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レゾナンス・ドール  作者: iohara
二章 二人旅
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11.鈴とイシュマ

 (すず)は言われた通りに、粗末な山小屋のような板の扉にある、頼りなく細い閂を下ろした。

 恐らく便宜上、形だけのものであろう閂を、鈴はしばらく不安になりつつ眺める。


「……はぁ、どうして私がこんな目に」


 彼女の嘆きは、独りきりの狭い室内に虚しく消えた。

 心細さから身を抱きしめて、改めて自分の髪も服もしっとりと濡れてまとわりつくことに気づく。寒さを自覚し、身を震わせてから踵を返すと、大きめなたらいの前で服を脱ぎ、たらいに張った湯の中にしゃがみこむ。

 ほうと息をつくのは、その温かさから。

 まとめてあった長い髪をほどき、手で湯をすくってほつれをほぐす。ほんのりと残る臭いとたらいの底に落ちる砂、それから脱いだ服の擦りきれ具合などから、ただ河を渡っただけではないことを悟る。

 ひたすらに泥を落としていると、ふと自分の体に違和感を覚える。


「なに、これ?」


 見下ろせば、胸の中央……心臓のあたりに固いものが埋められている。ボディピアスのようなものだろうか、三センチもないくらいの金属。よく見れば、目を象った模様がある。鈴は、似たようなものがエジプトのお守りかなにかであったような気がした。


「聞いてみようかしら、あの人に」


 そこまで考えてから、鈴は初めて出会ったときのイシュマの射るような青い瞳を思い出す。

 そして誰に聞かれたわけでもなく、首を何度か振る。


「さすがに聞けないよ、場所も場所だし……それに」


 自分のものかと疑う、白くて頼りない手を開き、じっと見つめる鈴。

 驚いたとはいえ、叩いてしまった感触はリアルに覚えていた。怒った顔をしたイシュマが怖かったというのもあるけれど、それにしたって人に暴力を振るったのは始めてであったし、謝るべきだと思っているのだが、この嵐のような目まぐるしい状況の変化に鈴の心がついてこない。

 元々感情の起伏が激しくない性格もあいまって、何とか取り乱さずにいられる。それだけだった。

 とにかく、今は黒髪の青年の話を聞こう。どんな突拍子もないことを言われても。それをどう捉えて今後どうしていくのかは、後にしてもいい。まずは情報が欲しいのだから。鈴はそう自分に言い聞かせながら、湯から出た。


 用意してあった布で身体を拭き、シーツをくるまってから閂を外して火にあたっていると、暫くもしないうちにイシュマが戻って来た。

 小さく声がかかり、鈴が返事をすると入ってくる。


「すまない、ここに着替えは無いんだ」


 鈴は素直に頷き、脱いで畳んであった服を囲炉裏の傍に広げて干す。

 その間にもイシュマは井戸から汲んできた水を鍋で沸かし、採ってきた山菜と茸などでスープを作るつもりだった。

 一方、その様子をじっと見守っていた鈴は、そのスープがひどく味気ないものになりそうだなと、眉を下げる。


「あの、ここはどういった建物?」


 黙ったままのイシュマに、勇気を出して声をかけたのは、鈴の方だった。

 素直に驚いたようなイシュマの表情を見て、鈴は彼が思っていたよりも少年なのだと気づく。すっかり姿が変わってしまった鈴が言うのもおかしな話だったが、イシュマは純粋な日本人には見えない。どちらかというと西洋人に近い、しかしどこかオリエンタルな雰囲気もあり、黙っていると大人びていた。


「ここは、恐らく森の猟師が共有している休憩所だと思う」

「……恐らく?」

「ああ、白の館から地下排水溝を伝って、河に出たんだ。そこから上流をさかのぼった森の中に、ここを見つけて避難した。だから詳しくは分からない」

「……私たちだけ?」

「ああ、二人だけで」


 鈴は言葉を失う。

 少なくとも、気を失うまでいた場所は、まるでお城のような大きなお屋敷のようだった。そこにも驚いて、どうしてこんな所にいるのかと疑問ばかりだったはずが、あっという間にまた別の場所にいたのだ。それもあの優し気な少女とではなく、自分がひっぱたいた相手の彼と。

 鈴は目の前が暗くなる気がして、再び黙りこくってしまう。


「今日はここで休んで、朝になったら出るつもりだ」


 木の器に湯気のたつスープをよそい、イシュマは鈴に差し出す。


「聞きたいことには答える」


 ぶっきらぼうだが、鈴は彼が自分の様子をうかがいつつ、言葉を選んでいるのだと気づく。

 そしてイシュマから器を受け取り、息をふきかけてスープを口に含む。

 熱いし、どこか灰汁っぽい。そして味がしないことに、リュンはどうしてか笑ってしまった。そして気恥ずかしそうにして、イシュマに言う。


「塩が、欲しいね」

「俺もそう思う」


 イシュマの答えはやはり子供っぽく、鈴を安心させた。


「あなたは何て呼んだらいいの?」


 鈴はほんの一瞬だったが、イシュマの顔に泣きそうな色を見た。


「イシュマ……イシュマ・フォン・レイザック。おまえは?」


 首を傾げていると、イシュマは変わらぬ声色ですぐに答えたため、気のせいだったかと鈴は思い改める。


「私は鈴よ、真崎鈴。日本人なの……なんだかすっかり姿形は変わってしまったけれど」


 イシュマは頷く。

 リュンが十年のあいだ夢で過ごした名を、受け入れることにしたのだった。

 それは、ただ生きていてくれればいい、このまま助けられずに朽ちるリュンを見ずに済むのなら、名前なんていくらでも変えればいい、そんな思いから。

 この脱出劇の短い間に、イシュマが考えて出した答えだ。


「鈴、何から聞きたい?」

「うん、まずはどうして逃げなくちゃいけなかったのかを。そして私たちはこれからどこに行くつもりなのか」


 思っていた以上に冷静な鈴の反応に、イシュマは安心する。ここで泣き崩れられてしまえば、イシュマはどう対処したらいいのか悩んだことだろう。

 そういえば、幼い頃のリュンもまた、可憐な容姿に似合わず気が強かったなとイシュマは思い出す。

 ならば偽りなく説明した方がいいだろうと、イシュマは判断した。

 ただし、彼女の身体のこと以外ではあるが。


「白の館が襲撃されたのは、俺たちを匿っていたから。ガーディアン……あの街の治安部隊からの引き渡し要求にヘルガが拒否したんだろう、それで強硬手段に出てきたんだと思う」

「治安部隊って、警察みたいなもの?」

「ああ、政府の組織だ」

「じゃあ、あなたは犯罪者なの?」

「違う!」


 イシュマの強まる語気に、鈴が肩を震わせた。

 イシュマはハッとして、すまないと呟く。


「違うんだ、父さんたちはハメられたんだ。鉱石の利権が欲しい悪い奴に。だから捕まるわけにはいかない」

「でも、どうやって逃げるの? 汚名だって言うなら晴らさない限り、永遠に追われ続けるんじゃないの?」

「生まれた、故郷に帰る」

「故郷?」

「ああ、カーヴェイと呼ばれる領地があって、俺と鈴はそこで生まれた」

「私が?」


 鈴は訳が分からず、聞き返す。


「鈴が育った日本での両親は、その……本当の両親じゃなかったろう?」

「……なんで、知って」

「俺もそうだった。鈴はこっちで生まれて、訳あって日本で育ったんだ。そして十年経って戻ってきた」


 鈴は混乱して、言葉を継ぐことが出来なかった。

 真崎鈴は、確かに養子として真崎家に迎えられた。鈴の実の親の情報は施設でも記録はなく、捨て子だったと聞かされている。しかも鈴自身、養護施設に入った六歳以前の記憶がほとんどなく、言葉を喋れなかったことから、虐待を受けていたのではと疑われていた。かろうじて名前らしきものを口にしたので、そこから鈴と名付けられたのだと、英国籍の父親から包み隠さず聞かされていたのだった。

すず、本当はきみの名前を(リン)としようと思ったんだけどね、母さんが日本に住むならこっちにしようって、新しい人生を歩むためにも、きみにはすずと名付けたんだ。我ながらとても良いセンスだったと、今でもそう思っているよ』

 笑顔で教えてくれた父親の声が脳裏に甦り、鈴はまさかと困惑する。


「ねえ、イシュマ。前に私のこと、呼んだよね。違う名前で……」


 イシュマは聡い鈴に、苦笑いを浮かべて首を振る。


「教えて」

「……リュン。リュン・メディストリュス・カーヴェイ、カーヴェイ領主の一人娘の名前だ」


 鈴は愕然とする。

 リュンと、リン。

 養い父がヒントを得た名が、本当に「リュン」だとしたら……そう考えると今すぐにでも、叫び声をあげ外に飛び出したい衝動にかられる。そうしたら全部が夢で、いつもの自宅のベッドで目が覚めるんじゃないかと、本気でそう思う鈴。

 これは悪い夢、それ以外の何ものでもない。


「悪い奴が欲しい権利を、そのリュンと呼ばれた領主の一人娘が持っている。生きている限り正式に権利が動くことはない。それが、どういう事か分かるか?」

「まさか、私も……追われているって、こと? その治安部隊ガーディアンとかいうのに?」


 鈴は気を失う前に聞いた、爆発音と振動を思い出す。


「そうだ、だからカーヴェイに向かう。元凶であるベイヤーンという男もそこにいるけど、味方もまたカーヴェイにしかいない」

「でも私は鈴で、そのリュンってじゃないわ」


 鈴は現実に、鈴でしかなく、実は別の名前がありましたと言われても、何も覚えてはいないのだ。

 そう思えば、イシュマは鈴の言い分を否定することはできない。だが……


「それを言って通じるなら、襲撃なんかされないし、誰も傷つかない」

「……そんな。ああ、そういえばヘルガさんは? 私たちの代わりに捕まって酷い目にあってるんじゃ」

「それはない……たぶん」

「たぶんって、私たちよりずっと幼かったのに平気なわけない」


 随分と薄情なことをと責めているのは、鈴の表情からイシュマは察した。

 だがあの錬金術師が、そうそうグリーンハットに膝をつくとは思えなかった。


「あいつは見た目通りの年じゃないし、ウコンサコンもいる。それに稀代の錬金術師だから」

「錬金術?」

「それについては、俺も詳しくない。とにかく、本来ならばあの館は女王陛下すら手出しできない場所なんだ。むしろグリーンハットたちの方がヘルガを傷つければ罪に問われる。だから安心していい」

「……本当?」

「ああ、数少ない協力者なんだ。俺たちを逃がすことを選んだのはヘルガだ、今さら戻って鈴が捕まれば、その恩に背くことになる」


 鈴はそれを聞いて、納得せざるを得なかった。

 だが状況がいまだ充分に分からないからこそ、鈴の不安は払拭できない。それにイシュマ……彼のことを信用していいのかも、判断がつかない。

 だから鈴は改めて、尋ねる。


「それで、あなたは誰? 何者なの」


 イシュマは一度口を引き結び、真っすぐに鈴を見つめる。

 その差すような瞳は、最初に出会った時と同じ。決意のような強い意志が含まれているかのようだった。


「俺は、カーヴェイ領主の右腕、代々領主に仕えてきたレイザック家当主、アレク・ジーン・レイザック卿の子。おまえ()とは同じカーヴェイ城で生まれ、領主を継ぐ者を守るために共に育った」


 鈴はイシュマが忠義からその義務を果たすのだと、告げられたのだと理解した。


「そんな、生まれた家のために危ないことに巻き込まれているの?」

「違う! 家族だったんだ」


 イシュマは鈴に、これだけは理解して欲しいと願った。


「主従とはいえ、平和で争いなんてひとつも無かったんだ。だからまるで家族のように過ごしていた。父さんもシリル様も無二の親友で、俺たちはまるで兄妹のように……」

「だったら尚更、あなたもまだ子供よね、どうして大人に任せないの。私の両親は? あなたのお父さんだけじゃなく、たくさん人がいたんじゃないの?」


 鈴の言葉は、知らずイシュマの心を抉る。


「死んだんだ」

「……え?」


 ぽつりと落ちるように呟かれた言葉に、鈴は息をのんだ。


「みんな、死んだ。シリル様も、俺の両親も、主だった部下たちもみんな、殺された。夢見の病に冒され眠り続ける間に」


 それが今のイシュマを取り巻く、全てだった。

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