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レゾナンス・ドール  作者: iohara
一章 目覚め
9/13

8 秘密

 

 イシュマを遠ざけた館の中、薄紫色の髪の少女は、ようやく落ち着きを取り戻していた。

 大きなソファに座らされ、少女は部屋のなかを眺める。

 お城のような白亜の宮殿の中は、リュンにとってどこか居心地の悪いものだった。

 なぜなら、敷き詰められた絨毯は細部まで柄が施され、毛足が乱れた部分など見当たらない。高い天井からは豪華なシャンデリアがつり下げられており、その柔らかい明りが美術品のようなテーブルに届く。調度品は同じマホガニー色で揃えられており、ガラス戸の奥には美しいグラスや皿がずらりと並ぶ。

 どこかで見たような豪華な部屋は、まるでおとぎ話や映画の中のようだと、。

 リュンがそう考えながら眺めていると、白髪の女性がその中から白磁のカップを取り出して、リュンの前に置いた。


「珈琲は好きか?」


 リュンがしばらく考えた後に頷く。

 すると手にしていたポットから注ぐのは、その珈琲だった。湯気が立ち上り、部屋に香ばしい香りが充満する。


「私の名はヘルガという」


 もう一つのカップを取り出し、ヘルガはリュンを背にして珈琲を注いだ。

 向かい合わせの椅子に座ると、カップを近づけ、その香りを楽しむかのようにしてから口にした。


「私は鈴といいます、真崎鈴まさきすず。ここは、どこですか? 気づいたらここにいて……あの、誰か大人の方は? 家に連絡をしたいんですけれど」

「私がこの館の主……責任者なんだ」


 どう見ても十代半ばの少女。苦笑いを浮かべるヘルガに、リュン……鈴は困惑する。


「この容姿のまま、成長が止まってしまったが、私は充分すぎるほど成人している、安心するといい」

「……すみません、失礼なことを」


 そんな病気があったかもしれない。だとしたら悪いことをしたと思い、鈴はすぐさま頭を下げた。

 ヘルガは気にした様子もなく、笑いながらリュンに珈琲を勧める。

 用意されたカップに砂糖を入れ、金色のティースプーンで混ぜてから、鈴は口をつける。

 だが一口飲んだものの、思っていたほど渋みを感じず、カップの中の液をまじまじと見つめる。香りは確かに珈琲としか思えないのだが、味がまるでしないのだ。

 だがそのことを今ここで話題にするのはさすがに憚られ、鈴は丁寧にカップを置いた。

 それを待っていたかのように、ヘルガが言う。


「先の質問に答えよう」

「……お願いします」


 膝の上でぎゅっとこぶしを握り締め、真剣な面持ちで鈴はヘルガに再び頭を下げた。


「ここは、ロランという国の首都、ラナという町だ。聞きおぼえは?」

「ロラン……いいえ」

「鈴は、どこから来た?」

「東京です、日本の……知ってますよね?」


 身を乗り出すようにして告げる鈴に、ヘルガは首を横に振る。


「知らない? じゃあここはどこの地域? ヨーロッパ? それとも」

「落ち着いて聞け。我は日本とやらもヨーロッパなる場所の名も知っている。だがそんなものは存在しない」

「……どういう、こと?」

「夢の世界、だから」

「夢? 私は、夢を見ているの?」


 鈴が周りを見渡して笑う。

 そうだ、そうに違いないと自分を納得させるかのように、何度も頷く。


「そう、よね。一瞬のうちに見知らぬ場所にいただなんて、悪い夢だもの。はは、こんなにはっきりした夢なんて、初めて見た」

「そうじゃない、逆だ」

「……逆?」


 ヘルガは立ち上がり、棚の上に置いてあった手鏡を手に取る。

 伏せられたそれを、鈴の前に差し出す。


「な、に?」

「これまで生きてきた世界が、日常が、こちらでは夢と呼ばれる。おまえは既に鈴ではなくなったのだよ、リュン」

「……え?」

「見てごらん、今の自分の姿を」


 鈴は言われるがまま、差し出された鏡に手を伸ばす。

 震える指で手鏡を受け取ると、ゆっくり裏返した。


 鏡に映るのは、鈴の知らない少女だった。

 大きな目から、零れ落ちそうな空色の瞳。少しだけ上向きの鼻は鈴のそれよりずっと高く通っていて、肌は透けるように白い。そしてなにより、鮮やかな薄紫の長い髪は、引っ張ってみてもずり落ちることなく、頭がついてくる。


「その姿の娘の名は、リュン・メディストリュス・カーヴェイという。ある一領主の一人娘だ」


 冷静に告げる名は、少し前にも耳にしたものだった。


「なんの、冗談?」


 片手で頬を撫でれば、その感触も伝わる。困惑しながら泣きそうな顔をしている、その少女の口元が、自分の声とともに動く。

 恐ろしくなっ、て鈴は鏡を落としてしまった。 


「あっ……!」


 床に落ちて砕ける前に、黒い手が鏡を受け止めていた。

 すっかり気配を消し鈴の後ろにずっと立っていたドクトーラだった。


「ありがとうございます」


 鈴は受け取りはしたものの、もう見たくもないと言いたげに伏せて置いてしまった。

 そして思い詰めた様子でヘルガに尋ねる。


「私、死んでしまったの?」

「死んでなどいるものか……どうしてそう思う?」


 困惑したのはヘルガの方だった。


「だって、私……鈴という人間がこの身体を乗っ取ったってことなのかと。だとしたら私の身体は?」

「乗っ取っているわけでは……不思議なことを言う」

「そういうのってお話の中ではよくあるって、妹が言っていたもの。違うんですか?」

「お話とは」

「ええと、小説です。妹の好きな……不思議な世界に迷い込んで冒険する物語で、魂というか心だけが全く違う世界の違う人物になっていて」


 ヘルガは少々考え込む。


「なるほど……状況としては似ているな」

「そうですよね、妹の大好きな話は、冒険の旅の末に世界を救って、元の世界に帰ってハッピーエンドを迎えるんです。……私も物語のように家に帰れますよね?」


 その問いに、ヘルガは頷くことはできなかった。

 ただ鈴の笑顔が曇るのを、見ているしか手立てはない。なぜなら、彼女の言う物語とは、根本から違うのだから。

 鈴は世界を渡ってやって来たのではない。元の世界に、自分の身体に帰ってきた(、、、、、)のだから。

 鈴が考えるハッピーエンドを、今まさに迎えたのだとは、さすがにヘルガは言うのをためらう。


「……帰れないの?」


 大きな瞳が揺らぎ、ヘルガとマスクのドクトーラとを見比べる。

 答えられない二人に、己の求める返事は来ないのだと鈴は悟った。

 どうして。そう問いかけようと鈴が腰を浮かせたときだった。


「きゃあ!」


 大きな爆発音とともに、突き上げるような振動が館を襲った。

 驚き、バランスを崩した鈴をドクトーラが支えると、ヘルガは立ち上がり、扉に向かって大きな声で叫んだ。


「ウコン、そこにおるな? 現状を確認してサコンとともに地下へ!」


 廊下から低い声で返事をすると、走り去る足音。


「ドクトール、鈴とともにラボへ行き子供たちを守れ、あそこが最も頑丈な造りだ」

「ヘルガは?」


 困惑したままの鈴を抱き上げたドクトーラが、窓をうかがうヘルガに問う。


「そうだな、イシュマを拾って迎え撃つ。緑の連中はまだ懲りておらぬようだ」


 ヘルガは薄笑いを浮かべながら、早く行けとドクトーラを促したのだった。

 

 ロラン王国の首都ラナを警護する役目を負う、警護団には五色の敬称が与えられている。そのうち役割によって色分けされているが、グリーンハットの役目は主に治安維持だ。その役目を遂行するために与えられた権限には、様々なものがある。主に捜査権。それに必要とあらば家宅捜索から財産の差し押さえ、容疑者の拘束などが許されていた。

 正しく使われれば、これほど強い抑止力はない。犯罪を犯せば緑の帽子とマントを纏う、屈強な兵士がやってくるのだ。だが少しでも行き過ぎれば、それらの権限で、本来守るべき市民を脅すことは容易く、かえって不正の温床となる。

 その歯止めを負うのが、女帝。

 のはずなのだが……と、ヘルガは舌打ちをする。


「ここにいたのか、イシュマ。我とともに来い、早々にお前たちを脱出させる」


 ヘルガが向かったのは、イシュマにあてがった部屋だ。

 着の身着のまま館に逃げ込んだため、荷物があるわけではない。ただ寝台の上に投げ出されたままの上着を羽織り、イシュマは唯一の私物である蒸気銃スチームガンを手に取った。


「さっきの音はまたグリーンハットなのか?」

「ああ、足止めをさせていたつもりだったのだが、無駄だったようだ。必要なものは鞄に詰めろ、二度とここには戻って来れないだろうからな」


 イシュマはためらうことなく頷く。


「もう準備はできている」

「ならいい、ついて来い」


 ヘルガはイシュマを連れて廊下を走る。

 子供たちが眠るラボとは反対側、東の棟を目指す。その途中、渡り廊下の窓からは、門の外側にある広場の人だかりが見えた。

 大きな大砲を運び入れ、分厚い壁を壊そうとしているようだ。


「あんなことが許される理由があるのか?」

「……犯罪者をかくまう者に、正義の鉄槌を下しているのだろう。奴らの後ろには議会がついている。たかだか五十人かそこらの子供は、とるに足らないと判断したのだろうさ」

「いいのか、好きにさせて」

「いいわけがなかろう、だからお前たちを無情にも放り出すのだ」


 ヘルガは走りながら、そう告げた。

 イシュマには、ヘルガを責める理由がない。父とヘルガがどのような約束を交わしたのかは知らないが、自分たちの命と、五十人の命を天秤にかけることは出来ない。

 ならば速やかにここを出る。それだけがイシュマにできることだ。


「出口は、昨日の通路か?」

「いや、実はもう一つある。そこを使おうと思う。まずはお前に説明しておくことがある、こっちへ」


 ヘルガが指示したのは、廊下を下りた地下だった。

 その最奥に隠し扉があるらしく、いくつかのレバーを操作したのち、何もなかった壁にぽっかりと穴が開いた。


「この奥で、リュンが待っている」


 促されて入った部屋は、薄暗い照明が灯るのみだった。

 子供たちを収容する保護容器のような丸いベッドがいくつか並び、その前をすぎて奥に行けば、ウコンサコンとともに、椅子に座るリュンがいた。

 だが、そのリュンの様子がおかしいことに、イシュマはすぐに気づきのぞき込む。

 目は開いているが虚ろで、あれほど拒絶したイシュマを瞳に映しても、何の反応もしない。


「……どういう、ことだ?」


 ヘルガを信用していた自分が愚かだったのかと、イシュマは混乱する。

 だが当のヘルガはイシュマに応えず、リュンに手を伸ばしてその瞼を閉じさせる。

 リュンは抵抗することなく目をつむり、椅子に座っている。


「今、リュンは休止状態にしてある」

「……休止? なんだよその、言い方。まるで……」


 機械のような。

 そう言葉にしようとして、躊躇うイシュマ。

 だがヘルガはそんなイシュマを見透かしたように、頷く。


「おまえに伝える機会をうかがっていたが、時間がなくなった。これ(、、)はリュンであり、機械人形でもある。正式には共振人形レゾナンスドールといって、リュンの脳波と共鳴して動く」

「……人形、だって?」


 驚愕な事実を受け止めきれず、ヘルガと動かないリュンを見、それからじっとリュンの左右に立ち動かない二人の巨漢を見た。


「なに、言ってるんだよ。だって喋って、動いて……寝ている時だって温かかった」

「動力はカーヴェイだからな、熱を発する」


 こともなく告げるヘルガは、非情だった。


「いいか、イシュマ。リュンの身体は生きている。ここではない場所で、隠されている。魂だけはこちらに戻したが、それだけでは完全ではないのだ。このレゾナンスドールを連れてリュンの元へ行け。そして今度こそ本当に、彼女を取り戻すんだ」

「この人形を連れて? 偽物なのに?」

「器こそ偽物だが、魂は、心は間違いなくここにある!」


 ヘルガはリュンの胸を指し示す。

 そしてリュンの背後に回ると、細く小さな指で立ち上がった襟のボタンを外していく。

 イシュマが困惑して見守る前で、繊細な鎖骨があらわになり、柔らかい肌が微かな谷間をつくる場所までが開かれた。

 人形だなんて聞かされても、男であるイシュマとは違うやわらかそうな肌が、偽物だなんて信じられなかった。

 しかしヘルガの手が広げた襟元の奥にあったのは、柔肌だけではなかった。


「それ……父さんの」

「レイザック卿が命をかけて持ち帰ったペンダント。この中には本体に埋め込まれた共振装置の波動を受け取るアンテナが内蔵されている」


 カーヴェイ家の紋章のペンダントトップが、リュンの白い肌に直接食い込んでいる。偽物と聞かされても、姿形は幼馴染みの面影を強く残しているのだ。イシュマはその姿に、眉を寄せてしまうのを誤魔化すことができなかった。


「まさかこんなものが、本体にも埋め込まれているのか?」

「ああ、そのために卿は命をかけた」

「どうして……なんでそこまでしなくちゃいけないいんだよ。直接会えるんなら行って起こせばいいじゃないか」

「出来ないから、苦渋の選択なんだ」

「だからなんでだよ!」

「ここまで来てしまったら、無理やり引き戻すしかない。だが本体はカーヴェイ城の奥深くだ……今そこは、卿でも容易に立ち入ることは不可能な場所なのはおまえも知っているだろう」

「……ベイヤーンが、あいつがリュンを隠しているのか!」


 イシュマは心から悪態をつく。

 憎い男の名前、すべての元凶である者の名を。

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