第9話:終焉(シャットダウン)のシナリオ
図書館の地下深くに響く、耳障りな電子音。メインサーバーのモニターに表示された「フォーマット開始まで、あと六〇分」という赤いカウントダウンが、俺たちの行く手を冷ややかに照らしている。
「世界の、初期化?」
エリスは杖を下ろし、呆然と画面を見つめていた。彼女にとって「妖精さんのドッキリ」だったはずの世界が、実はボタン一つで消去できるデータに過ぎなかったという真実。彼女の顔から、いつもの茶目っ気のある笑みが消えていた。
「どういうこと、ツヨシ。これ、誰かがボタンを押せば、私たちのいた場所も、今日食べたスープの味も、全部消えちゃうの?」
「そういうことだ。この管理者は、この世界の『魔法』という名のバグが限界を超えたと判断したんだ。だから、世界そのものを完全にシャットダウンして、クリーンインストールしようとしているのさ」
俺はデスクに座り込み、原書の余白に走り書きされたコードを解析し始めた。このカウントダウンを止めるには、管理権限が必要だ。だが、その権限はすでに、この図書館の奥に隠されていたはずのマスターキーすら無効化されるほどの上位層へ移動していた。
「既視感があるな。まるで、登場人物全員が結末を知らされないまま、舞台ごと燃やされる悲劇的な結末だ。ミステリー小説なら、名探偵がここで『犯人はお前だ』と指をさすところだが、相手は神にも等しいシステム管理者だぞ」
俺が苦渋の決断を迫られていると、メインサーバーの入り口の扉が重厚な音を立てて開いた。
そこに立っていたのは、意外な人物だった。これまで敵対していた『影のチェスボード』の影のリーダーにして、この国の宰相であるハルバート卿だ。だが、彼の背後には、同じく『影のチェスボード』の紋章をつけた戦士たちが控えている。
「驚いたな。犯人であるはずの組織のトップが、なぜこんなところにいるんだ?」
ハルバート卿は静かに歩み寄り、モニターを一瞥した。彼の目には、敵意ではなく、深い疲弊と諦念が宿っていた。
「探偵殿、君がここまでたどり着くとは思わなかったよ。……驚かせてすまないが、我々『影のチェスボード』は、この世界を滅ぼすつもりなどなかった。逆だ。我々は、このシステムの暴走を止め、人々に『魔法という名の支配』から自由な未来を与えるために活動していたのだ」
「何だって?」
「魔法がなくなれば、この世界は一見、不便になるだろう。だが、それは『管理された箱庭』からの脱却を意味する。このシステムは、最初から人間を飼いならすための檻だったのだ。私は、この檻を物理的に破壊しようとしていたに過ぎない」
ハルバートはそう言うと、持っていた古い懐中時計を差し出した。それはセバスチャンが持っていたものと同型で、かつ、俺が侯爵邸で見た『ナノマシンの制御盤』の欠片と完全に一致していた。
「この時計が、管理者に繋がる最後のゲートだ。君の論理があれば、このシステムの『論理的矛盾』を突くことができるはずだ。……さあ、探偵。君はどうする? このまま世界とともに消えるか、それともこの歪なシステムの『管理者』になり、世界を存続させるか」
俺はハルバート卿から時計を受け取った。その重みは、俺がこれまで解いてきた事件の重さとは比べ物にならない。
「管理者、ね。……あいにく、俺は探偵だ。誰かのシナリオをなぞるのも、ましてや神の座に就くのもごめんだ」
俺はハルバートの背後を見つめた。そこには、さっきまで死んでいたはずの『システム・ガーディアン』の別個体が、静かに俺たちを監視している。
「エリス、準備はいいか?」
「……何をするの、ツヨシ?」
「デバッグだよ。システムを管理するんじゃなくて、システムそのものを俺たちの都合のいいように書き換える。管理者が初期化ボタンを押す前に、俺たちが『この世界のルール』そのものを書き換えてやるのさ」
俺は時計の針を、あえて逆方向へと回した。物理法則が狂い、空間が歪む。
「これはミステリーの禁じ手だぞ。事件の結末を、探偵が勝手に書き換えるなんてな。だが、これが俺の選ぶ結末だ」
物語のプロットを破綻させ、論理の力で強引にハッピーエンドをこじ開ける。
俺と助手は、神の手から物語の主導権を奪い取るべく、メインサーバーへと最後の一歩を踏み出した。




