第8章 アンパンマンのマーチ(やなせたかし)
本作は各章毎にイメージにマッチした楽曲をエピソードタイトルに添えております。
楽曲を視聴しながらお読みいただくとより雰囲気が増しますのでお試しください。
※エピソードタイトル「アンパンマンのマーチ」:やなせたかし(1988)
ギルドを出た俺たちは、軽い王都観光を兼ねて徒歩でスマイルキャット亭に向かうことにした。
ルミナ中央広場から放射状に伸びる通りの一つが、ゴールデンバザールと呼ばれる市場だ。
広場に溢れるように露店が並び、通路の両脇にはさまざまな商店が軒を連ねている。
多くの人が行き交う商店街で、人も品物も豊富に揃っていた。
商店には織物、工芸品、ガラスの製品が並び、露店には穀物、野菜、肉はもちろん、香辛料まである。
「王都の外とは違い、ずいぶん豊富に商品が並んでいるな。あれは……絹織物に香辛料まで?」
今まで通ってきた村はもちろん、ドランキングホースインのあった街にも、これほどの物資はなかった。
隣を歩くアルベルトに声をかけると、彼は肩をすくめた。
「ここにある商品のほとんどは、フリーハーバーからの交易品さ。海の向こうの品物まであるぞ」
「フリーハーバーか。ずいぶんと豊かな街なんだな」
「大陸の交易拠点の一つだからな。中立を堅持している都市国家で、エルドリア王国ともヴァルソア公国とも、経済に関しては友好的だ」
話を聞きながら関心して露店を見て歩いていると、ふと路地裏に目が留まった。
おそらく物乞いだろう。埃まみれの子供が、廃材の隙間からこちらを覗いている。
「あれは……」
「ああ、物乞いだな。市場に物はあふれているが、安い物ではないからな。壁の中に入ったはいいが、金がなければ物乞いになるしかない」
賑わう市場と対比的に陰鬱な路地裏を見て、何とも言えない気持ちになった。
自分の中に沸き上がるモヤモヤから逃げるように、足早で宿へ向かった。
市場の奥に、笑っている猫が描かれた看板を見つけた。
「ここだな」
ガレンが先頭に立ち、ドアを開ける。
普段は控えめな彼にしては珍しい行動だ。
中に入ると、数匹の猫が出迎えてくれた。
いや、十匹くらいはいるだろうか。
ガレンはそのうちの一匹をひょいと抱き上げ、ドカッと椅子に座ると、満面の笑みで撫で始めた。
「ここはガレンのお気に入りなのよ。私も好きな宿よ」
エレナが足元にすり寄ってきた猫を撫でながら言う。
「いい宿だが、客は少ないように感じるな」
俺も猫を抱きかかえて席に座る。
アルベルトは肩をすくめて、
「猫だからな。異教徒のシンボルだって、貴族や信心深い連中は近寄らないんだ」※1
「異教徒のシンボル? 猫が?」
「ああ、他には魔女の使い魔だとも言われてな。嫌われてるんだ」
いつの間にかカウンターに行っていたガレンが、小袋を持って戻ってきた。
「猫の餌だ。1ペニー。餌代を教会に寄付することで、この宿は営業を許されてるんだ。協力してくれ」
ガレンがここに来てやけに流暢に話すようになって戸惑うが、それほど猫が好きなのだろう。
「もちろんさ」
俺も続いて1ペニーと交換で猫の餌をもらう。
1ペニーとは安くはないが、仕方ない。
「客も少ないから、吟遊詩人の中でも不人気なのさ。ただし、飯と寝床は最高だぞ! なにせこの宿にはネズミが近づかないからな」
アルベルトは訳知り顔で言う。
「平和な良い宿だな」
俺は膝の上でくつろぐ猫を撫でながら言った。
それから数日が過ぎた。
スマイルキャット亭での生活は、予想以上に心地よかった。
毎朝、ギルドの2階にある練習場に集まり、朝の鐘が鳴る前に声を合わせる。
4人で丸椅子に座り、リュートを膝に乗せたアルベルトが新しい布告歌のフレーズを叩き込む。
「東の峰は王のもの、若者よ剣を取れ――」
エレナのハープが軽く絡み、ガレンの太鼓が低く響く。
まだ見習いの俺は、コーラスとリズムの端を埋めるだけ。
練習が終わると、黒パンとエールで朝食。
王都では飲料できる井戸が管理されているが有料で、エールの方が安い。
たまには水を飲むけどな。
午前中は市場巡り。
ゴールデンバザールはいつも賑やかだ。
スマイルキャット亭から少し市場に入ったところ。
露店の陰に簡易ステージを組む。
ギルドバッジがあれば場所代は要らない。
布告歌を一曲、祭りの予告を一曲。
通行人が足を止め、銅貨が投げられる。
子供たちは手を振り、商人たちが頷く。
歌の合間に、フリーハーバー経由の品物が目に入る。
絹織物の露店で、アルベルトが呟く。
「この絹もフリーハーバーからだ。あの中立都市は強力な艦隊を持っていて、両国とも手を出せないんだ。黒鉄艦隊と呼ばれている」
「艦隊?」
「ああ、武装した商船だ。海賊や干渉を防ぐためのものさ。商人連合が金をかけている」
俺は頷きながら、香辛料の山を見る。
戦争中なのに、こんなに豊富。
フリーハーバーのおかげか。
夕方は宿に戻る。
スマイルキャット亭の猫たちが出迎えてくれる。
ガレンはいつものように満面の笑みで猫を抱えて椅子にドカッと座る。
さらに足元には3匹ほどの猫がまとわりつき、膝に登ろうとしている。
完全になつかれているな。
猫と戯れているガレンを横目に見ながら、一緒に座る。
「今日の太鼓も良かったな」
エレナがハープを膝に置き、猫を撫でる。
「市場の反応も上々だったわね」
アルベルトはエールを傾けながら、
「祭りまであと少しだな」
俺は頷き、猫を撫でながらエールを飲む。
平和だ。
仲間と笑い、猫のゴロゴロ音が心地よい。
飯は肉と豆のスープに白いパン。
白いパンだ!※2
倉庫がネズミに荒らされないから、小麦の品質が良い。
だが、時折、胸に何か引っかかる。
市場の賑わい、路地裏の物乞い。
あの埃まみれの子供の目が、頭から離れない。
物資が豊富にあるのに、なぜ皆が豊かにならない?
モヤモヤが日ごとに積もるが、猫の温かさとゴロゴロがそれをかき消す。
祭りはもう少しだ。
この平穏は、いつまで続くのか。
祭りの前夜。
胸のモヤモヤを抑えきれず、宿を出て歩き始めた。
市場の露店は店じまいしていて、人も閑散としている。
向かったのは、物乞いの子がいた路地裏。
物乞いは見当たらなかった。
そのまま中央広場へ。
広場は祭りの準備が進められていて、王様と上級貴族のための座席も用意されていた。
明日はきっと人でいっぱいになるのだろう。
冷たい夜の空気を吸って、宿に戻る。
宿に戻ると、猫と一緒にアルベルトが一人で飲んでいた。
その向かいの席に俺は座る。
「散歩かい? 明日だからな、緊張もするさ」
エールを傾けながらアルベルトは言う。
「いや、そうじゃないんだ」
気を使ってくれたのか、宿の親父がエールを持ってきてくれた。
「ありがとう」と礼を言って、一口飲む。
「アルベルト、一曲聞いてくれないか?」
「タロスの国の歌か? 聞かせてくれ」
俺は一つ深呼吸してから、リュートを弾く。
「何のために生まれて、
何をして生きるのか。
答えられないなんて
そんなのは嫌だ。
今を生きることで
熱いこころ燃える
だから君はいくんだ
ほほえんで
そうだ、嬉しいんだ
生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも」
(アンパンマンのマーチ:やなせたかし)
アルベルトは拍手をして言う。
「いい歌なんだが……」
「ああ、わかってる」
俺はアルベルトの言葉を遮るように答えた。
そしてアルベルトに問う。
「アルベルトは何のために生まれて、何をして生きるんだ?」
「そんなことは……考えたこともないさ」
エールをグイッと飲んで、さらにアルベルトは言う。
「きっとこのままなんだろうなと」
頷き、俺は答える。
「俺は考えたことがある。それを思い出したんだ」
――『音楽で世界を変えるために生まれて、愛と平和を伝えて生きるさ。』
白い部屋の記憶が、ふとよみがえる。
「記憶が戻ったのか?」
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだが、大事なことだけ思い出したんだ」
アルベルトの目が、一瞬鋭く光った。
猫が膝から飛び降り、静かな部屋にリュートの余韻だけが残る。
明日、王の前で歌う歌は、これとは違う。
もっと、痛みを伴うものになる予感がした。
※1「猫は異教徒のシンボル」古代エジプトでは神の使いとされてましたし、土着宗教にも多く登場してましたが、それはキリスト教の教えに反する事でした。
また、魔女が姿を変えて悪さを働くとも思われており、特に黒猫は忌み嫌われてました。
※2「白いパン」庶民は粗く挽かれた粉で作る黒パンが主流で、精製された粉で作る白パンは高級でした。
ネコがネズミから小麦を守って貢献しています。




