三十三本目
雫を帰らせた後、昼寝で身体を休めた薫は、夜勤に備えて意識を切り替えようとした矢先、珍しく他店舗へのヘルプ要請が入った。場所は新宿。時給を1.2倍にしてくれるという条件に、俺は二つ返事で頷いた。深夜手当の1.25倍と合わせれば、実質1.5倍。この臨時収入は、正直言ってかなりデカい。
だが、現場に着いて早々、俺は自分の選択を少しだけ後悔した。
今日の勤務は二人体制。ペアを組むのは、舞川凛花という女の子だった。一目見て、俺が最も苦手とするタイプだと察した。根っからの「陽」のオーラを纏い、これまでの人生で一度も不遇を味わったことがなさそうな、眩しすぎるほどに明るい笑顔。
そして何より、彼女は恐ろしいほどに喋りかけてきた。
「どこ出身なんですかー?」「あ、その学校知ってる!」「部活は何やってたの?」
一問一答のような、生産性も面白味もない会話が続く。彼女は本当に、この時間が楽しいのだろうか。俺にとっては、どんなに嫌いな人間といる時よりも、精神的な疲労が溜まっていく。
そんなことを聞いて、一体何になる。
出身地や部活を知ったところで、俺たちの仕事が早くなるわけでも、世界が良くなるわけでもない。そんな無意味なやり取りにリソースを割くくらいなら、家に帰ってから何をするか、明日のタスクはどうするかを考えている方がよっぽど建設的だ。
だが、彼女はそれを満面の笑みでやってのける。それが「普通」というものなのだろうか。
(俺には、その「普通」が一番難しいんだけどな……)
こういうところが、俺に彼女ができない理由なのだろうか、などと自嘲気味に考える。
「あ、そうですね」「へえ、すごいですね」
感情をミュートした無難な相槌で、嵐が過ぎ去るのを待つ。
「ねえ、連絡先交換しよ!」
屈託のない提案に断る理由も見つからず、メッセージアプリの交換だけは済ませた。おそらく、お互いに二度と連絡を取り合うことはないだろう。こういう、意味もなくスムーズに繋がってしまう軽やかさも、俺はどうにも苦手だった。
煌々と光る新宿の店舗で、俺はひたすら時計の針が進むのを待っていた。
眩しすぎる光の中にいると、自分の影がより一層、濃く浮き彫りになるような気がしてならなかった。




