10.第二関門、第三関門1
修学旅行の後、一旦回復して退院はしたものの、ハルの心臓の状態はなかなか落ちつかなかった。
ハルは手術と相性が悪くて、昔から手術の度に冗談抜きで死にかけている。だから、今回も投薬での治療を目指した。
けど、もう薬でのコントロールは限界と、十二月中旬、二学期の期末テストを保健室で受けた翌日、ハルは冬休みを待たずに入院し、数日後、開胸手術を受けた。
心臓手術の中では簡単なもので、手術も難なく成功したというのに、やはりハルは術後に感染症にかかって生死の境をさまよった。
オレはどんな日も毎日、ハルに会いに病院に通い、ハルを見舞った。
ハルが学校に戻れたのは、二月頭。
病院や療養中の自宅に、学校と連携した家庭教師が来てくれていたのもあり、留年の心配はなかった。しかも、そんな状態なのに相変わらずハルはオレより賢くて、正直、頭の中がどうなっているのか知りたいと思うくらいだった。
晩春から勉強していた投資は、初夏には実地訓練に入り、夏の終わりには本格投資を始めていた。
「資金は? 融資が必要なら……」
明兄は本気で、最短でオレを稼げるように仕込んでくれるつもりらしく、珍しく優しい事を口にした。
「元手ならあるから大丈夫。種から育てなくてもいけるよ」
父方の祖父の遺産という名の資金が、オレにはあった。
もちろん、自分の自由には使えない。事前に親父の許可は取ってある。
「面白い、やってみろ」
投資をやってみたいと言うと、親父は本気で愉しそうに笑った。
「……お前、才能あるぞ」
オレの運用状況をチェックしていた明兄に、着手半月目に言われた。
長い付き合いだけど、初めて、本気で明兄に褒められた。
かなりテンション上がった。
「こういうのはテクニックも大事だけど、最後は引きがあるかどうか。当たりくじを引き寄せる運があるかどうかだ。……お前には、それがある」
オレ、運は良い方なんだ。
任せてよっ!
といい気になったオレは、後から明兄の言葉の真意を聞いて、肝を冷やした。
明兄が失敗すると読んだ「良い勉強」になるはずだった幾つかの株が、逆に上がるという不思議な現象が起こっていたらしい。
話を聞いて改めて分析してみれば、確かにそれは手を出してはいけない銘柄だった。失敗していれば、資産は半分になるところが、何故か逆に五倍に跳ねていた。
オレはそれからも、似たような失敗……という名の成功を数回続けて、明兄を驚嘆させた。
「お前は本能で行け」
と言われたけど、いつまでもこれじゃ、いつか大失敗する気がして、オレは少しずつ慎重になっていった。
FXでは手堅く、米ドル。これ一本じゃないのもあり、他の通貨には手を出さない。
大きく損もしないけど、大きな儲けもない。低リスク低リターン。ただ、突っ込む金額を増やすと、自然と出てくる金額も大きくなる。
夜、他の投資の状況を確認する時間帯に片手間に売値、買値をチェックしながら、売買。
低めで買って高めで売る、ただそれだけ。駆け引きも何もあったもんじゃない。
大きく場が動く必要はない。1円も動けばそれだけで、数万。一晩で五万、十万くらいは軽く稼げる。場が締まる土日を除いても、できる日しかしなくても、これだけで月百万は稼げた。
株のように大きくは出ないけど、小遣い稼ぎには悪くない。何より、夜中でも場の動きを見ながらできるのが良い。
不動産にも手を出した。
最初に投資が必要だけど、安定した収入を得ることができる。
駅から少し遠い不便な場所にある古いアパート2棟と隣の荒れ地を安く買い、間取りを大幅に変更。小さな子ども、ペット可、安全に遊べる共有の遊具付きの庭のあるコーポにフルリフォーム。
小学校、幼稚園、保育園にほど近いその物件は、入居者募集後すぐに満室になった。
家を建てるまでの間、マンションを買うまでの間、小さい子どもがいる間だけ住んでもらえたら十分。回転が良いのは悪いことじゃない。
元々空室が多かったのもあり、元の住人との交渉はスムーズにいった。引っ越し代金と次の物件の紹介と敷金・礼金の支払い。そして多少の違約金で気持ちよく転居してもらえた。
もちろん、自分で動いたりはしない。
高校生のオレに何ができる?
オレは頭を使い、稼いだ金を払う係。親父のコネをありがたく利用させてもらい、色んな人の力を借りた。
気が付けば、税金対策にと勧められ、株式会社のオーナーになっていた。
社員はオレ一人。オフィスはオレの自室。
何の自慢にもならないけど、冬休みが終わる頃には、いわゆるサラリーマンの生涯年収と言われる額は稼ぎ終わっていた。
投資中で手が着けられない金が幾らあっても仕方ない。それは、いつ失われてもおかしくない金だから。
こまめに現金は引き出しておいた。
家賃なんかは、純粋に収入だ。と言っても、元手がかかっているから、損益分岐点を超えるには数年かかる予定。
オレは始めた時と比べて桁違いに残高が増えた通帳を見て、ようやく動く時が来たと決意した。
☆ ☆ ☆
最初に向かったのは、一番味方になってくれそうなじいちゃんのところ。
「じいちゃん、オレ、ハルと結婚したい」
一月、雪が降りしきる中訪れたのは、じいちゃんちの応接室。
ハルは先週退院して、自宅療養中。とはいえ、隣のじいちゃんちにはいつ来るか分からないから、念のために、訪問は夜中にした。
「こんな時間に何かと思ったら、何を今更」
オレの台詞を聞いて、じいちゃんは、愉しげに笑った。
いけるっ!
じいちゃんは、オレがハルと結婚するのを当然だと思っている。
けど、続けて言った
「今度のハルの誕生日にプロポーズして婚約、八月のオレの誕生日に入籍って思ってるんだけど」
という言葉を聞いて、じいちゃんの動きがぴたりと止まった。
……あれ?
「カナくん、結婚自体は反対しない。……が、それはいくら何でも早すぎやしないか?」
じいちゃんは、まるで悪さをした小学生を諭すように、真顔で言った。
だけど、これは想定内の反応だ。オレは慌てず、何故こんな早くに結婚という形にしたのか、明兄に話したのと同じことを話す。
ハルが週の半分以上を一人で食事していること、夜間具合が悪くても誰にも言わずに我慢していること。
オレの話を聞いたじいちゃんは、苦悶の表情を浮かべた。
じいちゃんは、ハルにとことん甘い。じいちゃんの優しさにつけ込んでいる自覚はある。
「……うちで毎日、という訳にも、いかんだろうな」
そりゃ、ダメだろう。ってことは、じいちゃんも分かってる。
おじさんもおばさんも、忙しくてなかなか一緒にいられないってだけで、ハルを心から愛している事には変わりない。
だからって、今日は自宅、明日はじいちゃんち……と言うのも微妙だ。
子どもの頃ならまだしも、家には沙代さんがいて、美味しい料理を作ってくれるし、ハルと一緒には食べられなくても、遅い時間になれば、おじさんもおばさんもほぼ毎晩帰宅はするのだから。
「結婚さえしていたら、オレは毎日、ハルと夕飯食べられるし、夫婦なら同じ部屋で寝られる」
それでも、じいちゃんは迷っていた。
「せめて、大学卒業まで待てないのか?」
「待てない」
「……高校卒業までは?」
じいちゃん、切り替え早っ! 一気に四年短縮した。
けど、
「待てない」
そう、待てないんだ。待ちたくなんてないんだ。
「親のすねをかじっている子どもが、結婚というのはどうだろう?」
じいちゃん!
その台詞、待ってたよ!!
オレは持ってきた鞄からクリアファイルと通帳を取り出した。
「じいちゃん、これ、見て」
資産運用レポート、現在の預金残高を記帳した通帳を並べる。
「ん? なんだい?」
レポートを読み進めるじいちゃんの目が、やがて大きく見開かれた。
最後に通帳を開き、残高を確認すると、じいちゃんはオレに視線を移し、まじまじと見つめた。
「じいちゃん、オレ、ハルを養える男になったと思う」
だから、応援して……という言葉に、数分後、とうとうじいちゃんは頷いた。




