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レゾナンス・ドール  作者: iohara
一章 目覚め
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1 不吉な知らせ

 レールが軋む音とともに、蒸気機関車が頭上を通り過ぎる。

 その振動で落ちる埃の中に目的の歯車を見つけて、拾い上げて手元の装置に組み込んでゆく。見習い技師の真似事をはじめて日も浅い少年イシュマの指には、既に煤と油がこびりついて久しい。


「どうだ坊主、そっちは組み上がったか?」

「……あとは動作確認」


 声をかけた大柄な初老の男が、イシュマの答えに肩をすくめる。

 仮住まいの工房にふらりとやって来た黒髪の少年は、技師として見込みはあるものの、愛想の才能については壊滅的だ。 

 工房の主であるエデンは、丸い頭を掻きながらイシュマの手元を覗きこむ。

 お頭のアギから様子を見てやれと言われていなければ、その生意気な口を皮糸で縫い付けてやろうかと、何度手を伸ばしそうになったか知れない。

 だが齢十六にしてその少年は、複雑なスチーム装置を理解し、ヴェイクボードを組み立てようとしている。スチーム技師として腕に覚えのあるエデンですら、組み上げには神経を使う最も難しいエンジンだ。

 だが無事に彼の手元で浮き上がる小さな円盤を見て、エデンは思わず口笛を鳴らす。


「完成した。これが、ヴェイクボード……」

「そう、外燃機関式反重力走行機ヴェイクボードだ。ついにやりやがったな坊主!」


 エデンはイシュマの黒髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。


「坊主じゃない、組み立てられたら訂正する約束だろう」

「おう、そうだったな、ぼう……いや、イシュマ」


 イシュマは分厚いゴーグルを外し、いつになくその青い瞳を輝かせていた。

 彼らの前に浮いているものは、イシュマが部品一つ一つを組み立て、初めて完成させたものだ。

 その姿こそろくなプレートに覆われておらず、歯車がむき出しになって無骨そのものだが、確かにスチームエンジンを駆動させその力でもって重力から解き放たれている。手のひらサイズまで軽量化したために、隠しきれないそのエンジンが、淡い赤紫の光を漏らす。

 この赤紫の光が、今まさにこの世界を動かす力そのものだった。

 光を発しているのは、マグマの熱を閉じ込めたと言われる奇跡の石、カーヴェイ。

 採掘が難しく保管に手を焼いたこの石を、燃料として実用化しはじめたのはここ十数年ばかりのことだ。技術の開発により、世の中の仕組みはがらりと変わり、目まぐるしく人の生活は変わってきた。

 蒸気機関車が目覚ましく発達し、小さな石を燃料に全ての蒸気(スチーム)機関(エンジン)を軽量化できるようになり、人は、物は、迅速に運ばれ、恩恵は国の隅々まで行き渡った。

 文字通り、蒸気機関が世界を覆い尽くしたのだ。

 だがそれで終わることはなかった。

  

 今イシュマの目の前で浮かぶ、反重力装置の発明だ。

 奇跡の鉱石カーヴェイの、莫大な熱エネルギーを利用してものを浮き上がらせる。それにより移動手段として開発された乗り物の総称を『ヴェイクボード』と呼ぶ。

 これが普及することにより馬車が消え、今や車輪すら消えつつある。どんな悪路でも人が物を移動させられる時代が訪れたのだ。最初こそほんの両手に余るほどの馬力しかなかったためボードなどと名付けられたが、改良が重ねられ近い将来、すべての機関車や飛行船の動力として取って代わるだろうと言われている。

 両手に足りない程の小さな円盤は、赤紫の光を失い、地に落ちる。

 ゴーグルを外しながら、エデンが拍子抜けしたように言う。


「なんだ、もう不具合か?」

「違う。石を使いすぎないよう、元から出力を調整しておいた」

「……ああ、まあな。最近のカーヴェイの高騰はひでえからな」


 エデンの言葉に応えることなく、イシュマは拾い上げた円盤を見つめる。

 日常が鉱石の力に依存していく中で、それは生活に必要不可欠なものとなり、無くてはならないものになってきていた。

 これまで、世界を支配したかのような夢の燃料カーヴェイは、流通を滞らせたことは一度としてなかった。

 だが昨今、急速に鉱石が手に入りにくくなってきている。

 それが資源の枯渇なのか、はたまた政治的意図があってなのかはまだ人々に知らされていない。だが現実に不便を感じるようになると、それだけで人々の生活を脅かし始める。盗みや横領が頻発し、暴力がそこかしこに溢れ出した。

 治安を改善することは役人に任すしかないが、技師にも出来ることはある。少なくなった鉱石の熱エネルギーを、逃すことなく効率よく動力として変換する。そのように技術開発の方向はシフトしていくだろう。

 だがイシュマを指導するエデンは昔気質の技術屋だ。未知の可能性を求めて、効率を無視して新しい道具や武器を造り出すことに、精魂をかたむけている。

 ゆえにここ最近の鉱石の高騰は頭の痛い問題なのだ。再び頭を掻きむしりながらしかめ面をするエデン。

 だがその時、工房の一角に激しい爆音が襲い、エデンの唸りをかき消した。


「な、なんだなんだ?」


 舞い上がる埃にエデンが咳き込んでいると、工房に声が響いた。


「イシュマ! いるなら返事しろイシュマ!」


 イシュマの目に飛び込んできたのは、最大二百馬力と噂の四駆動式、大型ヴィラボードの最新型。それにまたがる、片目を皮製の眼帯で覆った男が、邪魔な扉を蹴倒す。


「お(かしら)? なんでここに」


 エデンが驚くにも無理はなかった。

 彼、お頭と呼ばれる眼帯の男は、都で今一番名の知れた御尋ね者だ。

 昼間から派手に行動すれば治安部隊が動き出す。

 エデン自身もこの男を頭と呼ぶように、彼の元に集まった傭兵くずれのならず者集団の一員。工房で造り出す道具の大半は違法のものだ。ヴェイクボードだけでなく、防具や武器なども開発して仲間たちに都合をつけるのが、本来の役割だ。

 昨今、技師は何かと制限も多く、役所が管理したがるのがここ近々の流れ。エデンはそれらを逃れてならず者集団に身を寄せていた。


「エデン、予定が早まった! ここは直ぐに引き払え」

「くそ、もうか……分かった」


 お頭と呼ばれた男がエデンの後ろのイシュマに気づくと、クイと親指でヴェイクボードを指す。


「早く乗れ、お前の親父さんレイザック卿が危ない。直ぐに向かうぞ!」

「!!」


 イシュマは同時に駆け出す。

 真鍮製の作業台と居並ぶボンベを乗り越え、工房の入り口に無理やり横付けした大型のヴェイクボード後部席に飛び乗る。


「おいイシュマ、これ持って行け!」


 エデンが放って寄こしたのは、ガンベルトだった。皮製のそれにはずっしりと重い銃が収められている。それを手に取って確かめるイシュマに、エデンが確認する。


「使い方は分かるな?」


 頷きながら手早く腰に装着するイシュマ。それを待ち構えていた男が、後ろのイシュマの額のゴーグルを押し下げる。


「急ぐぜ、舌ぁ噛むなよ」


 唸り音を上げた次の瞬間、二人を乗せたヴェイクボードが地面から約三十センチほど浮き上がる。隻眼の男が手元のハンドルを返すと、音もなく加速した。

 ヴィラボートは半地下にある工房を出ると、細い路地を伝って伸びる配管へと進路を取る。むき出しのそれはあらゆる場所から生え、束になり、そして枝分かれしながら街中へ伸びている。二人を乗せた走る鉄塊が、唸りを響かせパイプを伝って地面から解き放たれ、垂直に空を目指し進む。

 加速する風を受け、まるでパイプを地面に見立て滑らかに進むヴェイクボードの姿が、路地裏の景色に溶けて消えた。



 残されたエデンは、作業に使っていた炉の火を落とす。

 手早く必要なものを革袋に詰めていく。抱えきれない袋を五つも作ったところで、工房の奥のカーテンを引く。奥まったそこに収められていたのは、荷物を積み込めるトレーラー型のヴェイクボードだ。


「さあて、急ぐついでに資材も仕入れるか。長い旅になりそうだしな」


 のんきに独り言をつぶやきながらエデンは、イシュマたちが向かった先とは違う方向へとトレーラーを走らせるのだった。




「アギ!」


 高速で移動するヴェイクボードの後部座席から、男の耳に届くようイシュマが叫ぶ。


「父さんはいつ戻ってきたんだ、アギ?」

「今朝だ。カーヴェイを治めるベイヤーンの部下に、殺戮が趣味の男がいるんだが……そいつがお前の親父さん、レイザック卿を都まで追って来たらしい」

「父さんを追ってって……? 父さんがなんで今さらカーヴェイに?」

「理由は今話している暇はない、いいかイシュマ。卿は『白の館』を目指している。だが情報では治安部隊(ガーディアン)が卿を捕らえようと動いている」

「なんでガーディアンが父さんを! それに『白の館』は女王だって干渉できないはずだろ?!」

「そう言っていられればいいがな、飛ばすぞ!」


 アギはヴェイクボードのハンドルを捻り、パイプを足で蹴り飛ばして方向を転換する。空に向かっていた身体は、一転して谷底を目指す。

 イシュマは浮き上がる尻をこらえ、アギにしがみつくことで体勢をようやく保つ。

 二人の眼前に広がるラナと呼ばれるこの街は、巨大な色の塊だ。

 街を囲うように走る蒸気機関車のレールを伝って、ヴェイクボードが目指すのは街の中心地。

 ごちゃごちゃと増殖していった街の中心部には、異質なまでに白い建物が一つ、そびえ立つ。

 まるでおとぎ話に出てきそうな、白亜の城。白く浮き上がるそここそが、『白の館』と呼ばれる場所。イシュマにとって、何よりも守るべきものがある神聖な場所だった。


 高速ですれ違う機関車の振動を頬に受けながら、アギは再びレールから離れて縦横無尽に伸びるダクトの一つにヴィラボートを乗せる。

 そしてそれを軸に旋回し加速させながら下層の住居エリアを通りすぎる。

 イシュマには、人々が見上げる姿が目に入る。

 だがその人々の不規則な流れのなかに、いくつか不自然な動きがあることに気づいた。


「アギ、グリーンハットだ! あいつらも白の館へ向かっている!」

「くそ、こういう時だけは鼻がきく奴らだな」


 人々の間をぬって、背の高い帽子がちらほらと街中を移動している。その肩には彼ら治安部隊兵(ガーディアン)の代名詞ともいえるライフルがある。

 荒くれ者が多いグリーンハットと呼ばれるその部隊は、その名の通り濃緑の背高帽を被る。いくつか分かれる治安部隊(ガーディアン)の中でも、最悪の評判と他を圧倒する実績を併せ持つ。

 一部の利権になびく有力者たちの意を汲み、私欲のままに市民を虐げることがあると、もっぱらの噂だ。そんな彼ら(ガーディアン)が、イシュマの父レイザック卿を守るために動いているとは、到底思えない。

 言い知れない焦燥を感じるイシュマ。

 振り落とされないようアギの背にしがみつき、ただ父の無事を祈った。

 

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