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運命

 たんぽぽの綿毛のように、風に揺られ、吹かれて飛んでいく。

 自分と言う個は所詮、どうしようもなく儚く無力な存在だ。いてもいなくてもどちらでもいい。空気のようだと評されたこともある。

 自分はまるで川・渓流に落ちた木の枝のよう。流れに飲まれて抗おうともせず、そのくせ、助けて欲しいと願うのだ。

 地に足を着けていたい。折れないように、曲がらないように。真っ直ぐ水平に立っていたい。



 断割家のリビングには四人の少女がいた。誰もが難しい顔をして重たい息を吐き出している。冷房は効いているはずだが、一人の少女はじっとりとした汗を額に滲ませていた。

「……な? 言ったろ」

「……はい」

 李は重苦しい風に答える。

 オリヴィアは満足げに頷いてスイカの方に向き直った。

「スモモの反応がよくない。もう一度聞かせてやった方がいいだろうか」

「やめて」と、スイカはうんざりした様子である。無理もなかった。彼女は、オリヴィアの中枢での体験談を何度も聞かされているのだ。しかもオリヴィアは中枢でのことを正しく覚えていない。記憶がおぼろげなのだ。話の内容は回数を重ねるごとに変化して行ったり来たりで要領を得ない。ありていに言えば面白くなかった。

「どうして覚えてないことを自慢げに話せるかなあ」

「覚えてないが、私が中枢へ行ったのは本当だからな」

 オリヴィアはスイカと美祈が驚き過ぎて引いてしまうほど、何も覚えていなかったのである。

「あの時のスイカの顔ときたらなかったな。私がいなければ死んでいたんだぞ」

 しかも否定出来ないのが痛いところであった。

「あ、あのう、オリヴィアさんの話はいっぱい聞きましたから、そろそろ」

 ああ、と、スイカはばつの悪い顔になる。もともと、四人で集まろうと言ったのは李だったのだ。

「おばあちゃんの持ってる本を読んできました。全部じゃあないですけど、少しは皆さんのお力になれると思って」

「おー、いやー、わりーなー李ちゃん」

「あ、待って」

 口を開きかけた李だったが、スイカが彼女を制止させた。

「あのさ、そもそも、なんで協力してくれるの?」

「はあ? 何言ってんだバカ、助けてくれるってんだから助けてもらえばいいじゃねえか」

「だから理由が分かんないんだって。だって李ちゃん、わたしたちを助ける理由、ある?」

「そうですね、ありませんね」

 李はにこりと微笑む。

「でも、助けない理由もないってことですよ、それって」

 スイカは低く唸って李をねめつけた。悔しそうにする彼女の頭を美祈が撫でてやった。

「お前が心配してることは分かってんよ。でも知ってっか? 情報ってのをマジかどうか決めんのはあたしらなんだぜ?」

「そもそも、私はスモモが嘘を言うやつとは思っていない。スイカは人を疑い過ぎる」

「だいたい、私に『お願い』って頼んだのはスイカさんじゃないですか」

 三方から攻められたスイカは言葉を失った。

「……続けたまえよ洲桃野くん」

 スイカの仏頂面を見て、李はくすくすと笑む。そうしてから彼女は一呼吸置き、話を始めた。

 だが、李の話す内容の殆どはとりとめのないもので、誰かに言わされているかのような口調でもあった。また、肝心の中枢に関することは一つとして分からなかった。

「結局、おばあちゃんもスイカさんたち……じゃなくて、私たちが巻き込まれていることについてはよく知らないんです」

「李ちゃんって、何者? うちさんと同じで魔女なの?」

「ううん、私は、ランダで言うところのレヤックやカリカみたいなものですね」

「へ?」

「魔女見習い。弟子みたいなものと思ってください」

 魔女を語る李の表情に暗いところはない。スイカは違和感を覚えつつも、そのことを口にすることはしなかった。

「……なーんもハッキリしなかったなァ。とりあえず、今日のところは帰るわ」

「それじゃあ、私たちも行こうかスモモ」

 美祈とオリヴィアが立ち上がった時、玄関から物音が聞こえた。何も悪いことはしていないのに、美祈は身を強張らせる。

 ややあって、リビングに月美が姿を見せた。三和土に靴があった為か、彼女は来客の存在には驚いていない様子であったが、みょうちきりんな組み合わせには面食らったらしい。

「あれ? スイカ、ええと」

 月美は美祈、オリヴィア、李の順に見遣ってから目を瞬かせる。

「お友達?」

 若干の間があったが、スイカは小さく、気恥ずかしそうに頷いた。月美はまるで自分のことのように、嬉しそうに笑んだ。

「お昼食べた? よかったら何か作るけど」

「……あー、あたしらは」

「やった。イタダキマス!」

 美祈が顔を手で覆った。

「少しは遠慮しろよう」

「でも、私はお腹が減っている。こういうのを日本では渡りに船と言うんだ」

「あ、やっぱり外人さんだったのね」

「スペインから来たんだって」

 相槌を打ち、月美はキッチンへと向かった。スイカは彼女の後姿を何となしに追う。日章の意識が戻ったこともあってか、月美の表情は明るいものになっていた。この時、スイカは母親という存在を強く認識した。



 昼食を食べ終わった後、月美がリビングからいなくなるのを見届けた美祈は声を潜めて言った。

「全然詮索しなかったな、お前のおばちゃん」

「あー、まあ、だね」

「いや、あたしが言うのもなんだけどよ、歳とか、学校とか、ゴメちゃんにいたっては国だって違うだろ。みんなバラけてる。どこで知り合ったんだー、とか、普通はもっと不思議に思うんじゃねえの?」

「不思議には思ってるけど、嬉しいんじゃないのかな」

「なんでよ」

「わたしが友達を家に呼ぶのって初めてだから」

 美祈は物悲しげな表情を浮かべた。スイカはそれが気に入らなかったのか、彼女の太ももを軽く蹴飛ばす。

「うわああああスイカがあたしんこと蹴ったー、お前のママに言いつけてやるからなー」

「鬱陶しいなあ……あっ、ちょっとオリヴィアちゃんどこ行くのっ」

「スイカの部屋に行こうと思った。せっかくだから」

 オリヴィアは一人で勝手に階段を上ろうとして、李が彼女を引き留めようとしている。

「やだよ勝手なことするんなら帰ってよ!」

「服が見たい。スモモのやつはきついから」

「借りてるのにその言いぐさはひどいですよ!」

「静かにしろよ、スイカのおばちゃんに悪いだろ」

 言いつつ、美祈の足も階段へ向かっている。スイカはオリヴィアの頭をぶとうとしたが、するりと避けられて逃がしてしまう。

「もう、バカ!」



 夕刻、断割家を出た李は、オリヴィアを連れて洲桃野商店へと戻っていた。オリヴィアはスイカから半ば以上無理矢理に借りてきた服を試着する為に客間へ行き、李は店番をしているうちのもとへ向かった。

 丸椅子に座るうちは李を見上げると、首尾はどうだったと尋ねた。

「言われたとおりのことは言ったよ。けど、なんでおばあちゃんから皆に説明しないの?」

「私が言ったってあの子らは疑うに決まってるからねえ。特にスイカって子だ。妙に勘がいいし、半端に賢い。だからあんたが言った方がまだ信じてもらえる」

「他人を疑るのはおばあちゃんも同じじゃない」

「……歳喰ったらあんただってこうなるさ。それより、明日からの学校、きちんと行くんだよ」

 うちは目を瞑って腕を組んだ。こういう時、彼女はもう口を開かなくなる。そのことを李はよく分かっていた。

「私、おばあちゃんが何を考えてるか分かんないよ」

 言ってから、自分の口から出た言葉がずしりと圧し掛かってきて、李は耐え兼ねたように目を瞑った。



 時計の短針が『8』を指した頃、スイカがトーストを齧る音がリビングに響いた。

「ね、昨日の友達って、同じ学校の子?」

 昨日は何も聞かれなかったが、遂に来たかとスイカは覚悟を決める。

「うん。李ちゃんて子はわたしのいっこ下」

「背の高い子は?」

「中学の先輩」

「外人の子は?」

「街で知り合った」

 スイカは嘘を吐いていなかったが、余計なことを言わないが為にぶっきらぼうな口調になってしまった。彼女は牛乳を口に含みつつ、月美の様子を窺った。

「ん、どしたの?」

 月美は薄く笑っている。スイカは思わず息を呑んだ。見透かされていると悟って、シィドの姿を想起した。

「や、なんでもないよ。……今度、わたしもお父さんのお見舞いに行くから」

「そう? じゃあ、お父さんもきっと喜ぶと思うわ」



 貫木小が休校になったのは貫木市が梅雨入りしたのと同じ時期であった。事故現場は元通りになったが人通りは減った。長期の休校は学校側にとっても異例の事態であったらしく、終業式の日を迎えるまで何の手だても打てなかった。

「やー久しぶりぃー、元気だった?」

「つーかもう終業式もどうでもいいよなー」

「でも休み過ぎて夏休みとかもどうでもいいような感じじゃん?」

「昨日のアレ見た?」

 ただ、洲桃野李は学校や教育委員会のことを無能とは思っていなかった。学校を再開しても事故を見てしまった生徒たちの精神状態を鑑みれば、自主休校する生徒や、それにかこつける者も出てくるだろう。……その程度のものなのだ。中枢のことを知らない多くの者からすれば、事故は事故でしかなく、長い休みをもらえてラッキーだ、という風にしか物事を捉えられていない。

 李は自分の席から教室中を見回す。何もかもが以前とは違うように見えて、彼女は窓の外に目を遣った。



「どんな雰囲気でした?」

 式が終わった後、李は昇降口でスイカと合流した。待ち合わせの約束をしていた訳ではなかったが、自然とそうなった。

 通知表を丸めたスイカは、それを望遠鏡代わりにして校舎を見上げた。

「あんまり変わんないかな。そりゃ、うちのクラスでも亡くなった子がいるからさ、みんな悲しんでたよ。でも、運動場で黙祷したあとはそうでもなくなったかな」

 李は小さく頷いた。黙祷はきっとけじめで、禊だったのだろう。葬式と同じで、死者を悼む行為は生者の特権である。死んだ者を引きずるかどうかはともかく、逝った者を想うのは生きていくために必要な行為なのだ。

「私のクラスはいつもと同じ感じでした。意識はしてたかもしれないけど、事故の話は誰もしてませんでしたし。ただ、私だけはなんだか、違う風に見えたんです。こういうことしてていいのかなって」

「あー、なんか分かるかも」

 しかし、と、李は内心で否定した。自分とスイカの抱えている気持ちは似ているだろうが、同じではない。スイカはきっと、他人を下に見て優越感を覚えているだろう。彼女にはいつも自信のようなものが満ち溢れている。

 私は違うと、李は自らを確かめた。自分はそうではない。スイカのようにはなれない。いつだって劣等感を抱えている。他者と比較して勝手に落ち込んでいる。どうしてみんなと同じようになれないのだろうと。

「ね、李ちゃんさ、ちょっと時間ある?」

「あ、ああ、はい大丈夫です」

「んじゃあちょっとついてきてくんないかな」

 スイカは李の返事を聞く前に歩き出す。もとより李には断るつもりがなかった。



 スイカは校舎の中を歩き回った後、四階の渡り廊下で立ち止まった。彼女が何かを説明することはなかったが、李には見当がついている。

 湿った風が頬を撫でて李の肌が粟立った。スイカは李の方を向いて、空を指差した。

「わたしが初めて中枢に呼ばれたのはさ、ここなんだ。学校に呼ばれて、化物に追いかけられて、ここから飛んだの」

「……飛んだんですか?」

 李は身を乗り出して下を見遣った。地面が遠くて目が眩みそうになる。

「うん。追い詰められて、もう飛ばなきゃ死んじゃうなって思って。その時はA.D.のこととか何も知らなかったけど、なんだかいけちゃいそうな気がしたんだ」

「なんか、すごいですね。私には出来そうにないですもん」

 李がそう言うと、スイカは困ったような顔を浮かべた。

「やんない方がいいよ。わたしね、友達……に、なれそうな人たちを裏切るような形で一人だけで逃げたんだ。今もさ、その人たちの声とか、顔とか、頭の中には残ってる。もちろん後悔というか、罪悪感というか、そういうのはあるよ。けど、ごめんねって思うだけで、それ以外にも、それ以上のものもないんだ」

 薄情な人だと素直に思ったが、李はスイカを見遣るだけで咎めるようなことは言わなかった。何かを切り、捨てるにも勇気は要る。スイカは決めたのだ。その決断自体は尊いと李は思った。

「私たちのことも必要になれば切りますか。関係を断ちますか」

「そういうことをする必要がない人と友達になったんだと思う。わたしは。美祈ちゃんもオリヴィアちゃんも、お腹の中じゃ何を考えてるのかは分からないけどね」

 李はずっとスイカのことを強い人だと思っていた。しかし、実際はそうではなかった。何せ一つしか年も変わらない。考えることも思っていることも大して違いはない。スイカは他人よりも何かを選んで決めることが早いが、根本的には臆病なのだ。自分と変わらない。

「なんかごめん。ちょっと弱いこと言っちゃった」

「あ、い、いえ、平気です。……あのう、スイカさんは、自分のことを嫌なやつだな、人よりもダメなやつだなって思ったこと、あります?」

「昔はいっぱい。今は、あんましそういうこと考えなくなったかな。だってさ、まずわたしがわたしのことを好きでいてやんなきゃ、わたしがすっごい可哀想じゃんか」

「……ですね」

 李は自分のことが好きではなかった。

「あの、スイカさん。何か話があったんじゃあないんですか?」

「ん? あー、そうなんだ。あのさ、李ちゃんってうちさんに頼まれたの?」

「何がですか」

「昨日、色々話してくれたじゃん。アレ」

 スイカは李の目をじっと見据えていた。視線をそらしては駄目だと思いつつ、彼女に気圧される形で、李は意識を空へと逃がした。

「アレで全部って訳じゃあなさそうだなあって思って。実際、うちさんってそんな盆暗じゃないでしょ。いくら李ちゃんが自分の孫だからって、近くでごそごそやってたら普通はバレるし。だから、うちさんがわたしたちに教えてもいいことだけは見逃して、あとはまだ隠してるって考える方が普通だよ」

「まあ、そんなところです」

「ありゃ、あっさりバラすんだ」

「そこを隠しててもしようがないですから。……核心って言うんですか。そういう、めちゃめちゃ大事なところは隠されてるのか、おばあちゃんが本当に知ってるかどうかも分かりません」

「李ちゃんも知らないんだ?」

 頷き、李は曇ってきた空を見据える。

「ふうん、だったらさ、李ちゃんって誰の味方なの?」

「……え?」

「や、なんとなくそう思っただけ」

「そう、ですか」

 そんなこと知るものかと内心で吐き捨てた。それをこの世で一番知りたいのは洲桃野李という人間なのだ。



「ただいま」

「……おかえり。式だけだったのに遅かったのね。ねえ、もしかしてまたおばあちゃんのところへ行ってたの?」

 李は、違うよと言って自分の部屋に行こうとしたところを母親に引き留められた。何を言われるのかが分かって胸の内がささくれ立つ。

「いい加減にしてね。前みたいに警察沙汰になっても嫌だからね、私」

「分かってるよ」

「本当に? ……まあ、行ってもいいけどね。李が説得したんならおばあちゃんだって言うこと聞くかもしれないから」

「分かってるってば。私だっておばあちゃんにそう言ってるから」

「ああ、そうなの? じゃあよろしくね。けど、深入りは駄目よ。あの人、色々と頑固だから」

「……うん」

 何も知らないくせに。何もかも知っているくせに。言い返せない自分に腹が立つ。出来ることと言えば、目を瞑り、耳を塞いで背を向けるくらいのものだった。



 李が母親から逃れて自分の部屋に戻ると、暗い廊下に扉の隙間から光が漏れていることに気づいた。そっと扉を開けると、姉がベッドの縁に腰かけているのが見えた。

「……何?」

「あのババアんところに行くの、やめとけって前から言ってたじゃん」

 受験生の姉はいつにも増して機嫌が悪い。李は彼女の顔色を窺うように、曖昧な笑みを浮かべた。

「今日は別に行ってないよ。友達と」

「だからさあ、百パー絶対行くなって言ってんの! あんた前科ついたかもしんないんだし!」

「つ、つかないよ」

「つくよ。だって、ほら、イケニエ殺してたじゃない」

 酸っぱい液体が逆流して喉を焼く。李はそれは吐き出さないようにぐっと堪えて、必死になって飲み下した。

「ネズミとか、ネコとか。アレ、どうせババアがやったんだろうけどさ……今でも覚えてんだけど。飼い主の人のくっしゃくしゃになった顔とか、すんごい泣き喚いてたのとか。結局うやむやになったけど、本当だったらあんただってここに住めなくなってたかもしんないんだよ? ねえ、マジであのババアのことが好きなの? ほっときなよ。あいつが死んだらもっといいとこに引っ越せるんだし、貫木だってそこそこだとは思うけど、私、東京とか行きたいんだよね。お父さんも賛成してくれてるし」

 死んだ鼠と濁った猫の目。腐臭と埃。真っ黒な部屋にぽたぽたと滴る赤い水。沸々と、ぐるぐると、頭と胸の中で黒いものがとぐろを巻いてうねっている。

「だっておばあちゃん、一人になっちゃう……おじいちゃんが死んじゃって、一人になって死んじゃうんだよ」

「……あんたが優しいのは知ってるけど、優しいだけじゃあ誰も幸せになんかなれないと思うよ、私」

「私……」

 李の姉は立ち上がり、李の肩に優しく手を置いた。

「とにかく、もう行かない方がいいって。分かった?」

「お姉ちゃん、ありがとう」

「は? あー、まあ、うん」

 李は姉の言葉に頷かなかった。常のように誤魔化して、さらりと受け流しただけであった。



 貫木小学校夏休みの初日、スイカは自転車に乗って洲桃野商店へと向かった。オリヴィアに呼び出しを受けていたのである(うちの家からスイカの携帯電話に掛かってきた)。

 昼過ぎ、暑いさなかの日差しを浴びながら十分近くペダルを漕ぎ、目的地に到着する。店の前に自転車を停めると、中から威勢のいい声が聞こえてきた。オリヴィアのものである。店の中には美祈と李もいた。

「おー、みんな揃ったな。キグウだ」

「オリヴィアちゃんが呼んだんじゃないの?」

「違う。ミノリは勝手に来た」

 スイカは美祈の顔を見遣る。彼女はおうと手を上げた。

「傷の治りが遅いからよ、ちょっと診てもらおうと思って寄ったんだ」

「……傷? それって」

「こないだの中枢で指切ってたんだけどさ、なんかずっと治らないんだよ。たまーに血も出てくるし。ここのババアは薬を使ってるとか言ってたからさ、李に相談したんだ」

 店の中に置いてある椅子に座ると、スイカの胸に釈然としない気持ちが凝った。美祈に対する独占欲か、李への嫉妬めいた感情を抱えて彼女らをじっとりとした目つきで見据える。

「で、今は婆さんに薬を見繕ってもらってるとこ。スイカは何しに来たんだ?」

「んー? オリヴィアちゃんに『遊ぼう』って言われたから」

「はっは、ガキだなお前ら。ようし、あとでトランプでもしようぜ」

 美祈はトランプを切るような身振りをしてスイカに笑いかけたが、彼女はふいと顔を逸らした。



 夕刻まで洲桃野商店で過ごした後、スイカと美祈は店から辞す為に立ち上がった。うちは美祈に薬を渡した後は自室に引きこもっていたが、二人を見送ろうとしてオリヴィアと李も立ち上がる。外側の窓からは橙色の光が差し、四人の目を焼いた。

「ホントにトランプで遊ぶとは思わなかった……」

「もうババ抜きはナシな。オリヴィアがクソよええから」

「みんながイカサマを使うからだろう。私は弱くない」

 李だけがくすくすと笑っていた。四人の中でなら、彼女が最もゲームに勝っていたのである。ポーカーフェイスが上手いというよりも、感情を表に出さないことが板についているのだとスイカは思った。

 四人は暗い廊下を抜けて、暗い店内に戻る。埃の乗った商品を見遣りつつ、スイカはサンダルに履き替えた。

「……あれ? あたしの車椅子は」

 美祈が言いかけた時、外から何もかもを灼くような光が差し込んできた。風の渦巻く音が轟いて、皆が得も言われぬ不安感に襲われる。やがて強い確信が胸の内に巣食い始めて暴れ出す。

 スイカは怖じずに進み、外の世界へと足を踏み入れた。夕焼けが支配していた時間は何処にもない。抜けるような晴天がやたら眩しく、馬鹿みたいに綺麗だった。

 だが、スイカの目を奪ったのは空の青さだけではない。知っていたはずの街がそうではないものに変わっていた。なかったはずのものがあり、あったはずのものがない。洲桃野商店の周囲の住宅は全て消え失せている。代わりにあったのは菓子で出来たロッジだ。呼吸する度に甘い香りが鼻を刺す。御伽の国に迷い込んだ錯覚がスイカを襲い、彼女は立ち眩みを起こしかけた。

 家だけではない。山と海が見えた。背の高い建物は小山にとってかわられている。極彩色の木々からは人面の鳥が飛び立ち、どこかへ去っていく。生物の甲高い鳴き声と共に寄せては返す波の音も聞こえてきた。菓子の香りに紛れて潮のそれも流れてくる。

 サンダルが何かを食んだ。スイカの足元は肌理の細かい砂浜と化している。屈んで砂粒に触れようとした時、男の野太い声と爆発音が轟いた。小山を取り囲むような黒い影が見えて、小さな赤い花が中空に咲く。それは巨大な蛇のようにも見えたが、実際は違った。生物ではなく建造物で、蛇ではなく高速道路であった。道路はジェットコースターの線路のように曲がりくねっている。先の赤い花は高速を走っていた車が爆発して、そう見えたのだろう。

「……何、ここ……?」

 ロリポップの木々。ジェリービーンズの蔦。有機物と無機物が混ざり合い、夢と現実が交錯している。貫木という街に山と海が攻め入っているような有様を見遣り、スイカはここが魔法の世界なのかもしれないとさえ思った。

「引っ張られたらしい」

 するすると、空からシィドが降りてくる。スイカは彼の姿を認めて、ここが中枢なのだと改めて認識した。

「どういう意味?」

「……君たちが『中枢』と呼ぶこの場所に、君たちは連れてこられている。我々が呼んでいるからだ。その際、中心となる人物を設定する。前にも言ったが、強いA.D.は周囲の者に影響を及ぼす。それは記憶や感情だけではない。世界を作り替えるまでに支配する」

 シィドの複眼がスイカを、この世界を捉えている。

「今までにはなかった。これ程までに『ここ』に影響を与えるA.D.など」

「シィド! 何か思い出したんならちゃんと話して。わたしたち、一心同体だって言ったよね」

「ああ、もちろんだとも……スイカっ、敵だ!」

 足音は聞こえなかった。姿は見えなかった。化物はスイカたちのすぐ近くから『生えてきたのだ』。

「で……! こいつっ、やばい!」

 人家よりも大きな何かがむっくりと立ち上がり、下界を睥睨している。それは鎧武者のような姿をしていた。ただ、化物の全身を覆っているであろう鎧は継ぎ目だらけであった。というより、一つ一つのパーツが細か過ぎて、分かれ過ぎている。そも、その鎧はがらくたによって出来ていた。

 兜は鉄骨。前立てには柱で出来た一本の角が生えている。

 胴は家電。蓋の取れた冷蔵庫やノズルのない掃除機、画面の割れたテレビやパソコンのモニターが密集して化物をよろっている。パッチワークじみた造りは最上胴のそれに一番近いか。しかしその枚数は百を超えている。

 大袖は鎧戸。簾になった部材や鉄格子が幾重にも絡みついている。

 草摺は裳裾。カーテンやカーペットが武者の腰に巻きついていた。その意匠は異彩を放っているどころか、スイカにとっては気味が悪いとさえ思わせるものであった。

 大きな部分も、眉庇まびさしから甲懸までもが塵である。

 赤。黄。桃。紫……色合いは出鱈目で統一感がない。無骨ではなく不細工な鎧武者ががしゃがしゃと音を立てている。動く度に身体からゴミが零れて落ちていく。

 武者が動く。落とし差しにした鞘からすらりと抜かれたのは、星々を束ねたような煌めきを放つ刀だ。刀身は少し曇っていたが、鏡のように周囲の景色を映している。

 刀を下向きに構え、にっこり笑った総面が何かを捉えた。

「君だスイカっ、君を狙っている!」

「今分かった!」

 日常から非日常へと移行する。要する時間は一秒未満。戦装束に身を包んだスイカが化物を見上げた。風が唸りを上げている。彼女は跳躍し、飴色の木の上に飛び乗った。

 瞬間、スイカのいる場所に化物の振り下ろしが炸裂する。音が炸裂して、巻き起こった風圧が空間を切り刻んだ。彼女は咄嗟に飛び退いたが、周囲一帯に大穴が開いている。

 洲桃野商店から離れなければと、スイカは眼下の店を見下ろした。

「何をしているんだ!」

 シィドの叱責が飛ぶ。化物の腕が、真上からスイカの矮躯を叩いた。彼女にとっては想定外の出来事である。巨大なものであるから動きが鈍いと判断し、一瞬間とはいえ、鎧武者から目を離してしまったのだ。

「……馬鹿な、何故だっ」

 化物の腕にはパワーがあり、スピードがあった。しかしシィドもまた驚愕の声を漏らしている。今回のスイカは心身ともに充実していたのだ。日章がこん睡状態から回復し、月美との蟠りもなくなりかけて、スイカは自分のベッドで眠られるようになっていた。今までにない一番のコンディションである。その状態であっけなく攻撃を喰らったのだ。



 スイカに遅れて、美祈とオリヴィアも外に出ようとした。だが、店前の砂浜と化した道路に、先に出て戦っていたはずのスイカが頭から突き刺さるのが見えた。

「きゃあああああああっ!?」

「うわーーーーっ! スイカが死んだ!?」

「バカヤロウ!」

 美祈は乱暴な所作でスイカの足を引っ張り、店の中へと投げ入れる。

「ガキどもを見てろ、ババアも早いところ探してやれ!」

「ミノリはっ」

「セメントだっ」

 オリヴィアがスイカを抱え、李を連れて建物の中へと引っ込んでいく。美祈は彼女らが行ったのを確認して鎧武者の化物を見上げた。

 化物へと多数の矢玉が飛来する。他のA.D.も参戦したらしいが、効き目はなさそうだった。もとより美祈は飛び道具に頼らない。頼れないと言い換えてもいい。彼女の力のイメージは殴って壊すという原始的なものなのだ。

「むう、フジ・ミノリか。仕方ない、君でもいい」

「どういう意味だクモ野郎てめえ」

「スイカは少し伸びてしまった。あの子はすぐに復帰するだろうが、私の方は手が空いた。ナビのいない君の助けになってやろう」

 八本の足を無駄に動かした後、シィドは美祈を指差した。

「……余計な世話すんじゃねえし邪魔すんじゃねえよ」

「君はスイカのように空を飛べない。オリヴィアのように足場を出せない。はっきり言って力不足だと思うが、どのようにアレと戦うと言うのだ」

 美祈は答えず、駆け出した。キャンディーの林を抜けて、クッキーで出来た建物を飛び越える。

「せめて何か創り出すことを考えろ」

「どうして世話焼くんだてめえは」

「スイカが君のことを信じているからだ。死なせたくないと思っているからだ」

 美祈は目を丸くさせてシィドを見遣った。

「わあったよ、考えとくよ。けどな、あたしはすぐには考えを曲げねえぞ」

「その頑固さが君の強さを支えているのかもしれないが」

「だったらまっすぐだ」

 鎧武者の足元まで駆け寄る。化物は他のA.D.に気を取られており、美祈には目もくれなかった。

 美祈は力いっぱい拳を握り、跳び上がって化物の脛を殴り抜く。雑多な破片が飛び散るも、化物は動きを止めなかった。

「どうするつもりだ」

「だるま落としってやつよ! すぐに立てなくしてやるぜっ」



 瓦礫の中、鎧武者の体勢が崩れる。美祈が鎧の足首に当たる部分を壊した結果によるものだった。彼女は勢いづくが、シィドが何かを発見した。

「気をつけろフジ・ミノリ。向こうの山から下りてくる」

「あァ?」

 美祈もシィドの示す方を認めた。強化された視力が、山の斜面を滑り落ちるようにしてやってくる何かを捕捉する。

 重ダンプカー程度の大きさをした女が四つん這いになって駆け下りてくる。肌の色も表皮もどこか機械的だ。頑丈な身体を活かしてか、木々も建物も、障害となりうるものは全て体当たりで薙ぎ倒していた。

「……一匹だけじゃなかったってことかよ」

 よく見ると女は普通の胴体をしていなかった。台車、あるいは牛車のような屋形を背にくっつけている。牽く動物も車輪もないが、その代わりに己の四肢で突き進んでいた。

「車女が邪魔しようってのか」

「あの車に女の意匠が施されているのか、あの女に車の機能がついているのかどちらでも構わない。特筆すべきはあの速度。ぶつかってしまえばただでは済まないぞ」

 それだけではなく、車の前面部にある女の口がシュレッダーのようになっている。これみよがしに『刃』軋りをして、ぎらついた光を放つ。

 美祈は標的を鎧武者の化物に定めて拳を握った。瞬間、真上から刀の振り下ろしが来る。喰らえば斬られるどころか身を磨り潰される一撃だ。彼女は横方向に飛び退いて躱す。カラフルな岩が砕けて、美祈の全身に破片が降り注いだ。

「クソがっ」

 怒り交じりに地面に突き刺さった刀身に蹴りを入れたがびくともしなかった。

「戻りが早い!」

 鎧武者は刀を寝かせ、横に薙ぐ。美祈はその場に伏せて攻撃を回避。すぐさま体勢を立て直して距離を取る。だが武者の動きは鈍重ではない。むしろ素早いくらいであった。

 武者は美祈の逃げる方向へ足を踏み出し、退路を塞ぐ。彼女は方向転換を試みたが、背中を切りつけられた『痛み』に驚いて足を止めてしまった。彼女を切り裂いたのは鎧武者の化物を構成していたがらくたである。だが、美祈は死角からの攻撃に驚いたのではない。……不二美祈は痛みを感じない。彼女は自らに備わった能力によって痛覚を遮断しているはずだった。

「……じょう……だっ……!」

 中枢に来て初めて味わう苦痛である。美祈の脳内はそれと、能力が発動しなかったことに対する驚愕によっていっぱいになった。動きを止めてはならないと分かっていながら対処出来ない。

「ミノリ、ここから離れろっ」

 足が動かない。新たながらくたによって切断されてしまったのだ。失った右足の回復に努めようとするも、鋭利な刃と化した塵が美祈の身体を切りつけていく。回復が追いついていないのだ。

「まずは足! 他は後だ!」

 シィドの指示通り、美祈は両足の再構成に集中して武者から逃れる。瞬間、真正面から重量のあるものと衝突した。彼女は、あれほど警戒していた二匹目の化物に轢かれたのだ。一瞬で意識が吹き飛ぶも肉体は半ば自動的に治癒する。いっそ気を失った方が楽だろうに、無理矢理に覚醒し、再び苦痛を味わうことになる。

 美祈は内容物を撒き散らしながら中空へと舞い上がる。意識だけは残っていたが、両手両足の内、残っているのは右手一本きりだった。血反吐を吐きながら怨敵をねめつける。隙だらけの彼女に鎧武者の追撃が迫っていた。だが、美祈は防御することを選ばなかった。中指を立ててみせると、武者の打撃をまともに受けて、遥か彼方へと錐揉みになって吹き飛んだ。



 オリヴィアは失神しているスイカと李を連れてうちの姿を探していた。李の指示に従って暗い廊下を駆け、うちの私室に辿り着く。

「おばあちゃんっ」

 李が襖を開けようと手を伸ばした時、激しい物音が外から聞こえてきた。身を竦め、声を出すことすら忘れて立ち尽くしていると、シィドと血塗れの美祈が声を荒らげながら走り寄ってくる。

「……え、あ?」

 家が軋んだ。家鳴りが耳の中を這いずり回る。雷が落ちたかのような轟音の次、李の眼前にあった空間が鈍色に染められた。彼女はオリヴィアに抱えられて壁をすり抜ける。

 李は何事かを叫び、手を伸ばした。



『うち。君は魔法と魔女を信じるか?』

『……くだらない、か。それもいい』

『だが、いつかその時が来る。心するんだ。自信を持て。君たちにも血が流れている。君たち洲桃野の血こそ、この地の鍵なのだ』



 魔に興味を抱いたのはいつの頃だろう。魔道に入ったのはいつのことだろう。……しかし、果たして自分は本当に魔女になったのだろうか。

 走馬燈めいた記憶が脳裏を過ぎり、うちは一冊の本を手に取った。

 染みだらけの、年季の入った天井はどこにもなく、その場所は空と太陽に取って代わられていた。ぬっと顔を出すのは鎧武者である。じっと、座り込んで動けないうちを見つめている。

 屋根は壊れていた。否、化物の得物によって斬られ、壊されたのである。不幸中の幸いか、うちに化物の攻撃が当たることはなかったが、巨大な鉄塊によって逃げ場は塞がれている。

「……おう、おう」

 うちは、化物と同じく、魔女もまた、とびきり恐ろしいものなのだと理解した。何故ならば、自分は到底こんなものとは戦えない。それどころかきちんと向き合うことすら出来そうにないと悟ったからだ。A.D.は狂っている。そうでなければ務まらないのだろう。

「すまないねえ、李」

『誰か』の遺した文献を幾つ読み漁ったことだろうか。陽の出る前から、とっぷりと日が暮れたあとも文字を追いかけ続けた。知識は間違いなくあった。しかし中枢に行ったことはない。A.D.の存在もスイカたちと出会うまでは――――この場所に連れてこられるまでは、化物の姿をこの目で認めるまでは何一つとして信じられなかった。

 魔法陣を描いたことはある。本に書かれていたとおりの手順で小動物の息の根を止め、血を使って理解出来ない文言を刻んだ。何度も試した。親族に迷惑をかけたこともある。隣近所からは白い目で見られるようになった。だが、一つとして実を結ぶことはなかった。無為な命を奪っただけで新たな何かを生み出すことは出来なかった。魔女と自称しながら、洲桃野うちは魔法を行使したことが一度もなかった。

 以前、うちはスイカに『生まれた瞬間から魔女と呼ばれるような人間はいない』と言った。だが、違う。認識をまるっきり間違えていた。

 魔女……A.D.は力を扱えるからそう呼ばれるのではない。何より重要なのは本質である。本人の性質、性格によって魔女かどうかが決まるかもしれなかった。いかに壊れているか。いかに狂っているか。それだけなのだ。

 生まれながらにして魔女になる者もこの世にはいる。

 そして。この歳になって自分が、壊れず、狂わずに済んだ、魔女ではない真人間なのだと知る。手を伸ばしても何も掴めず、希っても掌からは何も生まれない。魔法どころか魔術ですら、魔力の片鱗すら自らには備わっていないのだ。……うちは失敗し続けてきた。魔法を扱えないことに、魔女になれないことに気づきながら長い時を過ごしてきた。だから最後の最後まで自分が魔法を使えるのだと信じられなかったのである。そして、この世界は心の弱いものに酷く手厳しい。

 再び持ち上がり、振り下ろされる鎧武者の巨大な刀を見遣りながら、願わくは、李には自分のような人間にならないで欲しいと、うちは強く願った。



 鎧武者の一撃によって洲桃野商店が破壊される。オリヴィアに抱えられながら、李は必死になって声を振り絞った。しかし声は届かない。距離はどんどんと開いていく。

「離すなよオリヴィア! 何するか分かんないからな!」

「起きろスイカっ、サボるな日本人!」

 スイカは美祈に担がれていた。シィドがしきりに話しかけているが目を覚ます気配はない。

「……どうしてっ、どうしておばあちゃんも助けてくれなかったんですか!」

「舌噛むから黙ってろ」

「こんなに力があるなら、こんなに速く走れるんならおばあちゃんだって……!」

「スモモ。正直、私と美祈で一人ずつ抱えて逃げるのがいっぱいいっぱいなんだ」

「言い訳なんかしないでくださいよ!」

 シィドは後方を見遣り、化物を指差した。

「まだ追ってくる。他のA.D.は遠距離から仕掛けるだけで消極的だ。あんなに小さな力ではどうしようもないぞ」

「いや、何人か飛び出してくる。ミノリ、今のうちに遠くへ」

「私の話を聞いてくださいっ、私は、おばあちゃんのところへ行かなきゃダメなんです! おばあちゃんを一人にしちゃダメなんですよ!」

「ババアのあと追っかけたってどうしようもねえだろうが!」

「勝手に決めないで!」

「うるさいなっ」

 美祈に担がれていたスイカが目を覚まし、李を指差した。

「気持ちは分かるけどさ、わたしたちに当たんないでよ」

「力のない人は黙れって言うんですか」

「や、喋ってもいいけど」

 スイカは美祈の頭を軽く叩いて跳躍し、地面を踏みつけるようにして着地する。美祈とオリヴィアは立ち止まり、彼女の姿を目で追いかけた。

「当たらないで。そんで期待もしないで。なるべくなら色んな人を助けたいけど、わたしだって死にたくないし、助ける人の順番だって決めるよ。……美祈ちゃん、ついてきて。アレをやろう」

「さっきは伸されてたじゃねえか」

「次はもっと上手くやるから、見てて」

 スイカと美祈は鎧武者の化物を見据えて頷き合う。その光景を認めて、李は苛立たしげに叫んだ。

「そんなのおかしい! もっと、最初からやってくれてたらよかったのにっ、何が魔法だ! 何が魔法使いですか! やっぱりそんなの全部嘘っぱちなんだ!」

「行くぞスイカ。付き合ってやってもしようがねえ時だってあんだからよ」

 泣くのは後でも出来る。そう言って、美祈は目元を袖で拭った。



 岩も建物も焼き菓子のように砕けて破片が舞い上がる。

 砂煙の中から四足歩行の女が現れた。美祈が車女と呼ぶ化物は自らの進路上にあるものを体当たりで吹き飛ばしながら、あるいは喰らいながら、縦横無尽に轢殺を繰り返す。

 だが、車女の前方の地面が突如として盛り上がった。土を食みながら出現したのは人の姿をした泥の塊である。進路を変えられず、化物は泥人形と衝突する。

「いけぇぇぇ、いけよナツ。そら、チャンスだろうが」

「うるさい、うるさい!」

 A.D.の少女、マーチングバンド風の衣装に身を包んだ蔵加夏が中空から得物を振り下ろす。長いステッキが車女の頭部へと叩きつけられた。化物は泥人形を喰い、余った右腕で夏を払おうとする。

「お前はうるさいっ! トカゲが喋るな!」

「ヒ! ハハハハハっ、今更じゃねえかよ!」

 夏は化物の腕を掻い潜り、後方へと跳躍する。彼女は蝋のビル、その壁面に足を着けた。

 瞬間、鎧武者がそのビルを斬った。断面からは白濁色のクリームがどろりと溢れて垂れ落ちてくる。夏の姿はクリームの中に溶けたのか、見えなくなってしまった。

 だが夏の攻撃は他のA.D.への呼び水となった。鎧武者、車女に対して、数名のA.D.が高所から飛び道具を仕掛ける。その弾幕を盾に別の者が突っ込んだ。

 鎧武者は刀を手元に戻し、跳ねながら近づく少女を切っ先で突く。が、彼女は済んでのところで攻撃を避けていた。武者は一時、少女の姿を見失う。咄嗟に刀を戻したが、彼女の姿は長い刀身の上にあった。少女は化物の武器を足場としたのだ。

 距離が詰まったところで、少女は火焔を放ち、武者の顔面を焼く。たまらず、化物は刀を振り回した。

「ばいばーい!」

 武者の体勢が大きく崩れる。化物の鎧は不二美祈の攻撃で脛の部分が剥がされていたが、遂に止めを刺されたらしい。鹿猫揚羽という十歳にも満たないA.D.が化物の足首を殴り飛ばした。

 がくりと崩れる化物へとA.D.が殺到する。僅かに遅れてスイカと美祈が戦場に到着した。スイカは箒を召還し、その上に乗る。一秒経てば二人揃って攻撃を仕掛けるというところで事態が一変した。

 鎧武者がばらばらになったのである。何者かに砕かれたわけではない。『自らの意志で』分離させたのだ。鎧を構成していたがらくた、塵が四方八方へと飛んでいる。それはもはや矢であり、弾丸だ。数え切れぬほどのゴミが雨霰と四散する。化物に仕掛けようと接近していたA.D.は言うまでもなく、距離を取ろうとした者でさえ回避することは間に合わない。分離した鎧の一つ一つが意志を持っているかのように中空を飛来して襲い掛かっている。 

「野郎、脱ぎやがった!」

「でも中身が……」

 鎧の中身は空であった。

「いいや、違う。よく見るのだ二人とも。中心に小さな何かがいる」

 スイカと美祈は目を凝らす。鎧の胴の部分に手をかけ、地上を見下ろしている者がいた。額から突起物の生えた小人である。

「……あのチビがなんかやってんのか?」

「やれば分かるよ」

 箒の上に飛び乗っていたスイカは周囲を見遣った。ばらばらになった鎧武者だけでなく、車女も未だ健在である。両者を同時に相手していられる余裕はないと判断した。

「美祈ちゃんはあっちお願い。わたしはあいつをやるから」

「分かった」と、美祈は両の拳を突き合わせる。どのみち、空にいる敵を相手にするのは自分では難しい。彼女も自身の限界というものをよく分かっていた。

 美祈が駆け出し、スイカが飛翔する。シィドはスイカの箒に糸を絡ませた。

「ついてくるの? 危ないよ」

「何か様子がおかしい。この状況は、何か、違うのだ」

「また、思わせぶりなこと言って!」

 急加速したスイカの髪が後方へと流れていく。彼女は向かってくる武者のパーツを避けながら小人を目指した。



 オリヴィアは根負けした。

 家に戻りたいと言う李に泣かれて、喚かれて、叩かれて、遂にオリヴィアは諦めてしまった。

 李を背負い、洲桃野商店――――うちのいる場所へと戻る。オリヴィアは何か声を掛けようとしたが、結局は李に倣い、瓦礫の山と化した店を離れたところから見つめた。

 うちの死体は外からでは見つからなかった。そも、オリヴィアは李に痕跡すら見せたくなかった。中枢から現実に戻れば記憶はなくなるかもしれないが、それは、完全に頭の中から抜け落ちるわけではない。恐らくは薄まっているだけなのだ。誤魔化すことは出来るだろう。だが、何かの拍子に中枢でのことを全て思い出してしまう可能性は残されている。その時、李は何を思うだろうか。うちの本当の死にざまを理解して、彼女は打ちのめされてもなお立ち上がれるだろうか。

「……お前は」

 瓦礫の中から一匹の兎が顔を覗かせる。オリヴィアの使い魔であった。彼女はそいつの名前を知らないが、自分の味方であること、自分の分身のような存在であることを分かっていた。

 その兎が後ろ足で地面を蹴り、オリヴィアをじっと見つめている。呼ばれているのだと気づき、彼女は李に気を配りながら兎へと近づいた。

 手があった。血に塗れている。建物に押し潰されて辛うじて覗いている。しわくちゃのそれは間違いなくうちのものであった。オリヴィアは息を呑み、李に気取られないように努める。

 どうしてこんなものを見せた。悪趣味め。オリヴィアはそんなことを考えながら兎を睨みつけるが、早合点であったとすぐに理解する。うちの手は小さな手帳に触れていた。オリヴィアは咄嗟にその手帳を拾い上げて、ぱらぱらとめくる。色あせた表紙は鮮やかな赤色に染められているが、中身は無事のようだった。ただ、オリヴィアは日本語をある程度話せるが、文字は殆ど読み取れない。何にせよ自分が持っているのは相応しくないと思い、李のもとへ戻った。

「おばあちゃん、いたんですね」

 李はまっすぐにオリヴィアを見つめる。

「ああ」と、オリヴィアは短く答えた。

「ウチがこの本を持っていた。……スモモに渡すつもりだったと、私は思う」

 李は血染めの手帳を両手で受け取る。彼女はページをめくらず、それをかき抱き、その場に崩れ落ちた。

 後方から音が聞こえる。敵の姿が見える。兎が跳ね、オリヴィアはスイカと美祈の姿を探した。

「……行ってください。私なら大丈夫ですから」

 大丈夫なはずがない。だが、自分がいても慰めてやることすら出来ないだろう。今の李には一人になる時間が必要である。そう考えたオリヴィアは小さく頷き、化物の方へと向かった。



 塵の群れに追い立てられたスイカは高度をぐんぐんと上げていた。彼女の速度についてこられるものは少ないが、それでも塵の群れは猟犬のようにしつこく食い下がってくる。

「キリがない」

「やはりだ。スイカ、アレらには意志があるぞ」

 スイカは動きを止めて、昇ってくる塵を見下ろした。

「あのゴミに?」

「そうだ。一つ一つに意志がある。そう見て間違いない。つまり、キリがないという君の言葉は正鵠を射ているだろう」

 シィドの言葉に頷き、スイカは急降下を始める。先よりもつぎはぎだらけになった鎧武者が見えた。その中心にいる小人の姿も捉えた。地上では美祈たちが車女の足を止めようとしている。

「私は矢面に立たない。薄情だと、他人事に聞こえるかもしれないが」

「歯を食い縛れってことでしょ」

 危険を承知で接近する。鎧武者に近づけばがらくたの数が増え、被弾の可能性が高まる。しかし接近せねば話にならない。スイカは箒の上に立ったままで傘を生み出す。イメージしたのは福城宵町。二本の傘を両手に握り、片方は広げて、もう片方は閉じた状態で向かってくるモノに投擲した。

 バランスを取りながら、投擲で防ぎ切れなかったがらくたには広げた方の傘で対応する。盾代わりに使ったそれは一度きりで使い物にならなくなったが、新しいものを即座に呼び出した。

「どうしたスイカ。君らしくもない。他人の力に頼るのは君の本意ではないはずだ」

「言い訳していい? なんか、力がヘンなんだ。今までと違う。美祈ちゃんも傷の治りが遅いって言ってたし……弱くなったような気さえしてる」

 シィドにはまだ分かっていなかった。スイカが箒を操るのも、スピードを出すことも、高いところへ飛ぶことも、何もかも。全ての動作が鈍くなっているのだ。僅かな差異であり、気のせいだと断じても構わない程度だが、スイカにはそれが我慢ならなかった。

 スイカは化物の周りをぐるりと飛ぶ。がらくたは小人を守るような形で壁を作った。彼女は先よりも大きな傘を握り締め、思い切り力を込めて投げ放つ。貫かれた張り子の壁は音を立てて崩れた。破片はさらさらと地上へ落ちていく。

 きらきら光る硝子の雨の中をスイカが翔ける。小人が顔を隠した。彼女の意志、思考が攻撃することだけに凝る。塵に切り刻まれながら、スイカは威勢のいい声を発して加速した。

 散り散りになっていた塵が集結する。磨き抜かれた巨大な日本刀が出現した。同時、馬手の袖、籠手が一秒かからず再構成。突進してくるスイカに対して、刀による突きが迫った。

「退けスイカ! 決着を急ぐ必要はない!」

「ダメ!」

 スイカは身を屈める。頭上を鉄塊が通り過ぎた。風に煽られた髪の束が削られて、彼女は悲鳴を上げる。鎧武者は得物を振り下ろす。スイカは傘を召喚し、広げて放った。鉄塊の勢いは大して鈍らない。しかしスイカは新たな物を呼び出している。西洋の盾が彼女の真上に現れ、刃とぶつかって火花を散らした。

「わたし、一秒ごとに弱くなってる!」

「気をしっかり持つんだスイカっ、君は!」

 盾が全て削られた。スイカはその寸前に刃圏から逃れている。が、気を抜いた瞬間、腹に穴が穿たれた。躱し損ねた小さな螺子が肉を食い破っている。彼女はごぽりと血を吐いた。

 鎧武者の右腕がスイカを狙って刀を素早く振り下ろす。彼女の全身が刃によって叩かれようとしたその時、戦闘に追い付いたオリヴィアが割り込んだ。

 オリヴィアの下には幾つものトランポリンがあった。彼女は生み出したそれに飛び移る、三角とびの要領で空を上ってきたのだろう。オリヴィアはスイカの身体を片手で抱え、もう片方の手を刀に向けて翳した。

 目前に迫っていた刀身の一部分に穴が空く。オリヴィアの能力であった。二人はその穴を潜って攻撃を避ける。

 今度はスイカがオリヴィアの腰を引き寄せた。箒の上に乗った二人は高度を上げて鎧武者から逃れる。

「李ちゃんは?」

「ウチのところだ。すまない。押し切られた」

「わたしたちがこいつらを抑えとけばいいだけだよ」

 雲を突き抜ける。鎧武者はまたもや分離したらしく、スイカたちの後を幾つかのがらくたが追いかけてきていた。

「この、バラバラになったやつら全部が化物なのか?」

「わたしには分かんない。けど、シィドが」

 スイカはじっとりとした目つきでシィドを見遣る。彼はううむと唸った。

「先もスイカには言ったが、この世界は今、一人のA.D.によって変えられつつある。今までとは違うのだ。……君らを追ってくるものも建物も、何もかもにそいつの魔力が込められている。そう考えてもいいだろう」

「ええ? じゃあ、A.D.が敵ってこと?」

「いや、当の本人にすら分かっていないのだろうな。自分が引き起こしたとは露ほどにも思っていまい」

「たちが悪い」

 オリヴィアは言い切った。彼女は地上を見下ろし、息を吐く。

「そいつを見つければいいのか?」

「見つけてどうするの? 『止めろ』って言ってみる?」

「いや、シィドの言うことが本当ならそいつにだって止められないだろう。ぶちのめしてやればどうなるかは分からないが」

「……可能なら、全てを吹き飛ばして倒せばいい。あのパーツの一つ一つに意志が宿っている、魔力が宿っているのなら、いつも通りにやれば済む話だ」

 しかし敵は強大だ。鎧武者だけでなく車女までいる。分離し、追尾してくるのなら逃走することも可能だろう。

「不可能なら?」

「あの小人を狙うのだ。A.D.の力で強化されているのだろうが、元を断てばいい。あとは、オリヴィアの言った通り、『中心』となった者を見つけて……そうだな、失神させるのがいいだろう。A.D.の無意識から生み出されたと考えるのが自然だが、力の源が断たれれば今より脅威的ではなくなるはずだ」

「よしっ。けど、誰を狙えばいいんだろう」

 いっそ全員。そこまでスイカが考えたところで、オリヴィアが一人の少女を指差した。

「あいつだ。あいつだけ攻撃を受けていない」

 スイカはオリヴィアの指の先を目で追う。オリヴィアが示す先は五歳程度の少女である。彼女もA.D.らしく戦闘に参加していたが、鎧武者も車女も、彼女だけを避けているような素振りがあった。とはいえ、スイカもオリヴィアに言われるまでは分からなかった。

「シカネコ・アゲハか。なるほど、彼女ほどのA.D.ならば……」

 スイカはシィドを横目で見遣る。

「でも、どうして分かったの?」

「ふふん、私を馬鹿にするな。探し物を見つけるのは好きなんだ」

「信じたげるよ、それ。そんじゃあ、しっかり捕まってて」

「分かった。スイカ、私を置いていくなよ」

 オリヴィアはスイカをぎゅっと抱きしめた。動きづらい。スイカはそう思った。



 空中でがらくたを振り切る。地上が近づく。

 オリヴィアは奇声を上げてスイカの身体から手を離した。妙な寂しさを覚えながら、スイカは彼女に向けて手を振る。

「先に行くよ、わたしが!」

 地上にいた美祈は、スイカとオリヴィアが落ちてくることに気づいた。車女の腕を殴り飛ばして僅かな隙を作り、彼女らと合流すべく手を振り、歯を見せて笑う。

「いけ、スイカ!」

「……あっ」

 急降下したスイカが鹿猫揚羽という少女に飛び膝蹴りを放った。揚羽は間一髪でそれを躱す。美祈の顔が凍り付く。

「外した……!」

 オリヴィアが攻撃を避けた揚羽に追撃を試みた。大量の注射器を召喚し、それを雨のように降らせる。揚羽は無邪気な笑みを浮かべて、注射器の一本一本を回避し、捌き切った。

「アホかお前らっ、何をあたしらでやり合ってんだよ! 状況が分かってねえのか! 頭腐ったのかよ!」

 スイカとオリヴィアは美祈の隣に並び、同時に揚羽を指差した。

「あいつが悪い」

「あの子が悪い」

 揚羽は何がおかしいのか、けたけたと笑っていた。

「どういう意味だよ、そりゃ」

「説明してる時間はないの! いいから美祈ちゃん、あの子を気絶するまでぶん殴って!」

「あのバケモンどもはどうすんだよ!?」

「もおおおおおうるさいよ美祈ちゃんのバーカ!」

 スイカが地を蹴り、揚羽に殴りかかる。次いでオリヴィアが攻撃を仕掛けた。

「や、やめてやれって、やめてやれよう、相手はガキじゃねえか」

「早く来いミノリ、こいつは手強いぞ!」



 洲桃野李は相談事をされることが多かった。家族、友人だけでなく、時には会ったばかりの者にさえ話を聞いてくれと頼まれることがあった。李が頼りがいのある人間だったからではない。彼女は話を聞くことが上手かった。まるで空気のようだと評されることもあった。

 そして。

 李は自分に押し付けられた役割をこなすのが上手かった。板挟みになっても蝙蝠のように立ち回り、自分を傷つけないようにすることに長けていた。ただ、李は流されるがままに流される自分のことを好んではいなかった。


『李。あんたは嫌な子だね』


 祖母のうちは自分の本質を見抜いていた。だから、李はうちに懐いた。彼女になら何も隠さないでいいと思ったからだ。彼女の家――――洲桃野商店には自分たち以外に誰もいない。何も気にすることはないのだ。

 しかし、うちから離れて、彼女の家から一歩外に出ると、世界は途端、自分に厳しいものに成り代わる。

 洲桃野うちは煙たがられていた。彼女を煙たがっているのは、自分を除いた全ての人間だ。自分以外の何もかもが、世界さえもがうちを取り除こうとしていた。

 姉は言う。うちは罪のない生き物を殺しただろうと。

 母は言う。うちさえいなければ、すぐにでもいいところへ引っ越せるのにと。

 父は言う。うちの面倒を看ることには疲れたと。

 親戚は言う。厄介者だと。

 血の通わない隣近所の者たちは、うちのことを親類よりも悪く、手酷く言う。白い目で見やり指差すのだ。アレは魔女だ、と。


 では、洲桃野李わたしはなんだ。


 洲桃野うちの孫で、彼女の弟子で、魔女の見習い。

 間違いはない。私は魔女になりたいのだ。李は心の中で頷く。


 ――――本当にそうか?


 ぞぶりと、足元の泥沼から鎌首をもたげるものがあった。それは直視してはならない闇である。認識してはならない悪である。

 幼い折からうちの話を聞いて魔法に、魔女に興味を持ち、それを志したのか。否である。李はそんなものに興味の一欠けらだって抱いていなかった。何故なら、李はうちの話ではなく彼女の境遇に興味を抱いたからだ。魔女にではなく、うちが魔女になったという過程が気になったからだ。

 李は、誰からも嫌われているうちに対して憐憫の情があった。

 親類とはいえ究極的には他人。それも自分よりはるかに年上の存在を哀れみ、下に置くことで自分の立ち位置をしっかりしたものにしたかった。また、そうして他人に構う自分が好きになっていたのである。


 ――――否定出来るか?


 出来なかった。

 魔女になりたいという思いは、逃げ道だ。そのことだけを考えていれば煩わしいことに囚われずに済む。魔女は終着点ではない。ただの安全地帯でしかない。

 他者を下に置くことで自分の存在を確かめる。折れないように。曲がらないように。……まっすぐに。それが洲桃野李の願いだ。そして。その願いこそが最初から捻じ曲がっている。

 歪んだ望みを抱えたままだった李だが、うちの死によって一つ、はっきりしたことが分かった。


 ――――否定出来るか?


 するつもりはなかった。

 鎌首をもたげた闇も悪も、たった一つの感情によって、そんなものは最初からなかったとばかりに吹き飛んだ。

 ああ、私は、本当は魔女おばあちゃんになりたかったんだ、と。

 そう気づいた李の足元に、びしりとひびが入った。



「ちくしょう、また邪魔すんのかてめえらは!」

「子供を狙うなんか、やはりお前が雫さんをやったのかっ、不二美祈!」

「あたしだけに限定すんな!」

「言い訳するな!」


 この人たちは何をやっているのだろう。


「オリヴィアちゃん、回り込んで」

「了解だ。一気にケリをつける」

「あははははっ、アゲハ、かんたんにはつかまらないよ!」


 ふざけるな。

 祖母の死を、お前たちは何だと思っている。


「……あ、え?」



 中枢には巨大なものが二つあった。

 一つは鎧武者。もう一つは車女。そして。もう一つ現れた。

「女の子……?」

 二つの足は大地に根を張った大樹のようであった。

 三角帽を被り、黒いローブを纏った影を、地上にいる者たちは見上げるしか出来ないでいる。

 ビルよりも大きな少女が杖を持って化物をねめつけていた。彼女の名は洲桃野李。先刻、この場にいる化物に祖母を殺された少女である。そして。怒りによってA.D.に覚醒した少女でもあった。

 李は、自分の真下にいるスイカたちに一瞥をくれることすらなかった。足を一歩踏み出せば、砂浜がめくれ上がって煙が立つ。菓子で出来た建物は上下左右に揺れて窓硝子が割れる。木々が倒れる。

 鎧武者の化物は李を敵と認識した。刀を再構成し、彼女に向けて横薙ぎに振るう。あわや斬撃が李に迫るというところで、紫色の巨大な円が攻撃を防いだ。

 それは陣である。魔法陣である。円の中にはジャック・オ・ランタンのようなカボチャ頭が浮かんでいた。その陣が化物の刀を受け止めている。

 李は頭を下げて陣と刀をすり抜けると、携えていたハナミズキの杖を化物と同じように振るった。鎧武者の化物は刀を分解して戻し、彼女の攻撃を受け止める。高く、乾いた音が響いた。次いで、李はするりと剣を抜いた。杖に仕込まれていた刀身を抜いたのだ。

 剣で敵を切る。その動作は酷く不恰好だった。それでも威力だけは申し分ない。力任せに振るった一撃は鎧武者を木端微塵に砕いた。

 ばらばらと落下する塵を見遣ってから、李は車女に視線を移した。



 スイカは目を見開いた。李がA.D.になり、巨大化したことに驚いたのではない。彼女が鎧武者を破壊したことに対してでもない。揚羽の動きが急に鈍ったのだ。そのことに驚いた。

「……そっか。あのでかいのを倒したから」

 そして。スイカはもう一体の化物を視界に入れた。残るは車女のみ。アレを片づければ済みそうである。巨大化した李の一撃なら撃破も容易いだろう。が、挙動が素早い。鎧武者も鈍重だった訳ではないが、車女は武者よりも速く動く。李は未だ残った化物を捉えられていない。

 スイカは周囲の様子を見遣った。オリヴィアは揚羽の足止めをしている。美祈は揚羽の相手をするのが嫌なのか、法師王樹、六原蜜の二人と戦っている。

「つまり、君がやればいい」

 するすると、シィドが中空から降りてきた。スイカは小さく頷き、箒を駆って車女へと向かう。途中、彼女は李の近くへ飛んだ。とてもではないが話が出来る状態ではなかった。

 李は猛り、怒り狂っている。無理もない。肉親を殺された。自分を含めたA.D.は大して役に立っていない。

 洲桃野李は自分以外の全てに対して怒っているのだ。スイカは、今は許しを請わないことにした。生きてさえいれば、生き残ることさえ出来れば謝れる。この場を潜り抜けることが先決であった。

「スイカ、どうやって止めるつもりだ」

「叩いてどうにかする」

「……フジ・ミノリの悪い癖が君にも移っているようだ」

 とにかく突っ込めと、スイカは速度を上げて急降下する。彼女に反応した車女が左腕を上げた。薙ぎ払いの一撃を躱すと、スイカは化物の腕を消し飛ばそうとして力を込める。重力を使って動きを止めようとしたが、それよりも早く化物は距離を取って逃れた。

「君の能力を使うにはある程度の時間がかかる。相手が悪いな」

「じゃあどうすんのっ?」

 スイカは化物を指差して喚いた。

 車女は四肢を巧みに使って疾走していたが、その脚をあるものが掴んだ。泥の腕が化物を捕捉している。

「そうだな、他人の手を借りてはどうだ?」

「Qué bien! 今だっ!」



 車女の足を掴んだのは蔵加夏の泥人形であった。彼女は鎧武者の一撃を受けたが、辛うじて息があり、今しがた回復したところである。夏は廃墟と化した建物から、巨大化している李を認めて面食らったが、同じA.D.だと分かると即座にサポートに回った。彼女にもそれくらいの思考能力は残されていたからだ。

 蔵加夏の援護により、スイカは己の能力、重力を発動することに成功した。きっと標的をねめつけると、化物は地面に縫い付けられたように動けなくなる。

 そして。洲桃野李が得物を振り被っていた。やはり不恰好なモーションではあったが、両の手に持った杖と剣が化物を捉えている。もはや斬るというよりも磨り潰すといった具合で、機械じみた化物の体が四散した。

 同時、鹿猫揚羽は気を失っている。彼女は無意識の内に化物に力を与えていたのだが、その対象が消失したことで、与えていた分の力を失ったのである。供給は今を持って完全に途切れた。この場所を支配していた揚羽の魔の力は雲散霧消し、シィドはその事実に気づいた時、小さな息を漏らした。

 これで終わりかと。

 シィドはスイカの傍から李の背を見遣る。彼女の体は酷く大きかったが、どこか、とても頼りなげなものにも見えて、幼いA.D.の誕生に歓喜すると共に、諦観、あるいは悔悟じみた情を覚えた。



 中枢から現実に帰還することが嬉しくなかったのは初めてだった。『戻ってきた』スイカは自分が洲桃野商店の前にいることに気づき、それから、美祈とオリヴィアの姿を確認した。二人はぼーっとしている様子だったが、ひとまずは無事のようであった。

 李とうちの姿は見当たらなかった。スイカは店の中に戻り、遠慮がちに奥へと進んでいった。

「スイカさん」

 廊下の曲がり角から、李が顔を覗かせていた。暗かったのですぐには気づけず、スイカはぎくりと身を竦ませる。

「あの。ここから、来ないでください」

「……うちさんは?」

 李は目を瞑り、ごくりと唾を飲んだ。

「まだ」その続きを促すことはスイカには出来なかった。

「スイカさん。聞きたいこととかあると思います。たぶん、今の私になら答えられるとも思います。けど、今はあなたたちを許せないんです」

 答えられるとはどういうことか。気になったが、スイカは黙って続きを待つ。

「私は私のことも含めて、全部を許せないんです。少なくとも、今は」

「分かった。うちさんに……ううん、じゃあ、また」

「はい。……あの、スイカさんはおばあちゃんのこと、どう思ってましたか」

「どうって?」

 暗がりに李の輪郭と声が浮かんだ。

「気味が悪いとか、好きとか、嫌いとかです」

「好きでも嫌いでもないよ。普通かな。色んな意味でさ」

「正直ですね」

「嫌だった?」

「はい。すごく」

 それきり、李は声を発さなかった。スイカは目を凝らす。もう、彼女はここにいなかった。



 その後、スイカは、李がうちの日記を手にしたということをオリヴィアから聞いた。やはりうちは何かを隠していたのだ。李はその日記を読み、中枢についての何かを知ったのだろう。

 スイカはうちを責め立てる気にはなれなかった。やはり、彼女は普通だったのだ。いい意味でも悪い意味でも。ただ、孫のことを心配する普通の『おばあちゃん』だった。だからやはり、好きにも嫌いにもなれなかった。

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