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13.プロポーズの意味1

 分厚い遮光カーテンをそっと開くと、青く晴れ渡り、白い雲がぽっかりと二つ浮かぶ澄んだ空が目に飛び込んできた。

 雲はゆっくりと空を渡り、庭の木々も咲き誇る花もわずかに揺れていた。

 続けて、窓の端までカーテンを引くのに合わせて、ポカポカ暖かそうな朝の日差しが、室内を満たしていく。

 三月下旬、高校二年生が終わり、高校三年生が始まる前の春休み。

 わたしの十七回目の誕生日。

 一年の中でも、一番浮かれていい日かもしれない。でも、わたしは少し複雑な気持ちだった。

 ……十七歳。

 大好きだった、わたしと同じく先天性の心臓病を持った、七つ上の瑞季ちゃんが亡くなった年。

 ずっと、ウンと年上のお姉さんだと感じていたけど、とうとう同い年になってしまった。

 わたしより病状の軽かった瑞季ちゃん。それでも、不意の急変で若くして天に召された。

 自分も同じようになるとは思っていない。過去何度もの余命宣告を受けつつも、幾度も生死の境を彷徨いながらも、この年まで生き永らえてきたんだもの。

 この壊れかけの心臓が止まるのなら、もっと早くに止まっていたと思う。

 だけど、確実に数年前に比べて体調が悪くなっているのを感じるから……。続けて歩ける距離は短くなり、階段は休み休みでなければ、一階分を上がるだけでも息が切れるようになった。

 今日にしても、こんなに良いお天気なのに、一年を通しても体調の安定している春なのに、朝から妙に身体が重いから……。

 去年の冬に受けた手術で一時期、調子の悪さも多少は改善した。けど、過去手術を受けた後に比べると、開胸手術までした割には、あまり改善が見えない気がする。

 相変わらず、よく出る不整脈。

 きっと、どこかにまた不具合が出ている。このまま行くと、二年連続で手術を勧められそうな気すらする。

 わたしの心臓は手術とトコトン相性が悪い。毎回、開胸手術の度に冗談抜きで死にかけている。手術は成功なのに、術後の合併症に苦しめられる。

 今度こそ、次の手術では、もう戻って来られないのではないかと、誰にも言わないけど、……だけど、そんな思いが頭をよぎる。

 心が完全に晴れ上がっているとは、とても言えなかった。

 トントントン。

 ノックの音に我にかえる。

「はい」

 返事をすると、ドアがそっと開けられた。

「お嬢さま、起きられてたんですね」

 沙代さんが、にっこり笑いながら部屋に入ってきた。

「沙代さん、おはよう」

「おはようございます」

 沙代さんは窓際にいたわたしの元に歩み寄ると、そっとわたしの頰に右手を添えた。

「調子はいかがですか?」

「うん。大丈夫」

 元気とは言えない。

 けど、大丈夫なんだ。いつも通りだもの。

 そんなわたしの思いは丸見えみたいで、沙代さんは心配そうに表情を曇らせた。けど、なにも言わずに、笑顔を見せてくれる。

「お嬢さま、お誕生日おめでとうございます」

 沙代さんがそっと手のひら大の小袋を私に差し出した。

「わあ。ありがとう! 開けても良い?」

「もちろんですとも」

 沙代さんはわたしの背をそっと押して窓際のロッキングチェアに連れて行き、座らせてくれる。

「さあ、どうぞ」

 沙代さんの満面の笑みを合図に包み紙を開けると、中にはまた小袋が入っていた。

 赤いベルベットの巾着。袋から取り出そうとするとカランコロンと高く澄んだとても綺麗な音が鳴った。まるで鈴のように綺麗な音。でも、鈴よりずっと繊細で……。

 なあに?

 不思議な気持ちのまま、袋の紐を引いて開け自分の手に受けると、カランコロンと音を鳴らしながら、直径3センチくらいのまん丸な金属のボールが転がり出してきた。

 銀色の金属地に青緑の地球模様。

 手の上でカランコロンと音が鳴る。

「オルゴールボールって言うんですって。綺麗な音がしますでしょう? 古代ケルト人が瞑想のために使ったそうですよ」

 お礼を言うのも忘れて、初めて目にする綺麗なボールに目を奪われていると、沙代さんがこれが何なのかを教えてくれた。

「沙代さん、ありがとう! すごく嬉しい!」

 目を輝かせてお礼を言うと、沙代さんは嬉しそうに相好を崩した。

「気に入ってもらえて良かったです」

「大切にするね」

 ……古代ケルト人が瞑想に使った。

 沙代さんの言葉が頭に残る。

 静かな場所で、このオルゴールボールの音を聴けば、ザワつく心も少しは落ち着くのかな?



   ☆   ☆   ☆



 朝食の後は、家族からプレゼントを渡された。

 お兄ちゃんからは写真集。パパからはバッグ。ママからは、カナと行くようにって、美術館や映画館や水族館……色んな施設のペアチケット。

 パパが横から、

「別にパパと行っても良いんだぞ?」

 と言うので、思わず笑ってしまった。

 そうだね。パパと行くのも楽しそうだよね。そう言うと、パパは嬉しそうに笑った。


 お昼前からは例年通り、わたしの家族、お隣の家に住むおじいちゃん、おばあちゃん、広瀬家のみんなが勢揃いして、お庭でバーベキューパーティー。

 お兄ちゃんは春休みで帰省中。パパやママ、おじいちゃん、広瀬のおじさまは、お仕事をお休みしての参加。

 毎年、この日だけは、ママも必ず休みを取る。普段のお休みの日は、急患だったり気になる患者さんがいるだったりで途中で病院に行くこともあるけど、わたしのお誕生日だけは必ず一日家にいてくれる。

 何年前だったかな? ムリせず、病院に行っても良いんだよって言ったら、代診のお医者さんを頼んであるから大丈夫なのだと教えてくれた。

 ジュウジュウと肉が焼ける音がする。

 とても美味しそうだと視覚では感じるのに、炭火で焼いた美味しいはずのお肉に、まるで食指が動かなかった。

 お兄ちゃんが取り分けてくれたお肉に、どうしても手を伸ばせなかった。

 楽しげな雰囲気や空気は心地良い。だけど、食欲というものがまるでわいてこないんだ。

 スッと席を立ったカナは、戻ってくると、わたしの目の前に果物のたくさん入ったカラフルなゼリーを置いた。

「ハル、ゼリーもらってきた」

「あ……ありがとう」

「ムリに肉食べなくて良いよ。ハルが草食なのは、みんな知ってるし」

 カナはにっこり笑って、わたしの頭にポンと手を置いた。

 わたしの目の前にあったお肉は、カナのお腹に消えていった。

「陽菜、悪かったな。聞かずに取って。気にしなくて良いから。叶太の言う通りだ。陽菜が肉が得意じゃないのは、みんな知ってる」

 お兄ちゃんが困ったような顔でわたしを見た。

 ごめんね。わたしの方こそ申し訳なくなる。

 なんて言えば良いんだろうと思っていると、晃太くんが明るい声で言った。

「そうそう。ハルちゃん、気にせず好きなモン食べれば良いんだから。オレは誕生日くらい、自分が好きなものだけ食べて良いと思うよ? オレ、子どもの時に本気でそう思っててさ、お袋にネゴってひとりでホールケーキ二つ食べたよ」

 「え? ホールケーキ二つ!?」

 思いもかけない言葉と晃太くんが広げた手の大きさに、思わず晃太くんの顔をマジマジと見てしまった。

 直径二十~三十センチくらい?

 そんなサイズのケーキを丸ごと二つも食べたの?

 ……冗談だよね?

「そう。小三だったかな? ……で、食い過ぎて気持ち悪くなって、ケーキが苦手になったね」

 晃太くんの言葉に、お兄ちゃんがぷっと吹き出した。

「おまえ、あの時、プレゼント持参してったオレにイチゴ一個しか寄こさなかったよな。で、次の日、腹壊して学校休んでやがるの」

「若気の至りだね」

「何堂々とぬかしてる」

 ……本当なんだ。信じられない。

 二人のやり取りを呆然と見ていると、視界にゼリーの乗ったスプーンが入って来た。見ると、満面の笑顔のカナがわたしに向かって、スプーンを差し出している。

「カナ?」

「はい、あーん」

 ……え? カナ?

 どこかで見たような甘い空気に、気が付くと頬が熱くなる。

「え、ウソ。……やだ」

「ほら、ハル。早くしないと、こぼれちゃうよ」

「あ、あのね。……わたし、自分で食べられるし」

 カナだってそんな事は分かってる。そう思いつつも、気が付くとそんな事を言っていた。

 慌てて手を伸ばすと、カナは笑いながらスプーンを譲ってくれた。

「ありがとう。……いただきます」

「美味しい?」

「うん。とっても」

 カナがもらってきてくれたフルーツがたくさん入った沙代さん特製のゼリーは、口に入れるとスーッと溶けて、口当たりが良くてとても美味しかった。

 笑いかけると、カナはわたしの頭を抱き寄せた。

 ……なんで、こんな人前でするかなぁ。

 赤くなってそんな事を思っていると、晃太くんが笑いながら言う。

「ハルちゃん、相変わらずシャイだよね」

 わたしがシャイってより、

「……カナが、人目を気にしなさすぎだと思うの」

 そう言うと、晃太くんは笑いながら続けた。

「いや、ハルちゃん、叶太は確かにストレートだけど、これくらい普通だと思うよ。なあ、明仁」

「いや、叶太はもっと慎み深くしとけ」

 そうだよね? わたしも、そう思う。

 目が合うと、お兄ちゃんはにこりと笑ってくれた。

 食事がほぼ終わりになり、デザートのフルーツがテーブルに上る頃、みんなから順番に「おめでとう」の言葉と誕生日プレゼントをもらった。

 おじいちゃんとおばあちゃんからはレースのカーディガンとワンピースを。おじさまとおばさまからは腕時計を。晃太くんからは髪飾りを。

 ひとつひとつ、包装を解いて身体に当ててみつつ、「ありがとう」と笑顔を返していると、

「ハル、お誕生日おめでとう」

 隣の席に座るカナが、改めてお祝いを言ってくれた。

 わたしが「ありがとう」を返す前に、カナはわたしから視線を逸らして小さな紙袋から小箱を取り出し、蓋を開けた。

 ……いつもリボンがかかった状態で渡してくれるのに?

 不思議に思って小首を傾げていると、カナはわたしの左手を取った。

 ……なに?

 戸惑っている間に、薬指にキラキラ輝く宝石の付いた銀色の指輪がスッと差し込まれた。

 ……え?

 やけに大きな透き通った宝石。

 神々しいまでの輝き。

 ……ダイヤモンドの指輪?

 誕生日プレゼントにしては、あまりに大きすぎる気がする。戸惑いながら、そんな事を思っている内に、

「八月のオレの十八の誕生日が来たら、ハル、……オレと結婚してください」

 思いもかけなかった言葉がカナの口から飛び出して、わたしの中をスーッと通り抜けて行った。

「………え?」

 何が起こったのか、正直、まだ分かっていなかった。

 だけど、恋愛小説でよく見るこのシチュエーション。左手に増えた重み。

 カナが自分の手でわたしの両手を包み込むようにして、わたしの前に跪いて請うように言った。

「ハル、愛してる」

 あまりに思いがけない言葉に、欠片も考えたことのない言葉に、わたしの頭は真っ白だった。

 真っ白の頭に浮かぶのは、ひたすら「なんで?」という疑問だった。

 わたし、やっと十七歳になったところだよ? まだ、高校生だよ?

 ……なのに、結婚?

 身体が弱くて、家事だってまともにできない。

 もちろん、この先だって、きっと一生外で働くことなんてできない……。

 それ以前に、成人できるかすら危うい気がしているのに……。

 将来の夢を語ることすら、わたしには難しいのに……。

 うっかり呼吸するのを忘れて、息が苦しくなる。

 ……あれ? 息って、どうやって吸うんだっけ?

 あれ? 吐くんだっけ?

 吸って、吐いて、それからまた吸って、吐いて……とバカみたいに冷静に考えている自分がいるのに、思っているだけで、わたしの呼吸は止まったまま。

 酸素不足に心臓が悲鳴を上げた。

 ドクンッ、ドクンッと大きく心臓が鳴った。

 息苦しくてたまらない。

 ……気持ち悪い。

 さっきまで目に入っていた色鮮やかな景色が、すべて黄色くかすんでいた。

 身体がぐらりと揺れた。

「ハル!?」

 焦ったようなカナの声が遠くに聞こえた。

「陽菜!?」

 誰かがわたしを呼ぶ声が聞こえた。

 なにか言わなきゃ、カナになにか……。

 そう思いながら、抱き留めてくれるカナのぬくもりを感じながら、わたしは意識を失うこともできず、カナに必死でしがみついていた。

 どこかに落ちていきそうで、地面がどこかに行ってしまったかのような喪失感にさいなまれながら……。

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