18.ガールズトーク4
「……ってか、本題行こう、本題っ!!」
田尻さんが照れ隠しのようにしかめっ面をして、居住まいを正した。
「はいっ、牧村さん、何に悩んでるのか話してみて」
唐突すぎる話の振りに、また笑いたかったけど、心にのしかかったその話を思い出すと素直に笑えなかった。
何から話せば良いのか、まるで思いつかない。
どんな順番で話せばいいのかも、自分の事なのに、わたし自身何に悩んでいるのかもよく分からない。
悩んていると、
「はい、何でも良いから、思いついた言葉から話してっ!」
と威勢よく言われ、思わず、言葉を選ぶことなく直球で答えてしまった。
「あの、カナからプロポーズされて」
その言葉を聞いた次の瞬間、田尻さんが固まった。
数秒程の空白の後、ようやく田尻さんの反応が返ってきた。
「……は? ……プロポーズ? って、結婚しましょうって、あれ……だよね?」
「……うん。誕生日にプロポーズされて、八月のカナの誕生日に結婚して欲しいって」
田尻さんはマジマジとわたしの顔を見た。
あまりに真っ直ぐな視線に、思わず目をそらしたくなる。
「……今年の、八月に?」
「うん」
「再来月の、八月?」
「うん」
「叶太くんの、十八の誕生日…………って、ええっ!? 十八歳で結婚!?」
「うん。……あ、わたしは、十七だけど」
と冷静に言うと、田尻さんはようやく表情を緩めて、
「牧村さん、三月だっけね」
と言った。
「よく知ってるね?」
「だからー、ハルちゃん情報って、結構出回ってるんだって」
そう笑顔で言いつつ、田尻さんは不意に真顔になった。
「で、結婚するの?」
「……できると思う?」
質問返し。
だって、できる訳ないじゃない。
「え? しないの?」
田尻さんの言葉に目が点。
あんなに驚いてたのに、なんで、この質問?
「できないよ」
「なんで?」
……なんでって。だって、田尻さん、できる理由なんてある?
まだ高校生で、十七歳で……。
この後は大学生になるから、働き始める予定もなくて……。
でも、田尻さんはそんなことを聞いているんじゃない、なぜかそう思った。
「なんで、できないの?」
再度問われる。
「わたし、まだ十七歳だし、……高校生だし」
「それは、叶太くんも知ってるんじゃないの?」
そりゃ、同級生だもの、知らない訳がない。
「知っててプロポーズしたんでしょう? ……ああ、家族が反対してるとか? そりゃ、するよね」
田尻さんはうんうんと頷いた。
「ううん。……家族は、……結婚しても良いって」
わたしの言葉に、田尻さんは目を見開いた。
「……すごっ。マジ?」
なぜか、田尻さんの目が輝いた。
「うん。……カナが話してたみたい」
「プロポーズの前に?」
「うん」
「……さっすが、叶太くん」
ほうっとため息を吐いて、どこかうっとりと田尻さんは言った。
「何て言うか、スゴイ行動力だよね。牧村さん、愛されてるね~」
田尻さんはわたしの方を見て、にっこり笑った。
「……そう、かな?」
愛されている気はする。
……ううん、愛されているのは良く分かる。
だけど、なんか違う。何かが違う気がしてならないんだ。
「プロポーズはどうやって?」
「……婚約指輪を、指にはめてくれて、それから、十八の誕生日に……結婚して欲しいって」
言いながら、喉の奥に何かが詰まったような違和感を感じる。
どんどん言葉が……心が重くなっていく。
「うっわぁ、ロマンチック~」
田尻さんの声はひたすらに明るい。
「……そう、かな?」
対照的に、わたしの声は沈んでいく。
それ以上に、言葉が出てこない。
やっぱり、喜ばなきゃいけなかったのかな?
ありがとうって思わなきゃいけなかったのかな?
まだ十七歳なのに……。
親のすねをかじっているような年なのに……。
家事だってろくにできないのに……。
まるで健康には縁遠い身体なのに……。
子どもを産むことだってできない身体なのに……。
……結婚しても良いよ、望む通りにして良いよって言われたこと、感謝しなきゃいけなかったかな?
カナにプロポーズされたこと、感謝しなきゃ、いけなかったかな?
「……牧村さん」
気が付くと、涙があふれ出していた。
田尻さんに名前を呼ばれ、慌てて持って来たトートバッグからタオルハンカチを取り出した。
「……ご…めん」
両目を押さえて、涙を吸わせる。
感極まってあふれ出した涙は、ほどなく止まった。
ねえ、聞いてもらえる? 話しても良い?
「わたし、……心臓、悪いでしょ?」
「うん」
田尻さんはさっきまでとは打って変わって、真面目な顔で頷いた。
「だから、カナ、すごく……過保護で……」
「そうだね。牧村さんのこと、すごく大事にしてるなって、感じるよ」
「……そう、大事にしてもらってると思う」
でも、大事を通り過ぎてやっぱり過保護って気がしてならない。
カナは毎日、わたしの鞄を持って校舎の裏口まで送り迎えしてくれる。
毎年、具合が悪くなったわたしに付き添えるように保険委員に立候補する。
学校に行けなかった日のノートは必ず、その日の内に届けてくれる。
休みの日の通院には付いて来てくれるし、入院したら、毎日必ず顔を見に来てくれる。
もともと仲の良い幼なじみだったし、二年前からは恋人同士になっていたし、申し訳ないと思っても、ここまではそういうものかな……と思っていた。
「ねえ、何が引っかかってるの?」
田尻さんが聞いた。
「何か、引っかかってるよね?」
再度、聞かれて、ぽんっと心の底から言葉が飛び出してきた。
「……もし、私が心臓が悪くなくて普通の子だったら、カナは多分、こんなに早くに結婚なんて考えなかった」
「そんなこと……」
「だって、普通、高校生でプロポーズなんて、する?」
「……んー、しないかな」
そうだよね?
だって、隣の家に住んでいて、同じ学校の同じクラスに通っていて、家族ぐるみでお付き合いする両家公認の恋人同士。
わざわざ、結婚する必要がある?
「わたし、普通に結婚できる年齢まで生きてないかも知れないから、だから……」
「牧村さん!?」
田尻さんが驚いたようにわたしを見た。
田尻さんには話したことがあるじゃない、わたしの命の期限の話。
「普通に考えても、そもそも結婚生活とかできる身体じゃないんだよ、わたし」
走るどころか早歩きすらできない身体。
しょっちゅう体調を崩しては寝込むし、入院すら稀ではない。
どう考えても就職なんてできないし、それどころか、家事をするのすらわたしには重労働。
「だって、そうじゃなかったら、十七歳で結婚なんて、親が許す?」
普通なら結婚なんて考えない年齢。
普通なら結婚なんて許されるはずがない年齢。
だけど、普通に結婚できる年までは生きられないかも知れない身体だから……。
「許さないだろうね」
田尻さんはキッパリと言い切った。
ああ、これが聞きたかったんだ。
聞いた途端、涙が堰を切ったようにあふれ出した。
「うわっ、ごめん! ちょっと、牧村さん、」
田尻さんは慌ててわたしの方にやってきた。
違う、大丈夫。やっぱりそうだったんだって、分かって、わたし、嬉しかったから……。
みんなの笑顔が怖くて……。
無条件に与えられる許しが怖くて……。
カナから与えられる限りない愛が、どこか悲しくて……。
どうして、そんな風に思ってしまうのか、ずっと心が苦しくて……。
「牧村さん! ちょっと、本当に大丈夫!?」
あふれ出す涙は一向に止まる気配がなくて、息苦しくて仕方ない。
ハアッ……ハアッ……。
呼吸に合わせて、肩が大きく上下する。
「だ……い、じょ」
「全然、大丈夫じゃないし!!」
田尻さんが焦った声で言いながら、わたしの背中をさすってくれる。
息が苦しい。
涙……止めなくちゃ。そう思うのに、止まらなくて……。
「と、とにかく、横になって?」
言われるままに、支えられて身体を倒す。
革張りのソファ、涙で濡れちゃう……。
手に持っていたタオルハンカチで涙をぬぐうのだけど、次から次へとあふれ出して来て……。
「……ご……めっ……ね」
「しゃべらなくて良いから!」
怒ったような口調の田尻さん。
でも、わたしを心配してくれているだけだって、知ってるから、全然怖くなんてないんだ。
貧血も起こしているみたいで、目に入る景色が黄ばんでいた。
「救急車、呼ぼうか」
「……いら、な」
「でも、牧村さん、真っ青だよ」
「……だい、じょう…ぶ、だか……」
「ああ、もう、しゃべらなくていいってば! それに、全然、大丈夫に見えないし!」
ごめんね。わたしを心配する気持ちの中に、恐怖が混じるのを感じる。
酸素が足りなくなっているのは本当で、あんまり良くないのも本当で……。
だけど、救急車で運ばれるのは嫌だった。そこまでの状態でもないのは、自分でもよく分かってる。
「どうして欲しい? どうすれば楽になる?」
田尻さんはわたしの背中をさすりながら、そう聞いてくれる。
きっと怖いと思うのに、わたしの意見を尊重しようとしてくれる。
「ごめん。しゃべるなって言っておいて、聞くなよって感じだよね?」
田尻さんの苦笑い混じりの言葉に、震える手で、バッグの中から携帯電話を取りだした。
「……おばあ、ちゃ、……呼んで」
「おばあちゃん? その名前で入ってる?」
「……ん」
「あー、ガラケー、どうやるんだっけ?」
そう言いながらも、田尻さんはカチカチと迷わず操作する。
「迎えに来てって言えば良い?」
「……ん」
じき、おばあちゃんが出たのか田尻さんが話し出した。
「あ、すみません。わたし、陽菜さんの友だちの田尻麻衣って言います」
ごめんね、こんな面倒なこと頼んで。
「陽菜さん、今、うちにいるんですが、具合が悪くなってしまって……」
こんなはずじゃなかったのに。
少し前まで、とっても楽しかったのに。
「あ、はい、住所は……」
田尻さんがおばあちゃんに、この家の場所を伝え始めた。
これで、二十分もしたら、おばあちゃんが迎えに来てくれる……。
今日は家にパパもいる。もしかしたら、おじいちゃんもいたかも知れない。
だけど、嫌だったんだ。結婚しても良いよって、言ってくれた、優しい人たちには会いたくなかったんだ。家に帰れば会うんだけど、それは分かっているんだけど。
思い浮かんだのは、三月終わりの誕生日パーティの場にいた人の中で、ただ一人、結婚について何のコメントもしなかったおばあちゃんだった。
カナは、パパやママだけでなくおじいちゃんすら味方に付けていたから……。
お兄ちゃんも晃太くんも、広瀬のおじさまもおばさまも、みんな……。
ただ、おばあちゃんだけが、何も言わなかったから……。
「牧村さん、聞こえてた? おばあさん、すぐ来てくれるって」
「……あり、が…」
「だから、返事は良いってば」
今日、何度、そう言われただろう?
田尻さんは呆れたように
「ホント、真面目だよね。こんな時くらい、いい加減になりな?」
とぼやいた。
その言葉に中にも、やっぱり暖かい気持ちが込められているのを感じて、今度は心の中で「ありがとう」とつぶやいた。




