9 泥だらけの出発
首都から北に山をいくつも越えたところに、鉱石カーヴェイを産出する地がある。そこは代々リュンの一族が治める土地だった。
だがリュンの父親はベイヤーンという男に貶められ、地位を追われた。
しかし鉱石を扱えるのは、領主に仕える『小さき人』と呼ばれる一族だけ。
ピートたちの知識は領主が引き継ぐものだと言われている。
イシュマはそこまで考えてハッとする。
「まさか……鉱石の採掘のための人質なのか?」
「そう、リュンが大事に保管されているのは、ピートたちがベイヤーンに抵抗しているからだ」
「そんなことのために……」
「彼らの忠誠心は他の追随を許さない。鉱石を掘り出させるための脅しの材料として、今は保護されているのだろう。だがそれだけではない……リュンが万が一起きたとき、彼女の口から言わせるために監視しているのだ」
ヘルガは言葉を切り、唇を噛み締める。
「言わせる? 何を」
「リュン自ら城の主……つまりカーヴェイ鉱石の採掘権を放棄させ、後継としてベイヤーンを指名させる言葉を」
イシュマは言葉を失う。
そのためにリュンの身体は錬金術師の手から奪われ、危険に晒されているのかと、その事実に衝撃を受ける。
専門家である錬金術師の元にたどり着けない患者が、身体を維持できずに亡くなることは、辺境の村などでは今も希にあることなのだ。
「じゃあ、俺はこれから……カーヴェイ領へ向かえばいいのか」
「ドールを連れて、リュンの本体を目指せ。目覚めた魂と身体が繋がれば、本当の目覚めを迎えられるはず。だが、そのタイムリミットは変わらない」
「まさか、あと三ヶ月だっていうのか?」
イシュマの顔色が変わる。
「今ここで、捕らえられればその三ヶ月も無いに等しくなるのだ。聞け、おまえたちを捕えようと迫るあの音を」
こうしている間にも、壁を壊す音は続き、伝わる振動が半地下のランプを揺らす。
ヘルガの言うことは、イシュマとて嫌と言うほど理解している。
もう二度と、父のようには失いたくはない、例え当のリュンに拒絶されていようとも。
イシュマは決意した。
「分かった、必ず眠るリュンの元にたどり着く」
ヘルガはしっかりと頷く。
だが問題はどうやって脱出するかだ。動かなくなったリュンを抱え、そう簡単に突破できるとは思えないイシュマ。
「今は、リュンの魂を内包したままドールの共振機能を切ってある。このまま二人で排水溝を伝って外に出るしか方法はない。ドールは溺れて死ぬことはないが、おまえは自らの力で泳ぎきるしかない……できるか?」
「……やってみせる」
「わかった、ウコン支度を」
ウコンがイシュマとリュンの両方に、ライフジャケットを着せる。そして瞳に生気を失ったままのリュン……ドールにベルトをつけて、延びる鎖の先をイシュマと繋ぐ。
その鎖の長さは一メートルもない。身動きがしづらい状態になるということは、イシュマの危険も上がるだろう。
イシュマは動かないリュンの長い髪に手をかける。
「必ず、守る」
そんなイシュマの誓いに、ヘルガは黙って彼女の長い髪をまとめて、自分の持っていたリボンできつく縛った。
そして露になったうなじを指差す。
「髪に隠れたこの先に、起動スイッチがある。安全なところに出たら、早めに起こしてやってくれ。あまり眠り続けさせるのはよくない」
「……分かった」
イシュマは万が一の時のための空気が入った皮袋を腰につける。そして準備が整ったことを確認してから、リュンを抱き上げた。
「……軽いものだな」
「ああ、仮の身体だからな。力もなければ、護身術すら習得はできまい」
「そうか。ならやっぱり俺が守らなきゃな」
イシュマの意思は揺るがなかった。
この先、父の亡骸のそばで泣くことしかできなかったイシュマを救ったヘルガはいない。何とかアギたち傭兵団と合流するまで、自力でどうにかするしか、生き残る術はない。
サコンが床にある石の扉を持ち上げると、そこには大きな縦穴が黒い口をぱっくりと開けた。
明かりの一切ない穴の奥から、ごうごうと水が勢いよく流れる音が聞こえてくる。
「子供達の生命を維持するために、大量の水とカーヴェイ鉱石の力が必要になる。そのためここから排出される水は、相当な量だ。気を付けていけ」
イシュマは頷き、リュンを抱えて穴の縁に立つ。
「イシュマ、リュンは自分がドールに入っていることを知らない。私からの頼みだ、どうか、彼女の心を傷つけないでやってくれ」
「……分かってる」
神妙な顔をしてヘルガは頷く。
そこに大きな振動がして、壁が揺れてガタガタと鳴る。ついに壁が破られたのか、歓声が続く。
「行け、イシュマ!」
ヘルガの声に、サコンの声が重なる。
「こちらのことは心配する必要はない、さあ!」
「行け、イシュマ」
くぐもったドクトーラ声を最後に、イシュマは一歩を踏み出した。
暗い穴へ真っ直ぐ落ちながら、イシュマは上下平行感覚を失う。しっかりと抱き寄せた存在だけを意識し、二人はごうごうと流れる水の中へ落ちていった。
その水落だけが、残された白の館の住人の耳に届く。
言葉なく戦闘準備を始める双子の男たちをよそに、ヘルガは焦る様子もなく薄暗い室内に備えつけてある扉を開いた。
そこに入っていたのは、繊細な機械に用いる工具。それらの一つを手に取り、ヘルガはドクトーラに言った。
「さあ、今度はおまえの番だ、ドクトーラ。その足の制限を外すぞ」
黒マントのドクトーラが溶け込んでいた闇から動き出し、ヘルガの前に座る。
そして常に引きずっていた方の足を差し出した。
「ああは言ったが、あの青二才にリュンのケアはしきれまい」
「……だが、私が追えばさらに追っ手が増す可能性もある」
「放っておけるのか、己の娘を?」
ドクトーラの光を通さぬ仮面の目が、一瞬だが揺れた。
「行って決着をつけてこい、ベイヤーンを止められるのはおまえだけだ」
もうドクトーラは返事をすることはなかった。
だが義足に施された稼働制限の枷を外すヘルガの手を、止めることもせず、ただ黙って受け入れていた。それが答えなのだと、ヘルガは苦笑いを浮かべる。
「もし、奴に会ったなら、伝えて欲しい。私が……」
ヘルガの言葉は、けたたましい銃声にかき消された。
壁を突破したグリーンハットたちが、間近に迫っているようだ。そこかしこで怒声と銃声、それから足音が近づく。
「さあ、これでおまえを縛るものはなくなった。行け」
ヘルガは立ち上がり、ドクトーラに背を向けた。
そして胸元から銀の笛を取り出し、息を吹き付ける。音はかすかに耳に届くが、本来は人の関知できぬ周波数を発するもの。その音を聞き付け、館の外では機械仕掛けの蝙蝠たちが一斉に飛び立っているはずだ。
「武運を祈る」
ドクトーラは走りだし、躊躇することなく暗い穴に飛び込む。
すると待ち構えていたサコンが分厚い石の蓋を下ろし、あっという間に地下排水溝へ続く穴は塞がれたのだった。
激しく流れる水流のなか、イシュマは必死にリュン……ドールを抱えて沈まないように泳いだ。
いや泳ぐという表現は正しくはない。
両手を広げたほどの排水溝の中を、大量の水とともに滑り落ちている状態なのだから。
勢いのために姿勢を保つのがやっとのイシュマ。
水はさほど汚れてはいないものの、古い排水溝のカビと泥のこびりついたすえた臭いは、すぐに慣れるようなものではない。それに底を滑るうちに、イシュマとリュンは泥にまみれていた。
当然ながら暗く視界も悪く、水音だけが行く手の手がかりだ。イシュマは水に抗いながら、耳をすます。
ゴウゴウと石壁に反射する水音は、遠くで何かに激しくぶつかるようなバシャバシャという音が混じる。
嫌な予感がして、イシュマはリュンを抱える腕に力をこめる。
「……っく!」
一瞬の浮遊感に、イシュマは長い滑り台から放り出されたことを悟る。
そして今度こそ深い水底にリュンともども沈んでいった。
◇ ◇ ◇
白の館に乗り込んだグリーンハットたちは、一時間もしないうちにヘルガたちを中庭まで追い詰めていた。だが痛手も大きかった。ウコンサコンが襲い来るグリーンハットたちを凪ぎ払い、その数を少なからず沈めていたからだ。
イシュマとリュン、そしてドクトーラを地下排水溝へ逃がした後、ヘルガたちは館の外まではなんとか移動することができた。だが数に押され、身動きができなくなって久しい。
騒ぎは近隣住民たちを引き付け、白の館を取り巻くのはグリーンハットたちだけではなくなっている。遠巻きにできる人の環は、次第に大きくなっていった。
その白亜の宮殿は、黒い蝙蝠たちで斑に染まり、今や不気味さを一層際立たせる。
そのような状況の中、細い肩を揺らしながら息切らせるヘルガに、グリーンハットの部隊長の男が毒づく。
「貴様、あの小僧を盗んだものもろとも逃がしたのか!」
「そうだな、お前の言う小僧がそうかは分からぬが、一人はここを出ていった。だが盗んだもの、とはいったい何のことか」
「とぼけるな!」
治安部隊グリーンハットを束ねるのは、先日も同じこの場所でアギを追い詰めたのと同じ人物だ。
狂喜を孕んだその目に浮かぶのは、恥をかかされたという思いからの過剰な執着。ヘルガはそのように見てとった。
「いいか、俺たちを舐めてかかるからこういう目に遭うんだ。今さら泣いても遅いがな、この化け物め」
ヘルガは薄く笑う。
「そのような甘い言葉で辱めなど感じはせぬ。だがここまでされて、黙っている気もないが」
「それはこっちのセリフだ。なぜお前があの坊主を庇う! 女王陛下にたてつこうってのか。こっちには議会の承認があるんだ、隅々まで調べさせてもらう」
男は丸められていた書状を広げ、ヘルガの前に差し出す。
真っ赤な薔薇の紋章が入ったその紙には、こう書かれていた。
『白の館における我が統治権を本日のみ放棄する アリアドネ三世』
「は……はっ、あはははは」
ヘルガは声高に笑う。
「ああ、おかしい! あの女、ついぞ若さに、そのための血に、己が民を売ったのか!」
ヘルガの笑いを絶望の裏返しととった男は、勝ち誇った顔でヘルガと傷を負った彼女の従者たちを憐れんだ。
「さあ、這いつくばれ! そして請うがいい、この崇高な我らグリーンハットに『命ばかりは助けて』とな」
「断る」
「っな?!」
男が一瞬息を呑み、怒りで顔を赤面させたその時だった。
「起きられよ、始まりの王。契約の鎖は今しばし解かれた。己が城と愛し子たちの眠りを犯す者共に、施政者の裁きを」
謡うように紡がれた言葉に、地響きが応える。
辺りを見回し、動揺するグリーンハットたち。不気味に飛び交っていた蝙蝠たちが一斉に退き、白い軒や木々の枝に羽をたたんでぶら下がる。その赤い瞳は館前の庭に向いたままで……
「なにを始めるつもりだ!」
ヘルガを問いただすためにグローブの手を伸ばしたとたん、地響きは揺れを伴う。
崩れた壁の向こうから様子を伺っていた住民たちが、口々に悲鳴と呪いを呟きながら、蜘蛛の子を散らすように広場から逃げていった。
「くそっ! 兵器でも隠し持っていたのか?!」
バランスを崩して片ひざをついた男の目の前で、地面が割れる。
ぱっくりと空いた口は暗く、ギギギと何かが動く音、それから獣の咆哮のようなものを響かせた。
「うわああああ!」
そこかしこで悲鳴が上がる。
混乱して発砲音が続き、部隊を束ねる男が慌てて振り返る。そしてありえないものを目にして声を失う。
黒い、禍々しい姿をした化け物が、兵士たちに襲いかかっていた。
「それらは始祖の王に従う小物よ、サコン!」
呼ばれたサコンは、雄叫びを上げながらぱっくり口をあけた地面に、その屈強な両腕を突っ込んだ。
そして中から太い鎖を二本引き上げると、それをまとめて腕に巻き付ける。
「ウコン、扉を開けよ」
するとヘルガの声とともに、ウコンは双子の片割れサコンにタックルする。
サコンが引き上げた鎖を持ち、そのサコンごとウコンが自慢の両脚で鎖を引く。
「うおおおおお!」
ゆっくりとグリーンハットたちが立っていた大理石の床が動き始めた。
ゴリゴリと砂を擦り、少しずつ動く床の下には、先ほど以上の暗い闇。その内から沸き上がる蒸気と、低い唸り声。
そして、赤い二つの光。
差し込む日の光が、異様な光景を写し出した。
地下から大きな人間らしき塊が這い出てきた次の瞬間。
「ぎゃあああ」
もっとも近くにいた部隊長の男の首から、血飛沫が大きく吹き上がっていた。




