。

 早くからお商売を教わっていたし、語学も堪能、海外情勢や文化的背景にも詳しくて、それをうまく仕事に結び付けられたのね。ぐんぐん業績を伸ばして、気がついたら、すんなり代替わりしていたわ。

 そうして、いつの間にやら、響子さんと出会って恋に落ちて、熱烈なプロポーズを何度も断られた後で、ようやく結婚にこぎつけたの」

「……ママ、プロポーズ、受けなかったの?」

「ええ。仕事を続けたいから、牧村商事の社長なんかとは結婚してる暇はない……ですって」

 ママらしい。

 クスクス笑うと、おばあちゃんも楽しげにほほ笑んだ。

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