氷の騎士と、赤い屋根の喫茶店
魔導都市フィレンツェ。空を覆う巨大な魔導回路が人工の太陽を模して輝き、蒸気と魔力が混ざり合うこの街で、星月は「規律」という名の冷たい鎧を纏って生きていた。
聖花騎士団、第三分隊長。それが彼女の肩書きだった。 「……ターゲット確認。魔導密輸容疑、直ちに無力化します」 星月の放つ魔導弾は、寸分の狂いもなく標的を射抜く。感情を排し、機械的に任務を遂行する彼女を、周囲は畏怖を込めて「氷の騎士」と呼んだ。
だが、その日の任務は少し違っていた。 「反乱分子の隠れ蓑となっている喫茶店『ピッコロッソ』を調査、および強制閉鎖せよ」
路地裏の突き当たり。レンガ造りの古びた建物の前に立った星月は、規律に従い、無機質な声で告げた。 「騎士団だ。開門せよ。……さもなくば、強制執行に移る」
カラン、コロン。 心地よいドアベルの音と共に現れたのは、銃を構えた騎士を前にしても眉一つ動かさない、エプロン姿の女性、葉月だった。
「あら、怖いわね。うちは立ち飲み屋じゃないのよ。……とりあえず座ったら? 最高の注文を用意してあげるから」
強引に店内に招き入れられた星月は、カウンターに座らされた。 漂ってくるのは、火薬の匂いではなく、深く、温かい、香ばしい茶葉の香り。 「……私は任務で来ている。お茶を飲みに来たわけではない」
「いいから。……はい、アッサム。ミルクはたっぷり入れといたわよ」 出されたカップから立ち上る湯気が、星月の冷え切った頬を撫でる。 一口啜ると、規律で固められた思考の端から、じわりと「自分」という熱が溶け出していくのを感じた。
「……美味しい。……いや、これは毒か? 私の理性を鈍らせる魔導薬か?」 「失礼ね。それはただの『おもてなし』よ。……ねえ、騎士様。あんたのその銃は、誰かを守るためにあるの? それとも、誰かの命令を聞くためにあるの?」
その問いに、星月は答えられなかった。 その時、店の奥から一人の少女が飛び出してきた。大きな瞳に不安と希望を湛えた少女、キマリアだ。
「あの! 私、お母さんを探しに空へ行きたいんです! このパーツを動かせる、強い騎士様を探してて……!」 キマリアが差し出したのは、星界の金属でできた、歪な魔導パーツだった。
星月の魔導銃が、そのパーツに共鳴して激しく脈打つ。 「……これは……まさか。……お前、自分が何を言っているか分かっているのか。空の果ては、地獄だぞ」
「分かってます! でも、ピッコロッソの紅茶があれば、どこまでだって行ける気がするんです!」
騎士団の通信機から、副隊長の冷酷な命令が飛ぶ。 『星月、何をしている。その少女と店主を直ちに拘束しろ。抵抗するなら射殺して構わん』
星月は、手の中の温かいカップを見つめた。 そして、ゆっくりと通信機を床に叩きつけ、ブーツの踵で踏み砕いた。
「……了解しました。……これより私は、私自身の『規律』に従います」
星月は魔導銃を引き抜き、キマリアに向かって不敵に笑った。 「お嬢さん。……その注文、この私が引き受けよう。ただし、道中は険しいぞ」
「はい! よろしくお願いします、騎士様!」
赤い屋根の喫茶店から、世界を揺るがす長い旅が始まった。 それは、魔法が支配する世界で、一人の騎士が「心」を取り戻すための、最初の一歩だった。




