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レゾナンス・ドール  作者: iohara
一章 目覚め
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7 目覚め


 形ばかりの葬儀を終え、父親の亡骸を墓へ納めることができたイシュマは、翌日からドクトールに言い渡された通りに、少女の世話を焼くことになった。


 軽く握っただけでも折れそうなほどに細い手首。余計な肉などなく、薄い衣の下の骨がわかるほどの腰。

 それらを支えて、柔らかい日差しの元へと、眠る少女を連れ出した。

 長く眠りについてしまう彼らのために、こうして時おり外へ連れ出すことは、あることだとヘルガは説明する。


「そう壊れ物のように扱わなくとも、どうにかなるものでもない」


 姿そのままに、子供のような笑みを浮かべるヘルガ。

 抱き上げて中庭に連れ出したはいいものの、用意された長椅子に寝そべるだけの少女、リュン。伏せられたまつげが風に揺れる以外に、その表情に動きはない。大きな傘に遮られ、直射日光にはさらされないよう、厳重に守られた状態ではあるが、イシュマが聞けば、彼女の外出は実に三年ぶりなのだとか。


「こうして外に出せば、目覚めるための刺激になるんだろうか」

「……そうだな。ああ」


 何かを思い出したようなヘルガに、どうしたのかイシュマが聞けば。


「話しかけてやるといい、時に意識がこちらに戻る瞬間がある。運がよければ、引っ張られる」

「引っ張られる……? 目が覚めるということなのか?」

「そういうことだ……なにかあれば我らを呼べ」


 そう告げて、少女をイシュマに託し、ヘルガは館へ戻っていった。

 それからは少女リュンの世話を任されることになったイシュマ。塔の奥の部屋から出された彼女を、日に二度ほど外へ連れ出す。もちろん目覚めを迎えていない少女を連れ出すには、イシュマが抱えていかねばならない。

 くったりと身を預けるリュンは、ずっしりと重い。だがそれが少女の生をイシュマに感じさせ、己がまだ独りではないのだと訴えているかのようにも思えるのだった。

 そんな生活を始めて三日目のことだった。

 柔らかな日差しの元、眠り続けるリュンが明らかな変化を迎えたのは、花の先ほころぶ中庭の木陰に座らされ、岩に背をもたれていたとき。ちょうど塔の落とす影から、日が傾きその瞼が照らされたのに気づいたシユマは、そのままでは眩しかろうと、そばで父から預かった銃の手入れをしていた手を止め、彼女を移動させようとした。

 イシュマの目の前で、眠る少女の薄い瞼が、揺れた。


「……リュン?」


 返事はなかった。わずかな間ではあるが、少女に険しい表情が浮かんだ。数日間イシュマに見せてきた表情の乏しいそれとは、明らかに違った。

 イシュマは力なく寝そべる少女をのぞきこむ。

 肌の下に同じ色の血が流れているのか、疑うほどの白。ゆるやかな曲線の頬を伝い、長く開くことのない唇を掠めて流れる、淡い薄紅色の髪。

 全てが作り物のようで、イシュマの心に焦りを与える。

 もう一度、生きていると確信を。そう願いながら、少女の肩を揺すった。


「リュン、目を、目を覚ましてくれ」

「……ぅ」


 微かに聞こえた声。

 さらにイシュマは声をかける。


「リュン!」


 すると薄い瞼が揺れて、何度かぎゅっと力が入ったと思えば、そっと持ちあがる。

 ゆっくりと現れる瞳は、光を受けて薄い水色の光彩を持っていた。

 懐かしい、空色のそれに、イシュマは何を語りかければいいのか分からず、ただ見つめる。


「……ぁ、だれ?」


 今度こそ、小さく開いた口から確かに漏れた声。

 イシュマは体の奥が震えるのを押さえながら、目覚めた少女に語りかける。


「よかった、帰ってきてくれて……リュン。覚えているか? 俺はイシュマ」

「りゅ、ん?」

「そうだ、おまえの名前だろう」

「なまえ……」

「そうだ、おまえはリュン、そして俺はイシュマだ」

「いしゅ……ま」


 大きく見開かれうた薄水色の目に己が映るのを見て、イシュマは舞い上がっていた。

 十年という長い年月、もう目覚めないのかと焦る日々とも、これで解放される。これからは、リュンと二人、力を合わせて生きていける。

 それだけが心を占めていた。


 だが、そんなイシュマの幸福感は、リュンの絞り出すかのような悲鳴とともに打ち破られてしまう。


 取り乱しながら、彼女は己ののびきった髪を掴む。

 呼吸を浅く、繰り返しながら周囲を見渡すその表情には、イシュマが思い描いていたような、微笑みはない。

 驚愕と、混乱。恐怖と拒絶。

 落ち着かせようと伸ばしたイシュマの手を、再び悲鳴をあげながら振り払った。


「リュン?」


 思いもかけない反応に、イシュマが戸惑う。

 突然のことに受け止めきれないのも、無理はない。そう思い直してリュンを見れば……

 筋肉がそげ落ちた頼りない体を懸命に支えながら、真っ直ぐにイシュマを見返しているリュン。

 その瞳に宿る……怒りともとれる強さに、イシュマはたじろいだ。


「ここは、どこ。私はそんな名前じゃないわ、すずよ……誘拐なの? あなた誰よ、ちゃんと説明して」


 言葉を失うイシュマに、リュン……鈴が続ける。


「私を家に返して! 妹が……そうよ、妹が危ないの。車にひかれそうになって私……病院からの帰りに……一弥かずやどこ? 迎えにきてくれるって言ってたの、きっと私を探してる」


 ますます混乱する少女は、既にイシュマのことなど視界にすら入れていなかった。

 うわ言のように、イシュマには分からない単語を繰り返し、混乱のままに己の世界に籠ろうとしているかのように思えた。

 だからイシュマは許せなかった。


「きゃあ、なにするの?」


 リュンの腕を取り、強引に引き寄せる。

 嫌がりかぶりを振るリュンをこちらに向かせ、その瞳に再び己の姿を映させる。

 そしてイシュマにとって絶対に否定することのできない事実を告げた。

 相手の心などおかまいなしに。


「おまえは、リュンだ。リュン・メディストリュフ・カーヴェイ、こここそがおまえの帰る場所……」


 パンと乾いた音が、館の大理石に反射して響いた。

 イシュマの左頬が、見る間に赤く腫れる。


「最低……!」


 薄水色に大粒の涙を浮かべ、己を蔑むように見返す彼女の顔を見て、イシュマは言葉を失った。


「何を騒いでいる?」


 イシュマと目覚めた少女の声を聞きつけてやってきたのは、ウコンを従えたヘルガ。その後ろからドクトールも着いてきたようだ。

 すぐに異変に気づいたのはドクトーラの方だった。


「この娘にいったい何をした?」


 イシュマを突き飛ばすようにして少女を引き離すと、黒いマントの陰に隠すドクトーラ。

 訳が分からないのはイシュマも同じ、同じことをリュンに問いたかった。

 自分が何をしたというのだ、と。


「おお、可哀そうに怖かったな」


 大粒の涙をこぼしながら、体を震わせるリュンの背を、ヘルガのか細い手が撫でている。


「どこか痛いところはあるか? 少し休んでから、今この状況を説明しよう。さ、立てるか?」


 背の高いドクトーラ越しでは、ふるふると振るリュンの頭しか伺い知ることはできないイシュマ。

 ヘルガの問いに、しっかりと頭を振ることで答えているようだった。


「足がすくむようなら、手助けをしよう。ウコン」

「……やっ」

「怖いか? しかし他に手は……」


 小さな声で拒否するのは、ウコンの口を引き結んだ厳しい表情と、その体格のせいかと思い悩むヘルガ。

 するとイシュマを威嚇していたドクトーラが身を翻し、身を屈めてリュンに手を差し伸べた。


「この男でもよいか? なにおまえに悪さしようという者はここにはおらぬ。安心せよ」


 するとリュンが不安そうな顔でイシュマを見る。

 ヘルガは苦笑いを浮かべ、言い直す。


「あれは悪気があったわけではないが、そうだな……しばらく近づけさせないと約束しよう。それならよかろう?」


 リュンは頷く。

 これに不満を抱かないわけがないイシュマは、身を乗り出す。

 しかしそれをドクトーラの杖が制し、短く呻き声を上げるイシュマ。


「……今は引け」


 くぐもった声に反論できないのは、髑髏の杖が的確にイシュマの喉を指していたわけではない。ただ待ち焦がれた幼馴染みが、見知らぬ人間を見るかのように怯えていたからだった。


「……わかった」


 短く答えると、ドクトーラは再びリュンの前に、分厚い革手袋をはめた手を差し出した。

 おずおずとその手を取るリュンの様子に、ドクトーラはひとつ頷く。

 そして少女の背と膝に腕を回し、抱きかかえた。


「ここは冷える、中へ」


 ヘルガが促すと、ドクトーラが片足を引きずりつつ歩きはじめる。

 抱えられた少女が驚いたようにドクトーラの仮面を覗き込み、身をよじらせた。


「あの、重いですから、自分で……」

「大丈夫だ、落としたりはしない」


 くぐもった返答に、少女は考えあぐねている様子。

 落ちた杖を拾いあげ、ヘルガが少女に言う。


「優しい娘だな、だが心配はいらない。義足が少々整備不良なだけだろう。ここのところ慌ただしかったからの」

「……義足って、なおさら私歩きます」

「いいから、すぐそこだ」


 そうなだめながらも、ドクトーラは再び歩き始めた。

 膝をつき茫然としたイシュマの横を、通り過ぎる少女とペストマスクの医師ドクトーラ。

 少女はイシュマを見ようとはせず、ただ己を抱き上げる鴉のような仮面の男を心配そうにしている。

 そうして少女が館に戻っていくまで、イシュマはしばらく動くことすらできなかった。


 残されたウコンが、イシュマを憐れむかのようにそばに残っていた。


「とほうもなく長い夢は、彼女にとって現実のようなもの。幼い頃の記憶が薄れるのは、仕方がない」

「薄れる? 全く覚えてすらいなかったのにか?」


 ウコンの言葉は、イシュマには慰めにすらならなかった。

 だがウコンの言いたいことはそこではなかった。


「ここまで長引いて、目覚めた患者はそういない。まだどうなるかは分からない、だから刺激はするな」

「刺激するなって、昔を思い出させるなということか?」

「違う、彼女にとっての現実《、、》を否定するなということだ」


 イシュマの表情が険しくなる。


「夢だと教えて何が悪い、本当のことだろう!」

「……死ぬぞ」


 リュンの目覚めを願ったのは、死を免れるためだ。なにを言っているんだと見上げれば、ウコンの凄まじい睨みに言葉を失う。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように声も出ず、固まるイシュマにウコンは続けた。


「十年のリミットを前に目覚めた子供たちは、元の生活に適応できず、心に病を得て自死するものが多い」


 その言葉に、イシュマは先ほどのリュンの言葉を思い起こす。

 はっきりと己の名を言ったのだ。リュンではなく……違う名を。


「夢見の夢がいったい何なのかは誰にも分からない。だが、昏睡することでこの世界のすべてを遮断し、子供たちが唯一知るのは、夢の世界だけ。お前はそれを、無かったことにしようとしたのか?」

「お、俺は……そんなつもりじゃ」


 その言葉は、ウコンの逆鱗に触れたようだった。

 さらに怒りを込めた瞳が、イシュマを射すくめた。


「夢見の病を得たことのある者だからと、この館へ入ることを許したのはヘルガだ。それをとやかく言うつもりはない。だが、ここで子供たちを害する者となるなら、おまえを全力で排除するのは俺とサコンの仕事、ヘルガにさえ邪魔できん。二度目はないぞ」


 覚悟しろと、ウコンはそう言ったようなものだ。

 イシュマは胸に渦巻くものをぐっと堪えつつ、頷く。

 頷くしかなかった。

 だが、心の底では納得できるものではない。

 父が命をかけて守ったのは、何だったのか──。


 その答えを、イシュマにはまだ見つけられそうになかった。

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