模擬戦と失われた居場所
魔導都市フィレンツェの空は、厚い灰色の雲に覆われていた。 昨日の賑やかな旅立ちが嘘のように、キマリアたちが乗った星舟《アルビレオ号》の航跡はすでに消え、街には冷たい霧が立ち込めている。
魔導喫茶ピッコロッソの朝は静かだった。 星月は窓辺に座り、魔導銃の手入れをしていた。その瞳には、かつてないほどの鋭い焦燥が宿っている。
「……あの子たちは、もう空の上か」
葉月はカウンターで魔導焙煎器を調整しながら、星月の様子をちらりと見た。 「寂しい? それとも、自分の『役割』が分からなくなった?」
星月は手を止めずに答えた。 「私は騎士だ。守るべき対象がいなければ、ここにいる意味はない。……今日、騎士団本部へ行く。復帰の模擬戦を受けてくる」
葉月は苦笑し、何も言わずに魔導弾の補充パックを差し出した。 「行ってらっしゃい。でも忘れないで。ここにも、あなたの帰りを待ってる紅茶があるわよ」
模擬戦の会場である魔導演習場には、騎士団の精鋭たちが集まっていた。 星月を待っていたのは、かつての上官である副隊長だった。彼はアドニムーン機関と密通していると噂されていたが、その表情にはどこか拭いきれない陰りがあった。
「星月、なぜ戻った。……この街を救うには、もはや騎士の剣だけでは足りん。機関の強大な魔法という『力』が不可欠なのだ。それが分からぬお前に、騎士の資格などない」
副隊長の言葉は、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
模擬戦が始まった。魔導弾が空を裂き、障壁が軋む音が演習場に響き渡る。 星月の動きは完璧だった。だが、最後の一撃を放つ直前、彼女の脳裏に葉月の言葉が蘇った。
『命を奪うのは簡単。でも、それじゃ何も変わらない』
星月の銃口が、わずかに逸れた。その隙を突かれ、副隊長の魔導剣が星月の喉元に突きつけられる。
「……甘いな。情に絆された者は、この過酷な時代には生き残れん。去れ、星月。お前の居場所はもうここにはない」
冷たい拒絶。だが、剣を下ろす副隊長の震える拳を、星月は見逃さなかった。彼は彼なりに、歪んだ形で街を守ろうともがいていたのだ。
その夜、雨の降る中ピッコロッソに戻った星月は、ずぶ濡れのまま店の前に立った。 扉を開けると、そこには神月とグランデロッソが言い争いながらも、温かい鍋を囲んでいる光景があった。
「おかえり、星月。不合格だったみたいね」 神月が端末から目を離さずに言う。
葉月がタオルと熱い紅茶を持って駆け寄ってきた。 「お疲れ様。……騎士団には戻れなかった?」
「ああ。……私の居場所は、あそこにはなかった」 星月は紅茶を啜り、深く息を吐いた。 「……だが、あそこに残った者たちの『迷い』は見た。アドニムーン機関は、キマリアたちの旅を邪魔しようとしている。それを阻止し、この街の本当の誇りを取り戻す。それが、今の私の『任務』だ」
グランデロッソが不敵に笑う。 「へぇ、騎士団の命令じゃなく、自分の意志で戦うってわけね。……いいわ、私の解析能力、存分に使いなさいよ」
星月は窓の外を見つめ、まだ見ぬ空の果てに想いを馳せた。 「キマリア……。お前が空を飛ぶ間、地上の泥はすべて私が引き受ける」
それは、命令よりも重い、彼女自身の「選択」だった。




