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レゾナンス・ドール  作者: iohara
一章 目覚め
3/13

2 包囲

 白亜の宮殿のごときそびえ立つそこは、同じく真っ白な壁に囲まれていた。

 そして正面には、重厚な鉄製の城門。

 鈍色の鉄で象られているレリーフは、絢爛豪華な古の神々。およそ煩雑で蒸気のパイプと列車の行き交う鉄の都市ラナでは、かなり異質な存在に見えた。

 ジャンク溢れる町並みから隔離されるように、城門前には石畳の広場。

 噴水どころか、椅子ひとつなく憩いとはほど遠いその城門前広場が、騒然とした空気に染まる。

 騒ぎの中心には、真っ赤に染まりボロ雑巾のごとく転がる人間。

 人形のごとく動かずにただ地面に突っ伏している姿。それを凝視するイシュマの浅い呼吸が、ヴェイクボードが迫るのと同時に早まる。

 アギは機体のサイドに収められていた長剣を片手で抜くと、後ろのイシュマに低い声で言い放つ。


「逸るなよイシュマ。俺が引きつける間に、お前はレイザック卿を!」


 エンジンが唸りを上げて高速で近づくヴェイクボード。

 その異変に気づいた広場の人々が、蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていく。

 すると冷たい石畳に伏すレイザック卿の側に、黒づくめの男が一人残る。

 あと少し。焦るイシュマの目の前で黒づくめの男は、腕に装着した大型ナイフを天に掲げ、何の躊躇もなく振り下ろした。


「父さんっ!」


 凶刃が振り切られる寸前で、ヴェイクボードが間一髪、黒い男の前に割って入る。

 男はナイフを盾に身構えながら、後方へ身を翻す。

 急停止したことで負荷のかかったヴェイクボードの動力から、猛烈な勢いで蒸気が辺りを包む。だが危機を完全に回避できたわけではなかった。煙る蒸気の向こうで、男は舌打ちしながらナイフを構え直しているのを、イシュマは見逃さない。

 イシュマはすぐにヴェイクボードから飛び降り、父親をかばうように身を乗り出していた。

 同時にアギが手にした長剣で、白い空気を薙ぎ払うようにして男に襲いかかる。

 男はアギの重い剣戟をナイフでいなしながら、反撃に拳法らしき足技を繰り出す。だがアギもまたその変則的な攻撃をかわしながら、男をイシュマたちに近づけまいと長剣を振るって応戦する。


「父さん、しっかりして父さん!」


 イシュマは鋼の音が響く中、返事のないその身体を懸命に持ち上げ、血にまみれた頬をこする。イシュマの呼び掛けに微かに呻くのを見て、アギが叫んだ。


「イシュマ、卿を引きずって白の館へ入れ!」

「白の……? なに言ってるんだ無理だよアギ! 門が閉まってるし、あそこは……!」

「いいから行け! ここは俺が引き留める。とにかくお前はレイザック卿を!」


 アギはそう叫ぶと、イシュマたちから遠ざかるように、男に押し攻める。

 その状況では、イシュマに選ぶ道は残されていない。決して開かないと言われている、固く閉ざされた城門を目指すしかなかった。

 イシュマはぐったりと力を失い倒れ込む父の腕を担ぎ、引きずるように二歩三歩と進んだ。するとそこへ、暗い影が落ちる。

 はっとしてイシュマが見上げれば、淡白な顔立ちに酷く冷たい目をした男が、短剣を構えていた。


「そう簡単に逃がすかよ、そのボロ屑をこちらによこせ小僧」

「お前の相手は俺だっての!」


 アギが黒ずくめの男に再び襲いかかる。だが軽い身のこなしでその斬撃をかわすと、ナイフを手にアギの剣をいなして逆に素早く攻め込んでいた。

 鋼のぶつかり合う音の中、イシュマは再び父を担ぎ直して歩く。背負う父から滴る血が、石畳を赤く染めていくのを見て、歯を喰いしばるイシュマ。


「……イ、シュマ」

「父さん!」


 頭の傷から流れた血が目に入り、よく見えていないのだろう。レイザック卿はイシュマを呼びながらも、視線を彷徨わせて続けていた。そして首元にあったチェーンを手で引きちぎり、自分を支えるイシュマの手に押し付ける。チェーンの先には、ある紋章を象ったペンダントトップが付けられていた。


「これを……守れ。そして必ず、ヘルガに届けてあの娘を……」

「父さん? ヘルガって?」


 激しく咳き込み黒い血を吐く父を、イシュマは支えきれずに共に地に崩れ落ちそうになる。何とか支えようとしたその足元に、銀に光る長針が三本突き刺さった。


「うわっ!」


 針を避けるように父をかばった次の瞬間、さらに父に引きずられるようにして石畳みを転がると、二人のいた場所に更に二本の針が突き刺さる。

 振り返れば、舌打ちする黒づくめの男。

 アギの攻撃の隙をつき、投げつけたものだった。その指の間にはまだ次の針がある。


「させるかぁ!」


 アギが次をさせまいと長剣で男のナイフを薙ぎ払い、そして矢継ぎ早に拳を繰り出し男の腕に命中させた。鈍い音とともに針が落ちて石畳に固い金属音が響く。と同時にもう一発、アギの拳が男の顎を殴り飛ばす。

 標的はあくまでも傷ついたレイザック卿であるのか、男は注意の削がれていたアギからの攻撃を受けて石畳に沈む。だがさほどのダメージではなかったようで、すぐに体制を立て直し、血が混じった唾を吐きながらアギと再び対峙する。


「父さん、しっかり。すぐに治療をするから」

「……私は置いていくんだ、イシュマ。もうどのみち助からない」

「な、何言ってるんだよ、そんなわけない! しっかり掴まって。一緒に行こう」


 再びレイザック卿を抱えて立ち上がろうとするイシュマ。だが次第に力を失っていく父の身体は重くのしかかり、身体ばかりが成長しただけの十六の少年には、支えきれるものではなかった。

 渾身の力で引きずるものの、その歩みは遅々としたものでしかない。

 イシュマの焦りは募るばかりだった。

 アギが指示した扉まで、ほんの三十メートル。その距離がイシュマには果てしなく遠かった。


「お前は、生きろイシュマ……彼女にはお前しか残されてないんだ」

「ダメだ、父さんを見捨てるなんて出来ない。父さんまでいなくなったら俺は……」


 大きく頭を振るイシュマに、父が微笑みながらその頬に手を添える。


「ようやく会えたのに、悪い親ですまない」

「父さん……?」


 溢れる血で染まる瞳に、涙が浮かぶその姿を、イシュマは息をのんで見つめ返す。

 だがその時、石畳に硬質音が響いた。

 二人の周囲を、重い足音が取り囲み、いくつもの銃口を掲げる金属音が鳴る。


「盗賊団首領アギ! 武器を捨て投降しろ!」


 治安部隊(ガーディアン)グリーンハットだった。

 緑の背高帽の集団が広場を取り囲み、男と剣を交わすアギ、そしてレイザック卿を抱えるイシュマに、ライフルを向けている。

 だがアギと男の攻防は、グリーンハットの銃口を向けられたくらいでは、止むことはなかった。

 するとアギへ向けられていた銃口が、一転イシュマたちに変更される。

 イシュマは慌てて腰のガンベルトに手を伸ばすが、銃にふれる前に父であるレイザック卿にそれを遮られた。

 どうしてと父を見るイシュマに、レイザック卿は固く唇を引き結んで小さく頭を振った。


「止めないか、貴様ら! ここで全員処刑することになるぞ!」


 グリーンハットの隊長らしき、ひときわ厳つい男がそう叫ぶと、ようやくアギが跳躍して男から間合いを取る。


「そうか……お前がオルセリの首領『隻眼のアギ』か」


 口を開いたのは、銃口に晒されながらも余裕の表情で立つ、黒づくめの男だった。

 アギが血の滲んだ唾を吐き、黒づくめの男を睨む。


「そういうお前こそ、ずいぶん派手に行動してるようじゃないかバイロン・スティーヴン?」

「ロランで指名手配を受ける大盗賊団の首領ほどではないがな」


 騒然とした空気を無視して言葉を交わす二人。グリーンハットが包囲を狭めつつある事など、意に介さない様子だ。

 アギの長剣にナイフで互角に渡りあっていた男は、背が高く一見して強そうには見えない痩身だ。だが見る者をうすら寒くさせる眼光を持つ。

 男の口角が上がっているのに、その心が見えない。アギの言っていた通り、殺戮を何とも思わない男であるならば、この男とグリーンハットの両方に囲まれたイシュマたちに、逃れる術はない。

 だが死ねない。イシュマはそう強く思う。

 目の前に傷つく父を、失うことなど考えられない。それだけではない、と白くそびえる館に意識を向ける。

 もう一人、守らなければならないものがあった。


 だがアギに気を取られていたイシュマの頭に、グリーンハットの銃口が押し付けられた。


「その男には指名手配が出ている。アレク・ジーン・レイザックをこちらに引き渡せ小僧。抵抗するようならお前を即刻射殺する」

「……父さんはあの男に襲われて傷ついているんだ、捕まえるのならあいつの方だろう!」


 イシュマの抵抗も、特殊な細工を施されたライフルを掲げるグリーンハットの男には、子犬が吠えている程度のものだ。見下ろすその目には侮蔑が混じる。


「手配はベイヤーン卿から出ている。何でも城に侵入し重要な品を盗み出したとの事だ。卿の飼い犬であるあの男が追っているのには、正当な理由がある……庇えばお前も同罪とみなす」


 配下の者たちがイシュマを抑えにかかった。抵抗するイシュマの腕を抑えて、動けないレイザック卿を引きずり出そうとする。


「止めろ! 父さん、父さん!!」

「駄目だイシュマ……」


 イシュマは父を奪われまいと、ガンベルトの中の銃を手にしていた。

 安全装置は外してある。父親を害するものに銃口を向け、ただ引き金を引きさえすれば、鉱石カーヴェイの熱により膨張した空気によって放たれた鉛が、相手を殺傷できるはずだった。

 破裂音とともに放たれた弾丸の軌道が、グリーンハットのこめかみをなぞった。

 未熟ゆえにイシュマは反動で背をのけぞらせ、銃を高く掲げる形となった。だが鮮血を散らしてよろめく男に向かって、再び銃を構えた。

 撃たねば全てを失うことになる。

 イシュマは今度こそ相手の動きを封じねば後はない。だが、それは叶うことはなかった。

 レイザック卿が構えた銃身を掴み、渾身の力で息子を突き飛ばしたのだ。


「な……父さん?」


 それと同時に、そばにいたグリーンハットの一人がレイザック卿の銃を持った手元を打ち抜き、二発目を阻止した。

 もしレイザック卿が邪魔をしなければ、撃ち抜かれていたのはイシュマ自身だったろう。

 新たに傷を負いながらも、執念で銃を落とさなかったレイザック卿。だが苦痛に顔を歪ませる。

 そんな、ほんの僅かな隙だった。

 膝をつくレイザック卿の喉に、背後から鋭いナイフが音もなく突き刺さった。


 銃撃戦を予測して身構えていたグリーンハットたちでさえ、突然の出来事に息を呑んだ。


「……と、とうさん?」


 投げたのは黒ずくめの男。

 装着されていたはずの大型ナイフが、既にその腕にはない。


 イシュマの目の前で、銀の刃が喉を貫通し、鮮血がほとばしり白い石畳を赤く染めていく。



「……う、うあああああ! 父さん!」


 ゆっくりと石畳に身を沈める父を、イシュマは叫びながら見守るしかなかった。

 レイザック卿を刺し貫いた動きに反応していたアギが、雄たけびを上げながらイシュマたちを取り囲んだグリーンハットに向けて、長剣を薙ぎ払った。

 斬撃を受けた兵士は反抗できぬままに、包囲する仲間を道連れに投げ出される。

 そのままなだれ込むようにしてグリーンハットたちの中に突入するアギ。長剣を器用に操り、長筒のライフルを封じながら確実に包囲を崩す。


 一方、イシュマは倒れた父を抱き起こす。

 蒼白な顔色は、確実にその命の灯が失われつつある現実を否応なしにイシュマに知らしめる。身じろぎしない父を抱えつつ、力ないその手から短銃を取り戻すと、小刻みに揺れる指を引き金にかけた。

 イシュマの手が震えるのは、愛する家族を失う恐れでもなく、ずしりと重い鉄の塊のせいでもなく。ただそこにあるのは、怒り。

 父を傷つけたものへの怒り。

 傷ついた父を守り切れなかった己への怒り。

 そして何より、父を追い詰めた男への怒り。

 狙うのはただ一人、超然として己を見下ろしている黒ずくめの男……バイロンだ。

 

 だが震えるイシュマの前に、怒りをもってしても変えられない現実があった。

 父の血にまみれるイシュマに、突きつけられる銃口。

 こめかみから血を流すグリーンハットの男が、憎悪の表情で引き金が引こうとするまさにその瞬間だった。


「イシュマ!!」


 アギの叫びが、虚しく響く。

 これまでかとイシュマは瞼を閉じた。


「煩いの。大事な客人たちが起きてしまうではないか」


 混乱の広場には似つかわしくない、鈴を転がしたような声だった。凛と澄んだその声の後に、金属が擦れる音が続いた。

 突如訪れた静寂の中、決して開くことがないとされた門が開く。

 銀の唐草を象った装飾が二つに割れ、歯車が回り滑車が石畳の上を滑り左右に開け放たれていく様を、そこにいた全ての者が固唾をのんで見守る。


 開け放たれ光が差す城門の奥に、佇むひとつの人影。

 扉の影から歩み出たその姿は、華奢な年若い女だった。

 異国を思わせる着物をまとい、白く長い髪を背になびかせ立っている。

 それだけなのに、その場に居合わせた全ての者が身動きも出来ず、ただ彼女の次の動向を見守っていた。


 女は、アギと黒ずくめのバイロン、それから居並ぶ兵を一瞥する。そして最後にイシュマとその父を視界に入れて、神秘的な黒い目を細めたのだった。

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