君もアリスになるんだ!
女の人のあとに続き、さっき通った扉の下をくぐる。しかし扉の先にあった部屋にはさっきまで座っていたソファも無ければ記帳をした応接机もなかった。
「……あれ? さっきここから来ましたよね?」
「んぁ? まぁーそうだな。確かにさっきはこっから来たわ。あ、そんでここからどういう原理で同じ扉から違う部屋に行けるかっつーのが気になるんだろうけど……ま、説明がめんどくせぇから省くわ。なんか不思議パワーが働いてるとか思ってくれや」
女の人がぷらぷらと手首を振りながら気怠そうにそう答えた。
いや、やっぱり説明不足だこの人は。それに本当に適当だわ。
それで扉をくぐった先の私の目にはどのようなものが映っているかというと……さっきまでいた事務室等では決してなく、生まれてから今まで、一度も見たことがないような異様な光景であった。
「ここは……どこですか?」
女の人がにたりと笑う。
「ここが死界への門だ」
どこまでも続く壮大な大地には爽やかな若葉と巨大な大木が命を萌やし、薄っすらと雲がかかる青く果てしない空はどこまでも続いている。そして、そんな果てしない空を貫ぬくように壮大な大地から生えた褐色の石塔が無数にそびえたっており、さらにその褐色の塔を遥かに凌ぐ大きさを誇る黒い門が堂々たる姿で構えていた。無数の蔦が締め付け、猛禽類が門の周りを飛び回るその姿は、死界への門と呼ぶにふさわしく、神々しくかつ仰々しい姿をしていた。
そんな光景を眺めていた私は、改めて自分の今立っている場所を思い返す。
「……本当にここあの世にだったんですね」
「だからずっと言ってんじゃんか」
女の人がくひっ。と笑った。
ここがあの世的なところだというのはわかっていたけど……改めてあの世っぽいものを見せられると、より一層こう現実味が湧いてくる。ややこしいことに現実じゃないんだけどね。
私は一度死んで、繋魂使になる代わりに私が元いた場所に戻される。
冷静に考えてみたら突拍子もリアリティもない話なのだが、今この光景を見た後ならば素直に受け入れられるような気がした。
女の人がぷらんと手首を振る。
「ま、という訳で時間もないんでちゃっちゃと元の場所に戻りましょうかねぇ」
「? 時間がない?」
「あ、これも説明してなかったか」
やっぱりさ……説明不足がこう……ね?
「君は、体は死んでいるものの一応まだそっちの世界の人なわけじゃん? いわゆるあの世にはまだ行けてないんだから」
「そう……ですね?」
「そうなんです。なんで本当はここにいちゃいけないわけで……まぁそっちの世界でいう一時間半くらいがこっちにいれる時間の限界なんだよね」
「なるほど。そんな妙な成約が」
「そうそう。その時間を超えて滞在する場合には、身体は死んだものと見なされるからな。身体が生きていても中身は向こうにもどれなくなるわけだ」
「それはちょっと恐ろしいですね……。えぇーっとそれで、あとどれぐらいで1時間半になるんですか?」
んーっ。と言いながら女の人が、革製の懐中時計を取り出した。
「……あ、やべあと五分くらいしかないじゃん」
「結構ギリギリですね!?」
「そうなんよねーっ!」
女の人が、頭を抱える。
「あちゃーっ、色々書いてもらう書類とかあったんだけどなー」
「あ、そうなんですか!?」
それを書かないと戻れないとかいうオチじゃないですよね?
「……」
「目を逸らさないでくださいよ!? さっきまでの! さっきまでのノリノリ感は何処に行ったんですか!?」
女の人は目を逸らしながら、無理やり笑顔を作る。
「まぁ……多分大丈夫でしょ。私がそれっぽく書いとくから」
「いや、それっぽくって……」
女の人は空を見上げる。
「ま、いいやいいや。どうにかなるよ」
……不安だなぁ。
そんな私の思いを遮り、という訳でと女の人が続けた。
「ま、書類をすっ飛ばしちまえばそっちの世界に戻る方法は簡単だ」
「簡単なんですか?」
「そうそう。簡単簡単。つーわけけでほら、そこの大木をよく見てみ」
私は大木の方に目を向ける。大きさで言えば樹齢3000年を超えていると言われても疑わないような。そんな大きさの大木だ。
私は、大木をあちこちまで見渡す。青々と茂った葉に、力強くそびえ立つ幹。いたって普通。という訳ではないが、そこにあるのはいわゆる立派な大木であった。
「……何か目立つものがありますか?」
女の人が、人差し指を上から下に動かしながらこう言った。
「根元根元」
促された私は大木の根元に目を向ける。無数の根が地面を包み込む姿はとても雄大であるのだが、そんな根の隙間に一箇所だけ空間が出来ている。
そこには不思議の国のアリスに出てきそうな大きな穴がぽっかりと空いていた。
「……穴がありますね」
「だろっ?」
そう言って女の人は、ふふんっ。と鼻をならす。
「……いやまさかですけど」
女の人は、にひっ。と笑った。
「よし君もアリスになるんだ!」
ビシッ。女の人は指をキメる。
……やっぱりそうか。私はあの穴から帰らないと行けないのか。
私は思わず心配になる。
「……大丈夫ですか? 本当にあそこから帰れるんですか?」
女の人は、自分の首を掻きながら答える。
「帰れる帰れる。つーかあっちへの入り口はあそこにしかないのよ。てか、もう君時間ないよ? そろそろ飛び込まないとあっち帰れんくなるよ?」
「……マジですか」
私は大木の根本へと足早に近づく。そして、大きな根をいくつも跨ぎ、やがて両足のつま先を穴のふちへとかけた。
私は穴の中を見下ろす。
「……結構深くないですか?」
「結構なんてもんじゃねぇよ。そっちの距離に換算したら……何百キロあんのか……私は絶対飛び込みたくないね」
おい。
女の人は、懐中時計をちらっと見て私の方を真剣な目で見つめた。
「まぁ本当……繋魂使として活動するということは苦労ばかりがあると思うわ。今日は時間もなくて肝心なこともあんまし説明出来んかったし……」
けど。と女の人が続ける。
「先輩は沢山いるし、今までも何万人の人がその役目を果たしてきたんだ。君にだって出来る出来る。それに今日の足りねぇとこだったり、わかんねぇことだったりがあったら指導係の繋魂使がいるはずだから……まあそいつに聞けばいいさ」
ポンッと女の人に肩を叩かれる。
「うわっ! ……と」
「おお悪い悪い」
「いや、その感じは思ってないですよね?」
危ない危ない。自分の意志じゃないタイミングで落ちるところだったよ。
私は、さっきまでの出来事を振り返る。死んだこと。繋魂使になったこと。おじさんを全力でぶん殴ったこと。そして今から生き返ること。
……なんだかんだあったけどこの女の人に色々教えてもらったんだよなぁ。時間のせいで説明不足だったけど。
「あの……なんか本当ありがとうございました…。あの、えぇっと」
「あ? どした?」
「そういえば……名前聞いてなかったよなぁ。と思いまして」
あー、そういやそうかぁ。と女の人が、呟く。
「ま、私の名前なんて無いようなもんだから……そだな、門番さんとでも呼んでくれりゃいいよ。死を司る神様、普段は死界の門にいるから門番さんな?」
ん!?
「あなた神様だったんですか!?」
「まぁ、うん。一応神様だよね?」
神様てこんなんだったのか……!!
「結構失礼なこと思われてる気がするんだけどなぁ……? ま、こんな私みたいなんは小数だ。大抵はだっせぇ服着て威張り散らしてるよ。まぁ私はああいうのは、いけ好かないんで、こういうふうにしてるとこもあんだけど」
そうだったのか。……それでそんなパンクな格好を。
「あ、それは私の趣味だわ」
おい。
あ、それとそれと。と女の人こと門番さんは、どこからか出したのか白い袋の中をゴソゴソと漁りだした。
「ちょっと行く前に渡したいものが……あ、あったあった。ほれっ」
ヒョイッと私の方に道具を投げつける。
「まぁ、これでも使ってくれや」
「これは……ハンマーですか?」
「そうそう。見ての通りハンマーだ。君がもってる血の染み付いたやつは嫌だろうと思ってね」
そうやって渡されたハンマーは、さっきの木製のものとは違い、柄の部分は木製であるものの、ヘッドの部分は金属製になっていた。
「……随分大きいですね」
「まぁな。なかなかのサイズ感だとは思うわ」
何より変わっているのはハンマーの形状で、ホームセンターに売っていそうな木製のハンマーとは異なり、柄が細くヘッドの部分がすごく大きい。例えるなら漫画に出てくるような、ハンマーと言われて想像するそのままの形をしていた。
そしてそんなハンマーの柄の部分を見ると、不格好ではあるものの字が彫られているようであった。
「これなんて書いてあるんですか? のぼりかなづち?」
だははっ! と門番さんが笑う。
「ちげぇーよ。これは昇金槌っつってな。まぁ名前は私が勝手につけたんだけど」
頭の中で、読み方の結果にコミットする。
「まぁ側が違うだけでさっきのやつと中身は変わらん。それで実際に人が死んでるし」
やっぱ死んでるんだ。
「さっきの木製も使えるんだけど、ビジュアルがあれでしょうし……まぁ二本持っとけ。多いに越したことはねぇよ」
「なら……そうさせて頂きます」
女の人が、再度懐中時計を見る。
「つーか、もうそろそろ落ちようか? ホント時間やばいぜ?」
門番さんから割と本気でせかされた。
「えぇ、はい。それじゃああの……ありがとうございました門番さん。私、繋魂使として頑張ります」
「おう、頑張れ頑張れ」
門番さんが小さく手を振った。
門番さんの見送りをみた私は、息を二、三回程整える。
さっきまでの出来事を三度振り返り、これから先を考えた。きっと今までと全く同じ生活は出来ないんだろうと思う。けど……繋魂使としてがんばれば……私は生き返られるんだ。
「……よし!」
私は腹を括る。
私は一歩前へと踏み出し、深い穴の中へと飛びこもうとした瞬間。
「はよせんかい」
私の背中にぐいっ。と押されるような衝撃が走った。
「え、門番さん!?」
落下しながら後ろのほうを振り向くと、ニタァ。と笑う門番さんの姿が見えた。それも片足を前に突き出しすごく満足そうな姿が。ああ、これはあれだわ。
私、蹴り飛ばされたな?
「いやぁぁぁぁああぁああっ!?」
思わず叫ぶ私の体から重力が消える。
私はひたすら垂直に、穴の中を落ちていった。いつも楽しんでいた坂道なんて比較にならないぐらいの風とスリルを味わいながら。
自分の断末魔に耳を塞がれながら、私はスカイダイビングをするとこんな感覚なのかなぁっ。とふと考えた。
そんな私の声をかき消すような声が上の方から反響して聞こえてきた。
「あ、忘れ物忘れ物!!」
そんな門番さんの声が聞こえたのとほぼ同時に、私の背中を再び衝撃が襲う。
「おごふ!?」
「あ、ごめぇーん!! ハンマーがジャストミートしちゃった!?」
私は一生懸命に痛みを堪える。危うく私が昇天するところだっじゃないか。
そして昇金槌を無事回収し、右手に血付きハンマー、左手にライズアッ……言いづらいからいいや! 昇金槌を装備した私はこの世を目指し、ひたすらに穴の中を落ちていったのであった。
そして丁度、私がハンマーを回収した頃、あの世からの入り口の穴の前に一人残っていた門番さんは、さっきまでの笑顔なんて最初からなかったかのような固い表情で、一言だけぽつりと呟いた。
「……可哀想なことしちゃったかなぁ」
くるっと門番さんは振り返る。
そして大木の根元の穴から、死界の門へと、何事もなかったかのように門番さんは歩いて行った。