とある病
「ウェルの馬鹿!」
「ふふっ……何で僕、姉さんに怒られてるの?」
「何で怒られるか分かって聞いてるでしょ!ああーっ、もう……。」
明日にはマダム達の逞しい妄想の肴となっているだろう事に泣きたくなるほどのミゼ。
そんな、絶望の淵に立ったと涙目なミゼを見てウェルツェは─────
手で覆うも隠しきれない口元のにやけを浮かべた。
「ウェル?どうかした?」
「ううん、なんでもないよ。」
ミゼはどことなく変な様子のウェルツェを気遣ったが、心配かけまいということか、いつも通りに振舞う。
ウェルツェは、病を患っていた。
そう、ミゼルカ大好き症候群という、重病である。
(はぁ……姉さんってば今日もどうしてこんなに可愛いんだろうか。)
*
ミゼがこの町の孤児院に来たのは、今から7年程前の寒い冬であった。
当時10歳であった彼女は雪降る夜、偶然近くを通りかかった孤児院の院長によってその命を助けられた。
あと数十分遅ければ、確実に彼女の命は無かったという瀕死状態であったという。
彼女の懸命の看護があって命の灯火を再び燃やしたミゼ。
助かったという奇跡の代償なのか彼女は一切の記憶を失っていた。
彼女の身寄りの唯一の手がかりは“ミゼルカ・グランツ”と刺繍された白い上等なハンカチ1枚。
グランツ家と名のつくところを手あたりしだい探したが、めぼしい家は見つからなかった。
「ミゼ。貴方のお父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、皆私がやるからね。こんな美味しい役目、誰にも渡さないよ。」
親が見つからないと分かった時から院長はミゼの親であった。
この不況の中、孤児の受け入れを拒む孤児院もあるというのに、ミゼのお人好しな親はどんな子供も笑顔で受け入れる。
「出会いは一期一会というじゃないか。」と────。
院長である彼女、メアリー・フロールは御年60。皺が年相応に目立ち、いつの間にか背も小さくなったと、ミゼは感じている。
(私が支える。私が院を守らなきゃ。)
そのためには何よりも働く事が大切だ、気合を入れろと強く自分に喝を入れる。
「高収入が欲しければ、自分を捨てろ!身を粉にして働け!」
「何だっけそれ……。」
「大富豪、キトリ・オルコットさんの座右の銘よ。」
「姉さんは女の子なんだから、そこまでしなくてもいいのに……。」
若干引き気味で、ウェルツェは苦笑いを浮かべる。
それから「一生懸命なところ、大好きだけど……頑張りすぎは駄目だからね」と付け加え、ミゼの頭を優しく撫でた。
こういう……子供扱いのような事をされた時、ふとミゼは思う。
ウェルツェはいつの間に自分の身長を抜いていたんだろうと。
(初めて出会った時は私よりずっと小さかったのに……)
ウェルツェが院に来たのは、ミゼが院での生活にもようやく慣れた時だった。
表情のないその少年は美形であるからより恐ろしく、よく院のやんちゃな同級生達や町の子供たちに意地悪をされて。
ウェルツェと親しくなってからは、ミゼが怪我を負ったウェルツェの看病をし、甘やかしていたのに。
(何か……悔しい気もするんだけど。)
いつの間にか形勢逆転した立場。
これも喜ばしき成長か……と、ミゼは複雑ながらも喜びの気持ちを胸にした。