7.告白
「ぅ……ん」
「おはようございます、姫様。よく眠れましたか?」
煌びやかな星空……はすでに薄い幕に覆われつつあった。登り始めた太陽によって、夜の舞台は終演を迎えつつあるのだ。
「っ……! 永遠! 怪我は!? 身体は大丈夫なのですか!? そ、それより私……わたしは――っ!?」
ぴと、と一指し指を可憐な唇に乗せる。冷え切っているはずなのに、薄桃色の唇はぷっくりと柔らかだった。
「雨降って地固まる、ってね。何も言いっこなしだよ、姫。それと――」
永遠は美姫が握りしめていた四つ葉を手と共に握った。空を染め始めた光を受けたそれは、とても気高く見えた。
「ありがとう。それと、もう一回作ってもらっていいかな? なんなら今度、姫の分もう一本探すからさ」
「ぁ…………はい。はい……!」
感極まったのか美姫のつぶらな瞳に光が揺らめいた。
永遠は目の前にある黒い瞳を見つめていた。お互いに何も言わず、ただゆっくりと太陽が白光を強めていく。
そうしてしばらくしてから、美姫が口を開いた。
「あら、そういえば……谷村さんは?」
「ん、ああ、あいつなら、片想いの女子に振られて泣きながら帰って行ったよ」
「え? 永遠、それって――」
少し、悩む。言うべきか否か。仮に正紀の言った通りだったとしても、この身はもう長くないのだ。
ならば墓場まで持ち帰るべきではないだろうか? ――そう考えた瞬間、ポケットに入ったままの携帯電話が振動した。
「…………」
数回の振動でそれは止んだ。単なる悪戯電話、そう割り切ってもよかったが……。
「わかったよ、ったく。意外とおせっかいなんだねぇ」
「永遠?」
「ああいやなんでもない、こっちの話。それよりも、さ……姫」
はい? と小首を傾げる。
その仕草があまりにも愛おしくて、永遠は喉で詰まっていた言葉を全て吐き出そうと決意した。
「正紀を振ったのには理由があってさ。私、好きな人がいるんだよね」
「――っ! そう、ですか……それじゃあ……仕方ないですね」
見るからに落胆した様子だ。そんな表情も中々に絵になるのだが、やはり笑っている方がいいと思った。
「その好きな人、誰かわかる?」
「え? それは……どなたでしょうか? 永遠は沢山の殿方から好かれていましたし、私の知らない御仁との関係があってもおかしくは――――っ!」
瞬間、時が止まったように感じた。
一瞬が一秒に、一秒が二秒に、二秒が十秒に。時間の不可逆が打ち破られ、互いの時間が永遠に感じられた。
触れ合った唇。それは紛れもない、二つのファーストキスが終わった瞬間でもあった。
「――ん、っはぁ。勘違いなお姫様。そんなところが可愛らしいんだけどね」
「――――ぇ? あの、え、えぇ?」
「私が好きな人は、私の一番身近な人。そんでもって、どんなアイドルでも敵わない、世界一の美少女だよ」
美姫は将来誰かと結ばれるかもしれない。むしろ、家柄を考えれば当然だろう。
だが、初めての口付けだけは譲れない。女の嫉妬は強いのだ。
「これで、姫の初めては私のもの。墓場まで持って行くから、もう返してあげないよ」
「……………………」
「ん、姫? あぁ、ごめん、驚いちゃった? い、いやその、別に私はそういう趣味があるわけじゃないんだよ? ただ単に、姫が特別というだけで――」
「――永遠っ!!」
一気に押し倒される永遠。馬乗りになった美姫から、流れるように髪が滑り落ちた。
煽情的で、それでいて慎ましい。どんな名画にも生み出せない美が、そこにはあった。
「永遠……私は……貴女が好きですっ! 愛しています!! 本当は辛かった……。谷村さんと永遠が両想いだと、頭では分かっていても、抑えきれなかった!! 永遠が私から離れて行くと思うと……痛くて……胸が押しつぶされそうで……」
感情の爆発。方向性を間違っていれば、怨嗟の叫びになっていたかもしれない。
そんな悲痛な声を、永遠は黙って聞いていた。
「永遠は、私の全てだった。沢山の初めてをくれた! でも、でも許されない……決して許されない、って……そう思っていたんです!」
「……姫」
「――なのにっ! なのにぃ! 永遠はずるいです! 悪い人です! 私の、私が永遠にしたかったことを先にやってしまうなんて!! 初めての……は、私からやろうって決めてたのにっ! たとえそれで嫌われてしまったとしても、自分に嘘を吐くよりはいいって!!」
「えっと、改めて、言うよ? 私、神白永遠は、謳譲院美姫を――んぷっ!」
今度は逆に奇襲を受けた。
覆い被さるような口付け。二度目は最初の時よりも少しだけ甘く感じられた。そして少しだけ痛いのは歯が当たったせいだろうか。
(せっかく拾った命だもんね。据え膳は捨てて、メインディッシュに飛びついても罰は当たらないでしょ)
甘く、蕩けるような感覚。酒を飲んだことはないが、この酩酊感はきっとどんな高級品でも味わえない。
極上の蜜を吸い合いながら、二人の恋人は互いを愛し続けていた。すぐに明けてしまうだろう夜を惜しむように……。
美姫は一人墓前に佇み、懐しい恋人の顔を思い描いていた。
間の前には『神白家ノ墓』という碑文が刻まれている。
「…………」
あの日、二人が結ばれた日。永遠は全てを語って聞かせてくれた。
自身の命が残り短いこと。奇妙な都市伝説に踊らされたこと。
美姫はあらゆる手段を講じてでも永遠を助けるといった。だが、永遠はそれを良しとせず、頑なに首を横に振るだけだった。
残り数週間。二人の別れは着々と迫る、はずだった。
結論だけをいえば永遠は息を引き取った。美姫と永莉、そして顔には出さなかったが必死に永遠を救おうとしていた謳妃に看取られながら。
だが、それは本来の期限より五年も後のことだった。
世界的権威を持つ医者にもその原因はわからず、また治療法もわからず終いだった。医者はただ「奇跡」というばかりであった。
その際、謳妃が憤慨して医者を社会的に抹殺しかけたのだが、それはまた別の話だ。
永遠は美姫と共に大学に入り、卒業するとすぐに逝ってしまった。まるで役目を終えたかのように、美姫が巣立つのを待っていたかのように。
苦しみ一つない笑顔のまま亡くなった永遠の最後は今でも鮮明に思い出せる。そして、その度に少しだけ、涙を呑んでしまうのだが。
そして美姫は桜譲院の家を継いでいた。母である謳妃は必要ないと言ってくれたが、自身の意思を通してみせた。もうじき、良縁の相手との婚約が決まるだろう。無論、子を残す必要もある。
「…………」
ふぅ、と息を吐くと、湯煙のように白く染まった。
季節はあの日とは真逆。冬の冷たい空気が美姫を急き立てているようにさえ感じる。
一時の美姫であれば縁談など考えもしなかったろう。
だが、今は恐れる必要もない。
なぜなら――永遠が全てを教えてくれたから。恐怖を全て取り去ってくれたから。あんなにも苦手だった謳妃とも仲良く漫談を交わしている。
そして、永遠は最後に言ったのだ。いつか自分を嫉妬させるような、燃えるような恋をしてみせろ。そうしたら、地獄の底から這ってでもその男から奪ってみせる、と。
――まるで出来の悪い怪談話だ。
「…………」
無言で携帯電話を取り出す。
あの日二人を結んでくれたクローバーと、あの後二人で探したもう一つの四つ葉のクローバー。それぞれが埋め込まれた二つのロケットが音を鳴らす。
――冬の寒さが、懐かしい手の平の感覚と温度を想起させていた。




