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ノア商会  作者: 高温動物
1/7

1.奇病

 とある街角にて。

「ねえねえ、知ってる? 最近噂になってる……」

「それってもしかして、あの怪しい電話のこと?」

「そそそ。どんな病気でも治っちゃうんだって」

「いやいや、なんで電話で病気が治んのよ?」

「ほんとなんだって! アタシのお姉ちゃんの親戚の友達が――」

「お姉ちゃんの親戚ってようするにアンタの親戚じゃん。しかも最終的に赤の他人だし」

「と~に~か~く~、そのほら、なんてったっけ? 凄いんだって!」

「はいはい、じゃあまずはその可哀想な頭を治してもらわないとね~」



「……わ……、……お~い……ってば!」

「…………」

永遠(とわ)~、聞こえてる~? 早く食べないと遅刻して留年しちゃうぞ~」

「へ? あ、うん! 聞こえてますよお母さん。食べる、食べますとも。遅刻はしても留年だけはしないよ!」

 掻き入れるように朝食を口に入れる。味噌汁があったのが幸いだ。

 (かみ)(しろ)家の朝の光景。大黒柱である父親は単身赴任のため、兄妹のいない永遠は母親である永莉(えり)と二人で朝食をとっていた。

 慌てる永遠を見て笑う永莉の表情は活気に満ちている。永遠は間違いなく母親にだが、いくらなんでも似すぎでは? と度々思わされるほど若々しい母であった。

「永遠、最近なんか変じゃない? 前に一度病院に行ってたけど、やっぱりどこか体調が――」

「っ――!? な、なんでもないってば! 心配性だなぁもう。こうして朝練に急ぐのもお医者さんのお墨付きあって、だよ」

「いわれてみればそうね。まあ、人生悩みは付き物さ」

「あ~やばいやばい! ごちそうさまそして行ってきま~す!!」

 鞄を引っ掴むと、永遠は笑顔でもって家を出た。


『お疲れ様でした~!』

 朝の張りつめた空気に合唱のごとく声が響く。

 陸上部の朝練後、急いでシャワーを浴びて制服に着替える。この一連の行動も慣れたもので、誰一人遅れる者はいない。

「永遠調子いいじゃん~。今度は全国狙えるんじゃない?」

「あはは、ご冗談を。でも――サイン貰うなら今の内かもよ?」

 そんな脈絡のない会話の間も身体は動かし続ける。

 そうして始業十分前に教室内に辿り着き、席に着くや差し出されるスポーツドリンク。本職のマネージャーより甲斐甲斐しい配慮をくれたのは、黒髪の少女であった。

「お疲れ様です、永遠。教室から見てましたけど、やはり瞬発力が違いますね」

「サンキュ、姫。いつもすいませんなぁ。さすがは我が心の親友(とも)!」

 そういって笑いかけると、ふふ、と淑やかな微笑みを返す少女。

 友人としての贔屓目を除いても疑いなき美少女だ。長く艶やかな黒髪は手入れの賜物か、はたまた神の贈与物か。四つ葉のクローバーを模した髪飾り同様に煌めきを放っている。

 物腰も柔らかで、誰に対しても敬語を使う楚々とした性格はまさに深窓の令嬢。そして、彼女は――桜譲院美姫(おうじょういんみき)は正真正銘の名家の令嬢であった。

「――っぷはぁ! 美味い! さすがは姫!」

「うふふ、それは市販の清涼飲料ですよ、永遠」

「わかってないなあ。たとえ単なる市販品でも、心が(こも)っているということの意味を! ましてやそれが美少女の愛であれば、それはもはや神水とさえ言えっ――けほっげほっ!」

「いけない……! もう、永遠は慌てん坊さんですね」

 美姫にハンカチで口元を拭われる。自分で拭うよりも、数段心地よい感触だった。

(何もおかしなことなんてない。そう、何も……)

「……永遠? どうかしました?」

「ん? い、いやいや、何でもないよ~! いつも通り元気印の永遠さんだよ!!」

 怪訝な表情を見せる美姫から逃げるようにして、永遠は席へ戻った。

 手の平に感じる湿気。たった一瞬で冷や水を浴びたように全身が冷え切っている。

 やはり美姫には気付かれてしまう。どうしようもなく生まれる違和感に。

(言えない、よね……あと一か月で……お別れなんて……)



(がん)、ってことですか……?」

 それは三日前のことだった。

 体調を崩したことをきっかけに、都内の総合病院を訪れた永遠は信じがたい事実を医者から告げられた。

「正確には異なります。悪性腫瘍が転移している、という意味では癌に近いものですが、これは全く別の、新しい症状だといえます」

「っ、そんなことより! 治るんですよね!?」

「…………」

 初めは単なる風邪だと思っていた。意識を失うほどの重体でもないのだから、薬だけを貰って帰るつもりでいた。

 それなのに、どうしてこんなにも沈痛な表情を見せるのだろうか……。

「……現代の医学では、早期に発見された悪性腫瘍を取り除くことは可能です。しかし――神白さん、落ち着いて聞いてください。貴女の病状は癌よりも性質が悪いといえます。正直、いつ倒れられてもおかしくない」

「……そんなっ!」

「申し上げておきます。このような症状は前例がないため断定は出来ませんが――もって一か月。それ以上は……」


 余命一ヶ月以内。もしかしたら明日かもしれない。

 こんな事実を告げられれば誰であれ普通は取り乱す。だが、永遠は不思議と落ち着いていた。おそらく、自身の特殊過ぎる容体が原因だろう。病人という実感が持てないのだ。

(好きにしていい。むしろ後悔のないように、かぁ……。どうしろってのよ)

 教師の声を聞き流しながら、医師から言われた言葉を反芻(はんすう)する。

『我々としてもこの症状を慎重に見守りたい。ですが、入院を強要はしません。末期癌の状態でありながら、身体機能には何の異常もない。もしかしたら、これは奇跡的なことかもしれません。だから――思うままに生きて下さい』

 医者としては問題のある発言かもしれない。だが、永遠は素直に配慮を受け入れた。残る短い人生、好きに生きてやろうと。考えてみれば、事故や理不尽な境遇で亡くなる人より遥かに恵まれているではないか。

(なのに、なんで私は学校になんか来てるんだろ。朝練まで出てるし、オマケに絶好調だし)

 授業に身が入らないのは病気が原因だろう、そうに違いない! そんな取り留めもない言い訳を思考した。

(あ、やばい。私、下手したら処女のまま墓の下ってこと?)



 昼休み。

 中庭のベンチで昼食をとっていると、美姫が尋ねてきた。

「永遠、やはり何かあったのでは? 授業中も上の空のようでしたけど……」

「それは成績凡人たる私への嫌味かい、桜譲院くん?」

 にゃはは、とおどけてみせるも美姫は疑念を解けずにいる様子だ。親にさえ話していないというのに、全くもって鋭い娘だ。

 美姫の生家、桜譲院は金融界の巨大企業を母体とする名家である。代々女系一族らしく、長女である美姫は将来家名を存続する立場にある。そのために幼い頃から世界を回り、様々な習い事や稽古を日々こなしているとか。

 そんな、永遠からすれば雲の上に等しい存在の美姫がなぜ都内の公立高校に通っているのか。そのきっかけは中学時代、永遠が彼女の為に尽力した出来事――ここでは省くが――が関係している。

「はは、懐かしいなぁ」

「え? どうかしたんですか、永遠?」

「いや、唐突に思い出しちゃったんだよ。私が姫と出会って、青春を駆け抜けた時代をさ」

「青春、ですか。それはそれは……ふふ、格好良かったですよ、あの時の永遠。思わずお婿さんにしたくなっちゃうほどに」

「恐悦至極に存じます、姫さま。私も姫みたいな嫁さんが欲しいわ」

 思い返せば大胆なことをしたものだな、と苦笑せずにはいられない。こんなことを思いだすのも死が近づいている予兆なのだろうか。

 購買で買ったパンと弁当――食べ盛りなのだ――を頬張っていると、一人の男子生徒が近付いてきた。

 永遠はいちいち顔を上げることもない。見ずとも来客者の正体はわかっている。

「よう。いつも通り仲の良いことで」

「そう思うんなら遠慮したらどう、正紀(まさき)クン?」

「御機嫌よう、谷村さん。今日も良いお天気ですね」

 律儀に挨拶をする永遠。誰が相手でも優しく丁寧なのはいつものこと。

 弁当片手に美姫の横に腰掛けた眼鏡野郎――もとい少年、名を谷村正紀という。

 永遠と同程度の身長しかなく(女子の中では長身だが)、線も細い典型的な文系少年だ。そして見た目は期待を裏切らず、幼い頃より読書が趣味で、今では眼鏡少年。

「……なんだよ、永遠? 俺の顔に何か付いてるか?」

「べっつに~。改めて、腐れ縁ってものの理不尽さを嘆いてただけよ」

「それは悪うございました。俺だって、好きでお前の幼馴染になったわけじゃない。あ、それより前に貸したCD返せよ」

「くす、妬けてしまいますね。谷村さんがいては、永遠を独り占め出来そうにありません」

 何を馬鹿なことを。私はいつだって姫に(かしず)き嫁ぐ覚悟は出来ていますとも。どうせならこんな本の虫じゃなく美姫と幼馴染でありたかった、と思わずにはいられない永遠であった。

 しみじみと(かぶり)を振り、昼食に意識を戻す。

 正紀との付き合いも長い。美姫と共に過ごすようになってからもそれが変わることはなかった。そして、だからこそ変われないでいる。

(ほんと、正紀には勿体ないよ……。出来れば、行く末を見守ってやりたかったな)

 正紀と美姫は趣味も高じてか、永遠以上に仲が良いといえた。少なくとも、永遠には真似できないほどに。

 永遠はある時期から気付いていた。二人が両想いの関係であると。

そこには何者も割って入ることは出来ない。例え幼い頃からの腐れ縁であったとしても……。

(今更何をしたところで、私はもう……)

 小さく胸を刺す痛みに気付かないフリをして、永遠は談笑に意識を戻した。

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