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レゾナンス・ドール  作者: iohara
一章 目覚め
4/13

3 残酷な別れ


 城門から出てきた白い着物の女は、両脇に従者らしき男を従えていた。

 女とは対照的に、黒い髪黒い瞳。その体格は頑健そうで大きい。容姿は双子としか思えないほどよく似ている二人だった。

 その二人を従えたまま、女が一歩二歩と広場に歩み出る。


 真っ直ぐレイザック卿を見据える女。

 大量の血を浴び、真っ赤に染まるイシュマが見上げると、女は顔色も変えずに言った。

 

「ウコン、サコン。卿を館にお招きしろ」


 その言葉にまず反応したのは、イシュマに銃口を向けていたグリーンハットだった。


「きさま、守り人の分際で何を言うか! 引っ込んでろ!」

「私に命令するな」


 言い終わらぬうちに、動いたのは双子だった。イシュマから標的を女に移したその銃口を、一人の男が空へと引き上げた。

 乾いた銃声が響く。

 その音に一瞬だったが身をすくめたイシュマの腕から、のしかかる重みが消えた。グリーンハットを制したのとは違う、もう一人の大男が、レイザック卿を担ぎ上げたのだ。

 呆然と見上げたイシュマにその男が一瞥をくれると、父を担いだまま城へと踵を返した。


 白い女がイシュマから、バイロンへと視線をゆっくりと移した。


「もう、卿に用はなかろう?」

死体は(・・・)いらん」

「では引け」

「……いいだろう。お前たちを一人でどうにかできるとはさすがに思ってはいない。出直すとしよう、だが必ず盗まれたものは返してもらう」


 イシュマに向かって薄く笑うバイロン。

 イシュマは、考えるより先に身体が動いていた。

 落ちた銃を手に、バイロンに向かって引き金を引く。

 破裂音とともに放たれた弾丸は、バイロンには当たらずに反れた。


「うわああああああ!」


 続けて引いた引き金。だが銃声は続くことはなく、撃鉄ハンマーが弾かれる音が虚しく鳴るのみ。いつの間にか女が近づき、銃にそっと触れる白い指が安全装置を下ろし、イシュマの怒りを空転させたのだった。

 それでも引き金を引き続けるイシュマの腕に、白い手が触れて引いた。


 それが合図でもあるかのように、グリーンハットが叫ぶ。


「何をしている、こいつら全員まとめて捕えろ!」


 それを受けて再び広場に銃声が鳴り響く。

 イシュマたちを捕えようと、押し寄せるガーディアングリーンハットたち。それを阻止しようとアギが大剣を振るって隊列を乱す。騒乱の中心へと辿り着こうと戦うアギの向こうで、バイロンが背を向けて歩いていくのをイシュマは目にする。

 待て、と叫んで飛び出すイシュマを、今度は太い腕が制止した。


「離せ! あいつが逃げる!」


 怒りに我を失い、離せともがくイシュマの頭上に、黒い影がのびた。

 ひらひらと黒い小さな塊が二人の前を行き来する。それが次第に集まり、無数の羽音が耳を襲う。日の光を遮り、巨大な影となってあっという間に広場を埋め尽くした。

 そして渦を巻くようにして集まった塊が、グリーンハットとイシュマたちの間を遮った。

 まるで盾のようになったそれらに、ライフルの弾が当たって弾かれる。

 もちろん飛び交うものも、次々に落とされていく。だが圧倒的数の前に、弾はイシュマに届くことはなかった。

 驚くイシュマは、足元に転がるものを目にしてようやく、飛びまわっているものが金属でできた蝙蝠だと知る。

 どうやら機械仕掛けの蝙蝠は、白い城からうねるように飛来し続けているようだ。

 その蛇のような道の下で、白い女は父を担いだ男とともに城門へ。その後に続く片割れも、暴れるイシュマなどものともせず城門を越えようとしていた。

 そこにアギがかけつけると、暴れるイシュマに、厳しい口調で告げた。


「おまえも行くんだ、イシュマ」

「なっ……だけどアギ! あいつが逃げる!」

「レイザック卿を置いていくのか!」

「っ、…………父さんは、もう……」


 歪むイシュマの表情に、アギは意味を悟る。

 血に塗れ抱きしめていた肉親から命の火が消えるのを、イシュマがその身体をもって知ったのだ。

 しかし、だからこそ未だ生きているものを守らねばならないとアギ。

 飛び交う機械仕掛けの蝙蝠の向こうで降る銃弾を睨み、アギは背を向けたイシュマに告げる。


「親父さんの意志を繋げ、イシュマ。お前にしか出来ないことだろう」


 嫌だと叫ぶイシュマだったが、黒髪の男が容赦なくイシュマを引きずるようにして連れ去ろうとする。


「アギ! ならアギも一緒に!」


 その言葉に振り返ったアギが、ふと柔らかく笑った。


「俺には俺の役目がある。また会おう、イシュマ」

「アギ!!」

「行け!」


 確実に数を減らした蝙蝠たちが、時折銃弾を通しイシュマの足元の石畳に弾かれる。同様にアギをかすめていくのもあったが、それでもアギは怯まずに剣をかまえていた。

 びくともしない腕の中で、イシュマは叫ぶ。


「アギ! 嫌だ、アギ! 離せよ!」


 暴れるイシュマは引きずられるようにして、ついに城門を越えた。

 まるで猫でも運ぶようにイシュマの肩口を掴み片手で引きずる男の腕は、丸太のように太い筋肉で覆われている。一方、レイザック卿を抱える方の男は、はち切れんばかりの大腿だ。

 その二人に、白い女が命じる。


「ウコン、サコン。扉を閉めよ」


 するとレイザック卿を下ろした男が、城門脇にある鋼鉄製の手押し車に手をかけた。

 大男の三倍はあろうかという歯車はかなりの重量になるだろう。それをたった一人で押す気なのか、気合いの声とともに男は地面を踏みしめる。

 男の太腿が更に盛り上がり固くなるとともに、歯車がゆっくりと回り始めた。すると連動する他の歯車も動き始め、ゆっくりだが城門が動き出した。

 それに焦ったのはイシュマだ。

 閉められつつある鉄の扉の向こうでは、アギが一人で銃弾の雨に晒されている。まばらに飛び交う蝙蝠も既に盾としては不十分だ。

 それにいくら守りがあっても、多勢に無勢。時間が経てば経つほど、アギが逃げ切れることなど不可能に近い。


「アギを、アギを助けて」


 絞り出すように言うイシュマ。だが閉まりゆく扉は止まらない。


「サコン、錠前を落とす準備を」


 女の声に、イシュマを捕まえていた男が動く。ギリギリと歯車を回し続ける男と同じように雄たけびを上げると、扉の中央に立った。イシュマの目の前には、閉まりゆく扉。そして追い詰められるアギの姿が否応なしに目に入る。

 長剣を振り回すアギと目が合う。その口が、イシュマに『来るな』と動いた。


「アギ!!」


 駄目だと叫ぶイシュマを嘲笑うかのように、ついに城門が音を立てて合わさった。

 するとイシュマを離した男が、扉の内側につけられた巨大な鉄柱に手をかける。

 およそ数百キロを超えるのではないだろうかという代物だ。掴む男の上腕が、一気に盛り上がる。

 唖然とするイシュマの目の前で、その鉄柱が持ち上げられ、二つの扉を繋ぐように収められてしまった。


 役目を終えた男の横をすり抜け、イシュマは扉に駆け寄る。だが、どんなに叩いても押してもびくともしない。

 何度も何度も叩き、そして叫んだ。拳からは血が流れ、肘まで伝う。

 父を失い、そしてアギまでも失うなど、今のイシュマには耐え難かった。


 扉ひとつ隔てた向こうの、止まない銃声。絶え間なく続く人の怒声。

 イシュマのいるそこで、音を発するのはイシュマ一人だけだ。滑稽で、情けなかった。

 イシュマは結局、何も出来なかったのだ。


「来たか……」


 イシュマの後ろで、女の声がした。振り向けば、女は目を閉じ何かに耳をすましているようだった。

 すると扉の向こうで鳴り続けていた銃声が止む。と同時に、いくつもの聞きなれた音が広場を囲むように鳴り響く。

 それは、日が浅いとはいえスチーム技師として工房にいた間、聞かない日はない音だ。吐き出される蒸気、そして生み出される熱をエネルギーに変える時に漏れる低い音。それらがイシュマの耳に、いくつも連なって届く。


「ヴェイクボード……まさか」


 イシュマの頭に、一筋の希望が浮かぶ。


「傭兵団オルセリ……あの男の真価は、そこにあるのだろう」


 女の語る言葉は、真実だった。





 広場中央に追い詰められたアギに残されていたのは、投降かそれとも死か。そのどちらしかないように思われる状況だった。

 じりじりと間を詰めつつあるグリーンハットたちの間には、既に勝利を確信している者もいただろう。逸ってアギに対して接近戦をしかけ、逆にその長剣の餌食となる者もいる。

 だがしかし、アギの手詰まりは決定的だった。最後通達よろしく部隊長の男が銃をつきつけた。


「観念しろ、盗賊団オルセリの首領、隻眼のアギ。お前にもう逃げ場はない」


 その言葉に、アギは肩をすくめる。だがそれは決して観念したからではなかった。なぜなら──。


「間違えるな、俺たちは盗賊団ではない。傭兵団『オルセリ』だ、覚えておけ」


 その言葉を合図に、ヴェイクボードの群れが広場を囲むように姿を現した。そしてそれらは一斉に蒸気を吹き、威嚇するようにして期せずして一箇所に集まったグリーンハットを、背後から取り囲むことになったのだ。


「待たせたなお頭! ちいとばかし検問が厄介だったんでな」

「遅せーよ、お前ら!」


 アギに声をかけたのは、トレーラーで仲間の所へ向かったはずのエデンだった。ならず者と呼ばれる傭兵団『オルセリ』の面々が、首領であるアギの救出に現れたのだった。

 一方、突如として形成逆転となったグリーンハットは顔色を失う。パニックが統率を失わせ、アギに向けられる銃口が乱れたその時だった。


 二十台は越えようかという数のヴェイクボードの噴射口から、一斉に蒸気が吹き出し広場を覆った。白い煙が視界を遮り、グリーンハット兵たちを混乱させた。


「落ち着け! 銃を撃つな、同士討ちになる!」


 だがパニックを抑えることは不可能だった。

 奪われた視界は、寸前で見せた恐怖を煽る。悪名高い盗賊団に囲まれているという状況において、冷静でいられる者はいないようで、隊列は崩れ、白い闇の中でぶつかるもの全てが敵になった。

 そして蒸気が一陣の風で拭い去られた後には、アギの姿だけでなく盗賊団の跡形も、すっかり消え去っていた。

 残されたのは勝利を目前にしていたにもかかわらず、惨めに疲れ切ったガーディアンのみだった。


「……オルセリ、舐めた真似を!」


 ガーディアンとして失墜は免れない失態だった。

 部隊長である男は、部下を叱責しながら追跡の指示を出す。そして黒くこびりついたこめかみの血を拭うと、憎らしげに白亜の城を見上げ毒づくのだった。


「どんな手を使ってでも、必ず引きずり出してやる」






 静寂の訪れた白亜の庭で、イシュマは跪いていた。そばには物言わぬ父の亡骸。

 大理石の床に横たわる父の喉から、ウコンと呼ばれた男がナイフを取り去った。そしてバックリと開いた傷を、懐から出した布で縛り覆い隠す。

 もう一人のサコンと呼ばれた男が、城の中から大きな白い布を持ってきて、それに亡骸を包んだ。

 二人の手つきはどれも丁寧で、イシュマを拘束して引きずったそれと、同じとは思えないほどだった。


「ここで崩れている暇はないだろう。おいで少年」


 イシュマは女の言葉に、俯いたまま首を横に振る。


「レイザック卿はこちらで清めて棺に納める。お前はその血を清め、傷の手当を」


 全身、傷だらけのうえに、父の流した血で染まるイシュマ。だがそんな事はイシュマにとってどうでも良かった。失ったものがあまりにも大きすぎて、受け入れられない。

 だが、女は容赦なかった。


「卿が、なぜお前に銃を撃たせなかったのか分かるか」


 再び首を振るイシュマ。


「ではなぜ卿が追われていたのかを知っているか」


 返す言葉を持たないイシュマは、ただ首を振るしかなかった。


「卿がどこに行っていたのかも。そして何のためにその命を懸けたのかも知らないのか。そんなお前に、卿は全てを託したのか……滑稽なことだ」


 弾かれたように上げたイシュマの顔は、涙と絶望で歪んでいた。


「お前に父さんの何が分かる! 父さんを知りもしないのはあんただろう。父さんがどんなにカーヴェイの正義を取り戻そうとしてたか、どれだけの犠牲を払っていたか俺は知ってる……だから今回は何も教えてくれなかったけれど、大丈夫だって言う父さんを信じて……待ってたのに」


 悪い予感はしていたのだ。イシュマたちとは普段別行動していたアギたちオルセリに、身を寄せるよう告げられた。それは万が一のことがあればという、父の不安の現れだったのではないかと、何度も考え何度もそれを打ち消してきたのだ。

 結局、その予感は最悪の形で現実となってしまった。


「ならば信じ続けるのを止めるか、少年?」

「……?」

「お前の父は、私を信じて命より大事な宝を託した。ならば息子(おまえ)はどうする。父を信じ、私を信じるのなら、道を指し示すことくらいはしてやる」

「……大事な、たから」


 イシュマは父を見、そして女を見る。その後ろに口を広げて建つ、白亜の城へと思いを馳せた。

 そうして、イシュマは立つ。


「よかろう、一緒に来るがいい。私の名はヘルガ。夢見の番人ヘルガ・ヴァレンティン」

「イシュマ・フォン・レイザック」


 そうしてヘルガに導かれるままに、夢見の館と呼ばれる、奇病に冒された者しか入ることが許されない聖域へと、イシュマは足を踏み入れるのだった。

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