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17.ガールズトーク3

 身体の重さは取れないけど、今まで以上に疲れやすかったけど、だけど、とても順調な毎日だった。

 日々の生活は順調なのに、なぜか心が晴れなかった。

 昼間は気がつくと笑顔で終わっている。だけど、夜、一人になると、心が急に重くなるんだ。

「どうしたの? 元気ないじゃん、最近」

 しーちゃんが珍しくお休みしていたその日、体育前の休み時間に、クラスでも1、2を争う早さで着替え終わった田尻さんから声をかけられた。

「そう? 元気だよ」

 元気なく見えるのかな? 割と楽しく過ごしているつもりだけど……。

「牧村さん、体育館で見学するよね?」

「うん」

 保健室で休む程、体調は悪くない。

「じゃ、行こう」

「うん。……でも、わたし、歩くのゆっくりだよ?」

「知ってるって」

 田尻さんはわたしの心配を面白そうに笑い飛ばした。

 未だに、カナやしーちゃんは、田尻さんがわたしに近づくのを嫌がる。……というか、警戒する。朝の授業前も、休み時間も、昼休みも、放課後も、ほとんどがカナかしーちゃんと一緒にいるわたしは、なかなか田尻さんと話す時間を取れない。

 けど、何かにつけてキッパリ、ハッキリものを言ってくれる田尻さん、わたしは結構好きなんだ。変な気を遣われないのが心地良いし、キツそうに見えて、実は優しい人だと思う。

 今も田尻さんは、わたしの歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれる。

「ねえ、何を悩んでるの?」

「何を……って?」

 言葉にならなかった。

 去年までと違い、階段がないから、歩きながらでも、ゆっくりなら話せなくはない。けど、言うべき言葉が見つからない。

 ううん。

 心の中にはあるのだけど、言葉にできなかった。

 なんと答えようと思っている内に、いつの間にかうつむいて立ち止まっていたらしい。

「牧村さん、……大丈夫?」

 と田尻さんに顔を覗き込まれて、慌てて顔を上げた。

「ご、ごめん」

「わたしは良いけどさ。……ってか、良くないんだ、本当はっ」

 田尻さんは、はあーっと大きなため息を吐いた。

「……あの」

「ああ、牧村さんがどうこうじゃなくてさ、わたしの問題」

 田尻さんの問題?

「だから、気にしないで良い……って言いたいんだけど、ダメなんだよね」

「……何が?」

 わたし、何かやらかしちゃったかな?

「いや、わたしが気になるってだけ」

「気になる?」

「……牧村さんが元気ないと、なんか、すごい気になるのよ」

 田尻さんは、「何言わせるのよ」と小声で呟き、明後日の方向を向いた。

 心なしか、顔が赤く見える。

「えっと……」

 心配してくれてる……んだよね?

 田尻さんは、ふうっと一息吐くと、またわたしの方を見た。

「牧村さん、何か悩んでるでしょう?」

「……あの、悩みって言うか、」

「いいよいいよ、隠さなくて。悩んでるらしいのは、ずっと前から気が付いてたから」

 ずっと前から気付いてたの?

「結構長いよね? ……ねえ、話せない?」

「え?」

「話してみたら、スッキリしない?」

「……田尻さんに?」

「そう。志穂に話して解決するなら、もうとっくの昔に解決してるでしょ? でも全然、牧村さん元気にならないし」

 って、田尻さん、一体いつから気付いていたの?

 カナからのプロポーズが三月の終わりで、今はもう六月。

「だから、良かったら話してみない?」

「……田尻さん」

「嫌なら別に良いのよ? ムリに聞き出すつもりはないんだから」

 田尻さんらしい、そっけない口調。

 でも、その奥にとても優しい気持ちが宿っているのが感じられる。

 心の奥にほっこりと暖かい何かが生まれる。

 いつだって、歯に衣着せぬ物言いでズバリとわたしの心に切り込んでくる田尻さん。

 話したからって何がどうなるとも限らない。だけど、話してみても良いのかも知れないと思った。

 しーちゃんはきっと、何を言っても、何を望んでも、全面的にわたしを肯定してくれるから。……だから、言えなかった。

 田尻さんなら、おかしいことはおかしいってハッキリ言ってくれる。きっと、田尻さん自身の意見を、ぶれることなく言ってくれる。

「……聞いて、くれる?」

 わたしが田尻さんを見上げると、驚いたような顔をした。

「なんで、驚くの?」

 小首を傾げて問いかけると、

「……ううん。まさか本当に話してくれる気になるとは思わなくって、」

 と、そう言いながら、田尻さんは嬉しげに笑った。

「じゃ、お昼休みとか? ……は、叶太くんがいるか」

 今年はしーちゃんとカナと斎藤くんと食べる事が多い。

 でも、それがなくても、学校で話せるような内容ではない……。

「放課後とか? えーっと、保健委員会とか、近い内になかったっけね? ……ダメか。先に牧村さん送ってくよね」

 一生懸命、カナにばれずに話せるように考えてくれる田尻さん。

「あーねえ、いっそ休みの日ってのは、どう? 今度の土曜日とか空いてる? うち、来ない?」

「え? 田尻さんのお家?」

「そう。……えーっと、学校から電車で三駅のA駅。知ってる? 車だと二十~三十分かな」

 そう言いながら、田尻さんは思い出したように「あ、体育館行かなきゃ」と言った。

「ごめん! 返事は後で聞かせて。先に行くね。……牧村さんはゆっくり歩いて来て! わたし、先生に遅れて来るって言っておくから」

 わたしの返事を待たずに、田尻さんは手を振ると、駆け足寸前の早足で歩き出した。

 みるみる田尻さんの背中が遠ざかっていく。

 わたしの返事はもう決まっていた。

 土曜日に田尻さんの家にお邪魔する。

 学校ではできない話しをしに行くだけなのに、あまり楽しくない話をしに行くのに、友だちの家に遊びに行くなんて経験がほとんどないわたしの心は、不思議なくらいに浮き立っていた。



   ☆   ☆   ☆



 金曜日の帰り、カナに聞かれた。

「ハル、明日、家にいる? 病院の日じゃないよな?」

 もともと土曜日に空手に行くことが多いカナだけど、付き合いだしてからは通院の日は予定をずらしてでも、ほとんど付き合ってくれる。

 そして、土、日は特に用がなければ、大抵、家に遊びに来る。

「明日は、友だちのお家に行く予定」

 と答えると、

「へえ、珍しいね。誰のところ?」

 と尋ねられた。

 他意のない純粋な興味に、ごまかすことも嘘をつくこともできず、少しばかりためらった後に正直に答えてしまった。

「田尻さんのお家」

 わたしの答えに、カナは一瞬固まり困ったような顔をして、それから、

「えーっと……何しに行くの?」

 と聞いた。

「……ガールズトーク?」

 何て言えば良いのか分からず、ふと頭に浮かんだ言葉を答えると、カナはふっと笑った。

「疑問系なの?」

「んー。あんまりしたことないから、どんなのをガールズトークって言うのか、正直分からないんだけど……」

「あはは。そうだね、ハルはあんまり……って言うか、ぜんぜん? 噂話とか、恋バナとかもしないしね」

 それ以上追求されることもなく、楽しんでおいでって言われてホッとした。



 閑静な住宅街の一角にある田尻さんのお家は、とても素敵な輸入住宅だった。

 ドキドキしながらインターホンを押すと、カメラでわたしの姿を確認したのか、田尻さんの声が聞こえ、ほどなくドアが開けられた。

「いらっしゃーい。入ってきて」

 Tシャツにショートパンツの田尻さん。私服が、とても新鮮だった。

「こんにちは。……あの、これお土産です」

 玄関先で、沙代さんに用意してもらったお土産を渡す。

「ありがと! でも、なんで敬語?」

 田尻さんは紙袋を受け取りつつ、クスクスと笑った。

「え? なんか、……緊張しちゃって」

 そう言うと、更に面白そうに笑ってから、

「上がって上がって。今日、誰もいないから遠慮いらないよ」

 と自らも、サンダルを脱いで玄関を上がった。

「お邪魔します」

 と、わたしも靴を脱いで中に入る。

「こっち、来て。リビングで良いよね?」

「うん。わたしはどこでも」

 案内されたリビングは二階まで吹き抜けになった広々した空間。

 部屋の隅には暖炉まで置かれていた。

「素敵」

「ありがと。座って座って」

 勧められてソファに座ると、田尻さんも向かい側に腰掛けた。

「誰かいるとうるさいから、二階のわたしの部屋のが良いんだけど、今日、弟の野球の試合でみんないないんだ」

「弟さんがいるの?」

「そう。小六、うるさいよ~」

 そっか、田尻さんてお姉さんだったんだ。今更ながらに、そんなことを知る。

 命について……みたいな、とってもディープな話はたくさんしたのに、知り合って最初にするような、そんな話はしたことがない不思議な関係。

「田尻さんは二人兄弟?」

「うん、そう。牧村さんとこは、お兄さんがいるんだっけ?」

「うん。よく知ってるね?」

 同じく杜蔵生だったけど、同じ校舎に通ったのは小学一年生の時の一年間だけ。お兄ちゃんは六年生だったから、普通に考えて接点はほとんどない。

 首を傾げると、田尻さんは面白そうにわたしを見た。

「牧村さん知らないだろうけど、ハルちゃん情報って、結構出回ってるんだよ?」

 ……ハルちゃん情報? なに、それ?

 聞き慣れない言葉に驚いたのと、田尻さんの口から、色んな人に呼ばれる愛称が出ると、何だか妙にくすぐったい気分になったのとで、動作が止まってしまった。

 そんなわたしを見て、田尻さんはクスクス笑った。

「牧村さん、可愛いでしょう?」

「え? そんなこと……」

「あるある」

 最後まで言わせず、田尻さんは続けた。

「で、男子に絶大な人気を誇ってるの」

「まさか」

 わたしの返事に、田尻さんはまたクスクス笑う。

「こう言う、全然気付かないところも可愛いんだって」

 だんだん、田尻さんが冗談を言ってるんじゃないことが分かってきて、その意味を理解して、わたしが赤くなってうつむくと、田尻さんはまた笑った。

「確かに、可愛いわ、うん」

「………あの、わたし、どう反応して良いのか、分からないんだけど」

 田尻さんはわたしの言葉に吹き出した。

「まあ、叶太くんがいるからねー、誰も手出ししないから、気が付かないかもね」

 と言ってから、「いや、やっぱ、普通気付く?」とかつぶやく。

 わたしが困っていると、田尻さんはクスクス笑いながら立ち上がった。

「ごめんごめん。とりあえず、なんか飲み物でも持ってくるよ。麦茶とオレンジジュースだったらどっちが良い?」

「じゃあ、麦茶お願いします」

「だから、なんで敬語かなー」

 と、また笑いながら、田尻さんは隣のダイニングを通り奥のキッチンに入っていった。

「あ、わたし、ティーバッグなら紅茶も入れられるけど、暖かい紅茶の方が良い?」

 奥から大きな声が聞こえる。

「ううん。麦茶で大丈夫!」

 田尻さんに合わせて、つい大きな声を出してしまう。自分の声の大きさにビックリしていると、更に大きな田尻さんの返事が返ってきた。

「りょうかーい!」

 田尻さんを待つ間、窓から外を見ると、大きな木が数本と花壇、そして広々としたウッドデッキが目に入る。ウッドデッキにはベンチとテーブルも置かれていて、とても良い雰囲気だった。

 あそこでお茶したりするのかしら?

 田尻さんが優雅にお茶する姿を想像してみようとするけど、上手く行かない。一緒に思い浮かべようとした弟さんの姿も思い描けなかった。

 小六の弟って、どんな感じかな? 野球するくらいだから、元気いっぱいなんだよね。

 小さな子と遊んだりするのは好きだ。だけど、わたしが行く先は病院の小児病棟だから、元気いっぱいに走り回るような子はいない。と言うか、もしいたら叱られる。

 きっと、わたしじゃ、そんな元気な子の相手はできないんだろうな。六年生ともなると、絵本を読んでもらうような年でもないだろうし、男の子じゃ手芸にも興味がないよね。

 キャッチボールとか、鬼ごっことかするのかな?

 わたしにはムリだなぁ。

「お待たせ」

「あ、……ありがとう」

 気が付くと田尻さんが目の前にいて、テーブルに麦茶を置いてくれていた。

「何か考え事?」

「……えっと……ごめんね」

「別に謝ることじゃないでしょ。ってか、牧村さん、よくぼーっとしてるよね?」

 田尻さんは面白そうにわたしを見た。

「そうかな?」

「そうだって。話してる最中に、どっか違う世界に行っちゃうし」

 心当たりが存分にあり過ぎて反論できない。

「……ごめんね」

「だから、謝らなくて良いんだって」

 田尻さんはまた笑う。

 それから、

「あー、……わたしの言い方が悪いのか」

 と田尻さんは頭をかいた。

「ぼーっとしてるんじゃなくてさ、牧村さん、わたしが聞いた事とか、どう答えようか一生懸命考えてくれてるんでしょ? それ、ちゃんと分かってるから、謝る必要ないんだよ」

「……ありがとう」

「んー。お礼も良いよ。恥ずかしいしっ!」

 田尻さんのほっぺたがほんのり色づき、思わず笑うと、テーブルの上に置いてあった新聞でポカンと頭を叩かれた。

 驚いて目を丸くすると、

「あっ! ごめん! 竜にいつもやってるからっ!」

 と慌てて謝る田尻さん。

「あ、ううん、大丈夫。竜くんて、弟さん?」

「そうそう。ホント、すぐ人のことからかってくるし、いたずらするし、とんでもないヤンチャ坊主だよ」

 そう言いながらも、田尻さんの口調は本気で嫌がってはいなくて、きっと仲は良いんだろうなと思わされる。

 まだお家にお邪魔して、ほんの十分くらいなのに、新しい田尻さんがどんどん見えてくる。

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