item2 虚空の額縁(Ⅵ)
続きです!
本格的に額縁が出てきます
一歩踏み出すごとに、空気は粘り気を帯び、鼓膜を直接ヤスリで削られるような不快感がアルドの脳を揺さぶる。
「……っ、う……、クソ、胃の辺りがムカムカしやがる……」
アルドは壁に手をつき、込み上げる吐き気を強引に飲み下した。
普通の人間なら、この濃度の魔導ノイズを浴びれば数秒で意識を失うか、発狂するレベルだ。
『マスター、警告。バイタルサインの著しい乱れを確認。心拍数上昇、脳波の乱れが危険域に達しています。これ以上の前進は、意識中枢に不可逆的な損傷を与える可能性。……即時の撤退を推奨』
懐のレイが、いつになく短い間隔で、機械的ながらも切迫した念話を送ってくる。
「……休みたきゃ……勝手に上に戻って……ルビィと休んでろ……。俺は、あいつを黙らせるまで……止まらねぇ」
『……了解。マスターの選択を優先事項として記録。……しかし理解不能です。自己保存の本能を無視してまで、なぜマスターは「物の声」に固執するのです』
「……固執、じゃねぇ……。放っておくと……俺の寝つきが、悪くなるだけだ……」
アルドは脂汗を拭い、霞み始めた視界を気力で繋ぎ止めて、重たい足を一歩ずつ前へ進めた。
やがて、廊下の突き当たりに、周囲の空間を歪ませるほど激しく振動する重厚な鉄扉が現れる。そこが「第3防音室」……怪物の棲家だ。
アルドは震える手で『鉄筆』を握り込み、最後の一歩を踏み出した。
扉のレバーを掴み、一気に引き絞る。
「……おい。……いい加減にしろよ、お前」
――扉が開いた。
だが、その瞬間に待っていたのは、さらなる轟音ではなく……耳が痛くなるほどの、唐突な「静寂」だった。
「……何だ……!?音が……急に静かに……」
『マスターが現れたと同時に周辺の騒音レベルの低下を確認』
アルドは警戒を解かず、鉄筆を構えたまま一歩、部屋の中へと踏み込んだ。
広い隔離室の中央。そこに、大人二人がかりでも抱えきれないほど巨大な『黒い額縁』が鎮座していた。
それは、この時代のどんな鏡とも、絵画のキャンバスとも違う、滑らかで底知れない闇。そこにぼんやりと自分の顔が映るのを見て、アルドはわずかに背筋が寒くなるのを感じた。
「レイとはまた違った『鏡』だな……。デケェ……」
「はぁ、はぁ……! アルド氏ぃ! 無茶ですよ……本当に……!」
遅れて転がり込んできたルビィが、眼鏡のズレも構わずに感嘆の声を漏らす。
「あれ……止まってる……?あれほど凶悪だったノイズが、扉を開けた瞬間にピタリと……!? いやはや、アルド氏は遺物を惹きつける特別な『何か』を持っているのかもしれませんなぁ!」
「……そんなもん、要らねぇよ。……いいからルビィ、説明しろ。こいつは一体、どこで見つけた。こんな規格外のサイズ、どこに転がってたんだ」
「冷たいですなぁ、アルド氏……。この遺物はですね、ひと月ほど前に西の大陸の牧場で見つかったのですよ。牛が慌てて体当たりをしたのですが傷1つつかず頑丈でしてな……。最初は小さかったのですが、魔力を通した途端この形に……。それ以来、時折ザーザーとノイズを撒き散らし周囲にいる者の魔力を奪い続けているのです」
アルドは黙って、巨大な黒い面を睨みつけた。
――静寂。
だが、その静寂が「対話を待っている」のか、それとも「嵐の前の静けさ」なのか、アルドにはまだ判別がつかなかった。
「……試しに『聴いて』やる。ルビィ、コイツをもう1度騒がしくしろ。また喚き始めたら、俺が直接触れて『中身』を聴いてやる」
「……わかりました。アルド氏。責任は研究所主任であるワタシが取ります。思いっきりやっちゃって下さい!」
ルビィはそう言ったあと、特殊な魔導具を『額縁』の方へ向ける。
「いきますよ……!」
ルビィが操作卓のレバーを叩き、外部から強制的に魔力を流し込む。
直後、静まり返っていた隔離室に、再びあの「世界の終わり」のような凄まじいノイズが吹き荒れた。
「……っ、ぐ……!」
鼓膜を焼くような高周波。アルドは耳元に手をやり、ピアスの感度を最大まで引き上げる。
視界が歪み、世界が色彩を失っていく中、彼は正面から掌を突き立てた。
(……来い。お前の『声』を聴かせろ!)
――ザァァァァァァッ!!
その瞬間、アルドの意識は『額縁』の内側へと引きずり込まれた。
明日はこの遺物の過去に触れていきます。
ちょっぴりショッキングな表現になります。読む際はご注意ください。




