6 雨の葬儀
その日の空は、厚い雲がどこまでも覆い、幾千もの滴を大地に落とす。
まるでイシュマの心に共鳴しているかのようだった。
灰色の首都をさらに重く沈んだ鈍色に染め上げ、狭く立ち並ぶ建物の間を縫うように走る蒸気列車だけが、白を煙突から吐き出し、唯一の色彩を街に与えていた。
「この雨とあってはかえって都合が良い……これも卿からの贈り物かもしれぬ」
黒い厚手のレインコートを頭から被るイシュマに、ヘルガは言った。
確かにヒルデの言葉には一理ある。いくら王宮におわす女王陛下から許可を得たとはいえ、一時は身柄を確保するよう命令が出ていた、レイザック卿。ゆえにその死を確認させろと、グリーンハットから要請がいくつも届いていた。
そんななか、イシュマは葬列の最後尾についた。
例え危険があろうとも、イシュマは父の葬儀に、どうしても参列したかった。
最前列には、城の主であるヘルガ。彼女を雨から守るように大きな傘を持つのが、サコン。その後ろで三つの棺を台車に乗せ、引いて歩くウコン。最後に続くのが、唯一の葬儀参列者となるイシュマだった。
王宮の小さな裏口を抜けて、目指すのは北の外れにある墓地。
そこに行き着く前には、通らねばならない門がある。夢見の患者が亡くなった折りには、その城門から街の者に見送られるのが、慣例であった。
あくまでも、慣例。今はもう廃れつつあるが。
沿道に出る前に、一行を待ち構える制服の軍団が見えた。身構えるイシュマだったが、それに気づいた先頭のヘルガが振り返って制す。
「あれはホワイトナイト。唯一、白の館のために集められた兵だ。……これもまた形骸化してはおるが、その権限は限られる。安心せい」
イシュマは黙ったまま、フードを目深に被り直す。
歩みを進める一行の前に現れる、大きな門。石造りの堅牢なそれには、レリーフがびっしりと刻まれている。
異様な動きでたくさんの人がうねり、何かに教われて逃げる人々のような彫刻。それらが意味するところが何なのか、イシュマにはさっぱり伺い知ることはできなかった。
一行を待ち構える門の下に、白い制服を着た屈強な兵士たちが並び、胸に手を当てていた。
イシュマはその姿を見て、ぎょっとする。なぜならホワイトナイトと呼ばれる兵士たちは皆、白い仮面をつけているのだ。長いマントを纏い、腰には長いサーベルを携える姿は、旧世代と呼ばれる時代のものだ。
そのただ中をゆっくりとくぐりぬけ、葬列は王宮と市街を結ぶ橋を渡る。
しとしとと降りつづける道の先に、彼ら以外に立つ者はいない。
ただ雨の音と、棺を引きずる車輪の音だけが、彼らの葬送歌。
イシュマの父だけではない。幼い頃より目覚めることを願い、託されたが還ること叶わなかった子供が二人。こんなに寂しく最後を見送られるとは、イシュマとて思いもしなかったのだ。
立ち並ぶ家々、人と物を輸送するための、立派な橋脚。せわしなく行き来する、蒸気の音。
全てが、空しく通りすぎるだけだった。
そうしてたどり着いた先は、ひっそりと林に囲まれた、さほど広くもない墓地。
既に穴を掘られ、ぽっかりと大きく口を空けた大地が待っている。ゆっくりとウコンが棺を乗せた荷車を寄せ、サコンとともに一つずつ下ろしていく。
誰もいない墓地。
花を手向ける家族もいない子供たち。
降りしきる雨がさらに、彼らの無念を満たしていくように、イシュマには感じられた。
自分もまた、目が覚めることなく命を失っていたかもしれない……そうしたら、この子供達と同じだったのかと。
いや、違う。イシュマはもう一つの大きな棺の中に納められた、父を想う。それだけではない、再会を誰よりも喜んでくれて、その後すぐに儚くなった母の姿も、いつだって思い出せた。己が恵まれていたことを、忘れてはならない。たとえこうして父を殺され、再び孤独を得ようともだ。
イシュマはただ雨に濡れながら、一回り小さな二つの棺に、祈りを捧げる。
そんなイシュマの隣へ、ヘルガもまた佇み作業を見守る。
「この子らは、売られたようなものだ。命を守るための対価を、支払えない家族も多い。放置して死なすよりはと、全てを放棄したのだ」
「もし、助かっていたら?」
「……子供たちには、国に奉仕する役目を与えられる。親元へは帰れぬ」
「せめて死んだことくらい、知らせてやらないのか?」
「知らせて苦しめと?」
「それは……、でも」
イシュマは理不尽にしか感じない、夢見の館の決まり事だった。
命を守るための値段がつくのは仕方がない。だが、いくら子供を助けるためとはいえ、なにも知らせてもらえないのが、幸せとは思えなかったのだ。自分が目覚めたときの、両親の喜び泣く姿と「どんなにか会いたかったか」という言葉が忘れられないせいもある。
「おまえにも、そのうち分かる」
ヘルガの言葉は、どんなに経っても理解できることはない。イシュマはそう思った。
黙々と作業は進められた。墓標の前に並ぶ棺を見下ろし、ヘルガは言葉を捧げる。
「悔しかろうな……これでは何のために生を受けたのか、分からん。ただ病に冒され、短き人生の大半を寝台に横たわるだけの、生。だが、決して忘れない。お前たちが、命を燃やしこの忌々しい運命に抗おうと、必死にあがいたことを……」
ヘルガの言葉は、止むことのない雨とともに二つの棺に染みていく。
小さな体に冷たい雨を受けながら、その肩が揺れるのを、イシュマは眼に刻み付ける。
「すまぬ……救ってやれなかった、我々を責めよ」
両脇に立つ双子もまた、黙ってヘルガの言葉を聞き、立ち尽くす。
こうして何度、夢から覚めない者を見送ってきたのだろう。イシュマは唇をかみしめる。
そして自らは父の眠る棺の傍らに立ち、最後の別れをする。
「……必ず、父さんの遺志は俺が引き継ぐ。だから……見守っていてくれ」
ウコンとサコンによって穴に沈められ、土に覆われていく棺が三つ。
イシュマは思う。できることならこのような寂しい場所ではなく、いつか母の眠るカーヴェイの街に、父を改めて埋葬しようと。
いつか……それがどんなに遠く、厳しい未来だろうとも。イシュマの脳裏にある、柔らかい両親の笑顔に賭けて、固く誓ったのだった。
「さあ、横槍が入る前に戻ることとしよう」
ヘルガの杞憂はもっともだった。
女王陛下からのお墨付きとはいえ、事故はいくらでも起こり得る。イシュマとて、あの悪名高きグリーンハットたちが狙った獲物を簡単に逃すとは思えなかった。
「代々、あの者たちの長は粘着でたまらん」
「……代々?」
来た道を戻りながら呟くヘルガに、イシュマが聞き返す。
「治安維持という名目は、街の者たちにとっては抗いようのない免罪符となる。それにかこつけ、なにかと己の立場を勘違いをする輩が覆いのだ。民の期待も大きく名誉ある立場だ、本来なら。都には犯罪も多く女王陛下のお膝元だけに、野放しは許されない。確実に治安を守るためには、大きな権限も必要になる。だがそれをより磐石にするために、失敗はなおさら許されず、取り繕うようになる。つまり手柄ばかりに執着する。真実などそっちのけでな……大半の者がそうしているうちに、手段が目的となる」
「それが本当なら、なんのための治安維持だよ」
「それでも、だ。驚異があれば人はある程度、踏みとどまる」
「犯罪を抑止しているってのか?」
「それなりにだがな」
ヘルガはあくまでも己は中立の立場なのだと、付け加えた。
正義のもとに行動するだけの自由すらない、ただの夢見の番人なのだと。
「だがな。己の身を守ることだけは許されておるのよ。我らの他に、命を繋ぐ錬金術を操れる者はいなくなってしまったゆえに……ほら、こうして手の届く範囲くらいしかだがな」
ヘルガは掌を掲げると、いつからか持っていた鉄の塊を宙へ放った。
すると畳まれていた折り紙が開くように、その翼を広げて動き出す。機械仕掛けのコウモリが羽ばたき、沿道の茂みへと飛び込んでいく。すると──
耳をつんざく一発の銃声が、響き渡った。
「……やはり隠れておったか、しつこいのぉ」
ヘルガののんびりとした声とはうらはらに、ウコンが棺を乗せていた台車を蹴り上げ、盾へと変えて彼女を守る。
間髪をいれず台車を襲う銃弾が次々に、目の前の盾を穿つ。
と同時に、慌ててその影に入るイシュマとサコン。
「このまま行けるか、ウコン?」
ヘルガの問いに、ウコンは無言のまま頷き、台車を背負うようにして立つ。
「では行くぞ、走れ」
ヘルガを先頭に、イシュマとサコンが走り出す。それを守るように、車輪の音を響かせながらウコンがしんがりをつとめた。
威力の強いグリーンハットのライフルである、台車を貫通するのではないかと、イシュマはレインコートの中に隠し持つ銃をさぐりながら、何度も後ろを振り返る。だがそれをサコンに叱咤された。
「遅れるぞ、振り返るな!」
「だけど、このままじゃ……」
「心配するな、棺を乗せるために台車には鉄板が打ち込まれてある」
それを聞いてイシュマは懐から手を引き抜くのを見て、前を行く小さな少女が嗤う。
「あやつらは女王陛下の手前、大っぴらには姿を見せられんのだ、逃げるが勝ち。ほら門が見えてきた、急げ」
派手に銃弾を打ち込んでくるものの、ヘルガの言う通り、姿を見せようとしないグリーンハットたち。
忌々しい思いを胸にしまいつつ、イシュマはヘルガの後を追って走る。
銃弾に晒されながら逃げこんでくるヘルガたちを迎えるホワイトナイトたち。マスクを覆う彼らが何を考えているのかは、イシュマには伺い知れないが、少なくとも進んで助るつもりはないようだ。
それでもグリーンハットの奇襲に荷担しないだけでもマシなのかと、イシュマは門をくぐる。
すると一斉に鳴り止む銃声。
舌打ちしたくなる気持ちを堪えつつ、イシュマたちはは白の館に繋がる地下道へ。
走り続けて乱れたイシュマの息が落ち着く頃、いつしか雨は止み、雲間から光が射していたようだ。白の館に帰りき、その石畳に残る水溜まりに、青が反射する。
留守を預かっていたのは、医師のドクトール。
患者たちを見回り、最奥の部屋に立つ、仮面の医師。だが、その大きな嘴を持つマスクは、今は外されその手にある。
長く波打つ黒髪を垂らし、見上げる目は赤紫に光るカーヴェイ色。
その瞳が見つめるのは、人工羊水から出され、身なりを整えられた状態で横たわる少女。
「何してる、お前!」
父の葬儀を終え、館に帰りつくなり少女の様子を見にきたイシュマが見たのは、横たわる少女をのぞきこむドクトールの後ろ姿だった。
葬儀に臨んだ自分よりもさらに黒く、闇をまとったようなドクトーラの姿が覆い被さる様は、まるで少女が死神にとりつかれたかのような、不安をイシュマにもたらした。
だがドクトーラは慌てる素振りも見せず、そのまま手にした仮面を装着する。
「状態の確認をしていた」
マスクの下から、くぐもった声が答える。
「……それだけか?」
いまだ素顔を見せない医師を、イシュマは信用しきれていなかった。感情を乗せるような喋り方はせず、言葉も少ない。それでもあからさまな敵対心を持たずにおれないのは、父を知っているふしがある、その一点だけ。
「もうすぐ、目覚める」
「本当か?」
マスクが振り返り、初めて見せた黒髪をいつもの帽子に納めて隠しつつ、もう一度言った。
「二、三日中には。明日からは外に出した方がいいだろう、体を慣らすために」
「そうか……分かった」
それだけを伝え、少女を納める部屋を去る医師ドクトーラ。
イシュマはドクトーラと入れ替わり、眠る幼馴染みの少女を、ガラス越しに眺める。期待と、不安をない交ぜにさせながら。
ときおり瞼を揺らせて眠る少女は、最初に見たときよりも一層血色が良くなっているように見えて、イシュマの期待は嫌でも膨らむ。
──恨むだろうか。いや、生まれた世界に戻って来られるのだから、そんなはずはない──
イシュマは少女を納める寝台に寄り添って座り込む。
背に伝わるのは、彼女を生かすための、歯車を回す金属の響きと、空気を送る音。
その中に少女の呼吸を感じ取ろうと、耳をすませる。
早く、目覚めろ。
イシュマの孤独が、そう叫んでいた。




