十七本目
熱を帯びた飲み屋の喧騒は、すでに終盤を迎えていた。グラスの数が示すのは、もはや理性の崩壊。薫は11杯、雫は12杯。テーブルには紙タバコが14本、電子タバコが16本の吸い殻が積み重なり、二人の意識は、夜霧のようにぼやけていた。
視界が揺らぐ中で、薫の目に映った雫は、「可愛い」を超えて、なぜか「神秘的」にさえ見えた。シラフでは決して到達しない、燃えるような感情が胸を衝く。
会計を終えて外へ。後ろで見送る優衣の顔には、二つの「心配」が浮かんでいた。一つは、その尋常ではない酔い方。もう一つは、誰も触れられない、これから始まる予感。
フラフラとしながらも、雫はまるで駄々をこねる子どものように言った。
「私まだ帰りたくないよー」
「お前どう見てもこれ以上はダメだろ」
「家近いから終電終わっても帰れるジャーン」
雫の笑顔に、薫の心の奥底で持っていた「信念」が、ガラガラと音を立てて崩れた。
誰ともまともに付き合ったことがない。
人を本当に好きになったことがない。
それは、ただの酔いに乗じた下心。可愛く見えているだけの錯覚だと、頭では理解している。だが、一度芽生えた熱は止められなかった。
「確かに.....もう一軒.....行くか」
その一言が、夜の帳を破る合図となった。
二軒目。最初の余韻は熱く、グラスを重ねるたびに(三杯目)、二人の間に張りつめる空気は、急速に「良い雰囲気」へと変わっていった。タバコを互いに二本吸い終える頃には、会話は途切れ、酔いの中に、妙な落ち着きが生まれていた。
二軒目を出た瞬間、冷たい夜風が火照った肌を撫でた。
雫は、フラつく体を支えるように、何の躊躇いもなく薫の左腕に、自分の両腕を絡ませた。その体重は想像以上に重く、アルコールの匂いが鼻腔をくすぐる。
上目遣いで、焦点が定まらない瞳で薫を見つめながら、雫はまるで夢言のように、息を飲むほどに小さな声で囁いた。
「ねぇ、......探そ」
何を、とは聞かなかった。いや、聞けなかった。薫は、その体温と絡め取られた腕の感触に抗えず、もう思考するのをやめていた。
雫の足取りは、もはや千鳥足というより引きずられているに近かった。薫は重い雫の体を半ば支えるように、彼女が向かう、看板の光がやけに強い雑居ビルの暗い入口へと、沈黙のまま、連れられていった。
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朝の6時。カーテンの隙間から差し込む青白い光の中、隣には静かに寝息を立てる雫がいた。
薫は、タバコに火をつけ、その煙を天井に漂わせながら、静かに、そして力なく呟いた。
「.........はぁ。俺、何やってんだろ、ほんと」
その声は、重く、地面に吸い込まれそうに響く。
「俺って人間、しょうもねぇな。マジで。一貫性も、あったもんじゃねえ........」
すべてを諦めたような、乾いた笑いにも似たため息が漏れる。
雫が寝返りを打つ。薫は、焼け落ちていくタバコを片手に持ち、その重力に逆らうこともなく、ただ優しく彼女の頭を軽く撫でた。




