第5話
“魔の国”は人口100万人程度の国家である。
2万人ほどの人口を擁する王都の周囲に、人口数千人規模の中小の都市が数十カ所、網の目状に存在しており。
さらに、そのそれぞれの都市の周囲に農村が各5~10程度、合計で数百という数の村が広がっていて、それで国が形成されている。
国の領土は、徒歩1週間ほどの旅で横断、あるいは縦断できる広さだ。
ユーディリアがいかに強くとも、これだけの広さの領土すべてを、彼女ひとりで完璧に守りきることが不可能であるという点に関しては、トーマス中隊長の意見を肯定せざるを得ない。
最強は、完璧ではない。
ユーディリアがどれだけ葛藤しようとも、彼女は、彼女が守れる範囲のものしか、守れないのだ。
では軍の兵力を使ってどうにかできないのか、というと、トロールのような強力なモンスターの襲撃に対応するには、最低でも小隊規模──すなわち、50人単位の動員が必要になるのだという。
しかもこれは、最低限の被害を許容した場合の動員で、人的被害を回避する前提で組むなら、3個~4個の小隊で編成される1個中隊というのが、必要最低限のラインだとのこと。
その人数を、国内のすべての村に常駐させておくことは現実的に不可能であるから、領地防衛というのは、どうしても後手に回らざるを得ない。
したがって、今回のような強力なモンスターの襲撃による人的被害は、どうしても避けられないというのが、現実なのだそうだ。
「……最近、魔物の活動が活発になってきているんだ」
帰りの馬の上で、俺の前で手綱を引くユーディリアが、ぽつりと呟く。
帰りは馬を走らせているわけじゃないから、普通に会話が通る。
「トロールなんて強力なモンスターの出現は、それでも稀だけど、ゴブリンやオークによる襲撃は、最近ほぼ毎日のように、国内のどこかで起こっている。セフィの占術によれば、それは『魔王』の復活が迫っている予兆なんだって」
そう言ってユーディリアは、この“魔の国”の現状を、ぽつりぽつりと語ってゆく。
まず、ユーディリア姫とセフィーリア姫。
この2人の王族は、現在の“魔の国”の切り札とも言える存在なのだという。
代々“魔の国”の王族は、強い魔法の才能を持つものなのだそうだが、ユーディリアとセフィーリアの2人は、その歴代の王族の中でも稀代の才を持ち生まれた双子の姫だという。
姉のユーディリアは、軍事的な魔法の才を。
妹のセフィーリアは、占術、召喚術、天候制御術など、世界に干渉する類の大魔法の才を持っていた。
そのセフィーリア姫の行使した占術が、近頃の魔物の活発化現象を、『魔王』の復活が迫っていることによるものだとした。
どんなに優れた使い手によるものでも、占術の結果というのは確実なものではないのだが、このセフィーリアの占術が導き出した結果は、“魔の国”の公式見解として採用されることになった。
これは、“魔の国”に伝わる歴史の影響もあった。
“魔の国”の歴史的な記録が残っているのは、およそ1千年前からということだが、それから今までに2回、『魔王』の復活が起こっている。
この『魔王』が一体どういったものであるのか、詳細の記述は残っていないのだが、その過去2回の例では、『魔王』が復活する直前期に、世界中の魔物の活動が活発化したと記述されているのである。
そして、この『魔王』の復活に際して、過去2回とも『勇者』の召喚が為されているのだが。
過去の例では、『勇者』召喚を行なった王族の魔術師が、召喚成功後に片や命を失い、片や廃人状態になってしまったのだという。
当代においては、『勇者』召喚を行なえるような強力な召喚術師はセフィーリア姫をおいてほかになく。
しかしセフィーリアの魔法の力は、“魔の国”にとって非常に重要なものであり、失うわけにはいかない。
ゆえに『勇者』召喚は、“魔の国”の決定では行なわれないことになっていたのだが、それをセフィーリア姫が独断で実行してしまったというのが、現在の状況であった。
王都に辿り着き、王宮の、ユーディリアの私室。
セフィーリア姫の私室とよく似ているその部屋で、俺はソファーを勧められ、ユーディリアは対面の天蓋付きベッドに腰掛けていた。
「……あのね、勇者様」
いまだローブ姿のユーディリアが、言いにくそうに首をすくめながら、言葉を向けてくる。
「セフィがどういう風に言って、勇者様にこの世界に来てもらったのかも、ボクは分かってない。勇者様にだって、元の世界での立場とか、やらなきゃいけないこととか、やりたいこととか、たくさんあったんだと思う……」
…………。
ごめん、何もなかった。
なんて言うと話がこんがらがりそうだから、とりあえず黙っていようと思う。
「これが勝手なお願いだっていうことは、分かってるつもり。だけど……」
ユーディリアは膝の上に置いた両手を、ぎゅっと握る。
そして意を決したように、俺を真正面から見据えてから、言った。
「だけど、お願いします。ボクたちを、助けてください」
……それはユーディリアなりの、さまざまな思考と葛藤の結果として、出てきた言葉なんだと思う。
大きな力を持っていながら、自分ひとりではすべてを救うことはできないことを思い。
それでも、どうしようもない現実を少しでも良くしたいと考えて出した、その結論なんだろう。
何なんだ、と思う。
それと比べて、俺は一体、何なんだと。
そして、思ってしまった。
俺も、本物の『勇者』になりたいと。
情けない自分を、情けなく思う自分であることは、もう嫌だと。
だから、俺はユーディリアに言った。
「悪い、ユーディリア。その頼みは、受けられない」
ユーディリアは、その俺の言葉を聞いて、
「……そっか。ごめんね、無理言って」
そう呟く。
その少女に対して、俺は首を横に振る。
「いや、そうじゃなくてさ。──ユーディリアみたいな子に頼まれてやるんじゃ、ダメだと思ったんだ」
俺のその言葉に、ユーディリアは首を傾げる。
俺は、その可憐な少女から視線を外し、自分よりいくつも年若いのであろう女の子に、懺悔するように身の上を話してゆく。
「……俺、本当は元の世界じゃ、すげぇダメなやつでさ。ニートって言っても分からないだろうけど……。さっきユーディリア、俺にもやらなきゃいけないこと、やりたいことがあったんだろうって言っただろ。……何もなかったんだよ、俺」
突然自分語りを始めた俺の話に、ユーディリアはただ、「うん」とだけ相槌を打つ。
俺は言葉を続ける。
「元の世界で、やらなきゃいけないことも、やりたいことも、大して何もなかった。俺にとっても、周りの誰にとっても、俺はいてもいなくてもいいような存在だったんだ。……そんな俺が、この世界に勇者なんて形でこの世界に喚ばれて、すごい才能を持っているオンリーワンだって言われて、浮かれてさ。……だけど」
そこで俺は、ようやくユーディリアを見た。
ユーディリアは、優しげな目で俺を見ている。
……ははっ、これだもんな。
お前は聖女か何かか。
「だけど、ユーディリアを見ていて、気付いちゃったんだ。……ああ、俺、『まがい物』だなって。俺よりいくつも年下の子が、こんなにも懸命になって、泣いて、悩んで、それでも前を見ようとしていて。……それを見ていて、今のダメなままの俺じゃ、いくら才能があったって『本物』の勇者様にはなれないって、分かっちまった」
ユーディリアは、少し恥ずかしそうにしながらも、「それで?」と先を促してくる。
「……俺、まがい物じゃない、本物の勇者になりたいんだ。だから、苦しんでいる人がいるのを見つけたら、ユーディリアみたいな子に頼まれてじゃない──俺の意志で、行動したいんだ」
俺はそう、決意を語った。
まあユーディリアにしてみれば、何とも程度の低い話なんだろう。
何をそんなことを大仰に、と思ったかもしれない。
だけど、俺にとってこのステップは、必要なことなのだ。
「……そっか」
俺の話を聞き終えたユーディリアは、短くそう呟いた。
そして腰かけていたベッドから立ち上がると、俺の前に来て、にっこりとほほ笑んで、右手を差し出してきた。
「わかった。それじゃ、これから一緒に頑張ろうね、勇者様」
俺は自分も立ち上がって、その少女の小さな手に、がっちりと握手をした。
ちょっとだけ、涙が出た。