君を待ってたんだ
やがて坂を下り終わった私は、しつこいほど目に入ってくるスーパーマーケットを通り過ぎ、住宅街の真ん中を我が家に向けてとことこと歩いていた。
自転車に乗れば間違い無くそちらの方が早いのだが、一度事故を起こしている私は自転車に乗る気分にはなれなかったのだ。
実際問題、自転車も私の身体も無傷。だけど一度は事故を起こしているという事実。そんな複雑な気持ちがぐるぐると心の中を回っているのである。
そんな訳でとことこといつも通りの帰路を歩いているのだが、自転車を降りて歩いてみる。というのは今までとはちょっとだけ違い、なんだか初めての道を通るようなそんな気分になった。
「なんかこうやって帰るのも新鮮だなぁ」
道の角を曲がるか曲がらないかのタイミングで、思わず間抜けな独り言が出る。それほどまでに、今までの一年間ずっと見落としてしまっていたことが沢山あるのだ。ホント意識するかしないかだけでこんなに景色って変わるんだなぁ。
人家の軒先にいるぽっちゃりとした柴犬や、人が二人通れるかどうかの細い裏道。家と家の間を流れる至極小さな小川や、路地の先にあるブランコのある公園。そして私の目の前を仁王立ちで塞ぐチェーンソーを持った女の子。
「……」
「……」
和やかな空気に包まれていたような気がした帰り道が、一気に凍りついた。
ちょ、待って。落ち着くんだ私。なんで? なんで目の前にチェーンソーを持った女の子がいるの? もしかしてだけど1年間見落としてたわけじゃないよね? ちょっとわけわかんないよ?
目の前にいたのは黒い髪を腰まで伸ばした切れ目の女の子。黒色のセーラー服を着ており……見たところ中学生くらいといったところだろうか? そんな女の子がチェーンソーを持ちながら、私の方を見つめ仁王立ちしているのだ。
「……」
「……」
自転車を押して歩いていた私と、チェーンソーをもって仁王立ちをする女の子。当然のことながらかどうかは置いておき、そんな二人の間を変な空気が流れている。そりゃそうだ。日常生活じゃまず起こらないシュチュエーションだもんね? 軽くホラー映画の冒頭シーンだよね?
私の背中を冷や汗が滴っていく感覚がわかる。
確かに今日一日は訳のわからないことばかりだった。死んだりおじさん殴ったり生き返ったり。けどそれらは全部あくまであの世での事だったわけで……あくまでこっちの世界での話ではない。
けど、確かに今私の目の前には、じぃっ。とこちらを見つめ続けるチェーンソーを持った女の子がいるわけで……。
……もしかしてだけど私、まだあの世にいるわけじゃないよね?
私は自分の頬をぎゅうっ。と抓る。あ、夢じゃねぇやこれ凄く痛い。
ということは、たしかに今これは現実で、私の目の前のチェーンソーをもった女の子は本物で……。
ゴクリ。と喉が鳴る。あ、でもあの世でも痛みは感じるらしいし……あ、なるほど。
「あれ? やっぱ私死んでる?」
「生きてる。今私の目の前にいる」
「うわ、喋っどぅふ!?」
私は思わず舌を噛む
「大丈夫? ……すごい噛み方したけど」
「だ、大丈夫です」
「それなら……いいけど」
そういって女の子はふっ。と私から目を逸らす。
ヒリヒリと痛む舌を指で抑えながら、私は確かなデジャブを諸に感じた。あれ? こんな会話前もしたよね?
けど、今そんなことはどうでもいいのだ。問題は目の前の危険人物である。夕暮れ時に一人道の真ん中でチェーンソーをもって仁王立ちするような危険人物。……一体何をしているんだろうか?
いつもの私なら絶対に見て見ぬふりをするのだが……独り言を言ってしまった故私から会話を初めてしまった矢先、恐る恐ると話を切り出した。
「えぇっと、その……道の真ん中で何をしてらっしゃるんです?」
目を逸らしていた女の子は、再びじぃっと私の方を見つめる。
切れ目の女の子の瞳は、シャープな印象とは裏腹にぼんやりとしたようなそんな雰囲気を纏っていた。もしかして、ずっとこの女の子の瞳を見続けていると、この子の中に吸い込まれてしまうんじゃないだろうか。と思ってしまうようなそんな瞳なのだ。
どうにか吸い込まれないように耐えている私に、ぽつり。と女の子は呟いた。
「人を待ってるんだ」
「人?」
女の子はコクリと頷く。
「人。ヒューマンとも言う」
「そ、そうなんだ」
「うん」
「……」
「……」
「ど、どれくらい待ってるの?」
「……二十分くらい」
「へ、へぇっ! そうなんだね!」
「……」
「……」
沈黙が生まれてから5秒程。女の子は再度私から目を逸らす。駄目だ。会話が進まない! いや別に弾ませるつもりも無いんだけどさ!
けど、一つわかったことがある。それは、この子は私に危害を与えるつもりではないみたいだと言うことだ。さっきからチェーンソーを振りかざすような様子も無いし、何より人を待っていると言ってたからね。
だったら。と変な安心感を覚えた私は、再び話を切り出した。
「えぇっと……君いくつ?」
女の子は目を逸らしたまま答える。
「……十七」
「ふぇっ!? じゅ、十七!?」
「……何か問題でも?」
ジロッと女の子……もとい女の人が私の方を見つめる。
「いや、別になんでもぉ……」
「……そう」
再び、スッと女の人が目を離す。
先輩だったんだ……!? どう見てもいいとこ中2にしか見えないのに!?
「えぇっとあの……こ、ここらへんに住んでらっしゃるんですか?」
「……少し遠くに住んでる」
「そうなんですねぇ……」
女の人がコクン。と頷く。
「……」
「……」
「きょ、今日はいい天気ですね!」
「……今晩から雨」
「そ、そうなんですか!」
「うん」
「……」
「……」
「は、ははっ!」
ぷいっと女の人が、どこか遠くに視線を向ける。本当なんなんだろうこの空気。こんな雰囲気の人は初めてかもしれない。けど、まぁそうだよね。チェーンソー持ち歩いてる人だもん。普通なわけがないよねっ!
そういえば。と私は気になっていた事を聞く。
「あの……そういえばなんですけど、どんな人を待ってるんですか?」
ピクッと女の人が反応する。
あれだよね。チェーンソーを持って待つような人だ。きっと凄い人に凄い用が……ちょっと待て。やっぱおかしい。なんか流しちゃってたけど前提条件からおかしいよね? チェーンソーを持って歩くなんて……まぁ、あれしかないよね? 木を切るか人をキルかしか……無いんじゃないかな? その上、見たところ作業員でも何でもない女の人がチェーンソーを持ち歩く……例外はあるかもしれないけど、木を切りに行くような格好とは思えないし……。
と、そこまで考えついたところで視線を上げると、ゆっくりと首を動かしていた女の人と目が合った。
見ていると吸い込まれそうなそんな瞳で、私の目をみつめている。だが、その瞳からぼやけた雰囲気は無くなっており、鋭利な刃物のような鋭い視線が私の目を抉るように見つめている。
私の中を緊張の糸が張りつめる。やがて緊張のせいか私の周りから音が消えたような気がした。
額を冷や汗がかけ降りる。やばい、私地雷踏んだわ。と、そこまで考えたところで私の中を後悔の念が駆け巡る。
ごくりと生唾を飲む。それとほぼ同時だろうか。女の人がニコっと笑った。
つられて私もぎこちなく笑う。微笑みあう女子高生ふたり。チェーンソーさえ無ければなんて微笑ましい光景だろうか。
笑ったまま女の人がポツリとつぶやく。
「君を待ってたんだ」
「……えっ?」
二人の間を桜の花びらが舞う。しかし依然静けさに包まれたまま。やがて女の人の空気が重く変わった。
女の人がチェーンソーのエンジンをかけ、静寂を切り裂くようなけたたましいモーター音が住宅街に鳴り響く。
ニッコリと笑いチェーンソーを持つ女の人と、そんな女の人に待たれていた私。
あ、これもっかい詰んだわ。と思うまで時間はかからなかった。




