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アドリビトゥム

 灯りの落ちた部屋に規則的な寝息があった。外は明るくなっていたが、遮光カーテンが日差しが室内に入るのを防いでいる。

 部屋にはキャラクターもののシールが貼られた学習机。本棚には少女向け漫画の単行本がきちんと並んでいる。衣装ダンスの傍には姿見。27インチのプラズマテレビが隅に置かれている。子供部屋のようであり、実際、大きなベッドの上では少女が眠っていた。

 が、彼女はむくりと起き上がり、枕元にあった携帯電話を掴む。アラームよりも早く目が覚めたので、設定を解除しているらしかった。

 少女――――断割彗架――――はベッドの上で立ち上がり、伸びを一つして覚醒する。着替えを済ませると、軽い足取りで部屋を出てリビングに降りた。

 リビングに母親の姿はない。彼女は昨夜から父、日章の入院している病院に泊まり込んでいた。

 スイカは誰もいないことを気にしないで、慣れた手つきで朝食を準備し始めた。



 夏休みの終わりも間近に迫った貫木の街からは、外で遊ぶ子供たちの姿が減っていた。

 スイカは並木通りを自転車で通り抜けながら、空を見上げる。午前の日差しを受けた彼女は目を細めた。

 鼻歌交じりで病院の駐輪場に自転車を停める。スイカは迷うことなく、真っ直ぐにとある病室へと向かった。



「おはよう、美祈ちゃん」

 白い壁。白い天井。風にそよぐ薄い黄色のカーテン。清潔なシーツにくるまれた美祈は上半身を起こして微笑を浮かべた。

「毎日来ることなんかねえだろうよ」

「お父さんのお見舞いのついでだから」

 スイカはオーバーテーブルの上に置かれたビニール袋を見遣り、不思議そうに小首を傾げた。

「誰か来てたの?」

「ああ。つーか、来てるっつーか。まあ座れよ」

 部屋の隅に置いてあった丸椅子をベッドの端まで寄せると、スイカはそこに座る。

「食っていいぞ、それ」

「ん、お腹減ってないからいいよ」

 そう言いつつも、スイカは立ち上がってビニール袋の中身を確かめた。四つの、赤く、丸い果実が見えて、彼女はほんの少しの間、顔を歪ませる。

「そういや、李の引っ越しって今日だったか?」

「みたいだよ」と、スイカはケータイを取り出した。



 数日前、スイカたちは虫垂から地球へと帰還した。

 図書館に戻ったのは三人きりで、オリヴィアの姿はどこにもなく、見つけられることは出来なかった。スイカたちは彼女がいなくなっただけで、死んだのだとは口にしなかった。ただ、覚悟はしていた。

 美祈は、地球に戻る前に、虫垂で自分がどうなっていたのかをスイカから聞き、パニック状態に陥った。図書館から逃げるように出た彼女は、その直後に車に轢かれた。幸いなことに致命傷には至らなかったが、右腕と左足の骨が折れて、ショックからか、丸一日眠り続けた。



「あたしが轢かれた時、お前笑ってたよな」

「だってなんかもう、逆に面白くなっちゃって。あれ。まだ根に持ってるの?」

「当たり前だろ。マジで死ぬかと思ったんだからな」

 美祈はスイカをねめつけた後、目を細めた。彼女の手を取り、俯く。

「……すげー怖かった。でもごめんな。ちょっとホッとしたんだ。死んだらさ、もう、あんな目に遭わなくていいんだって」

「いいよ。そんなの。わたしだって、もしかしたらそんな風に思ってる」

 貫木を去るか。あるいは死ぬか。そうすれば戦わなくて済む。化け物と殺し合わなくて済む。

「でも、わたしはここにいるからさ」

 スイカは病室の窓から外を見た。……今頃、洲桃野李は貫木市を出ているだろうか。そんなことを考えた。



 洲桃野うちの死後、李の家族は貫木を出ることに決めた。否、前から決めていた。李を除いた他の家族はずっとうちの死を待っていたのである。

 うちの面倒を看ることから解放されたと、李の姉は喜んだ。両親は大っぴらに喜ぶようなことはなかったが、うちの奇行のせいで自分たちも迷惑を被っていたのだと漏らした。

 その話を聞かされた李は激高したが、虫垂でならともかく、現実では小学生の身でしかない。抵抗することすら出来ず、スイカにメールだけを送ってそれきりだった。



「姉妹か、恋人みたいだね」

「え?」

 スイカは顔を上げた。病室に見覚えのある少女が入ってきたのだ。

「……あ、ええと、どうも」

「前に会ったよね。つっても覚えてないっかー。ほら、ガッコの校門でさー」

 種田という名前を想起し、スイカは椅子から立ち上がって床を蹴る。

「わあっ、ちょ何!?」

 美祈が止めなければ、スイカの右拳は種田の鼻にめり込むところであった。

 スイカはゆっくりと拳を引き、種田から距離を取る。

「え、もしかして、あん時のこと気にしてる……?」

 種田は美祈に助けを求めた。美祈は頭を掻き、スイカをじっとりとした目つきで見据えた。

「いーよスイカ。大丈夫だから」

「いいの?」

 美祈は無言で頷く。種田は安堵の溜め息と共に、納得したような風に苦笑した。

「あー、そっか。その子がスイカちゃんか。こないだはごめんね。いつも不二がお世話になってます」

「……こちらこそ、お世話になってます……?」

「あはは、なんか面白いねスイカちゃん」

 種田はオーバーテーブルの傍に椅子を持ってきて、そこに腰を落ち着かせる。

「食べる、これ?」

「いや、大丈夫です。わたし、」

 ぐ、と、スイカは口元を手で覆った。口から泥が侵入してくるような感覚を覚えたのだ。慣れて、とうに馴染んだ感覚のはずだがいつもと違う。似ているが同じではない。


 ――――虫垂に? いや、でも……。


 スイカは美祈を見遣った。彼女は不思議そうに自分の脚を摩っている。美祈もまたスイカと同種の違和感を覚えているらしい。

 空の色も空気の質も先までと変わらないはずだった。だが、虫垂に来たという感覚は残っている。

「美祈ちゃん、動ける?」

 スイカが問うと、種田は眉根を寄せた。美祈は緩々とした動作で首を振る。

「どうなってんだ、こりゃ」

「や、どうなってるっつーか、動けるわけないじゃん。あんたさ、折ってんだよ。骨」

 種田はスイカたちを馬鹿にしたような目で見た後、ふと、窓の外を見遣った。そうして、彼女はそこを指差した。



 蒼天に孤城が、一つ。

 貫木の街を睥睨するかのように在る白亜のそれは、お伽噺からそのまま抜け出たような姿をしていた。

 城に見下ろされた貫木の住民は、皆、一様に空を見上げて固まる。夢か、幻か。現実だと認識出来ないままで思考すらを凍り付かせた。



「……うわ、すご。ね、何あれ? すごくない?」

 種田はケータイで空を写す。スイカと美祈は顔を見合わせて、

「わりぃ」

「ううん。わたしがやるから」

 覚悟を決めた。

 スイカはじっと目を瞑る。空の城はよくないものだ。ここはもう既に地球ではなく別の星で、貫木ではなく虫垂である。ならば自分のすべきことは一つきりであった。

 軽く跳べば天井に手が付く。指に力を込めれば天井に穴が空く。種田は素っ頓狂な声を上げて、スイカを呆然とした様子で見ていた。

「ね」

「……え?」

「美祈ちゃんのこと、お願いします。わたし、行くところがあるんだ」

 種田は頭を掻きながら、スイカと美祈を交互に見比べる。

「まー、なんかよく分かんないけど、私とこいつのことはいいから。やることやりなよ」

「ありがと。でも、今だけだからね」

 そう言ってスイカは駆け出した。勢い余って体が宙に浮く。廊下で立ち止まっていた看護師とぶつかりそうになり、スイカはごめんなさいと謝った。



 日章の病室はいつも静かで、時間が止まっているようだと錯覚していた。

「お父さん、お母さんっ」

 スイカは勢い込んで病室に入り、両親の姿を確認した。二人は空を見ていたようだったが、彼女の存在に気づいて目を瞬かせる。

「どうしたの、そんなに慌てて。……ああ、スイカも見たの。アレ、何かしらね」

 月美の口調はのんびりしたものであった。スイカは僅かな苛立ちを覚えるも、言わねばならないことを頭の中で整理しようとする。

「……スイカ」

 スイカは日章の声で顔を上げる。ベッドの上で上半身だけを起こしている彼は、それだけで何も言わずに小さく微笑んだ。

 一歩ずつ、確かめるようにしてゆっくりと進む。窓の傍まで近づいたスイカは空に坐す城を見据えた。

 スイカのただならぬ様子に月美は困惑する。彼女はスイカに声を掛けようとしたが、天井から吊り下がったモノを見て悲鳴を上げた。

 それは蜘蛛だ。

 だが、その蜘蛛はスイカにとっては馴染みのある『相棒』であり、『分身』であった。

「戦いから逃げたいか、スイカ」

 スイカはシィドを見ずに首を振る。

「君が戦いへ赴く前に言っておくことがある。ここは君の知る虫垂という場所ではない。しかし君の知る貫木という街でもない。二つの場所が、二つの星が、あの城によって混じったのだ」

「だったら早くどうにかしないとダメじゃん」

「もう一つある。私は前に言ったな。洲桃野の一族よりも強い力を持つ者がいると。その人物こそが、君らの星と我々の星とを結ぶ、ゲートを開く為の鍵となっていると」

「それが?」

「そいつが分かった」

 スイカの心が僅かに揺れ動く。

 星同士が入り混じった状況は最悪に近しい。更に時間が経てば、もはや貫木どころか地球上に安全圏はなくなる。だが、『鍵』さえ壊せば――――。

「君の葛藤はよく分かる。鍵を壊すのは、人を殺すということだからな」

「……人を」

「だが、楽になれるかもしれないぞ。地球がある限り、虫垂は決してなくならない。汚れたものが存在し続ける限り戦いはなくならない。だがスイカ。鍵を壊せば、君が生きている間は戦いから逃れられるかもしれないな。いつまで続くかは知らないが時間稼ぎになる」

「ちょっと、いいなって思っちゃう提案だよね」

 シィドはスイカの感情を汲んだのか、ふっと笑みを漏らした。

「鍵の在処を伝えたかったが、それは難しい。私は言ったな。名前も、姿も定かでないと。それは仕方のないことなのだ。何せ、鍵は胎児だったのだから」

 スイカは髪を指で梳き、諦めたように笑む。

「どこまで趣味が悪いんだろうね、ホント」

「この街全ての赤ん坊を殺せばいい。どれかは当たりだろう。当たれば星と地球とのリンクが切れる。逃げられるぞ。次の機会に選ばれないように祈ればいい」

「スイ、カ……? ねえ、何を言っているの? その、バケモノとどうして、そんな」

 ああ、と。呻くように言うと、シィドは月美を指差した。

「そうだ。そこにも赤ん坊はいるじゃないか」

 シィドの視線を受けた月美は、咄嗟に、腹を庇うようにして両腕で自らを抱く。

「あのゲートは貫木市にだけ存在しているが、やがて汚れが広がればこの星全てを呑み込むことになるぞ」

「シィドは何がしたいのさ。地球に住んでるわたしたちが嫌いなんでしょ。だったら余計なこと言わないで、早く戦って早く死ねって言えばいいだけじゃんか」

「そうすべきなのだろうな。だが、私はスイカの分身なのだ。きっとお前たちには死んで欲しい。しかしお前には死んで欲しくないのだ。だから、分からなくなっているのが正しい。そんな気がしている」

「信じないよ。そんな簡単には」

「それで構わない。……時間はないぞ。選ぶのだ。切り捨て、断ち切り、割り切れ」

 スイカは振り返り、シィドを、月美を、日章を見遣った。そうして彼女は向き直り、窓を開く。

「何かを捨てるとか殺すとか、そんなの選べるはずないよ。だってそんなことしたら、今までやってきたことが馬鹿みたいになっちゃうし」

「では?」

「やるよ。何か一つだけ選ぶなら、わたしに選べるのはそれ一つきりだから」

「待ちなさいっ。スイカ、何を言ってるの? ここで大人しくしていなさい」

 月美は日章が止めるのも聞かないでスイカの前に出る。

「子供がやるとかやらないとか、そんなの言わないで。早くその蜘蛛から離れなさい」

「お母さん。お父さんをちゃんと見てあげてね。すぐに戻って来るから」

「スイカっ!」

「……母さん、今更だよ」

 日章は緩々とした動作で首を振った。彼は月美を窘めた後、穏やかな顔つきでスイカを見つめた。

「水族館へ一緒に行った時から……いや、その前から、そうなんだね、スイカ」

「ごめんね、お父さん。わたしのせいで」

「謝っちゃいけないよ。子供なんだ。遠慮することはないから、好きなようにやるといいんだ。ただ、父さんと母さんが何も出来ないのが悔しい」

「あなた、スイカを止めて……? どうして焚きつけるようなことを言うの」

 月美はふらふらとした足取りで日章の傍に近づく。

「だから、今更なんだ。僕たちはもっと早くに気づいてあげるべきだったんだよ。そうでないのなら、スイカを止められる権利なんてない。それに、僕たちが何を言ったとしてもスイカは行くんだろう?」

「うん。行く」

「きっと無事に戻って来るんだね?」

「もちろん」

 スイカは少しだけ考えた後、月美に駆け寄って、彼女の腹に手を当てた。

「わたし、弟がいいな」

「あ――――スイカっ!」

「いってきます!」

 スイカは月美の手から逃れるようにして床を蹴る。跳躍の後、窓枠に足を着けて空をねめつけた。

「シィド、行くよ」

 スイカの姿が視界から消え、月美と日章が表情と声を失った。だが、ややあってから二人は驚きの声を上げる。

 変身を終えて箒の上に乗ったスイカが、背を向けたままで腕を上げたからだ。

 月美は再度スイカに呼びかけたが、彼女はもう何も言わなかった。まるで未練を断ち切るかのように、しがらみを振り切るかのようにして空を翔けていった。



 シィドはスイカの乗る箒に足を絡みつかせて、振り下ろされないように堪えていた。敵の待ち構える城まで数分とかからない速度である。空を行き、雲を突っ切る度に風圧が彼を襲った。

「……スイカ」

「何」

 シィドは低く唸る。今、スイカの精神状態は芳しくない。過去に類を見ないほどにぼろぼろであった。

 オリヴィアの安否が定かでないこと。美祈と李がいないこと。両親にA.D.だとばれて、地球で戦う羽目になったこと。様々な要因がスイカを苛み、苦しめている。


 ――――私はこの少女を切り捨てられるのか?


「貫木は今、星の住人たちが隔離している。我々の星とも地球とも違う場所にあると思ってくれ。それから、貫木市に住まう者らの記憶も操作出来るだろうが、ことが終わらないことにはどうにもならん。長くはもたないぞ」

「どうすればいいの?」

「あの城はゲートに近い。アレを破壊すれば収まるだろうが、目に見えている城だけを破壊しても意味がない。あの中にこの状況を作ったモノがいるはずだ。そいつを倒せ。力をもとから断つのだ。時間をかければ星側がゲートごと貫木を排除するかもしれん」

 貫木市そのものが危険だと判断されれば、星の住人は街ごと取り除いてしまうだろう。そうなる前に片を付けねばならない。

「要するに、いつも通りってことでいいんだよね」

「ああ、そうだな。いつも通りだ」

 そして恐らく、これが最後の戦いになるだろうと、シィドは予感していた。



「前に住んでたとこの近くにさ、ああいう感じの建物があったんだよね」

「ほう」

「お母さんに『アレ何』って聞いたら、知らなくてもいいって言われたんだけどさ」

 尖塔が三。館は五。中世から飛び出して来たかのような聳える威容を前に、スイカは、まるで絵本を初めて見た時のような顔で笑う。

 城の外壁は至純。無垢な少女の肌の如く白い。

 壮麗――――だが、美しさを感じるよりも先に冷たさが身を震わせる。スイカは無意識の内に鼻を鳴らした。臭いがない。何も感じられないのだ。まともな人間は居ず、其処に巣食っているのは十中八九獣よりも恐ろしいものだ。童話に登場するような外観の城だが、その実、魔物を閉じ込めている檻に近しい。

 スイカは高度を上げた。俯瞰すると、土台が雲の中に隠れているのが分かった。

「いるんだよね。あそこに」

「ああ。何かが。どうする、スイカ」

「なんとなくだけど、そいつがどこにいるか分かるよ。だからまっすぐ行く」

 スイカは自分に言い聞かせるように頷くと、ゆっくりと降下を始める。徐々に速度は上がり、風を切り、雲を晴らしながら城を目指した。

 一秒ごとに城に近づく。スイカは胸に手を当てた。息をする度に、瞬きをする度に世界が縮まって歪んでいるかのような感覚を覚えた。

「馬鹿正直に正面から入ることはないだろう」

「まっすぐって言ったじゃん」

 二十メートル近い高さの城門を抜けると、噴水や植栽の見える中庭に出る。スイカはそこで箒から降りた。辺りを見回しても、やはり誰の影も見つからない。耳を澄ましても何の音も聞こえなかった。

「……なんか」

 スイカはその場で足踏みし、小首を傾げた後で、手で触れる。

「気持ち悪い。冷たくもないし、固くもない」

「地球上に存在する物質で構成されている訳ではないのだろう。君がそう思うのも不思議ではない」

「じゃあ、このままにしとくのはよくないよね」

 スイカは再び箒の上に乗り、ある方向を見据えた。

「行き先、分かっているのか」

「相場は決まってるってやつだよ」

 スイカは中庭の門を潜り、階段を飛空して越える。長いそれを通過すると、真白の空間に出た。二つ目の中庭である。彼女はここも素通りした。

 シィドは前方を見遣る。彼は、スイカが目指しているのは一番奥の巨大な建物だと見当をつけた。

「あの塔か」

 シィドが、数十メートルはある尖塔を指差す。スイカは首を振った。

 スイカは塔を指差して、ついと、その指で宙をなぞる。その動きに呼応するかのように、塔の先端部分が軋みを上げてもぎ取れた。取れた箇所は落下せず、中空に留まり続けている。

「スイカ。何をした。何をするつもりだ」

「うーん。出来るかなって。わたしの力がどこまで届くのか確認したかったんだ。そんで届いてるみたいだからさ、あの塔をあそこにぶつけるの」

「意味はあるのか」

「てっつがくう」

 塔がぐらりと傾いた。空に留まっていたそれは緩やかに反転し、城の本館へと先を向ける。スイカが腕を下げると、尖塔は館の天井目指して進み、衝突した。

「よっし、今だ」



 壊れた本館を見下ろすと、スイカは高く上昇して、破れた天井から本館の中へと急降下した。

 落下する尖塔の破片と共に室内へと身を滑り込ませる。

「来るぞっ」

 スイカを狙ったであろう攻撃が飛んだ。彼女は破片を盾にしつつそれを防ぐ。また、自らも巨大なカーテンを創り出して姿を隠した。

 そして。スイカは見た。幕越しに、自分がどこにいるのかを確認した。

 床と激突して粉々になったシャンデリア。階下と吹き抜けになった広間。そこを取り囲むようにして背の高い蝋燭が立ち並んでいる。室内に立ち込める埃を吹き飛ばすかのような黄金色の輝きを受け、スイカは目が眩むような思いであった。

「さしずめここは玉座の間といったところか」

 ならばここに巣食うは魔でなく穢れでなく王だと言うのか。シィドの言葉を聞いたスイカは蔑むような笑みを浮かべる。

 床と天井と壁には、血で塗りたくったような画風の動植物が彩られている。描かれているものに対して、スイカは既視感を覚えた。しかしその正体を確かめる前に身体を動かす必要がある。

 スイカはだだっ広い『玉座の間』に着地すると、右方の煙に蠢く影を認めた。シィドが何事かを叫ぶ前に、彼女は身を低くして攻撃を避ける。

 通り過ぎていったモノの正体に気が付くと、スイカは小さく舌打ちした。

「思い出させちゃってえ!」

 馬の首が縦横無尽に飛空している。それは、スイカが初めて虫垂に呼ばれた時に出会ったクビナシという化物であった。

 だが、今は状況が違う。あの時、スイカは逃げ惑うことしか出来なかったが、今の彼女には力がある。立ち向かい、打倒する力を知っている。

 突っ込んでくる馬の首。スイカはそれを拳で迎撃する。化け物の動きの止まったところで跳び上がり、体全体を使って蹴り飛ばした。化け物は壁に突き刺さり、その衝撃で玉座の間の壁は崩壊する。

「今のが『何か』!?」

「いや、まだいる」

 馬の首が吹っ飛んだ方向。崩壊した壁の中から別の化け物が姿を見せる。炎を纏い、床を踏み拉くのはワッカと呼ばれていた化け物であった。

 ワッカはその場で自らの車輪を回転させ始める。その度に床が剥がれ、削れ、破片がスイカのもとに飛んだ。彼女はそれを片手で払い除け、敵をねめつける。その瞬間、ワッカの体が歪んだ。空間を捻じ曲げられたかのような有様だった。ワッカの体は少しずつひしゃげて、地面に縫いつけられていく。スイカが重力を使っているらしかった。

 高く、乾いた音が弾けた。ワッカの動きが完全に止まり、後は余勢に従って車輪がからからと回るのみであった。

「クビナシ、ワッカ。じゃあ次は……」

 床が震えて鳴動する。スイカは足元に危険を感じて飛び退いた。彼女の動作に少し遅れて、床から巨大な鋏が姿を覗かせる。それは蟹の化け物であった。

「やっぱり!」

「きりがないな」

 スイカは巨大な日本刀を創造する。刀は独りでに動き、蟹の鋏を両断した。

 彼女・・が現れたのは、ちょうどその時であった。

 スイカはそれ(・・)を認めて目を見開く。動きが止まった。シィドは何をしているのだと叫んだ。



 シィドもそれの存在を確かに見た。

 玉座の間。この部屋の主を示す玉座に座っているのは、年端もいかぬ一人の少女であった。

 少女はスイカと同年代にも見えるが、体つきも顔つきも彼女より大人びていた。にきびの一つもない抜けるような白い肌。長く艶のある黒髪。ともすれば、綿菓子のように砂糖菓子のように、女の子の理想を体現しているような――――。


「一緒に遊ぼうよ、スイカちゃん」


 玉座の少女は、そう言って微笑みかけてきた。

 まずい。

 シィドはそう思った。

 アレが敵だ。アレこそがこの城の主なのだ。しかし、スイカは敵を前にしても動かない。否、動けないでいる。……敵が少女の姿をしていることは恐ろしく、攻撃を仕掛けるのも躊躇いすら覚えるだろう。

 だが、この城を、この世界を生み出したのは目の前の少女なのだ。いつかの鹿猫揚羽と同じく、自分の想像した世界が外部に影響を与えるほどの力の持ち主。目の前にいるのがただの汚れだというのがシィドには信じられなかった。

「スイカッ、やるのだ! 何を躊躇っている、アレは敵だ!」

「……違う。違うよ、シィド」

「何を――――これは」

 シィドの脳内にスイカの記憶が流れ込んでくる。それで彼にも合点がいった。そうだと彼は自身に言い聞かせる。断割彗架が、ただの少女相手に躊躇いを覚えるはずはなかった。あの少女は、高都林檎の姿をしていたのだ。

「ほら? 遊ぼう?」

 林檎は掌をかざす。

 左右の壁から。天井から。床から。玉座の間の至る所から化け物が姿を現した。

 シィドは咄嗟に周囲を見回す。

「クジラに、目玉……? まさか、今まで駆除してきた汚れが……っ!」

「ふふ、あははっ、やっぱり! やっぱりっ、スイカちゃんと会えてよかったなあ!」

「スイカッ!」

 全方位から攻め立てられるスイカだが、彼女の体は震えたままだった。



 空を見上げる。

 城がある。

 ああ、あそこでは誰かが――――いや、あの人たちが戦っている。

 洲桃野李は携帯電話をポケットに戻して溜め息を吐いた。

「李? 何してるの? ほら、車に乗って」

 李の家族たちには貫木市の空に浮かぶ城がほとんど見えていないようだった。彼らは新たな土地、新たな生活に思いを馳せている。この町で起こることに対しては興味がないのだ。

 だが、と、李は車に乗るのを躊躇っていた。これに乗れば、後はもう流されるだけだ。自分の意志が介在する余地はない。

 李は姉や母に急かされても、李はぐっと地面を踏みしめ続けていた。

「……やあ、洲桃野の」

「え?」

 李は顔を上げた。いつの間に現れ、近づいていたのだろうか。見覚えのない人物が自分の前に立っていた。

 その人物はフードを目深に被り、口元しか見えない。だが、背丈と声から少年ではないかと李は認識する。

「誰、ですか?」

「ああ、君は僕を知らなかったね。じゃあ、そうだな。僕がうち(・・)の友達と言えば察しが付くかな?」

 ハッとした。李は少年の正体に気がついたのだ。

「そう。賢い子だね」

「あなたは……!」

 李は大きな声を出してから、周りの様子がおかしいことにも気がついた。先まで自分を急かしていた家族の動きが止まっている。声を発さないどころか、身じろぎ一つしていなかった。時間が。空間が。世界が固まっているかのようだった。

「君との語らいを邪魔されたくなかったからね。少し、黙ってもらっているよ。君も気にしないで話すといい」

「……あなたは」

「うん?」

「魔法使い、なんですか?」

 李がそう言うと、フードの少年はふっと笑んだ。

「うちは僕のことをそうも呼んでいたかな。君も好きに呼んでくれればいい」

 ショックを受けた。李は世界が揺らぐのを感じる。

 どうして今なのだ。なぜ今になって皆が探し求めていた『魔法使い』が現れたのだと、彼を憎みすらした。

「……ああ、ごめんね。このタイミングでないとこの街には来られなかったんだ。うちが死んだことも知っている。李。彼女を助けられなくてすまなかったね」

 だが、と、少年は付け足した。

「僕がその場にいても、うちは死んでいたんだろうと思うよ。僕は確かに『魔法使い』の始祖かもしれないけど、他人の運命まで操ることは出来ないからね。それよりも、君はどうするつもりなんだ?」

 問われ、李は答えに窮する。

「僕が君の前に現れたのは時間稼ぎをする為さ。運命を操ることは出来ないけど、少しくらいの悪あがきは出来る。分かっているはずだよ。君は今、運命を選ぼうとしている」

「私の、運命」

「僕はもう、見守るしか出来ない。いや、手を出してはいけないんだ」

 ああ、と、李は息を吐く。察したのだ。魔法使いの少年はずっと見ていなくてはならない。手を出してはいけない。見るだけだ。この星に残った彼に出来るのはそれだけなのだろう。

「また会えますか。あなたと。聞きたいことも、話したいこともあるんです」

「……何年、何十年後になるかは分からないけど」

「構いません。私は、おばあちゃんの思いを継ぎますから」

 うちとは違うやり方で、うちの思いを受け継ぎたい。李は今、心底からそう思った。

「困難な道だよ。あの雲の上に。空の中の城に着いたのなら、君も覚悟をしなければならない。君たち洲桃野は貫木の鍵だけど、鍵が絶対に壊れないという保証なんて誰にも出来ないんだ」

 李は答えなかった。だが、彼女は既に非日常を身に纏っていた。戦う準備も、覚悟も既に決めていた。

「分かった。気をつけていくといい。僕もここで、出来る限りのことはしよう」

「お願いします。あなたの出来る範囲で、皆を守ってください」

 言って、李は魔法陣を中空に形成する。彼女はそれの上に飛び乗って空を見上げた。

「強い子だ」

「いいえ。強くありません。でも、私は一人きりで戦うわけじゃありませんから」



「見つけた!」

 天空の孤城。玉座の間。

 化け物どもはスイカを囲んでいたが、上方からの攻撃を受けてその動きを止めた。スイカの空けた天井の穴から降りてきたのは他のA.D.である。パイナップル頭の少女、蔵加夏、鹿猫揚羽らが主なメンバーであった。

 パイナップル頭の少女は四方に爆弾を投下する。爆撃を受けた化け物は四散し、その内容物が壁や床に叩きつけられた。新たに戦場へやって来たA.D.は多数の化け物に面食らったが、玉座に座るモノも認める。彼女らも今日まで生き残ってきた強者だ。即座に、それが敵だと理解した。

 最初に林檎の姿をした少女へ向かったのは鹿猫揚羽だ。彼女は得物のハンマーを振り被りながら距離を詰める。右方から迫る熊の化け物は、蔵加夏の泥人形が防いでいた。

「あは」

「……あ、れっ!?」

 揚羽の一撃が空を切る。玉座に対して振り下ろされた一撃はあらぬ方を叩いていた。その隙を衝かれ、揚羽の矮躯が吹き飛ぶ。得物を握っていた右腕は消失し、彼女は苦痛の声を漏らした。

 先の攻防を見ていたA.D.にも動揺が走る。揚羽の力はこの中のA.D.でも飛び抜けて高い。動揺は逡巡を生み、致命的な隙をも作り出す。玉座に座る林檎はけたたましい笑い声を上げた。それだけで、玉座の間にいるA.D.の体がねじれて、弾けた。

「おォおォおォ、ありゃあ声に力がこもってやがったな。おォら夏! さっさと体を治さねえか!」

 夏の使い魔、プーキーががなり声を発する。彼女はプーキーに舌打ちを返すも、きっちりと治癒を完了させた。だが、この場にいる総勢十を超えるA.D.のうち、即座に体勢を立て直せたのは半数以下だった。

 体勢を立て直せなかったA.D.は周囲の化け物に食われて飲み込まれた。彼女らが絶命するまで時間は残されている。いずれ化け物の腹を食い破ってでも戦線に復帰するだろうが、林檎の『魔法』は残った者に容赦なく襲い掛かる。未だ呆けているスイカとて例外ではない。シィドはスイカの名を呼び続けるが、彼女は林檎の攻撃を喰らい、半身が焼け爛れていた。



 死んだ。

 殺された。

 確かにそのはずだ。

 高都林檎は自分の目の前で殺された。スイカはそのことをよく分かっていたつもりであった。だが、実際はそうではなかった。彼女はまだ高都林檎の死を受け入れていなかったのである。……スイカはまだ林檎のことを断ち切り、割り切れていなかった。

「シィド」

「……スイカ」

 スイカは傷を負っていた部位を回復させ、箒を呼び出してそれを掴んだ。

「わたしは弱くて、子供なんだね」

「ああ、そうだ。君は聞き分けがなくて、賢そうに振舞うだけの餓鬼に過ぎない」

「でも、子供が出来たんだ。弟かも、妹かも分からない。けど、もうすぐそうなるんだ。だったらわたしはお姉ちゃんになる。ちょっとだけ大人にならなきゃ駄目なんだね」

「ああ、そうなのだろうな」

 やるよ。スイカはそう告げた。

「大人になったらこういうことは出来なくなるって思っちゃうんだね。空を飛べるのは今だけなんだ。さっき、分かった。だからたぶん、これが最後なんだ」

「ああ、そうだな。これでおしまいにしよう、スイカ」

 頷き、スイカは箒の柄の上に乗った。今や彼女以外にまともに動けるA.D.はいない。それでもスイカは前を見据えた。相対する林檎は微笑みでもってスイカの覚悟を受けた。

「遊ぼうか、スイカちゃん」

「そうだね、林檎ちゃんとは結局、一度だって遊んであげられなかったから!」

 ごうと風が吹く。スイカの体が中空へ飛び出した。玉座の間の壁から、巨大な鳥の化け物が現れる。

「またっ、お前か!」

 鳥の化け物はスイカの重力を受けても怯まなかった。以前に戦ったものより強化されているらしかった。

「避けるのだ、スイカ!」

「そんな……無理っ!」

 化け物の嘴がスイカの腹に突き刺さる。彼女は吐血しながらも反撃を試みる。それと同時に肉体の再生も行っていた。しかしどっちつかずではどちらもままならない。半端な状態のままダメージだけが蓄積していく。

「こぉん、のぉぉぉぉ!」

「そのままで! 耐えてください!」

 上から声が降ってきた。スイカはそちらをねめつける。

 声と共に降ってきたのは縦になった魔法陣だ。その中央にはジャック・オ・ランタンが刻まれている。スイカが見間違えるはずもない、それは洲桃野李の生み出す魔法陣であった。

 その魔法陣は鳥の化け物を切り刻み、スイカの周囲に楯となるかのように浮遊し始めた。彼女は天井を見上げて、声を荒らげた。

「どうしてっ、ここにいるの!?」

 スイカに怒鳴られたのは、魔法陣の上に乗り、中空に留まる李だった。彼女は難しそうな顔になり、それから、面倒くさそうに息を吐き出す。

「急いできたんです。少しは嬉しそうにしてください」

 鳥の化け物が最後の力を振り絞ってか、火炎を吐き出す。李は魔法陣を束ねることでその火炎を防ぎ切った。のみならず、その火炎を弾き返して玉座の間にいた化け物にぶつけた。李は魔法陣から飛び降り、スイカの傍に着地する。

「わたし、理由を聞いてるんだけど」

「おばあちゃんみたいな人になりたいから。……ってのもあるんですけど、スイカさんはきっとここにいるって思ってました。私、スイカさんとは友達でいたいんです。数少ない友達が死ぬのは嫌なんです。だから、あなたを助けに来ました。これが理由です」

「……友達」

「スイカさんは嫌がるかもしれませんけど」

 李は帽子を被り直して、剣の仕込まれた杖を構えた。スイカは屈託のない笑顔を浮かべた。

「足は引っ張らないでよね」

「スイカさんこそ」

「……む?」

「どうしたの、シィド?」

「いや、今はいい。些事だ」

「あっそう」

 シィドは珍しく言いよどんだ。彼は見ていたのだ。先まで楽しそうに笑っていた林檎の表情が暗いものに変化したのを。



 来る。

 スイカは息を呑んだ。

 玉座に座っていた林檎は立ち上がり、軽やかな動きで距離を詰めてきていた。それはスイカの知る林檎の動きではない。別人で、別物なのだ。

「他の人が出てくるまで時間を稼ぎましょう」

「いや、わたしたちだけでやろう」

「……スイカさんらしいというか、なんというか」

「来るよ!」

 スイカと李、二人の視界から林檎の姿が見えなくなる。だが、彼女らはきっちりと反応していた。右側から仕掛けてきた林檎の拳を受け止めると、スイカは彼女を弾き返す。だが、林檎は弾かれざまに光弾を放っていた。

 李はスイカを押し退けて魔法陣で光弾を防ぐ。陣は林檎の魔法に触れた瞬間に硝子のように音を立てて砕けた。

 玉座の間を光が灼く。スイカたちの視界が一瞬間遮られた。次に二人が目を開けた時、林檎はもう目の前に来ていた。李は声を発する間もなく殴られて壁際まで吹き飛ぶ。スイカが林檎の顔面を狙って、召喚した剣や槍を放った。だが、そのどれもは綺麗に避けられてしまう。

 意地の悪い笑みを浮かべた林檎は、李の方を見ないまま、彼女に向けて炎の弾を何発も放った。直後、激しい爆発と悲鳴が散発的に起こる。爆風に煽られても林檎はその場でしかと屹立していた。

「……まずいな。スイカ、君の相手は高都林檎ではないぞ」

「分かってるよ」

「アレはA.D.ではない。ただの汚れだ。今までと同じ相手だ。……が、今までとは比べ物にならないくらいに強い。そう認識したまえ」

「うるさいなあ」

 スイカは箒の上に乗り、林檎を指差した後、空を指し示した。林檎もスイカの意を汲んだのか、にっと笑った。

 同時、二人の少女が玉座の間の天井から空へと飛び出す。シィドはスイカの箒に八本の足でしがみついていた。

「スイカっ! スモモと協力して戦うのだ! 君ひとりでは難しい相手だぞ!」

「うるさい気が散るって言ってんでしょ!」

 城を抜け出し、空の中に到達したスイカと林檎が飛び道具を撃ち合う。矢玉は雲を切り裂き、空に火花を描く。やがて撃ち合いでは決着がつかないと判断したのか、二人は接近戦用の得物を召喚してぶつかりあった。互いの鼻先に得物が当たる距離での鍔迫り合い。スイカは必死の形相であったが、林檎は涼しげな笑みを浮かべている。

 畜生。

 スイカは内心で叫んだ。

 林檎の姿をした怪物は遊んでいる。自分と同じレベルで戦っているのだ。そのことが分かったから、スイカの体に余計な力が入る。彼女は林檎に競り負け、全身を切りつけられて落下した。

 落下の最中、スイカは体を元通りに治して再び上昇する。

「頭に血が上り過ぎている。過度な興奮は生死に関わる」

「何さ、冷静ぶっちゃって」

「君がいつもより昂っているからだ。それ、見ろ」

 シィドは、上空の林檎を指差した。

「君は今、見下されているのだぞ」

「わたしに火ぃ点けようとしたってぇ……!」

 だが、スイカの願いが、心の力が強まった。彼女は先よりも速度を上げて林檎を捉える。彼女の腹に槍を突き刺し、再び城へと、玉座の間へと急降下を始めた。林檎は逃れようとしていたが、スイカが扱う重力の影響もあり、すぐには抜け出せない。

「その顔で! その姿で! わたしの前に出てくるな!」

 玉座の間に辿り着いたスイカは、突き刺していた槍ごと林檎を床に叩きつける。凄まじい衝撃波が室内に飛び交った。

 スイカは肩で息をし、呼吸を整える。周囲を見回せば、粗方の化け物は絶命しており、他のA.D.たちも戦線に復帰しているらしかった。

「むう、ここが好機を見るべきだ」

「他の人たちと助け合えって?」

「それが嫌なら利用するのだ」

「……それなら出来そうかな」

 シィドはふっと笑った。スイカのことをどこまでも性根の腐った餓鬼だと再認識したのだ。

「やりまくって!」

 スイカは中空に跳び上がり、煙の中にいるであろう林檎を指差した。同時、思いつく限りの武器やエネルギーをそこに向かって打ち込む。他のA.D.もスイカに倣い、林檎に集中攻撃を開始する。攻撃の際の轟音でスイカたちの鼓膜は破れていた。

 一分近い攻撃が止むと、土煙の中から林檎のシルエットが浮かび上がる。彼女は両の足で床を踏みしめていた。



 鹿猫揚羽が林檎に向かっていった。煙の中、揚羽は押し負けて四肢を薙がれてしまったが、他のA.D.が彼女をフォローする。

 林檎の足元からは泥人形。左右からは銃弾。真正面からはスイカが迫る。

「あは。あはは」

 林檎が嗤う。それだけで泥人形が四散する。銃弾は急停止し、射手に向かって跳ね返る。スイカの全身に怖気が走る。だが、彼女は止まらなかった。

 スイカは巨大な盾を生みだし、その背後に姿を隠す。林檎は風でスイカの盾を払ったが、その後ろにはもう誰もいなかった。

「一々相手してくれるんだね」

「あ。は」

 拳が。林檎の頬に突き刺さる。スイカは好戦的な笑みを顔に張りつけたまま、追撃を試みた。だが、死角から強かに打ちつけられて呼吸が止まる。林檎が瞬間移動でもしたかのように、スイカの側面に回り込んでいたのだ。

 スイカは床に叩きつけられてスーパーボールのようにバウンドする。体勢を整えられない状態で中空で蹴り上げられて空に放り出された。

「スイカさんっ」

 スイカの体は李の陣によって受け止められる。スイカは魔法陣を足場に、再び玉座の間へと踊り込む。李は彼女の到着を待って攻撃を仕掛けた。

「同時に! 合わせますから!」

「……分かった」

 棒立ちしている林檎に向かって、李の魔法が飛ぶ。林檎はそれを片手で弾いた。その隙にスイカが肉薄する。

 林檎は口の端をつり上げた。接近するスイカに向けて魔法を放ったが、それは李の魔法陣によって割り込まれる。苛立ったのか、林檎の表情から笑みが消える。

「スイカちゃんはっ、私と遊ぶんだから!」

「そうですか」

 標的は李であった。だが、彼女は林檎の怒気を軽く受け流す。

「独り占めはよくないですよ。スイカさんは私の友達ですからね」

「あ。は。あはははっ、あははははは!」

 林檎が掌をかざす。空気が弾けて、割れる。不可視の何かが李に迫っていた。彼女は魔法陣を幾重にも展開し、それらを防ぐ。同時、李は巨大化の魔法を行使した。以前よりも早く、彼女の体が何倍にも膨れ上がる。両足で床を踏みつけながら、李は仕込み杖を抜刀した。

 不格好なモーションながら、李の一太刀は林檎の体を二つに分かつ。林檎は即座に回復。

「今だスイカ! やつが初めて防御に力を回した!」

「分かってる!」

 スイカがぐっと林檎を見据える。それだけで林檎の体に負荷がかかった。重力により、彼女は地面に縫いつけられる。スイカ以外のA.D.が迫る。だが、林檎は両手を突き出して、そこからあるものを生み出した。目玉である。スイカと李は知らなかったが、目玉の正体を知っている者は避けろと叫んだ。

 林檎の両手から生まれた目玉は光線を照射した。射出された光はよく躾けられた猟犬のようにA.D.たちに襲い掛かる。李は巨大化の魔法を解除し、難を逃れてスイカと合流した。

「城が……」

 壁が。床が。天井が。玉座の間の何もかもが目玉の光線によって焼かれ、砕かれ、無に帰す。だが、その端から復元を始めていた。

「この城はあの化け物の力によるものだ」

「わたしたちと戦うだけじゃなくって、この城にも力を注いでるの?」

「そのようだ。膨大で、計り知れない力を身に宿している」

「私たちだけで勝てるんでしょうか……」

 スイカは李の頬を軽く叩いた。

「そういうこと言う人から死ぬんだよ」

「あ。スイカさん。今ちょっとお姉さんっぽかったですよ」

「え? あ。そ、そうかな?」

「む。アレの様子がおかしいぞ」

 目玉の光線が止んでいた。林檎は不気味な声で笑い続けており、彼女の周囲には数多の化け物が生まれていた。その化け物どもはスイカたちの方を見ていなかった。もっと別の――――そう、例えば、下を。

 スイカはハッとしたが、林檎の動きの方が幾分か早かった。彼女の発した奇声を合図に、化け物は玉座の間を飛び出していく。事態を呑み込めていない者は呆気にとられていた。

「やば……あいつらっ、下だ!」

「え?」

「街を狙ってるんだ!」



 林檎は高笑いをしている。勝ち誇っているのだ。

 彼女の体から解き放たれた化け物は空の城を抜け出して、地上の町を目指そうとしていた。今現在、貫木市は虫垂と繋がっている。スイカたちのいる場所は地球であって地球でなく、虫垂であって虫垂でない、半端で、何もかもが入り混じり、混沌とした世界だ。

 A.D.たちは逡巡した。

 化け物が街に行けば大勢の人が死ぬだろう。A.D.の家族や友人が無残に殺されるだろう。守らねばならない。

 だが、高都林檎の姿をした化け物の王も放置することは出来ない。彼女こそが城の主であり、化け物の主なのだ。元を断たねば新たな化け物を呼び出されてしまう。

 二つに一つ。

 この城に残った少女たちは苦渋の選択を強いられていた。

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