三本目
その夜は、雨が降っていた。
22時13分。いつものように、ミヤマさんがやってきた。トレーナーの上に、薄いナイロンパーカーを羽織っている。
彼女はいつも通りしゃがみ込み、カバンからタバコを取り出す。ライターを回す音が、雨音に混ざって聞こえる。
チッ、チッ、チッ……
何度か試みるが、着火しない。どうやら、雨が強すぎてライターの火花が散ってしまっているらしい。
「あー……」
彼女は小さくため息をつき、顔を上げた。
そこで、初めて彼女と目が合った。彼女の瞳は、いつもより少し、疲れを深く沈ませていた。
俺は、とっさに体が動いた。タバコ屋のカウンターを出て、傘をさし、彼女の元へ歩み寄る。
彼女のすぐそばまで行って、初めて声をかけた。
「あの、よかったら……これ、使いますか?」
俺は自分のポケットから、100円ライターを取り出し、彼女に向けて差し出した。
彼女は少し驚いた顔をして、それから、すぐにいつもの、少し疲れた笑みを浮かべた。
「あ、すみません。助かります」
彼女はライターを受け取り、慣れた手つきでタバコに火をつけた。「フラッシュリム」の香りが、雨の湿った空気の中に広がった。
「あの、一本だけ吸いに来てるみたいですけど……いつも、ここで買ってるわけじゃないですよね?」
意を決して、さらに一歩踏み込んで尋ねた。
彼女は煙を長く吐き出し、それから首を傾げた。
「ええ、まあ。家がこの辺なんで。このスタンド灰皿、なんか、ちょうどいいんですよね」
「ちょうどいい、ですか」
「んー……何て言うか、人通りもそんなに多くないし、落ち着くというか。吸う時間って、ちょっと現実から離れたい時じゃないですか。ここ、“ミュート”しやすいんで」
「ミュート……」
俺は呟き、自分のポケットから「グッドスパーク」を取り出した。
「実は、僕も、最近吸い始めたんです。何も考えなくていい時間が欲しくて」
そして、彼女の隣で、自分も一本に火をつけた。フィルターを濡らさないように、そっと。
タール6の煙と、タール10メンソールの煙が、雨の中、混ざり合う。
「ふふ、じゃあ、お互い様ですね」
彼女はそう言って、初めて心から笑ったような、少し明るい笑顔を見せた。
「僕、煙山薫です。この店のバイト」
「三山優衣。近くの大学です。よろしく、煙山くん」
雨音と、タバコの燃える音。
俺と優衣の間に、気負いのない、けれど、どこか不思議な、「煙を分け合う」関係が、ゆっくりと、始まった。




